三分間憎悪 ~時を止める青年の主張~

川内重信

はじめに

0-1. 本稿の目的

👉ざっくり言うと

・筆者の自己顕示欲を満たすために文章を書く

・筆者は時間停止能力を持つが、一日三分という制約がある

・人生で最も劇的な、高校二年生の半年について語る

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 ニコニコ動画(*1)、YouTube、pixiv、Instagram……。近年のインターネットの進歩はまことに目を見張るものがあって、今や誰もが発信しスターになることができるチャンスを持っている。もっとも、芸術的な素養を欠く私にとっては、いずれも見て楽しむばかりであったが。


 ところが先日、ちょっとした転機が訪れた。ネットサーフィンをしていた時、「女性の本当の気持ち」というような趣旨のブログを見つけたのである。そこに記されていたのは何気ない日常の雑記というべき内容だったが、思わず何時間も読みふけってしまった。


 しかしまあ考えても見れば、女性なんて言うのは全世界に35億人(*2)いるわけで、女性の気持ちを語りうる人はそれこそ星の数ほどもいるはずである。にも拘らずかのブログは大変な関心を喚起した。それに比べると稀少な特性を持つ私が自分について語れば、より多くの人の注目を集めることができるのではないだろうか――そんな浅ましい承認欲求が頭をもたげた。自分の人生をネタに小説を書いてやろうじゃないか。ネット小説なんて遡ればパソコン通信の時代(それが小説なのかは疑問ですが)からあるそうだが、現在の隆盛はやはりかつての比ではないだろう。



 このように本稿は動機において極めて不純な文章であるが、果たして読者の皆さんに貴重な時間を費やしていただく価値があるものであろうか。


 まず断っておかねばならないのは、邪な欲求を背景になされた仕事の成果が常に悪いものになるとは限らないということである。パトロンのために作られる芸術品、スポンサーのために作られるTV番組、これらの中にも質の高いものがあるのを皆さんはご承知のはずである。さらに言えば、私がここで求めているものは金ではなく、人からの単純な承認である。金の奴隷であった今までの時代に比べて、幾分ましであるということができるのではないだろうか。


 もっとも上記の議論は、本文章の積極的な価値を提示するものになっていない。それどころか、先に述べたように、私は芸術はからっきしダメなのである。文章表現であっても芸術的素養が重要であることは言うまでもない。一素人の文章に果たして価値があるだろうか。この問いに関するひとまずの答えとして、私の人間として持つ能力の特殊性、そしてそれに伴う体験の特殊性を挙げたい。これらの特殊性により、力をも入れずして天地を動かすのはかなわないにしても、何がしかの好奇心に応え得るのではないかと淡い期待を抱くところである。「事実は小説より奇なり」とも言う。


 さて、いい加減勿体ぶらずに書くべきか。驚くがいい、私には時間を停止する能力があるのだ!  ただし、一日三分! (ここは驚くところです、あらすじに書いてあったから知っているとか、どうか仰らないで下さい)



 え、時間停止って具体的にどういう状態かって?

 ――生え際が後退しているのか、私が前進しているのかは難しい問いであるが、とにかくまあ私の主観においては、周りの事物が動かず私だけが動ける状態になるということだ。



 服も空気も止まっているのに?

 時間停止しているのに3分って?

 ――うーんと、自分に触れているものは動くんだ。その、体感的にも3分くらいだし、砂時計に触れているとちょうど砂が全部落ちるし、カップ麺に湯を注いでおくといい感じになる。だから超高速で動いている系とはとりあえず違う。



 触れているとはどう定義されるの?

 気体は?

 液体は?

 触れているものを動かしたら他のものも動くはずでは?

 胃の中とか体外だけど大丈夫?

 どれくらいの範囲で有効なの?

 それとも全宇宙?

 寿命に影響(*3)あるの?

 一日ごとってどういう原理?

 時を止める能力者にどうやったら勝てると思う?









