二十二
その後、俺は風呂を沸かす。その間、風呂は入らないと寝室に向かったイチ君を除いた3人でじゃんけんした結果、エンドウさんが最初に入ることになり、早速入浴しに一体化している洗面所へ行った。
で、イチ君が寝室へ向かった理由は、「ベッドにダイブしてみたいから」だそう。年齢は分からないけど、見た目からも言動からもどこか子供っぽさが残っていた。こんなことイチ君なんかに言ったら何言われ、いやされるか分からない。心の内に留めておこう。
そのため、今部屋にいるのは俺とトー君だけだった。
俺はキッチンにある冷蔵庫ヘ歩きながら、「オレンジジュースでいいかい?」と訊ねた
「はい。ありがとうございます」
背中越しに聞こえるトー君の声に、「了解」と返事する。正直飲めれば何でもよかった俺は、同じくオレンジジュースを飲むことにした。
冷蔵庫からパックジュースを取り出す。思ったよりも軽く、変な持ち上げ方になってしまう。足りるかな……少し心配しながら、水切りかごに逆さまにしてあったガラス製のコップを2つ手に取り、注いだ。
2杯目の8分目を超えた辺りで、パックは天地逆になり口からはポタポタと垂れるほどに。よかった、ちょうどだ。空のオレンジジュースの口を開けたままシンクに置き、両手にコップを持ち、リビングへ。
「好きに座っててよかったのに」
前で右手で左手首を掴んで立っているトー君に声を掛ける。
「いや、勝手に座るのは申し訳ないなって」
彼らしい返答に俺の顔が少し緩む。
「じゃあ、そこのソファに」
「はい」
促されるがまま、トー君が窓側に行き、俺がその隣へ。わざとなのか偶然なのか、俺が座った後に遅れて座るトー君。
「どーぞ」
俺はテーブルにジュースを置く。カチンと、2つのガラス音が響く。テーブルとコップがぶつかったのだ。
「いただきます」
軽く会釈し、コップに口をつけるトー君。改めて思うけど、なんとも礼儀正しい。ちゃんと教育されてるんだろう。
ふと、彼女とかいるのだろうか、と下世話な質問が頭の中に湧いた。
直接確認をとったわけじゃないが、歳的にはおそらく大学生。いても全くおかしくない。というか、メガネをかけた美少年・礼儀正しい好青年なのだから、モテるとは思うんだけど……
「先ほどはすいませんでした」
「え?」唐突に言われ、へに近いえが口から出た。
「横丁で、その……取り乱してしまって……」
手にコップを持ったまま、腿に腕を置いているトー君。申し訳なさげな表情をしている。前屈みな体勢がよりその思いを強く伝えてきた。
「あぁ……いや。全然気にしてないから大丈夫」
気になったが、それ以上訊くのはやめた。理由は、横丁に向かうタクシー内で抱いたことと同じ。誰しも言いたくないことはある。
下世話な想像と共に、なんとなくはぐらかす形で終わらせることにした。脳内から消し去る意味も込めて、俺は一口ジュースを飲んで流した。コーヒーの時と同じだ。
そして、「そういえば、この事件に怪異が関わっているかどうかってどう判断したの?」と俺は話題を変えた。
すると、「こんなこと言うと怪しまれそうなんですが」腕を伸ばし、テーブル置くトー君。全く怪しんでいないけど……まあ彼らしい、念には念をな返答だ。
「正直、何となくなんです。妙奇がある人だけに分かる事件の不穏さとか気味悪さとか、そういう普通のそれとは違う雰囲気を感じ取った時は大体怪異が関わっています」
トー君はメガネを正しい位置に押し上げる。
「なら、最初からこの事件はおかしいって思ってたの?」
「はい。イチと2人で調べていったんですが、なかなか手掛かりがつかめずにいました。警察や報道機関に知り合いがいるわけでもなく、仮に得られてもわずかな情報ばかり。イチや僕も妙奇で分かる範囲には限度があり、いつどこで起こるかさえも当時は不明だったためなかなか見つけ出せませんでした」
トー君が少し苦い顔をしている。
「ようやくってのが、坂崎さんと出会ったあの日で、しかも偶然見つけられた始末。早く分かっていれば、もっと助けられたはずなのに……被害者の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです」
俯き、悔しそうに手を握りしめるトー君。手の内側に爪が食い込んでいるのが一目で分かるほど、強く強く握っていた。
「悪いのは、トー君じゃないよ」
俺の言葉に、トー君は握りしめていた手から力を逃がした。そして、俺の顔を見てくる。
「悪いのは、寿命を吸っている怪異だ。君らは、危険を顧みずに俺やエンドウさんを守ろうとしてる」
イチ君だってさっきの刀の件だって、何かあった時刀を持っておかないとすぐに助けられない。そういう意味で少し怪訝になったんだと思う。
「それどころか、他の人たちだって助けようとしてた。そんなことそうできることじゃない、凄いことだ。体を張って命を救おうとしてるトー君が謝ることなんてないよ」
「もちろん、イチ君も」と言うと、トー君は正面を向いて俯いた。だが、少しして口を閉じたまま口角を上げ、力はないが笑みを浮かべた。
助けてもらってる身分で言うことではないかもしれないけど、他人がしゃしゃりでるようなことじゃないかもしれないけど、トー君ら2人は何も悪くないということは間違いなく言える。
だから、その想いをどうしても伝えたかった。こんなにまで駆り立てられるような気持ちになるのは久々だった。
「やっぱり坂崎さんは優しいですね」
「それほどじゃないよ」
謙虚とかそういうのではない。俺は今までの自分の行動を振り返って、そこまで優しくした記憶がないと思ったのだ。だけどおそらく真面目なトー君のことだ。食事を好きなだけおごったとか、こうして部屋を貸したとかそういうことに対しても、優しさを感じたのだろう。
少し時間を置いてから俺は「さっきの今でなんだけど、1つ訊いてもいいかな?」人差し指を立てる。さっき聞きそびれた質問だ。
「なんでしょう?」
「前にハンバーガー屋で色々話を聞いて、怪異はカメラに映らないだとかそういう性質については納得してるんだけど、文献に1つも残っていないっていうのはちょっと変だなーって思ってて。その……あまりにも世間に知られていなさ過ぎるというか、さ」
この疑問は図書館に行って夜通し文献を読み漁ったときに思った。古今東西、歴史書などの正規の文献から妖怪などが描き並べられた怪書まで様々に満遍なく調べてものの、そのどれにも怪異についての記述が少しは愚か、全くされていなかったのだ。もちろん、ネット検索しても引っかかることはなかった。
それにだ。怪異がどのようなものなのかの記憶はないが、間違いなく危険なモノであることは分かる。そうなると、何かしらの事件になって騒がれていてもおかしくはない。昔だってそうだが、今現在まさにこの時だって。
「それには何か理由はあるの?」
トー君はうつむき、膝に腕を置いて前傾姿勢になる。
「……あります」
俺の顔を一瞥するトー君。で、1つため息をつき、「別に隠してたわけじゃないんです」と話し始めた。
「ただ言うのが少し躊躇われて……」
手を揉み出す。顔も動かしている。個人的な主観だが、何を言うか言うまいか悩んでいるように見えた。
少ししてから、背筋を伸ばしながら思いっきり息を吸い始めると、何か決心した表情をして、俺の方を見てきた。
「実はですね、坂崎さん。怪異は——」
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