「収穫はこれだけか」


 イチさんは机の上にぽつんと置かれたスケジュール帳を見ながらそう口にした。状況から考えるに、この手帳は故意に隠されていた、と思って間違いない。


 そもそも、こうして今、本人不在で部屋に入れてもらえているということを考えると、この部屋に入ること自体を家族に禁止していたわけじゃない。

 けれどこうして、二重底の下に入れていた、ということはつまり、家族をはじめとした人の目に触れさせたくなかったのだろう。


「開けた感触からすると、二重底は元から備えてあったものじゃないかと」トーさんは続ける。「持ち歩いて落とすのも、置きっぱなしで中を見られるのも嫌だから、隠していたという気がするんです」


 となれば、何か漏らしたくない大事な情報が書かれている可能性が高い。底が綺麗であったことも踏まえると、呪いの言葉の可能性だってなくはない。


「ま、試しに拝見してみっか」


 真ん中に立っているイチさんは、肩にかけている紐を直し、表紙に手をかけた。僕も愛菜花もトーさんも、覗き見る。


 “今回の取材対象:死に至らしめる呪いの言葉について”


 一ページ目の一行目から早速触れていた。やはり、ここに何かしらの手がかりがあるのかも。


 まず数ページにわたって、書いてあったのは、呪いの言葉の概要。何故呪いの言葉と呼ばれているかとか、そういうの。ボールペンの色の濃さと筆圧のある強い文字のせいで、書いてある内容にさらなる緊張を与えている。

 この辺りは僕らも調べてある。まあネットとかにも載ってる内容だから、軽く目を通すだけにして次に進む。


 次は、スケジュール表。見開きで一ヶ月分のスケジュールが書ける書式になっている。


「何も書いてねえな」


 僕も思っていたことを、イチさんが口にする。やはり、ノート代わりにスケジュール帳を使って……ん?


「これって、破った跡?」今度は愛菜花がそう話す。


 おそらく定規など押さえる物さえ使わずに手で引きちぎったのだろう、切れなかった残骸が点々とある。

 何故破ったのかは分からない。ただ、ここには何が書かれていたのだろう。


 横に動く影が。視線を動かすと、トーさんが猫背になり、次のページを指でなぞり始めた。時折その速度を遅くしながら全体をなぞっていく。その前のページも。同じ辺りをなぞっていく。


「どうしたんです?」


 愛菜花がそう声をかけるも、トーさんの反応は無い。視線を上げて、ペン立てから鉛筆一本手に取った。


 何をする気なのか、その答えはすぐに分かった。トーさんは次のページに鉛筆を少し寝かせるようにして当てて、擦っていく。白いページの一部が細い黒の線で染まっていく


「「あっ」」僕と愛菜花は思わず声を上げた。


 鉛筆で灰色となっていく背景に、トミタH パーティー、という言葉が白く浮かび上がってきたからだ。


「いけましたね」トーさんは背を起こした。「触ったら所々へこみを感じたので。筆圧が濃い方でしたから、浮かび上がらせるのではと。物は試しでしたが、いけました」


 へへへ、と照れるような笑みを浮かべるトーさん。


「これを千切ったとなると、何かしら関係があるのでしょう」


 確かに。


「書いてあった位置からすると……」ページをめくったり戻したりしながら見比べる。「九月の八日から十日の間ぐらいですかね」


 トーさんは顎に手を置きながら、そう推測した。九月というと、約四ヶ月前か。


「パーティーと呪い……関わり合いのねえ言葉だな」


 ケラケラと、イチさんは笑う。


「トミタパーティーという名の催しなのか。それとも、トミタさんのパーティーなのか」


「そもそも、このHって何なのさ」


 そうだ、愛菜花の指摘の通り。ミドルネームでもなさそうだし、位置からするとトミタとHという言葉に繋がりがありそうだ。


「ま、その辺のヒントは後にでも書いてあんじゃね?」


 イチさんがさらにページをめくろうとする。


「ちょっと待って」


 トーさんが覆うようにして、手を伸ばす。


「なんだよ、トー」


 少し不機嫌そうなイチさん。だが、その理由はすぐに分かった。階段の軋む音が耳に届いたからだ。しかもそれは段々と大きく、近づいてきている。


 もしかして……ある可能性が脳裏をよぎった時にはもうすぐそばまで来ていた。


 扉がぎぃと開く。


 人間っていうのは不思議なもので、土壇場の時に考える前に動いてしまうことがある。今回でいうなら、僕が奪うようにノートを掴み、閉じながら背中に隠したことが、それに当てはまるのだろう。


