(2)

 学長が帰ったあと、しばらく気が晴れなかった。


 子供らがいつまでも子供のままでおられるならば、どれほど喜ばしいことか。じゃが、時の流れは全ての民を等しく押し流す。子供はいずれ成長して大人になり、その後老いて往ぬる。そして、肉体変化の速度と精神の成長や劣化の速度とは必ずしも関連がない。特に幼少期を抜けて青年期に至るまでの時期は肉体と精神のバランスが不安定になり、些細なことで傷つきやすくなる。それがどうにも厄介なのじゃ。


「ふうっ……」


 これから、四人それぞれに変化と試練が来る。その中でも真っ先に試練と相対せねばならぬのが、一番心の傷が深いメイじゃ。どうするかの……。


 確かにメイのことも頭が痛かったが。学長が帰る間際に残した一言で、私はもう一つ深い悩みを抱え込むことになった。


『ソノーさんを初めから知っている子がいる』


「ううぬ。やはり、か」


 ソノーの年齢から見て、知っておるとは言っても就学前であろう。小さな子が、ソノーの生まれ育ちを詳しく知っているわけはない。それはいいのじゃ。問題は……ソノーを知る子の口から、ソノーの入れ物になっている女の子のことが実の親に知れること。幼少期を抜けて言葉での制御が出来る年齢になれば、親がぬけぬけと子を返せと言って来かねぬ。それならまだましじゃ。娘をメルカド山に置き去りにしたことが周りに漏れれば、親はそれを咎められるじゃろう。しでかしたことの証拠を隠滅するために、ソノーに手をかけるやもしれぬ。

 子売りのように最初から外道であることが分かっておるなら、郡司ぐんじに取り締まりを依頼出来る。じゃが、ソノーが生きてそこにおる以上、親のしでかしたことを遡求そきゅうして咎めるのは難しい。


「うーむむむ」


 頭を抱え込んでいたら、勉強に飽きたのかソノーがひょこっと顔を出した。


「ゾディさま。厄介な依頼ですか?」

「いや、依頼なら断ればいいだけの話。ちとな」


 こくっと首を傾げたソノーに、直に聞いてみることにする。これまではあえて触らぬようにしてきたのじゃが、いつまでも静観するわけにはいかぬゆえな。


「のう、ソノー」

「はい?」

「もし、お主が庇っておった女の子の親がここに来たら、なんとする?」


 ぎょっとしたように、ソノーが立ちすくんだ。


「私は読心術は使わぬゆえ、心の底は各々が言葉にせねば分からぬ。お主が鬼畜の親に恨みを抱いておるのか、ただひたすら女の子がかわいそうだと思っておるのか、お主の口から思いが出ねば私には分からんのじゃ」

「あの」


 慎重にソノーが探りを入れてきた。


「なにかよくないこと……が?」

「スカラに、最初からお主を知っておった子がいるそうじゃ。先ほど学長がそう言い残した。つまり、親がお主を取り返しにくる。それに備えよという警告じゃ」

「!」


 温和なソノーの顔が怒りで真っ赤になった。じゃが……その口からは、何一つ言葉が出て来なかった。仕方あるまい。一つだけ確かめておこう。


「お主は親元に帰る気はあるか?」

「ありません。わたしには最初から親がいませんから」

「確かにそうじゃな。お主はその子ではない。元は、ニブラじゃからの」

「ええ」


 私は大きな溜息を一つ床に転がし、ソノーの頭をわしわしと撫でた。


「近々、鬼畜の親がここに来て、何食わぬ顔で娘を返せと言い張るじゃろう。お主は絶対にそやつらの前に顔を出すでないぞ。私が直々に鉄槌を下すゆえな」

「はい!」


◇ ◇ ◇


 スカラでの修学試験が終わって、またいつもの日々が始まった。レクトは中級の型のおさらいに余念がなく、メイとソノーは春が着々と近づいてきたことに浮かれながらも、マルタをよく手伝って屋敷の家事をてきぱきとこなしていた。


 私はぽかりと晴れ上がった早春の青空を見上げ、次々と舞い降りてくる光輪に目を細める。金の。誰の頭上にも降り注ぎ、それを冠のように飾る。己が己であることを精一杯誇れと言わんばかりに。

