第4話 狙われたお姫様 後編
無事王都についた春人達は、護衛騎士団と合流し王宮の客室で寛いでいた。
部屋の外では騎士団が、アリ一匹通さぬよう神経を使っている。
少し気が軽くなったエメラルドは豪華な椅子とテーブルでお茶を飲み、気持ちを落ち着けていた。
「城に入ってしまえばもう安心ですな」
ドルグが自慢の髭を撫でながら上機嫌だ。内心では春人達を疑っていたが、姫と無傷で再会したことで杞憂だったとわかり、ほんの少し肩の荷が下りた気分なのだろう。
「ええ、皆様のお陰です」
「勿体無いお言葉です」
エメラルドの傍に控えているレジーナが敬礼をする。このゆったりした空間で一番寛いでいるのが、何を隠そう春人とアルファである。
「いい城だ。俺が城を建てる時の参考にしたい。後で誰かに案内でもさせるか」
人が足を伸ばすに十分な、きらびやかな装飾のソファーに寝転がり、天井のシャンデリアや周囲の家具を値踏みしている。
「春人様。あーん」
春人の上に寝ているアルファが、小さなテーブルに手を伸ばす。
皿に盛られているウサギの形をしたリンゴを手に取り、春人の口元へ運ぶ。
春人がそれを咥えると丁寧に皮の部分を摘み取り、皿へ戻す。
「春人様。おいしい?」
「ああ、美味しいよ。アルファが切ったのか?」
「そうだよ。アルファはできる子。リンゴも切れる」
「そうか、偉いな」
アルファの頭を優しく撫でる春人。気持ち良さ気に目を細めてご満悦のアルファ。ほのぼのとした、それでいてどこか高貴で、それをパジャマ姿が台無しにしているという不思議空間が出来上がる。
「いささか寛ぎ過ぎではないか? 姫様の御前で……」
「よいのです、ドルグ。ハルト様はああいう方なのですよ」
「癪ですが、そう形容するしかありません。隊長」
気分を害することもなく終始笑顔のエメラルド。
春人のくつろぎっぷりに困惑するドルグ。
既に諦めの境地に入っているレジーナ。三者三様である。
「もっとだらけてもいいくらいだ。何故なら俺がいる。ドルグ隊長。せっかくだ、リンゴでも食べてくれ。栄養補給も仕事のうちさ」
まだ切られていないリンゴを一つ、ドルグに向けて軽く放る。
それを難なくキャッチするドルグ。
「そうだな。エメラルドに切ってもらえばいい。これ以上の栄誉はないぞ」
「なっ!? そんな恐れ多い!!」
「ふふっ、いいですよ。今回の旅でドルグとレジーナにはお世話になりました。少しは恩返しをさせて下さい」
笑顔でリンゴを受け取り剥き始める。
慣れた手つきであることが、少々周囲を驚かせる。
「しかし姫様にそのような……」
「いいのです。明日の結婚式まで、私は町娘のエメラルドです」
まだ町娘の格好でいるエメラルド。
新鮮だったのか気に入っているのか、城に入っても着続けている。
「う、うおおおおおお!! このドルグ、姫様にお仕えしてこれほどの栄誉を賜るとは……おおぉ……光栄でございます! 生涯、生涯この日を忘れませぬ!!」
滝のように涙を流し続けるドルグ。
「ふふふ、我が国の騎士団長様は泣き虫ですわね」
「泣かせてやれ。幸せな時に流す涙は、気持ちに任せて流すに限る」
「ほのぼのだね。でも春人様。また黒いのが来るよ」
「問題ない。既に手は打ってある」
「どういうことだ?」
全員が春人に注目する中、自信たっぷりに話しだす。
「明日、日が昇れば絶対に姫には近づけない。なぜなら俺の全知全能の力が覚醒するからだ。これにより何人たりとも結婚式の邪魔はできない」
「なんと!? そんな事が可能なのですかな?」
「当然だ。俺だからな。もう安心だ」
「春人様。アルファは眠いです」
春人の上で今にも寝てしまいそうである。
「そうか、では俺達はあてがわれた客室へ行くか。ついでに夜の見回りでもしようじゃないか」
「では、客室までお送りしましょう。レジーナ。姫様は任せるぞ」
「はっ! この命に変えてもお守り致します!」
エメラルドとレジーナを残し、部屋を出る春人達。
