人と冥府:7

更に気温が下がるのを感じる、神殿もどき奥の洞窟の岩肌は湿っており水気があるのは分かった。しかしそれだけの要素でこんなに洞窟の中は寒くなるのだろうか、雪山ほどではないが長袖でなければ凍えてしまうだろう。ハデスは平気な顔をしているが残り二人は少し顔をしかめながら歩いている、唇は少し青く吐く息は白い色を作っていた。

「イオス、よく平気だね。」

「訓練すれば慣れる。」

「そ、そうか。訓練が足りなかったのか、鍛錬のメニューに組み込んでおこう。」

雪山で過ごせば嫌でも寒さに慣れるものだ、この場所の近くにそんな雪山があったか覚えがないがレオならば生真面目にそんな状況を作って鍛錬しそうである。

レオの鎧も水分が凍ったのか白い部分を作っており、どう考えても気温が下がりすぎていた。

「動くのは問題ないか。」

「え? 寒くて手足がかじかんでるけど、大丈夫だよ。」

「なら良い。それから……。」

と言いよどんでやめる、さっきの光の礫の事を聞こうとしたのだが今はあまり無駄口は言わない方が良いだろう。どうやら後半は聞こえていなかったようでレオの反応はない。

少し風が強くなった、洞窟の先に光が吸い込まれるように暗い空間が広がっておりそこから風が流れ込んでいる。腕を上げて後ろに居る三人に止まるように合図を送る、三人が止まったのを確認してイオスが一人だけが先に進んだ。



洞窟が終わり光一つ無い広い空間へと出てきた、ハデスの作った光源ではそんなに遠くまで照らす事ができないようだ。天井は辛うじて鍾乳洞の先端が浮かび上がって見える、壁もイオスから少し離れた所は闇の中だ。

そして水音が前方から聞こえていた。

地面は岩だがこちらは整地されているかのように平らで歩きやすかった、両手に剣を抜き静かに歩きだす。骨の気配は相変わらず近付いてくる様子はなく、音も鳴らしていない。

そのまま数十歩進めば靴先に何かが当たった感触がした、目線を下に移せば波が絶えずイオスの靴先に当たっている。

明かりを少し前に出して確認すると水が際限なく広がっていた。

「……地底湖。」

水は透明で光が届く部分は底まで見える、緩やかに深くなっているようでかなり大きい地底湖のようだ。

流石のイオスも完全に闇に包まれている地底湖の奥まで目が届かない、ハデスに頼んでこの場所を照らしてもらうしかないだろう。

イオスが踵を返そうとした時、なんとなく違和感を感じた。どんな些細な違和感も見逃したら命取りになる場合があるこれは散々ゴードンから習った事柄だった。

頭の中でその違和感を探す、剣は両方共手に持っている、骨はまだ遠くで近寄ってこない、音も静かでイオスの他に生きている者は感じられない。

(寒くない?)

洞窟内を進む時に感じていた凍えるような寒さが今はまったくなかった、風は緩やかに流れているが寒さはない。

元の場所に戻ろうと数歩踏み出した時、何かが倒れる音が響き渡った。

顔色を変えずにイオスが剣を構える、向こうにはハデスが居て見張っている。簡単にやられる筈はないのだが――。

イオスの耳が何かが走ってくる音を拾った、それはまっすぐにこちらへと近付いてくる。

頼りない光に照らし出されたのはグレイスの姿であった。

「イオス様、後ろの方から骨の大群が襲ってきて! ハリ―様が呼んでくるようにと!」

息を切らせ慌てた様子のグレイスがイオスの前でへたり込む、洞窟の入り口があるであろう場所を指でさしながら途切れ途切れに伝える。

しかしイオスはグレイスから目を離さない、先程から嗅ぎ慣れた匂いが彼女から漂っているのだ。

「ハリーが言ったのか?」

「はい、急いで来るようにと。」

「それはおかしい。」

イオスがグレイスに剣を向ける、グレイスは驚き青い顔を見せ震えていた。

メガネの奥にある瞳は揺れ、長い栗色の髪が動きに合わせてサラサラと動く。

「何をしているのですか、イオス様。お二人はあちらに――。」

「あんたから目を離すハズがない。それに、血臭がする。」

「そんな……。」

グレイスの白い服に血の跡は見られない、ここで第三者が見ていればイオスの気が狂ったのかと思うだろう。

「本当です! 先程レオ様が私を庇って、それで血がついたのかもしれません !早く助けに行ってあげてください!」

必死の訴えにも、何の躊躇も迷いもなくイオスの剣はグレイスに向いたまま微動だにしない。

「まさか操られているのですか!?」

人は表情で感情を読む、無表情のまま剣を突きつけ反応を示さない眼の前の男にグレイスは次第に冷や汗を流し始めた。



イオスがその状態のまま一歩踏み出すと、どこかで硬い物が割れる音が響く。左側のそう遠くはない場所に上から石が落ちてきた、石は地面に激突し砕ける。

間髪入れずにイオスが目にも留まらぬ速さで剣で上を薙ぎ払った、手応えが柄を通して伝わり白い物が切り裂かれた。しかし、攻撃を免れた鋭利な物体が一つイオスの肩へ深々と突き刺さる。

