『出てない?』


「えぇ……ついこの間からパタリと情報が途絶えてしまって」


 俺は編集長へ、詳細な理由を数分間に渡って説明する。


『だとしても先延ばしは無理だ。ウチで長くやってるお前なら分かるよな、坂崎?』


 「はい……」どうやら、理由という皮を被った言い訳だということは見抜かれているようだ。


『納期はいつだ?』


 分かっている。「来週の木曜です」


『今日は?』


 それも同じく。「金曜です」

 もう夜遅いから、実質土曜みたいなもんだけど……


『何としてでも手がかり見つけて記事にしろよ、分かったな?』


 「はい」俺は頷きながらそう返す。


 エンジン音が耳に入る。後ろを見る。タクシーだ。こちらに真っ直ぐ向かってきていることから見て、おそらく俺がさっき呼んだのだろう。


『今日は直帰でいい。じゃあまた明日』


 『もちろん当然当たり前に来るよな?』と言われなくても、“明日”に込められたニュアンスから、その意をひしひしと感じ取った俺は、反論も何もせず、ただ「了解です。お疲れ様でした」と電話を切った。


 目の前で止まり、ぶっきらぼうに開いたタクシーに乗り込む。

 後部座席の助手席側に座ると、「どちらまで?」と運転手である50代後半ぐらいのバーコード頭のおじさんが助手席に手を置きながら、上半身を向けてきた。


 家の住所を運転手に伝える。「かしこまりました」営業スマイルをして、体を戻し、ナビを開き、操作し始めた。


 仕事って大変だな。俺はレザーシートに背もたれに寄りかかり、深いため息をつく。

 だけど、落ち込みのため息じゃない。そもそも論で編集長を騙すことなど不可能だというのは分かっていたから、やっぱりそうだよな、という気持ちの方が強い。だからこれは、落ち込みのため息ではなく、明日からどうするかという苦悩のため息だ。


 酸素を吸い込むと、家に食材が何もないことを、同時に脈絡なく思い出す。


 「すいません」少し慌てながら、自宅近くにあるコンビニにルートを変えてもらう。そこから家まではほんの数分。歩き疲れてはいるが、それくらい歩けばいい。今日1日で歩いた量に比べたら微々たるもの。ついでのおまけ程度だ。


「かしこまりました」


 運転手はナビで場所を変えると、メーターのスイッチを押し、発車させた。




 「どこに勤めてんの?」という会話の切り出しは、社会人になって昔の友人知人に会えば、必ずと言っていいほど起きる。会話が詰まればなおさらだ。おはよう、こんにちわ、いただきますレベルで取り交わされるほどと言っても過言じゃないかもしれない。

 で、俺が正直に答えると皆、驚きの表情を浮かべる。人によっては、「へぇー」と感嘆の声を出すものまでいる。その真意がどうなのか定かではないが、皆の表現理由は、共通して単純。誰もが知っている出版社だから。


 だけど俺が属しているのは、“オカルター”という月刊誌を作成している部署。言い換えれば、さほど人気のない雑誌を作ってる実質的な窓際で、俺は記者兼編集者をしている。売り上げが落ちたりネタがなくなった途端、雑誌は廃刊となる。それはイコール、そこに属している西、ユリちゃん、北さん、編集長、そして俺の計5人がクビ。まあ、そこまでは言い過ぎか。だけど、形式的にまでも、記者や編集者さえできない窓際に送られるだろう。

 とは言っても正直なところ、雑誌1冊分を完成させるのにこの人数は引くほど少ない。同業者だったら身震いするほどに少ない。なのに、毎号発売できてる。これこそ、俺らが特集すべき、いやしなきゃいけないオカルトだろ、って思ったこともしばしば。


 そんな物思いにふけっていると、体が前に少し倒れる。ふと前を見ると、車が止まっていた。


 えっ、もしかしてもう着いた?