「さて、うまくいくといいが」
結婚式を明日に控えた夜。兵士達は寝ずの番をし、警戒を緩めることはない。
エメラルドとレジーナは護衛のため同室である。
窓際で満天の星空を見ているエメラルド。春の夜風が優しくその頬を撫でる。
「姫様、眠れないのですか?」
そっと窓際に歩み寄り、声をかけるレジーナ。
「明日が結婚式だと思うと中々寝付けなくて」
エメラルドは王子を嫌っているわけではない。むしろ逆だ。初めて舞踏会で会ったその日から、お互いに惹かれ合っていた。実に三年越しの恋である。
「これからはあの方の妻として、共に国を支えていける。なんて幸せなことでしょう」
「本当に姫様はあの方がお好きなのですねぇ……」
「ええ、あの方こそ、国を治めるのに相応しい器を持って生まれた私の王子様です」
夜空を眺め、これからの結婚生活に思いを馳せるエメラルドは、言葉に込められた悪意に気付かない。
「誰にでも別け隔てなく接してくださる、とても素晴らしいお方……私のような一介の騎士にまで笑顔を向けて……その笑顔も……明日からは姫様に向けられる」
レジーナが背中に隠した短剣も、言葉に込められた棘も、舞い上がっているエメラルドは気付かない。
「あの並んで輝く星など、まさに御二人の未来のようではありませんか」
そう言ってありもしない星を指差すレジーナ。
疑うこと無く星を探し始めるエメラルド。
「そう……星になるのです……貴女は……」
振り下ろされた短剣が、今まさにエメラルドの美しい首筋に突き立てられる瞬間。突然現れた裂け目に短剣の切っ先が吸い込まれる。
「なっ!? これは!?」
とっさに後ろへ跳ぶレジーナ。
「やはりお前が犯人か、レジーナ」
エメラルドの隣に現れる春人とアルファ。
庇うようにエメラルドを後ろに隠す。
「ハルト様? これは一体どういうことです?」
「レジーナが犯人だよ。エメラルドは春人様が助けたの」
「チッ、どこでわかった?」
「最初から怪しいとは思っていたさ。俺が乱入した時、お前以外の全員の鎧に新しい傷がついていた」
春人は初めて出会った時点でアタリをつけていた。そして同行者に指名した。
「わかっていたならなぜ私を同行させた?」
「俺の力を見せつけるためさ。その方がハッタリを信じやすいだろう?」
「ハッタリ……まさか貴様!」
「その通り。日が昇っても特になにか変わるわけじゃない。だがひょっとして俺なら可能かもしれない。そう思わせるには十分だ」
「そのためだけに私を同行させたのか」
「そいつは少し違うな。お前は今日、影武者を無視して姫だけを狙った。ドルグに調べさせたよ。他の部隊は被害ゼロだ。雑な仕事だな」
デュラハンを呼び出すというのは、魔法使いを生業にするもの以外にとって、大量に魔力を使う行為である。それこそレジーナの全魔力だ。
そのため影武者に攻撃するだけの鎧騎士を用意できなかった。
それでも春人達に手傷を負わせるくらいはできる予定でいたのだが。
「その程度のミスでこの私が……」
レジーナ最大のミスは、勇希春人を甘く見たことに他ならない。
「レジーナ。なぜなのです? なぜ私を殺めようと……何が貴女をそうさせたのです!」
「くははははっ!! 邪魔だったんだよお前が! 私の! 私の王子様だ! お前のものじゃない! あの笑顔は私にだけ向けられればいい!! こうなればもう……王子様さえ手に入ればいい!!」
レジーナが黒い霧に包まれる。
霧がまるで糸のように絡みつきながら大きさを増す。
「いけない。春人様。レジーナは自分を生け贄に悪魔を呼び出してる」
霧が晴れた後、現れたのはどこまでもドス黒い濁った色をした大蜘蛛だった。
五メートルはある天井にぶつかりそうな程の巨体を震わせ、赤く光る目で春人達を睨みつける。
「モウイイ……エメラルドが殺せないのならモウイイ……王子サマを……殺して……ワタシもシヌノヨオオオォォォォ!!」
絶叫と共に巨体が晴人達とは真逆、部屋の出入口へと走る。
