3-2. 良い子悪い子

👉いままでのあらすじ

・私(川内)は安国寺綾なる人物から手紙をもらう。

・安国寺は分刻法なる技術の再生についての協力を要請してきた。

・中間テスト期間中。

■●■●■ ●■ ■■■■


 安国寺のことを考える必要はあるが(*1)、だからといって根を詰めて座っていてもよい発想が思いつくとは限らない。近年豊洲やら月島やらの高層マンションに住みそうな高所得者層には好んで自転車通勤をする層があるそうだが、そういう事実からの想定 として、逆に言えば自転車に乗ることによって彼ら頭脳労働者が行うような高度なインスピレーションに至る可能性が高い(*2)。そう考えた私は、市街地の北西に位置するショッピングセンター に自転車を走らせた。南東に位置する高校とは逆の位置にあたる。


 本屋を物色(*3)したあと、スーパーマーケットで食料を調達する。こう見えてとりあえず焼く、くらいの自炊はしないこともないわけではなくないのである。


「あ、メガネくん」


 この呼び方で私を呼ぶのは一人しかいない、鮮魚コーナーで声をかけてきたのは山北和歌だった。


「ああ、山北も買い物?」


 随分と大きなビニル袋を抱えている。


「うん、夕食の買い出しをね。ウチは親が共働きだからさ、兄貴はあのデメキンやし」


 彼女の兄はわれらが高校の数学教師、デメキンこと山北大和である。無論目が大きいからついた綽名であるが、妹の方はそこまでダイレクトに形質を受け継いだわけではないようである。


「メガネくんって一人暮らしじゃったよね、自炊とかするんだ?」

「まああんまりしないけど、ほらアジの開きをそのまま焼くくらいなら(*4)」


 実際にアジを手に取りながら答える。


「最近、アヤメと仲いいよね」


 この子は口を開けばアヤメである。今回はワンクッション挟んでいたからまだいい方なのだろう。


「ああ」

「ヒロミちゃんが転校してきたときさ、幼馴染やのに、アヤメにすぐには話さなかったんやって?」


 どうしてそんな話をする義理があるのだろうか。そしてそうしてそんな話を山北が知っているのか。


「アヤメは本当にええ子やから、その、大切にせいよ」


 何か勘違いしているのではないだろうか。冗談じゃない、白岡なんてネバー好き だ。


 賢明な読者の皆様であれば、私が先ほど「一定の友好関係」というやや含んだ表現をしたのは彼女のこのような特性によるものであるとご理解いただけるであろう。人の色恋沙汰にやたら首を突っ込みたがり、その話ばかりをしたがる人(色恋族(*5)と呼ぶことにしましょう)はいずれのコミュニティにもいるものだ。しかし、私は色恋族がどうにも苦手で、笑ってやり過ごす以外のすべを知らない。そりゃあ、恋愛というのは三大欲求の一つである性欲と密接に絡んでいるのだから、我々の人生における重大な関心事であることは否定しない。だが、食欲や睡眠欲に対してここまで多大な関心が寄せられれているだろうか。鍋奉行とかはあるが、鍋を食べるとき以外は平和的・友好的な人々である。長い付き合いだ、年に一回あるかないかの鍋を食べる機会ならまあ笑って許せるというものである。それに対し色恋族は四六時中も好きだの嫌いだのと言っている極めて好戦的な人々だ。


 だが私は世界市民主義に生きる人間だ。民族差別などしない人間だ。だからこそ、こうして色恋族とも相対している。そして、実際に、次になされた発言は真に注目に値するものであった。


「アヤメってどっか距離をおいているところがあるんよね。すぐに仲良うなったんやけど、あるところから中々深まらないんよね。家がどこにあるかも教えてくれんし」


 確かに、白岡の家は私の家の近くだとは聞いていたが、具体的にどこにあるかまでは考えてみたら知らなかった。信者然とした山北のふるまいにはこういう距離感があるのかもしれない。


 などとシリアスっぽく考えていると、大きな欠伸の後、目をこれでもかと細くして山北は一言。


「眠い」


 山北は研究室でもしょっちゅう寝ているが、彼女のおかれた環境を考えれば無理からぬことなのかもしれない。


「家事に試験勉強に塾に、白岡のお守りに。大変だな」

「へ? あ、いや、これはワールドカップ(*6)を見よったから。コロンビア戦はしゃーないにしてもギリシャ戦がなあ」

「何だよ、俺の純情な感情を返せよ」


 私が芸人なら、ズッコケたうえで、後方伸身2回宙返り3回ひねりをキめていたであろう。


「うんまあ気持ちは受け取っとくけん。ありがと。その思いが地球の裏側まで届くとよかったんじゃけどね」

「知らんがな」


●●■●■ ●●●● ■●●■ ■● ●■●■● ■●● ●●


 山北と分かれた帰り道、公約通り先の手紙について頭の中で考える。あれから何度も読み返したのだが、何度読んでもナイジェリアの高官 もスペインの囚人 もフィリピンのエビ養殖場 も出てこなかった。これはどうやら内容を真面目に検討するほかないらしい。