 俺は少しだけ体を下にずらし、前方に目をやる。いや違う。信号だ。ただ赤信号で止まっただけ。やっぱ疲れてんだなぁー……俺。


 再び体を背もたれにつけると、淡々とした女性の口調が耳に入る。いつの間にかカーラジオが付けられていたみたいで、ニュースが流れていた。どうやら新たな“”が発見されたらしい。


 またか……




 ここ最近の会話にはこのワードが必ずと言っていいほど入っている。他人の恋愛事情に首をつっこみがちな女子高生にしろ、井戸端会議で情報共有をする主婦にしろ、純粋無垢、だと思いたい小学生にしろ。


 だが、普通はこんな奇妙なフレーズが入るような会話はしない。裏を返せば、普通じゃないことが起きているから、奇妙なフレーズの入った会話をするということ。


 発端はよく覚えている。数ヶ月前に発見されたとある白骨遺体だ。

 その白骨遺体に目立った外傷は見当たらず、また薬品などの使用も見受けられないことから事件性はないとし、何かの拍子に死亡しそのまま風化した事故死の遺体であると警察は断定した。


 だが、その数日後、断定は1つの驚愕の事実により大きく覆された。

 念のための裏付け捜査の最中、なんと、白骨遺体は発見される前日まで普通に生活していたことが判明したのだ。


 追い打ちをかけるように、都内各地で次々と白骨遺体が出てきていたことがネットによる情報で明らかに。

 これにより、事故死から近年稀に見る連続殺人事件の可能性が急浮上したのだ。


 俺たちマスコミが警察の初動捜査ミスにより引き起こされた前代未聞の不祥事ではないかと報道したからかは不明だが、警察は複数の所轄と本庁の捜査官を総動員させ、また白骨遺体が発見された場合、鑑識課や科学捜査研究所などの警察内部機関とは別の外部の研究機関を初動捜査時から連携して行うと発表。


 こうして異例の体制下で行われた合同捜査だったが、調べを進めても被害者同士の接点が一切見つからず、また異常犯罪に見受けられる殺害方法の共通性が白骨化ということ以外に見当たらないため、捜査は難航を極めた。このことは、実質的な警察の敗北宣言を意味していた。


 たった1日で白骨化する——このことは瞬く間に、ネットなどの様々な情報媒体で話題をかっさらった。

 そして、白骨化するその異常な早さから“即白骨”という名が、いつからか誰からか付けられるようになった。




 ニュースが終わり、BGMが流れた途端、ため息が出た。

 もし俺が即白骨の記事を担当できてたら、今こんなに困ることはなかっただろうと思ったら、意識せずとも勝手に自然と出てしまったのだ。だってネタは山ほどあるんだから。


 一方、俺は「人喰い女」担当。大きなマスクをしている赤い服の女がものすごいスピードで走って追いかけてくる、というどっかで聞いたことあるような都市伝説だ。

 やたらめったらではなかったけど、そこそこあちらこちらで出没してたのに、この間から何故か全く目撃されず、只今絶賛困り果て中。


 どうすればいいんだ……


 再び止まったタクシー。どうせ赤信号。俺は救いを求めるかのように外を眺めた。


 いつの間にか、男の俺でも歩いて通るのとかは躊躇うくらいの街灯の少なさの道に来ていた。


 人通りもほとんど、っていうか全くない——いや、いた。しかも女性。上下ベージュのスーツを着ていて、ロングヘアーで若い女性。すぐそばの歩道をタクシーの進行方向とは逆に、腕を必死に振り、口を開けっ放しにしながら走っていた。


 何かあったのかと心配になるほどの走り方。恐怖の形相を、ときたま苦悶の表情を浮かべている。

 時々、振り返っていることから、どうやら後ろが気にしているようだ。

 俺は窓越しにそちらを見てみた。だが、誰もいない。


 その女性は、勢い余ってか慌ただしく壁に手をつきながら、街灯のない路地裏へと消えていった。


 おかしい。まず、こんな夜に女性1人で路地裏に入っていく時点で十分おかしい。それに、あんな形相で、もうダッシュしてるのもなんかおかしい。

 でもそれ以上に明らかにおかしな点がある気が……あっ。

 そうだ。靴だ。間違いない。彼女は靴を履いていないんだ……いや、何で?