 じゃが……。人のいただいている金環きんかんは見えるが、己のそれはよく見えぬのじゃ。己だけが金環を持たぬと腐る者もおれば、人の金環を奪おうとするやからもおる。愚かしいことよの。所詮人はたった一つしか金環を持てぬ。それが王であっても乞食こつじきであっても、誰でもな。


「ぬ。やはり来よったか」


 ぬくたまった路面を揺らしていた淡い陽炎かぎろいの向こうから、粗末な身なりの中年夫婦が歩いてきた。


「備えるか」


◇ ◇ ◇


 いつもであれば執事のソノーに仕切らせるのじゃが、此度こたびは無理じゃ。アラウスカに応対を頼み、ソノーには別室でエルスの面倒を見てもらうことにする。アラウスカにはすでに事情を話した。そして、短気なアラウスカが非情な親の態度にぶち切れてしまわぬよう、あらかじめ強く釘を刺してある。万端備えてあるゆえ、お主は絶対に口も手も出さぬようにと。


 執務室に夫婦を入れ、直接話を聞いた。


「私に何用かな?」

「娘を返してくれ」


 父親が傲岸不遜ごうがんふそんな態度でいきなり切り出した。


「ふむ。ソノーは、養女じゃがわしの娘じゃ。お主らの娘ではない」

「人の子供をさらうのが、魔術師の正体か」

「はっはっは! さらってなどおらぬ。メルカド山に倒れておったのを連れ帰っただけじゃ」

「ほら、人さらいじゃないか」

「阿呆。メルカド山には棄民で来るやつ以外分け入らぬ。己の所業を棚に上げて、くだらぬ言いがかりをつけるな!」

「娘に聞けば分かるだろ」

「仕方あるまい」


 私はソノーを呼びつけ、両親と面会させた。ソノーが両親に駆け寄って叫んだ。


「一緒に帰る!」

「……そうか」


 勝ち誇ったような両親にソノーを預け、屋敷から追い出した。


「二度とここに来るな」


◇ ◇ ◇


 両親とソノーが屋敷を出た後。すぐに執務室を術で封鎖し、アラウスカと密談を交わした。


「うまく行くかね」

「まあ、あの態度ならすぐに化けの皮が剥がれる。己の所業の報いをすぐに受けるじゃろうて」

木偶でくは、ソノーの写しなのかい?」

「はっはっは! まさか。そんなやわなことで済ますものか。鬼畜には鬼畜に相応しい相手にせぬとな」

「ふむ」

しょうは、ここに来たばかりのレクトじゃ」


 ぱんぱんぱん! 両手で膝を叩いたアラウスカが、上体を折り曲げ涙を流しながら大笑いした。


「ひゃあっはっはっはあ! そらあ、傑作だ」

「まあ、せいぜい苦労するんじゃな」

「どうなるかね」

「木偶を追い出すくらいならまだ関の山じゃ。私は、あやつらが早晩木偶に手をかけると見ておる」

「む!」

「そこまでやらかすような奴は、すでに人ではない」


 青ざめたアラウスカが、ぶるっと身を震わせた。


「あんた、まさか……」

「私は、依頼と報酬を必ず対にしておる。いかなる種類の依頼であっても、それが魔術を伴わないものであっても原則は決して曲げぬ。あやつらの依頼は、娘をよこせじゃ。私は娘を引き渡したゆえ、依頼はすでに果たしておる」

「ああ」

「報酬は、娘を真っ当に撫育すること。それは本来報酬として課すべきことではなく、親として当然至極のことじゃ。当然のことを無視すれば、相応の罰則ペナルティがある。失われた命が一つではなく二つになれば……」


 ゆっくり立ち上がり、眼下に広がる泥濘を見下ろす。汚いだけに見える泥ですら、草木を育む母になるのじゃ。泥にも及ばぬ汚物が存在し続ける意味はなかろう。


「きゃつらが支払うべき報酬も大きくなる。相応にな」


◇ ◇ ◇


 結局。ソノーの金環を奪おうとした両親の金環は、消滅した。木偶の性格はレクトじゃが、中身はネレイスよ。側が壊れれば中身が出てくる。


 あやめられた者の痛みと苦しみを、最後は己の身で思い知るが良い!



【第二十七話 金環 了】

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