 ――知らん!









(でも時間停止ができるというのはほんとだすらい! どうか信じてください)



 理性的な読者の皆様はお嘆きになられるかもしれない。

 このように知的に不誠実な輩がいるから各国の政治に混迷が広がるのだと。


 しかし、私にとって能力は、先天的に父から引き継いだ、空気のような存在なのだ。目がなぜ光を感知するのか、考える人がエライのはそりゃあ分かるが、当たり前に享受したって非難されるものではなかろう。

 私は文系だからよくわからないが、聞くところによるとなぜ飛行機が飛ぶかも本当のところは解明されていないそうだ。学問なんて言うのは結局、波打ち際の貝殻拾いなのであって、深海ではいまだ知られざる魚がうようよしているのだ。

 ただ、勘違いしないでいただきたいのは、私は貝殻拾いを馬鹿にしているわけではない、いやむしろ積極的に促進すべきであるとすら思っているということだ。これから書き記す承認欲求解消の副産物には、学問の道に対する私なりのせめてもの貢献として、能力にまつわる諸問題について私の知るところを余すことなく注ぎ込むこととしたい。ここで言う諸問題というのは、能力を持っていることによる社会との軋轢や妥協を含んでいる(というか、上記のように文系であるという語り手の知識の制約によりそちらが主軸になるかもしれません)。

 それゆえにこの文章は、物理化学、量子化学、生物物理学、遺伝学、環境科学、力学、原子物理学、相対性理論、トライボロジー、インテリジェント・デザイン論、ホメオパシー、デトックスのような自然科学領域のみならず、社会学、心理学、哲学、憲法学、行政学、国際関係論、ミクロ経済学、マルクス主義経済学、親学、江戸しぐさのような人文学・社会科学分野に対しても第一級の研究資料を提示することになるはずである。私の体験は既存の学問体系からすれば荒唐無稽に思われるかもしれないが、世界中でSTAP細胞の再現実験を行ったような学問的誠実さをもって、とりあえずは議論の俎上にのせていただけるものであると信じている。



 紳士的な読者の皆様はお気づきになられるかもしれない。

 この能力が男性向けのアダルトビデオ(例えば[1])でお馴染みの設定(*4)であることに。


 ところが残念なことに、ガイドラインを見ていただければわかるが、カクヨムで濃密な性描写をすることはできない。だいたい、あんなの実際にやったら犯罪である。例えば、老婆が一人で見ているような、商店街の古ぼけた乾物屋に行って、商品をくすねるくらいのことは、特別な力がなくてもやろうと思えばできるだろう。あなたは言わば乾物を持ち出す能力者なわけだが、だからと言ってそうそう実行することはないはずだ。警察などなくったって、私たちの心の中にある良心がこのような正しい行動をとらせるのだ。

 俄かにウエメセの説教が登場して辟易した方もおられるかもしれないが、私はむしろ、この点を全国の教育関係者――道徳も教科化されることであるし!――に向けて積極的にアピールしたいと思う。

 重要なのは、この文章が上のような道徳的な教訓を含みつつも、少なくとも表面的には、中高生に人気の高いライトノベルのフォーマットをとっているという点である。道徳の題材について、児童や生徒が自ら進んで読むかどうかは、それが訴える教訓と同じくらい重要な点であろう。思考が1990年代で停止してしまった文科省のお役人はこの問題に関して、月9とタイアップすれば充分であると考えているようだが、はなはだ時代錯誤であると言わざるを得ない。



