第三十二話 天運

(1)

 いかな業突く張りのベグレンでも、通い詰めたところで靴底が減るだけだと覚ったんじゃろう。あれ以来ぱたりと姿を見せぬようになった。偉そうに我々には商品を売らぬとほざいておったが、代理を立てればよいだけじゃ。それに、買い物が出来るのはベグレンの店だけではないしの。いや、それはいいんじゃが。


「なにしろ暑い」


 ここ数年、猛暑の夏が続いておる。いかな魔術師の私でも、天のことわりを曲げるわけにはいかぬゆえな。酷暑をどうにかすることは出来ぬ。暑い暑いとぶつくさ文句を言い続けるのが関の山じゃ。執務室で暑い暑い行進曲を延々とぶちかましておったところに、マルタがひょいと顔を出した。


「おっさん、誰か来てるよ」

「うむ?」


 おかしいのう。全く気配を感じなかったが……。正規の訪問であれば、いかに水浴び中と言ってもソノーが応対したはず。どういうことじゃ? まあ、マルタが警戒しておらんから、厄介な客というわけではないんじゃろう。どれ。


「今行く」


◇ ◇ ◇


「なんと!」


 それは、全く予想外の客であった。少女。十代後半くらいじゃろう。ほっそりした肢体じゃが、容姿端麗。透き通るような白い肌と乳白色の長い髪。淡い青を溶かした水晶のような瞳。夏の強い日差しの下にあればあっという間に燃え落ちてしまいそうな儚さを漂わせていながら、その表情からはひ弱さを微塵も感じ取ることが出来ぬ。見てくれと中身の不一致はソノーと似通っているものの、気の種類は全く異なっておる。ううむ……。


 戸口で出迎えた私を認めるなり、少女は深々と頭を下げた。服装も整っておるし、立ち居振る舞いに気品を感じる。相当身分が高いと見た。じゃが、そうであれば必ず付き人がおるはず。なぜに独りなのじゃ?


「ゾディアスさま。わたしはテレインと申します。お目にかかれて光栄でございます」

「暑い中、大変じゃったでしょう」

「いいえ、さほどでは」


 屋敷の中は蒸し風呂状態ゆえ木陰に案内し、しつらえた椅子に着席してもらう。テレインは、川遊びに興じるソノーたちの歓声を笑みを浮かべながら見やっていたが、すうっと私に視線を戻した。


「此度お訪ねいたしましたのは、一つお願いがあるからでございます」

「願い、ですかな」

「はい。それは、わたしというよりも母からの依頼なのですが、母は家を離れることが出来ませぬゆえ」

「ふむ。して、どのような依頼でしょう」

「人探しを。ぜひ魔術で姉を探していただきたく」

貴女あなたの姉君の消息を知りたいと。そういうことですな」

「はい。わたしもとても気になっているのですが、それよりも母が……」

「なるほど。姉君の存命と居所を確かめられた際には、どうなさるおつもりかな」

「無事を確かめることさえ出来れば、それで構いません」

「お会いなさらないということですかな?」

「姉が望まないのであれば。姉の今の暮らし向きを、わたしや母の一方的な意向でかき乱したくありません」


 ううむ、どこかで聞いたようなセリフじゃな。と言うことは……。私は、正直頭が痛くなっていた。


「少々不躾なことを伺ってもよろしいかな?」

「はい」

「貴女の姓。もしやミノスと……」

「いいえ。それは姉の姓です。わたしは違います」


 やはりか。なるほどな。


「そうじゃな。安否は魔術ですぐに確かめられまする。されど、それだけのよしならば、ちと引き受けかねまする」

「なぜでしょう?」


 少女が、こくっと小首を傾げた。

 テレインから視線を外して少しずつ高くなりつつある名残の夏空を見上げ、もう一度大きな溜息を漏らす。


「ふうっ。何人なんぴとにも運不運はありまする。いかな私が魔術師であっても、運命の逆回しはなかなかに出来ぬこと。いや、もし出来たにしても、それは私の力と言うより天の定め。天運なのでありましょう」

「そうなのですか?」

「さよう。ですから私は、依頼された方にとって良かれと思う依頼以外は請けたくないのじゃ。そのために、依頼に見合った報酬を支払ってもらうことにしておりまする。魔術で得られた結果を天運として受け入れていただく、私はそう考えておりますれば」