 履き忘れた、なんてことまずないありえないよな。よっぽど特異な考えを有している人じゃない限り、外出するのには靴を履くのが常識だ。どっかで脱げた——のなら取りに行くよな、もちろん。


 あっ!


 もしかしたら逃げてるんじゃないのか?

 例えば……そう、あの女性は今、ストーカーに追いかけられている。だから、当然に履いてたけど、逃げてる最中に脱げてしまった。取りに行きたくても、後ろからやってきており、無理だった。

 これなら、何度も振り返って後ろを気にしていたことにも説明がいく。もしかすると、履いているのがヒールとかだったら、走りにくいからわざと自分から脱いだのかもしれない。


 だけど、それほどまでに切羽詰まってるとしたら……


「すいません! ここで降ります!」


 俺は慌てて財布を取り出す。

 「えっ?」と鳩が豆鉄砲を食ったような顔を向けてきたので、さらに大声で「ここで降ろしてください!」と伝えた。

 「は、はい」勢いに押された運転手がすぐ開けてくれた。


 ちらりと見えた5000円札を掴む。センターコンソールボックスの上へ投げるように置くと、ドアが開いた。

 勢いのまま、隣に置いていた肩がけバッグを乱雑に取り、俺はタクシーを降りた。


 「お客さんっ、お釣りぃ!」と背中から声が聞こえるが、別に構わない。今はそれどころじゃない。彼女の身に何か危険が迫っている。今までに培ってきた記者の勘がそう叫んでいた。


 俺は肩紐を首に通しながら、女性を追うため路地裏に入る。入ってみて分かったが、かなり狭い。人が肩を傾けなければ、すれ違えないほど。それに暗い。空からの月明かりでかろうじて程度の範囲しか見えない。


 「来ないでよっ!」奥から声が聞こえる。おそらくさっきの女性だ。


 急がないとっ! 俺はケータイでライトをつけて、走って曲がって走って曲がって、ひたすら道なりに進み続けた。


 すると、奥から明かりが見えた。進んでいくと、広いところに出た。

 辺りを見る。街灯はないが月明かりが差し込んでいるからか、ビルのすぐそばが暗くて見えない以外はちゃんと見える。おそらくさっき見えた明かりも、月明かりだったのだろう。

 見た目は空き地っぽい。ただ周りがビルに囲まれているから、四角形の土地、といった方が適切かもしれない。地面は土で、昨日降った雨のせいなのか、少しぬかるんでいた。一歩一歩進むたび、グチャと気持ちの悪い音が耳に届く。


 あれ?


 女性が見当たらない。

 中央に向かって歩きながら辺りを見回すが、やはりいない。


 ここまで分岐した道はなかったし、もちろんすれ違った人もいなかった。

 つまり、ここに女性がいなければおかしい。なのに、いない。


 足元にあるのは、白骨遺体だけしかない。ないとは思うが、俺は目線を少し上げ……ん?


 もう一度、足元に視線を落とす。ある。白骨遺体がある。


 ……いや、何で?


 疑問はすぐに解消された。この遺体は女性もののベージュスーツを身につけていた。

 心当たりは1人しかいない。これは、あの女性だ。


 これってまさか……即白骨?


 この瞬間、嫌なことが俺の脳裏をよぎった——というか気づいてしまったに近いかもしれない。


 女性は俺が路地に入り少し経った後、「来ないで」と叫んでいた。ということは、その何者かは女性と俺の間にいたということだ。だけど、ここに来る途中誰ともすれ違うことはなかった。灯りで照らしても誰も他にいなかった。

 今俺は、四角い土地の入口付近にいるが、誰も出て行った様子はなかった。その上、目の前には誰もいない。


 てことはつまり……


 その瞬間、悪寒が全身を一気に駆けぬけた。後ろから見られている気配を感じたからだ。


 本能的に危険だと感じた俺は、ゴクリと音の鳴る固唾をのみこんだ。


 距離はすぐそば。2メートル、いや1メートルもないだろう。

 そのあまりの近さに、勝手に呼吸が荒くなっていく。


 もし逃げるとしても、振り返らなければ何も始まらない。タクシーを降りた大通りに向かうには、そこしか通る道はないのだから。


 覚悟を決め、俺は思い切って振り返った。

 恐怖からか、俺は下に視線をやっていた。


 足だ。足がある。つまり、誰かがいる。俺はだんだんに顔を上げていく。膝、腰、胸、そして顔。


 ……なんだ、これ?