 愛国的な読者の皆様はお思いになられるかもしれない。

 こういったたぐいまれなる能力を遊ばせておくのは国民への重大な背信だと。


 たまたま能力を持って生まれてきただけの一般人に何を期待するのだと思わなくもないが、これに関しては胸を張って答えられる。本編において詳述するが、IRAという組織に属し能力を使って人命救助をしているのだ。この組織は国境を越えて活動している、人類史上まれにみるものだ。これがどれほど素晴らしいことかお分かりいただけるだろうか。現代の他国と比較してどうかなどというチンケな話じゃない。アレクサンドロス大王、ローマ帝国、カール大帝、モンゴル帝国、オスマン帝国、清、ナポレオン、大英帝国、ソ連といった並みいる歴史上の大国も実現できなかった偉業なのだ。もっとも、まだ活動範囲は狭いし時間停止して救出できる場面なんて限られているのだけれど、今後徐々に拡大していくはずである。

 さて、これはまさに現在のTVにおいて必要とされている題材――世界で活躍する日本人!――ではないだろうか。そういうことだから、もし読者の中にテレビ業界の関係者がいらっしゃって、この文章に価値を見出したのであれば、ぜひとも私を取材して番組にしていただきたい。葉加瀬太郎の音楽なんかをつければ、いい感じになって、先に私が述べた「質の高い」ものにカテゴライズされるような番組になること、請け合いである。



 これから私がなす記述に対して、冗長であるとか、鬱陶しいとかいった印象を抱かれるかもしれないが、それは上記のように多様な層の読者に配慮して書くが故のことであるので、どうかご容赦いただきたい。また、逆に、上にあげた、あるいはあげなかった、特定の目的のために本文章を読まれている方で、私の記述を不十分に感じることがもしあるようであれば、忌憚ない意見をご教授いただきたい。


 以上を簡潔にまとめるのならば、自己顕示欲を満たすべく、一人の時間停止能力者の経験と内心を記すのが本稿の目的である。その過程で様々な副産物が生まれることが期待されるが、それらは私の汚らわしい欲求を満たす方に作用こそすれ、その逆ではないのだから、上記の一大目標と調和することができる。基本的に私が実際に見たこと、聞いたこと、感じたことをありのままに記すつもりであるが、細部は変更している。この細部の変更というのは、プライバシー上の理由からなされるものであって、本文章のオーセンティシティを何ら毀損するものではないと約束しよう。


 私のリソースの不足によって、まことに不本意なことではあるが、私のすべての経験を語るわけにはいかない。さしあたって、私の人生の中でも最もコンテンツ性が高いと思われる16~17歳――高校2年生の半年間について扱うものとしよう。無論、この記述の中に、読者の皆様が関心を抱かれるであろう諸問題のすべてを落とし込むつもりである。


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〈註〉

*1 ニコニコ動画: 最初にもってきたのはKADOKAWA様に媚びんがためである。

*2 35億人: いわゆる性的少数者はかなりの数に上るとも聞くから、実際には女性の数はそこまで多くないかもしれない。しかし、いずれにしても、10^9人のオーダーであることは間違いないと思われる。

*3 寿命に影響: 3分は一日の約0.2%だから、影響があったとしても誤差程度だと思われる。

*4 お馴染みの設定: 女優の湊莉久は過去に、時間停止系アダルトビデオの「8割の作品はヤラセ」と発言しているが[2]、私が見る限り状況はより深刻で、99%ヤラセであると言ってもよいように思われる。湊氏も業界内部の人間である以上、正確に記すのには躊躇があったのかもしれない(**1)。簡易的な判別法を紹介しておこう。本物の時間停止系アダルトビデオは少なくとも以下の二つの条件を満たしている。まず男優自身が撮影者であること。次に、男優に触れられた女優は時間停止が解除されて動き出すこと。3分間の時間制限に関しては意外と編集で誤魔化せるので、条件のうちに入れていない。


〈註の註〉

**1 正確に記すのには……: 業界の闇なので人権団体に告発しよう。


〈参考〉

[1]SODクリエイト(2017)『時間を止められる男は実在した!~幸せそうな奴等の自慢の彼女を『寝とって』ハメ倒し!潜伏生活編~』

[2]湊 莉久 @riku_minato 2015年5月12日のツイート

 https://twitter.com/riku_minato/status/598337595450363904

 2017年4月9日閲覧

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