「ええ」

「されど、運命は……それがいかな天運であっても受け入れがたい場合がありまする。此度私は、貴女や姉君が運命の悪戯に深く失望することを強く恐れまする」

「それは……姉がすでに他界しているということでしょうか」

「いや」


 しばらく逡巡した。じゃが、いつまでも隠しおおせることではないし、関係者の誰もがそれを望まぬだろう。


「姉君はご存命じゃ。そして、つい先だってまでこの屋敷におりました」

「ええっ!!」


 驚いたテレインが、弾かれたように椅子から立った。


「少しばかり不思議な縁がありましてな。姉君は長くケッペリアに住まっておったのですが、今はケッペリアを離れ、オコテアに旅立っておりまする」

「なんと! 入れ違い……ですか」

「結果として、そうなってしまいましたな。貴女はどなたかに姉君がケッペリアに疎開したことを聞き知らされていたのでありましょう?」

「そうです。こちらにいると聞かされたので訪ねて来たのですが、どこにも姿が見られなかったので……。そうか。すれ違ってしまったのですね」


 テレインは、ひどく落胆したようだった。


「いや、姉君はいずれここに戻ると言い残して旅に出られたので、近く再会の機会が訪れましょう。されど」


 どうしたものかのう。しばし樹下で呻吟しんぎんを続けたが、こそこそ余計な策を巡らす方が傷が深くなるだろうと判断した。仕方あるまい。


「そうじゃな。全ての運命が最初から定められているでなし。受け入れると同じくらい動かせるもの。それすらも天運のうちと。そう考えるしかないのでしょうな」

「ええ」

「先ほど申しましたように、姉君の足取りはいつでも確かめられまする。そして、姉君がオコテアに赴いた目的は」


 テレインをすっと指差す。


「テレインどのと同じなのじゃ」

「!!」

「ですから姉君は、オコテアで事実を確かめた後に早晩こちらへ戻って来ることでしょう」

「あの……」


 テレインが、とても心配そうな表情を浮かべた。


「姉は、一人でオコテアに向かったのですか?」

「さよう。へっぴり腰の臆病者ですぐにべそべそ泣き出すゆえ、とても一人では送り出せぬと止めたんじゃが」

「ええっ?」

「おそらく、無事であろうかと」


 つらっと言ったことが気に障ったのだろう。テレインが、ぎりっと眉を吊り上げた。


「姉のしょうをご承知の上で、なぜ……」

「姉君がお戻りになられた時に、テレインどのが直接お確かめくだされ」

「帰路も一人、でしょうか」

「おそらくは。私は、そこまでは関われませぬ。姉君ご自身の強い希望でありましたゆえ」

「そうですか」


 右手を掲げてシーカーを呼ぶ。


「シーカー!」

御前おんまえに」

「クレオの所在を確かめてくれ。おそらく、オコテアからの帰路にあるはずじゃ」

「急ぎ、確かめまする」

「頼むぞ」

「ははっ!」


 ぶ……ん。数匹のあぶが、陽光を弾き返しながら羽音高く飛び立っていった。それを、テレインが呆然と見送っている。


「あの……」

「うむ?」

「旅程を考えると、女一人ではたとえ戦士であっても無事に辿り着けぬと思うのですが」


 それを聞いて、思わず苦笑を漏らした。


「のう、テレインどの」

「はい?」

「それなら、貴女はなぜここに無事に辿り着けたのじゃ?」


 テレインは少しだけしまったという顔を見せて、ぺろっと舌を出した。


「あはは。さようですね」


 先に放ったシーカーは、あっと言う間に戻ってきた。その報告を受けて、私は再会の場を村ではなくここにしつらえることにした。


「姉君は、すでにケッペリアにあと少しのところまでお戻りになられておりまする。ケッペリアへの帰着後すぐにこの屋敷を訪うはずじゃ。それまで屋敷で過ごされてはいかがか?」


 少しばかり思案したテレインであったが、早々に再会出来るとあれば長居にはなるまいと判断したんじゃろう。私の提案を飲んだ。


「それでは、しばしお世話になります。煩わしいことをお願いして申し訳ありません」

「いやいや」


 日差しを遮っていたアメリアの若枝が、まるで誰かを応援するかのようにさわっと揺れた。


「うむ。そうじゃな。なんとかなるじゃろうて」


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