体当たりにより無残に破壊された出入口から出た大蜘蛛は、城を破壊しながら城壁を這いまわる。
足を杭の様に城壁に食い込ませ、ヒステリックに叫びながらひたすら王子を探す。
「ドコ!! ワタシの王子サマはドコナノヨオオォォォ!!」
月の見えない夜。夜の闇の中で蠢く大蜘蛛は、立ちはだかる兵士を跳ね飛ばし、城の住人達の叫び声をその身に浴びて、弾丸のような速度で中庭へと躍り出る。
「王子サマアアアアアァァァ!! ドウシテ! ドウシテむかえにキテくれないノ!!」
中庭に糸を吐き出し巣を作る。その間も黒い霧に包まれ、更に大きさを増してゆく大蜘蛛。
「モット……モットおおきくナラナクチャ……王子サマがワタシをミツケテくれないのヨオオオォォォ!!」
「お前は人であることを捨て、闇に堕ちた」
大蜘蛛にとっては忌々しき者の声が夜の城に響く。
ゆっくりと姿を現す、この世界のイレギュラー勇希春人。
「暗闇の中でどれだけ大きくなろうが、陽の当たる場所ではその醜さを隠せない」
「ハルト! ハルト・ユウキ!! ワタシと王子サマをヒキサクアクマ!!」
「悪魔はどっちだ。これ以上の夜更かしはアルファに迷惑でな。騒音を撒き散らす害虫は駆除させてもらおうか」
「ジャマよ!! オマエがいるから王子サマはキテくれないノ!!」
大量の糸を吐き出し、春人の動きを止めようとする大蜘蛛。だが人間の出せるスピードを遥かに超えて動く春人を捕らえることなどできはしない。
「どうした、俺はここだ」
蜘蛛の頭上から春人が声を掛ける。蜘蛛が上に向けて間髪入れずに糸を吐く。
次は左、その次は右、そしてもう一度上と、縦横無尽に動き回り糸を回避し続ける春人。
「その足は飾りか? それとも図体がでかくなりすぎて動けないのか?」
四方八方に糸を噴射し続ける蜘蛛の足元へ潜り込み、挑発する。
鋭く尖った足が春人を串刺しにしようと襲い来る。地面は抉れ、手入れの行き届いた中庭を荒れ地へと変え続けるが、それでも春人は傷一つ負っていない。
「ウアアアアァァァ!! ッ!? ウア……ああぁぁ……コレハ!?」
「自分の糸で身動きができなくなるとは。何処までも間抜けなやつだ」
春人が動き回っていたのは、蜘蛛の糸を撒き散らし、蜘蛛自身の動きを封じるためである。
「さて、お前のような醜い汚物は消毒するに限るな」
「ガあああアアァァァ!! 王子サマが!! ワタシノ王子サマガ!! タスケテ王子サマ!!」
「無職童貞流、嫉妬奥義――――
蜘蛛の足元より吹き出す紅い炎。中庭一面を紅き世界へ変貌させ、天へと昇る気高き嫉妬の炎は醜い蜘蛛の姿を夜の闇に浮かび上がらせる。
「アツい!? アアアアァァ!! ワタシのカラダがヤケル!!」
大蜘蛛はその凶悪にして巨大な足で中庭の噴水を砕き、吹き出し続ける水に身を寄せる。
「キエナイ!! ホノオが!! ドウシてよオォォォォ!!」
「嫉妬の炎は魂の生み出す炎。物理的な消火方法は意味を成さない」
怨嗟爆炎陣。それは嫉妬の炎。嫉妬の炎とは比喩表現ではない。
普通に青春を過ごし、女性と遊びに行く機会に恵まれたり、手を繋いだり、そんな普通の人間にとっての当たり前な学生生活すら経験できなかった春人。
怨み妬み嫉みを超越し、魂を昇華させた春人は炎を支配する主となっていた。
「せめてもの慈悲だ。俺が消してやろう。その汚れた魂すらもな」
四百十億度の嫉妬の炎は全てを平等に燃やし尽くす。青春時代の苦い思ひ出も。ひとりぼっちの虚しさも。醜くうめき声をあげるドス黒い大蜘蛛も。等しく皆、灰燼に帰す。
「イヤよ……オウ……ジサ……ま……アアアアアアアァァァ!!」
やがてレジーナだったものは断末魔とともに炎の中へと消えた。
後に残るは荒れた中庭と春人のみである。
「さて、部屋に戻るとするか」
城の修復を終え、まるで何事もなかったかのように、春人は裂け目へと消えてゆくのだった。
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