「お目当てのものは見つかった?」


「いや、まだ、です」


 愛菜花は僕の背中を一瞥しながら、そう答えた。


「どこにあるのかしらね」ちらちらと辺りを見ている奥さん。


「いや、見つからなければまた後日で」


 愛菜花は続ける。


「そう……もしよかったら少し休まない? 下に飲み物を用意したから」


「やった」イチさんは呟いた。「あっ、それってコーラです?」


「コーラ……」奥さんは一瞬目を逸らした。どこかにあったか、思い出しているように見えた。「缶でもよければ」


「全然。それでいいっす」


「イチ」キッと鋭い視線をトーさんは向けた。


「いえ……結構、でした」凄みに折れるイチさん。


「お構いなく」トーさんは百八十度違う笑顔をまく。




「気になること?」


 紅茶を一口。喉元を通ってから、奥さんは少し視線を上げて、トーさんの台詞を繰り返した。


 リビングの長細いテーブルに用意されていたのは、アールグレイと色違いのマカロン三つ。机を囲むようにして、それぞれに用意されている。


 紅茶がコーヒーカップとかありものの代用ではなく、ちゃんとティーカップに淹れられている事とマカロンがダマスク柄の紙皿に乗っている。その事も併せて考えると、相当な紅茶好きであることが伺えた。


「例えば、ふとした拍子に変な言葉を呟いていたりだとか、どこかに書いていたりだとか。それか、何かを隠すようにしていた、とか」


「隠す……」


 どこか心当たりのあるような反応。


「心当たりでも?」トーさんも同じ感じ方をしたようだ。


「いなくなる直前まで、調べていたことがあるの。皆さんなら知ってるかしら。呪いの言葉を調べる、っていうやつ」


 早速ヒット。イチさんは頬張ったマカロンを咀嚼しながら、片方の口角を上げている。


「調べる前にね、今度は危険だ、って少し嬉しそうな顔で口にしていたわ。けどね、少しオーバーというか、大袈裟に言うところがあって、あの人。多分、都市伝説とかそういうのに興味のない私から、何それって聞いて欲しいから、そういうことをしていたと思うのね。だからいつもみたいに、はいはい、って流してた。けど……」


 奥さんは不意に視線を沈ませ、ティーカップの取っ手を撫でるように触る。


「もしあの時に、やめておけばって言えたら、こんなことにはなっていなかったかもしれないわ」


「というと?」


 僕は引っかかる物言いを追及する。


「その、呪いの言葉とやらを調べてから半月ぐらいしてからかしら、ある日、青ざめて帰ってきた時があったの。思わずどうしたのか声をかけたらね、彼、こう言ったの。呪いの言葉が・・・・・・・分かった・・・・、って」


 え? 思わず愛菜花と顔を見合わせる。


 僕は続ける。「それ、ご主人は何という言葉かお話していましたか?」


「いえ、話そうとしなかったわ。聞かない方がいいって、しきりに言ってもいた。これまではどうせ馬鹿にするだろうって言って最初は渋ったりはしていたわ。正直言うとね、私、そういう都市伝説だとか呪いだとか、そういう超常的なものを全く信じていなくて。あっ、ごめんなさい」


「いえ」


 愛菜花は小さく笑みを浮かべる。この謝罪は、僕たちがオカルト系サークルのメンバーだということに対して、だろう。言葉からして他意は無いし、そもそもそんなこと言われるのは慣れっこだ。


「それでもあの人、結局最後は話してくれたりしてた。でも、その時は頑なに口をつぐんでいたわ」


 本当に危険だと思ったからだろう。知ってしまった以上、家族を守るためには、口をつぐむという方法しかなかったわけだ。


「それから一週間程してからかしら、一般紙に異動が決まってね、オカルト系も好きだけど、一般紙を目指していたから、彼喜んでいたわ。けど、それからすぐに、おかしくなり始めた。日に日に、目が虚になってって、いよいよ頬までこけてきたりしてて。あの人ね、杏子きょうこが産まれてから、凄く子煩悩で、帰ってくる度に何か買ってきたりもして、もう親バカよ。だから仕事を頑張らなきゃって張り切ってた。けど」


 唇を内側へ強く巻き込んでいた。


「次第に娘のことさえも、何ていうんだろう、興味を示さなくなったの。もう、あきらかにおかしくなった。無理矢理にでも病院で診てもらおうと、籠ってた仕事部屋へ行ったら、もういなくなっていて。連絡をしても近くを探しても。私に何も言わないで出ていくなんて、これまでただの一度も無かったのに……」


 重苦しい空気が流れる。


「警察にはその事は?」


「話した。けど、どこまで信じてもらえてるか」


 そっか……


「ちなみに、言葉が分かったと言っていたのは、いつのことか覚えてますか」


 トーさんは少し前のめりで尋ねた。


「確か、一ヶ月ほど前だったと思います」


 一ヶ月、か……


 すると、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。


「ごめんなさい」


 奥さんは席を立ち、ダイニングの方へ。どうしたのぉ、とベビーベッドから優しく掬い上げ、あやし始める。

 よしよし、と続けてあやす言葉に、力があまり感じられなかった。疲労感、というのが身体を包んでいることは明らかだった。


 護符市さんが今どうなっているのかは分からない。けれど、あまり良くはないことは確かだ。

 かと言って、その事を僕らの口から伝えるのは違うし、大丈夫ですよとかその場凌ぎで安易な声をかけるのはもっと違う。

 それにだ。目の前にいる奥さんは、悩み苦しんでいる。僕らには計り知れないほどに。


 なんと声をかけたらいいのだろう……答えは出ないまま、僕らは口を閉じて二人の姿を見ることしかできなかった。

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