 まず、安国寺という名前だが、広島にそのような破天荒な能力者がいるという話は一度聞いたことがある。だからどうにもありそうだなという印象を受けるのだ。


 分刻法。これが事実ならばそりゃもうすごいことである。3分間という制約に対する見方が根本的に覆るというものである。パラダイムシフトとかいうものだ。コペルニクス的転回ってやつだ。お日様が東に沈むような話だ。結局のところ、私または私たちが能力に関して受けている制約というのは3分であることもさりながら、一日一回しか使えないことによるところが大きい。ヒロミの暗号解読なんか最たる例であって、西村京太郎の山でも築いておかない限り、三分も連続する意味はない。実際に外務省と対峙する場合にも、一日一回しか使えないことを前提に確認がされており、分刻法なるものがあれば護摩訶せるだろう。


 私が広島に行く予定であるというのは事実である。監視の厳しい甲種能力者ではあるが、事前に行先を申請するのであれば、旅行は相当程度自由に認められているのであり、今回広島に行くというのも事前に申請していた。特にこのことを隠しているわけではないから、少し調査すれば分かるというものであろう。


 もう一つ、気になる点は誰にも口外するなということだ。そりゃあ能力に関する話なんだから、という風にも読めるがどうなのか。


 仮にこの安国寺の手紙の中にもし何らかの嘘が含まれていて、それに従ってしまったとしたらどのような損失があるだろう。どうせ行くはずだった広島でちょっとばかし寄り道をして1時間かそこらの時間を浪費するだけだろう。そんなものはお好み焼き屋でグダってたらすぐに経過する。逆にここに書かれていることが本当であるのに、安国寺に会わなかったらどうだろう。これはまずい。分刻法について知る機会をみすみす逃すのだ。もうとりあえず手紙の言うことに従ってやろうじゃないか。白岡やヒロミにはかえってから報告すれば充分だろう。


 そういうわけで、安国寺に会うことに決した。何も問題ない、そう何も問題ないはずだ。


 さあ、この話はもう終わり。明日は試験だ(*7)、勉強するのが学生の本分だ。振り切るように鞄からノートを取り出した。


■■●■● ●●● ■■■■ ■●●● ●● ●●■●●


〈註〉

*1 安国寺のことを……: 試験勉強のことを考える必要があるのではないだろうか

*2 高度なインスピレーション……: インスピレーションを得た結果、数学の問題が解けるようになるかもしれない

*3 本屋を物色……: 現代文の学力向上につながることが期待される

*4 アジの開きを……: 試験期間で早く帰ると自炊したくなる。無論、家庭科の学習を補うためである

*5 色恋族: 語感からイロコイ族を想定される人もいるだろうが、全く関係ない。また、松山ならアパッチ 族だと思われる人もいるかもしれないが、それも関係ない。

*6 ワールドカップ:

 私はワールドカップになんて全く関心がないし、それどころか関心を持つ人を快くも思わない。

 そもそも、開催地が南米というのもよくない。移民の歴史は知っているし、その意味では日伯両国のきずなを大切にすべきだとも思っている。群馬県で異国情緒に触れるのは楽しいが、猫も杓子もブラジルというのは違うだろう。地球の反対側、土管の向こう側 になんて興味はない。イオンでペットボトルワインが山積みにされようと、経済危機でビーバーチーズ が品薄になろうと、私には関係がない。アルゼンチンに尋ねる母もババアもいないし、ボリビア海軍の艦隊をこれくしょん する趣味もない。大西洋のさらに西の人に東方 を自称されるのは癪であるし木造大建築も東洋のお家芸だ。失われた世界を求めないし、チャコを争わない。あと革命軍が受賞しないのもおかしい。インカ帝国の成立 にはそそられるが、デスピサロ以後は跡形もなし。

 だいたい、試合結果なんてお構いなしに渋谷で騒いでいるあの集団は何なんだ。¿Por qué no te callas?  本気で応援しているのなら、負けたときにはもっとしんみりしているものだろう。サッカー関係者の皆様にはこんな俄サポーターの連中何か気にせずに、雪辱に向かって邁進していただきたい。まずは来月のイラク戦……

*7 明日は試験だ: ちなみに明日の試験科目は英語と世界史である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る