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 ……うーん。なんとなく咲夜さんと顔を合わせ辛い。


 目を覚ましてから今まで、三十分ほど布団から出れずにゴロゴロと寝転がっている。

 そろそろ起き上がって準備をしなくちゃいけないっていうのに、昨日の別れ際の言葉が頭の中を繰り返しよぎっていく。そうなるとつい他のことを考えることをやめ、ぼーっとしてしまう。


 ……やめだ、やめだ! ここで考え込んでも仕方ない!


 布団を思い切って押しのけ、身体を起こした。


 少し心配していた時差ボケもないみたいだし、体調的には問題ないなら大丈夫。

 よし、いける!


 あらかじめ寝る前に用意していた洋服にパジャマから着替え、荷物の整理をする。


 今日中には京都へ行くそうだからいつでも出発できるようにしておかないと。


 とはいえ、来て一日でそこまで荷物も広げていないから準備自体はすぐに終わった。



「圭さん、起きてらっしゃいますか?」

「あ、はいっ!」



 身なりにおかしいところがないかパッと確認し、障子を開ける。


 廊下には昨日の寝間着に羽織を羽織った咲夜さんが立っていた。



「おはようございます」

「おはようございます」



 うんうん。昨日の今日でまた着物一枚だったら怒ったところだけど、きちんとしてくれるみたいで良かった良かった。

 体調変化は一番自分が分かるはずなのに、すごい無頓着そうなんだから。



「よく眠れました?」

「えぇ」

「それは良かったです。僕はあの後結局目が覚めてしまって、しばらく寝付けませんでした」

「えっ。……睡眠は感情と関わりがありますから、寝る前はあまり考え事をしていてはダメですよ。まぁ、寝よう寝ようとするからこそそれが余計なストレスになって寝れなくなるっていうのが固定路線としてありますけど」

「そうですね。でも、昨日は色々と考えなきゃいけないことがあって、つい長々と考え込んでしまいました。おかげで今日はちょっとまだ眠いです」



 そう言うと、咲夜さんはフワッと大きな欠伸あくびをした。


 しかしそこはさすが名家の御曹司。口を手で隠し、私の視界から隠している。

 欠伸をしたおかげで出てきた生理的な涙を人差し指で拭う様は、まるでドラマの中で主役を張れるような色気というか、オーラがある。


 考えると、空港であんなに人だかりができていたのも着物姿だったということもあるかもしれないけれど、もしかすると日本の俳優のことをあまりよく知らない外国人観光客が彼を俳優だと間違えた線も無きにしもあらずだ。


 中性的なイケメンとは私の目には本当は毒なのかもしれない。さっきから何かが眩しい。



「移動中は私が起きているので、寝ていていただいて大丈夫ですから。そういえば、喘息の発作は出てないみたいですね」

「えぇ。夜の間も出ていないようですし」

「ただ、出ていないからと吸入薬を自己中止するのはダメですからね。自己中止するのは何かしらの副作用が出た時だけにしてください。副作用も全部がそうとは言い切れませんけど、初期段階であればすぐ思い当たる薬を中止すれば比較的すぐに改善されることもありますから」

「分かりました。ちゃんと圭さんの言うこと聞きますよ」



 言えばきちんと守ってくれるということは今回の羽織の件で分かったので、念のため釘をさしておく。


 そしてきちんと吸入はやっていると返さなかったところを見ると、毎日はしてなさそうっていう勘は当たっていたみたいね。大方自分で体調が良いと感じた日は吸入をストップしていたんだろう。


 まぁ、私の指示も聞いて欲しいけど、きちんと専門医の先生の指示の方をもっときちんと聞いて欲しいっていうのが本音なんだけど。



「そうそう、圭さんにちょっとお願いしたいことがあるんです」

「え? なんですか?」

「私の着替え、手伝ってくれませんか?」

「……え?」



 よく分からないまま手を引っ張られ、ズルズルと隣の部屋へ連れ込まれた。





「すみません。今日は京都にいる祖父のところにそのまま挨拶に行くので下手な恰好をしていけなくて」

「いえ、これくらいなら全然構いませんよ」



 びっくりした。一から着替えを手伝って欲しいと言われてるのかと思いきや、帯締めの手伝いだけだった。

 普段はそれなりに留めているらしいけど、今日はご当主に会う日。それ相応の準備が必要とされるらしい。


 家族でも緊張するなんて、私、大丈夫かな。


 前で形を作って締めるところまではやってもらって、後は形が崩れないようにグルッと帯を半周回す。

 そうすると、貝の口と呼ばれる帯の結び方が完成する……そうなんだけど。



「あ、あれ? すみません、きつく締まってるみたいで、もう少し緩めたりできませんか?」

「あまり緩めると崩れてしまうのでこれ以上は難しいです。もう少し私の身体に手を回してもらえると動きやすいかもしれません」

「本当ですか?」



 でもそれだと、咲夜さんの身体 に密着することになるんだよなぁ。


 ……治療の一環だと思えばいける! 入院患者をベッドから起こす時の補助と同じ!


 看護師さんがほとんどやってくれて、私あんまりやったことないけど!



「……じゃあ、ちょっと失礼しますね。……うんしょ、っと。できた! できましたよ!」

「そうですね。おかしなところはなさそうですか?」

「はい。見た感じ大丈夫だと思います」



 咲夜さんの周りをぐるっと回ってみたけど、どこも型崩れしていないし、綺麗だと思う。


 これが完璧な形ですって見せられたわけじゃないからなんとも言えないものがあるけど。



「ありがとうございます。助かりました」

「いえいえ。お役に立てて良かったです」



 これくらいで大丈夫なお手伝いなら全然問題ない。



「咲夜様、失礼いたします。おや、佐倉先生もこちらでしたか。ちょうど良かった。お食事の用意が整いましたので、座敷までお越しください」



 少しだけ開けていた障子の隙間から垣内さんがひょっこり顔を覗かせた。



「分かりました。ありがとうございます」

「いえいえ。先に行ってお待ちしておりますぞ」

「私達も行きましょうか」

「はい。お腹空きましたもんね」



 そう言うと、咲夜さんはクスッと笑った。


 いやいや、朝食をとるのは大事なことだからね?

 空腹は人を凶暴にさせるんだから。


 一言物申してやろうと口を開くと、人差し指でぷにっと唇を押さえられた。



「な、なっ!」

「朝食は大事、ですよね? 早く行きましょう。せっかくの温かいご飯が冷めてしまいます」



 うあぁーっ! うん! 犬か猫の手が当たったと思おう!


 咲夜さん、そんな思わせぶりな態度とってていつか背後から刺されるなんてこと、やめてくださいね!


 そんな傷の治療はごめんです。





「それでは咲夜様、佐倉先生、お気をつけて」

「またこちらにも伺いますね」

「楽しみにお待ちしております」



 朝食後、私達は東京駅まで車で向かった。


 駅までは垣内さんも見送りに来るとのことで、車の中でも会話がつきなかった。


 新幹線に乗り込むと、これで垣内さんとはしばらくお別れだ。

 たった一日だけだったけど、快適に過ごせたのは垣内さんを始めとした別邸で働いてくれている人達のおかげに間違いない。

 そんな感謝を込めて深々と頭を下げた。


 新幹線が走り出すと、次第に垣内さんの姿も小さくなる。

 私達からも見えなくなるまで垣内さんは手を振ってくれていた。


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