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 オレにとってドラムは、もはや音楽をするための道具ではなくて、怒りのはけ口だった。叩いていてもちっとも面白くない。

 バンドを組んで誰かと合わせれば、ちょっとはその考えも改まるんじゃないかとも思った。でも、あの軽音部じゃあオレも怒りは満たせなかった。アイツらの音楽には、怒りや憎しみ……いやそれどころか、楽しさや憧れといった衝動性すらない。何もないんだ。あそこにあるのは、兄貴が作ったものの残りカス。それだけ。それがオレの怒りを満たせるはずもなかったんだ。

 学校に行かなくなったのは、ゴールデンウィーク前あたり。軽音部に行かなくなったのは、もっと前だから、もう一ヶ月近いかもしれない。一度行ったら、もうイヤになっちまってた。


 午後四時過ぎ、オレは叩き疲れてベッドに横になっていた。ここ数日、一日の大半を寝て過ごしている気がする。ドラムのおかげで食っちゃ寝のブタにはなってないが、それでもタイクツな生活を送ってることに違いはない。

 お袋は仕事に出かけてる。親父はオレがガキのころに離婚していなくなった。保志っていう、それまでの苗字と一緒に兄貴を連れて東京へ。それきりこの家に残されたのは、夢の残りカス。希望の残りカス。

 ――せめて、ああいうヤツがもっといてくれればな……。

 タオルケットにくるまりながら、ドラムセットを見つめて思った。

 軽音部の説明会で出会った、あの同級生。南奏純。彼女みたいな見る目のあるヤツがもっといれば、あの学校もちっとはマシになってたはずだ。あんなクソにはなってなかったはずなんだ。教師はクソ野郎で、生徒はそれに盲従するしかない。そんなゴミだめにはならなかったはずなんだ。

 ――彼女はどうしてんだろうな。

 どうせオレには関係ないことだ。

 なのにここ最近、不意に彼女の顔が脳裏によみがえる。オレはなんでわざわざ彼女に声をかけた? 自分と同族だと――彼女も社会に見捨てられた『怒れる子供』の一人だと思ったのか。

 ――どうだかな。

 分かりっこない。

 なんたってオレは問題児。頭のクソ悪い、素行不良の不登校だ。オレの仲間なんてどこにもいやしない。本当にオレをわかってくれるやつは、どこにもいないんだ。

 やけっぱちになって、オレは眠ろうと思った。眠れば怒りも静まると思った。

 だけど布団をかぶろうとしたとき、誰かがインターホンを鳴らしたのだ。おかげで怒りは収まるどころか増大しやがった。


 靴とサンダルとがごった返す玄関。足の踏み場も無いなかで強引に扉を開けると、その向こうで見たこともないガキが立ってた。詰め襟にシケた丸メガネをかけたヤツだった。

「……誰だおまえ」

「同じクラスの佐藤です。森くん……ですよね?」

「そうだが。何の用だよ」

「これ、届けにきました」

「あ?」

 ヤツの手元を見ると、クリアファイルが握られていた。中には授業で配られただろうプリントの山と、担任からのメッセージが入っていた。

「そういうことか。わざわざご苦労。だがもう届けに来なくていいよ。オレは学校に行く気はねえ」

 言って、オレはヤツからファイルをひったくった。佐藤のヤツは豆鉄砲喰らったハトみてえな顔してたが、どうでもよかった。

 それから玄関を閉めて、すぐにでもヤツを追っ払おうと思った。オレは怒りでどうしようもないぐらい荒れていた。

 だがヤツは、オレが玄関を閉めるまえに言ったんだ。

「あ、待って森くん! 馬場先生や錦織先輩が君のことを探していたんだけど……」

「ああ?」

 おもわず手が止まった。

 馬場の先公やクソ軽音部の部長がオレを探していただって? 何のために?

「……えっと……。なんか、部活だけでもいいから顔を出してくれって。ドラムセットもあるからって。そう伝えてくれって言われたんだけど……」

「あの連中がか?」

「うん……」

「そうか。帰っていいぞ」

 今度こそ、本当の本当に扉を閉めて追っ払った。

 馬場と錦織がオレを探してる? オレが兄貴の弟だからに決まってる。バツが悪いからさ。オレに残されたのは、兄貴たちの青春の残りカス。兄貴たちが光なら、オレたちは闇なんだ。

 オレは唾を吐き捨てたい衝動に駆られたが、ぐっと押し込めてベッドに戻った。


     *


 翌朝、起きたのはいつもより遅かった。アラームもオレを起こすのを諦めたのか、だんまりを決め込んでいた。

 ベッドを這い出て、腹を満たしに居間へ。机には例によって朝食と置き手紙があった。皿を重石にして昨日と変わらないメッセージが綴ってある。


「無理しなくていいから、学校に行きなさい」


 何がどう無理だって言うんだ。

 オレは置き手紙とトーストに痰を吐きかけてやりたくなったが、お袋の背中を思い出して止めた。元はと言えば、オレはお袋のために学校に行かなくなったんじゃないか? でも、そのお袋は学校に行けと言っていやがる。

 ――じゃあ、どうしろってんだよ。

 オレは答えを出せぬまま、冷めたトーストに手をつけた。昨日よりもマーガリンの量が多いのか、妙にじっとりとしていた。

 テレビを点ければ、ワイドショーはイジメ問題がどうこう言っていた。自殺者が出た挙げ句、教育委員会がついさっき会見を開いたらしい。偉ぶったメガネのジジイは、イジメの事実はないと言ってやがる。人が死んでるってのに、そんなこたあ関係ねえって感じに「ご冥福をお祈りします」なんて上っ面だけの言葉を吐いていた。

「これも言葉のあやですか、センセーよう」

 オレはワイドショーに愚痴る主婦みたく、食事の片手間にぼやいた。気分が良かった。世の中の主婦はこうしてストレスを発散してんだろう。どうりで事実を正しく伝えないクソどもがあふれるわけだ。ご丁寧にもオレたちに愚痴を言う場を提供してくれてんのさ。

 でも、オレの怒りはワイドショーごときでは収まらなかった。

 トーストを食い終わって、オレンジジュースを飲んでから、オレはテレビを切って部屋に戻った。

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