痛みを感じるよりも早くその場から飛び退き、グレイスから距離を取った。

同時にイオスの居た場所に白刃の弧が描かれ風が凪ぐ、あと数秒遅かったのなら腹を切り裂かれていたかもしれない。転ぶこともせず攻撃の届かない範囲までに来るとその元凶をまっすぐ見据えた。

グレイスが血の付いた白い刃物を握っている。

「……早いわね、やっぱり貴方が一番厄介だわ。」

今まで見せていた怯えた表情は消え失せ、鋭い視線がこちらに向けられる。今までの穏やかな雰囲気は無くなり、声色もここなしか低い。明らかにこちらに対して敵意を剥き出していた。

ゆっくりと立ち上がりその小さな口を歪ませ笑う、周りに紫の炎がポツポツと現れ始め周りを不気味に照らし始めた。

どうやらこのグレイスが『狂った聖女』で確定のようだ。

素早くこちらの受けたダメージを確認する、肩に刺さった物は肉食獣の爪のようだった。真っ白い爪が深々と肩に刺さっており赤い血を流し続けている、左手が動くのを確認すると邪魔な爪を肩から引き抜き地面へと転がした。

「ふふふ、痛い? 奇襲ならいけると思ったんだけど、駄目だったわね。どこで怪しいと思われたのかしら。」

「二人は?」

「気になる? 連れてきなさい。」

グレイスが頭を振ると大きい狼の骨がぐったりとしたレオとハデスを咥えて闇の中からやって来る、グレイスの近くの地面へと目を閉じた二人をうつ伏せに転がした。ハデスの腹からとレオの鎧の隙間から赤い血が流れ出ている、白い刃物をゆらゆらと揺らしながら笑いをこらえきれないっと言った感じで目を細めた。

あの状況からしてハデスを刺した後にレオを後ろから襲ったようだ、背後から襲われ反応が遅れたのだろう。

「大丈夫、死んではない呪術で動けなくなってるだけだから。」

「……。」

「なんでって顔ね、予定は色々と狂ったけど私の目的は貴方達の魂なの。召喚者の魂なんてそうそう手に入らないのよ。」

グレイスの口から思いがけない単語が出てくる、『召喚者』誰にも言わず悟られないように気をつけていたはずだ。

イオスの顔色は変わらないが構わず話を続けた。

「イオス、貴方は召喚者よね。このハリーが喚び出された存在、どこの誰か分からないけど私の使役している死霊が騒いでたのよね。それにこのレオって子も召喚者って教えてくれた、ラッキーだったわ。」

「レオも……召喚者はよほど特別なのか。」

「あら何も知らないで召喚したの? 召喚者は呼び出した存在から色々と恩恵を貰うのよ、そして魂の力も強くなる。それであの霊珠を作ったらどうなるか分かるわよね、そこら辺の魂で作ったのと比べられない強い死霊の出来上がりと言う訳よ。砦を何回襲っても彼が防いじゃって困ってたのよ。」

凶悪な笑いを浮かべてグレイスが説明をしてくれた、どうやらコレが目的のようだ。つまり無作為に人を襲っていたのは魂の確保、そして黒い玉を生成していたらしい。

ハデスから召喚者についてそんな説明を受けてないのだが、忘れているのだろうか。

「……子供を探してたのは嘘か。」

「ええ、そうよ。」

「なら遠慮なく斬れる。」

剣を構え直すと同時に闇の中から大量の骨が歩み寄って来た、洞窟の中で襲ってきた者達も含め数も増えている。どの骨も鋭利な牙や爪を鳴らしイオスとの距離を狭めてくる。

「この数に勝てるつもり? 貴方のはその速さは厄介だけど足を止めてしまえば無力だわ。」

確かに足の踏み場がないほど骨が密集している、グレイスとの間には特に骨を多く配置してありかなりこちら側を警戒しているようだ。

血は服が吸い肩の痛みだけで動くのには問題ない、グレイスが手を振ると待っていたかのように骨達が一斉に襲いかかった。



少ない呼吸で襲いかかって来る者だけを両断する、一つ片付け二つ同時に足を奪う。迎撃に徹しながら確実に数を効率よく捌いていく、骨の山を積み上げ掻き分けイオスは少しづつ後ろへと下がっていった。

グレイスの周りを漂っている紫の炎は辺りを明るく照らしてくれて視界は問題ない、その明かりの届く範囲ギリギリまで後退する。

何かを守りながら戦うのではなく、ただ目の前にくる敵を叩き斬るだけに徹することが出来る。

怪我をしていても技が鈍る事はない、その集中力はより研ぎ澄まされ更に速さを加速させていく。

足を狙ってきた二角蜥蜴にかかと落としを喰らわせ踏み砕き、その勢いを殺さず回し蹴りで何体か転倒させて剣の届く範囲で斬りつけた。場所が広く数が多いが思いきり動く事ができる、骨の音に注意していれば背後の奇襲も予測できた。

