十四
タクシーが止まる。両扉が開く。赤信号でではなく、どうやら着いたみたいだ。なんともタイミングがいい。時計を見る。乗り込んでからもう30分が経過していた。思ってたよりも早く、時の流れを感じた。
「5240円になります」
運転手はこちらに顔を向ける。手にはよくスーパーとかで見るお金を入れる青枠のトレーを中央の肘置きの上に置いた。そこにはレシートが載っていて、告げた金額と同じ数字が並んでいた。
視線を手元に戻し、バッグから財布を引っ張り出す。中を開くと、小銭は多かったのにぴったりとはいかず、5250円を上に置く。こういう時、丁度払えると凄いスッキリするんだけどな……
「あ、あと」運転手が手元に寄せ確認するのを見ながら、俺は尋ねる。「領収書をもらえますか?」
一瞬キョトンとした顔になる運転手。まあ、そうなるのも別におかしなことじゃない。
「手書きの、ということでしょうか」
「あればでいいんですが」
最近はレシートだけとタクシー会社も多いから、なければそのままレシートで提出すればいいのだが、何故か以前経費で落ちなかったことがあった。まあおそらくは認められるのだろうけど、あるに越したことはない。そういうことは慣習としてあるからという理由で不文のままではなく、社の規定としてしっかり追加してほしい。記していないことは、存在していないも同然なのだから。
「できますかね?」
俺の問いかけに、運転手は「ええ、大丈夫ですよ」とトレーのある肘置きを開けて、領収書の束を取り出した。胸ポケットから黒のボールペンを手にして、スラスラを記入していく。
「宛名はどうします?」
出版社名から編集部の部署名まで告げた瞬間、俺の脳裏にふとよぎった。何かとはっきり判別できるようなものではなく、うっすらと何かがあったということだけ、サッと。
なんだろう……何か忘れてるような……
「お待たせしました」
運転手の声かけにより、結局分からぬまま領収書を貰い、タクシーから降りる。まあ……どっかで思い出すだろう。
そうしてようやくタクシーから降りると、先に外にいたイチ君が待ちくたびれた、という表情をして立っていた。
「で? こっからどう行けばいいんだ?」
イチ君からの質問に、俺は「ええっと……」と吃った。それで勘ぐられた。
「さては、分かんねえのか?」
不機嫌そうに両手をポケットに突っ込むイチ君に、俺はただ正直に首を縦に落とした。
「さも知ってるみたいな顔してたじゃねぇーか」
イチ君が言葉で指しているのは、おそらくあの家でのことだろう。
「名前は知ってたけど、詳しい場所までは……それにタクシーでそこまで行けると思ってたし」
「ったく……どうすんだよ?」
あっそうだ。
「地図使おう」俺はバッグを開く。「地図?」イチ君は首をかしげる。
あった。俺はケータイを取り出し、開く。
「成る程。地図アプリを、ということですね」と話すトー君に、俺は「そう」と頷きながら返答する。
タッチして地図アプリを起動させる。アップデートのため、開くのに少しばかり時間がかかる。
ここら辺は俺の自宅とは反対方向な上、取材等でもあまり使ったり通ったりすることがない。方向音痴では無いが、下手に迷ってしまうよりはチラチラと見ながらのほうが遥かにいい。もうこれ以上無駄な時間は消費したくなかった。
顔を上げてチラッと様子見。暇そうに、風船を作って遊んでいるイチ君。トー君はじっとこちらを見ていた。
視線をケータイに。読み込みが終わったようで現在地が青い丸になって現れた。同時に辺りには建物の名前が地図記号とともに、表示される。ケータイの方向を変えると、それに伴って青い丸に付いている先端の尖った部分があちこちを向く。
画面上部にある検索欄に“四六横丁”と打ち込む。すると、目的地から赤いアイコンが膨れるように出てきた。ここから350メートル。徒歩での所要時間は5分。さほど遠くはない。
よしっ! 「お待たせ」アプリのナビを開始しながら、俺ら3人は歩き出す。
「100メートルです」音声案内。女性の声だ。所々で「右折してください」や「左折してください」と案内され、来たのは辺りが民家で並べられた住宅街。昼時だからか、人通りは少ない。地図上で示されてる距離の数字が少なくなっているから、辿り着いてはいるみたいだけれど、このまま歩いていって本当に辿り着くのだろうかと疑うほどだ。それくらい普通の住宅街だったのだ。時折、後ろを振り返る。突然後ろから来たらとか思うと……怖い。
20メートル先にある角を左に曲がる。で、こっからさらに40メートル先の角を左に曲がって……って、ん?
あれってもしかして。「エンドウさんっ!」
自転車のハンドルを持ったまま、振り返ってきた。やはりそう、エンドウさんだ。この前会った時とは違って軽装で動きやすい服装をしている。そして、リュックを背負っていた。
あっちも俺らのことが分かったみたいで少ししてから、エンドウさんも少し笑みをこぼしながら小さいながらも右手を振ってきた。
俺は、俺らは近づこうとした。「何でここに?」と、訊こうとした。
だけど、できなかった。
訊く前に出てきたのだ、エンドウさんの背後から黒い
ただただ黒く、まるで毛布に閉じ込められた複数の虫が外に出ようと蠢くように、うねうねと動いている。
あんなのは今までに見たことなどない。だけど、体の底から一瞬で感じた。
あれは、あの黒い靄は危険だ、と。
すると、エンドウさんの手が突然、空中で静止した。気配に気づいたのだろう、手の平側に少し丸めながら、恐る恐る後ろを振り返っていく。
彼女の腕が重力に負けて下がっていく。それはあの黒い靄が俺以外にも見えていたことを証明してた。
そして、今のエンドウさんの状態がどういうのか俺なら分かる。あの時と同じだ。あの路地裏と同じで、体が恐怖で縛られているんだ。
俺らとエンドウさんとの距離は、ザッと見て7、80メートル。この状況、マズい……とにかくマズい。
「チッ、面倒なことになった」ボソッと呟きながら、イチ君は肩にかけてた竹刀袋を降ろす。
「あとは頼んだぞ、トー」
イチ君は袋から素早く刀を取り出し右手で柄を掴み、地面と垂直に。
「了解」トー君の返事を耳にした直後、イチ君は金の鞘を後方へ振り落とす。
イチ君は口と鼻から一瞬で背中越しでも分かるぐらい大量の空気を体に取り込む。肺が一杯になり、動きが止まる。そして、素早く左足を前方へ。踏み出すのではなく、踏み込んだ。
「伏せろぉっっ!」
大声で叫んだ瞬間、イチ君は歯を見せて食いしばり、野球のピッチャーの如く刀をぶん投げた。
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