 そこには、7、8メートルはある得体の知れない“何か”がいた。


 今まで様々なオカルトを取材しその途中で多くの恐怖体験をしてきたが、形容しがたいという言葉はこのためにあるのではないかと思うほどそのどれにも当てはまらない見た目をしている。

 怪物のような存在であることには間違いない。だが、得体の知れぬ巨大な何かが目の前にいる、と何故かそう表現することしかできなかった。記者失格なセリフかもしれないが、ただそうとしか言いようがないのだ。


 もしかすると、頭が回らなかったのかもしれない。脳がパニック状態に陥っていたのかもしれない。だが、1つ確実に、俺は死ぬかもしれない、という恐怖ははっきりと言葉になって脳内に現れた。


 次の瞬間、俺の恐怖を悟ったかのように怪物は俺に手を伸ばしてくる。


 嫌だっ、と頭では分かって抵抗してるのに、肝心の体がまるで金縛りにあったみたいに動いてくれない。後退も何も、そこでバカみたいに突っ立ってるしかできないのだ。体が言うことを聞かなくなってしまった。全く使い物にならない。


 成す術なく、というかただ無抵抗で掴まれた俺は、怪物の顔目前まで運ばれた。

 すると、怪物は俺から何かを吸い込み始めた。怪物が吸えば吸うほど、俺の意識がどんどん遠のいていく。


 やっぱ……俺、死ぬんだ……


 まだやりたいことが沢山あった。雑誌で特ダネを上げること、カリブ海に行ってダイビングをすること、家族を持ち、子供を持つこと、それから……クソっ、ここで終わりかよ。チク……ショ……


「おい」


 遠のく意識の中、声が聞こえてきた。あぁそうか……これがお迎え、というやつか……


「チッ、おいっ」


 随分と乱暴な言い方だな。最期ぐらいもう少し優しい物言いで……


「デカブツさんよぉー」


 デ、デカブツ? 俺は身長、そんなにデカくはない……


「あと何人食ったら気ぃ済むんだぁっ——よぉぉ!」


 ブゥルジュッッ


 腐敗物を踏んだような気持ち悪い音が、脳まではっきりと届いた。

 次の瞬間、怪物は俺を解放、正確には投げられた。あまりに突然のこと過ぎて何も抵抗できずに腰から地面へ叩きつけられた。多少ぬかるんでいるとはいえ、全身に激痛が走った。あまりの痛みに俺は目を開けられない。


 だが、ヴァルァァァルァァァァ、とこの世のものとは思えぬ呻き声が聞こえたことで、まぶたが動くようになった。

 見ると、怪物の体が何故か大きく揺れている。


 な、なんで突然……あっ!


 肩にが刺さってる。刃がとても長い日本刀だ。

 それを引っこ抜こうと怪物が叫び声を上げているのだ。


 すると、ズボォッ、という液体まじりの鈍い音が聞こえた。怪物の手が前に戻ってくる。相当深く刺さっていたのだろう、刃の中間ぐらいまで血液のようなものが付いていた。

 怪物はそれを空へ捨てるように放り投げた。力任せに遠く高く。怒りから来ているのか、相当な勢いで小さくなっていく刀。


「おぉ〜随分と綺麗なフォームだこと」


 あっ!


 さっきと同じ声、俺がお迎えだと思ってた声が横から聞こえた。

 すると、グジャリと真横で土を踏む音がし、俺はそちらへ顔を向ける。


 えっ?


 そこには、ガムを噛みながら腕まくりをしている、がいた。

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