砕き、斬り伏せ、剣に触れたモノをことごとく両断していく。

鬼神のような強さを見せてもイオスの表情に感情と言うものが浮かぶ事はない。

中々捕まえられないイオスに苛立ちを覚え始めたのかグレイスが紫の炎を増やしイオスの周りを照らし始める、後ろもかなり遠くまで明るくなっていた。

「暗闇に逃げようとしても無駄よ! それから……。」

グレイスの腕が何かの印を描く、それに呼応して骨達がざわつき始め一箇所に集まり始めた。

鎌首を持ち上げたそれは大きな骨の集合体と言っていいだろう、形としてはムカデが近いかもしれない。無数の骨が集まっているお陰で表面には爪や角、手が所狭しと浮かび上がっている。少しでも引っ掛ければ大怪我じゃすまない。

「大丈夫よ、死なない程度に加減してあげるから。」

余裕の笑みを浮かべてグレイスが手を動かす、その動きに合わせて骨のムカデがその巨体で襲い掛かってきた。

動きに合わせて一番前の足を切り飛ばす、だがすぐに骨達が斬りつけた場所へ殺到し元の形へ修復してしまった。一度砦で見せた戦法はグレイスも見ていたと思って良いだろう、通用しなさそうだ。

後ろに、横にその巨体がうねりを上げて逃げ場を徐々に無くしていく、岩を削るザリザリとした音がより一層早くなっていった。

その範囲が狭まりムカデの体の部分がイオスを締め上げようとしているようだ、これ以上怪我を増やさなように剣を前でクロスさせ力をなるべく抜いた。

剣に骨が当たり耳障りな金属音が鳴り響く、弾き飛ばされないように気をつけながらその瞬間を待った。

とうとうムカデがイオスの身体を捕らえ蛇のように締め上げる、爪が少し食い込んだ無駄な抵抗をしなかったお陰で被害は少ない。しかし、小さな無数の手がイオスを離さまいと服や髪を掴んで力を込めていた。

圧迫され息苦しかったが宣言通り加減しているようだ、あちこちに赤い目がこちらを凝視していて逃げる隙も与えてくれない。

「ようやく捕まえたわ、あっけないものね。」

「……。」

無言のイオスに更に気を良くしたのか骨を操ってグレイスの前までイオスを連れて来る、もちろん腕も足も骨の力が強く動かす事は叶わなかった。無抵抗のまま元凶の前に跪かされクロスしていた腕も広げられる、剣を落とそうと手に爪を立てられるが放さない。

血が出て肉が見えてもイオスは剣を手放す事はしなかった。

「本当に不気味ね、どんな時でも顔色を変えないって異常よ。」

「……そうか。」

普通の人間ならば痛みで顔が苦悶に歪むはずだ、だが眉一つ動かさない目の前の男はまるでこのまま死ぬのも肯定するかのように冷静で無抵抗に前に跪いている。その姿が不気味さを際立たせ、恐怖すらも感じさせた。

「……これほど骨を集めてもまだ死霊を作るのか、何かする気なのか?」

「あら、簡単な事よ。あの強力な権威を振りかざしている聖堂都を陥落させるの、きっと偉い人達は慌てふためくでしょうね。」

「恨みか?」

「えぇそうよ、あの魔物の毒で私は死んだ。聖堂都の上の連中は小さな村の依頼を受けた私を蔑ろにしたわ、適切な処置をしたら助かったかもしれないのにどの病院も診てくれなかった。助けた村人だってそう、用事が済んで傷があると分かった瞬間に私は村を追い出された。だから――。」

グレイスが喉の奥で笑う、人間が憎しみを募らせ果てまで辿り着いたような酷い笑いを浮かべた。

「皆、死霊にしてあげてこの骨の中に閉じ込めたの。私の思った通りに動く操り人形みたいにね。」

この骨のどこかにその村人達が居るのだろう、骨の数からでも村人以上の人数が犠牲になっているはずだ。

「さて、これで貴方の疑問は解決したでしょ? 召喚者用の特別な霊珠も用意してあるの、器は何が良いかしら。また女達を集めて獣を喚び出さないといけないわね。」

もはや聖女と呼べないような表情でグレイスは嬉しそうに顔を歪ませる。

そのグレイスの背後を確認してイオスはようやく小さなため息をこぼした。

「話疲れた、早く終わらせろ。」

「?……何、いきなり。」

イオスの小さな反応にグレイスの動きが止まる、その背後から上品なかつ心底面白いといった笑い声が静かに響いてきた。

慌てて振り返るグレイスの目に一人の男が映っている、星空のような髪をなびかせ片手に二又の矛を持ったハデスがイオスと反対側の離れた場所に自身が作り出した明かりにぼんやりと浮かび上がり仁王立ちで佇んでいる。

静かに笑顔を浮かべながら冥府の王は怒りを含めた言葉を口にした。

「我をおとりに使うのは構わないが、イオスにした所業と今の話は見逃せぬぞ。」

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