第十章 Jewelfish(5) 臨戦態勢

***


 翌朝九時。


 浩はイリヤを連れて相良が指定した貸会議室を訪れた。そこには既に鵜沢と相良がおり、二人の姿を見るなり妙な顔をする。

 その原因はなんとなく分かっていた。おそらく自分のせいである。昨夜ほとんど寝ておらず顔色がよくないということもあるけれど、久しぶりに朝から前髪を上げていることからなにかを察しているらしかった。


 鵜沢が浩に挨拶すると、隣のイリヤへ「こちらは?」と尋ねる。


「うちの技師です。証言してもらいたいことがあったので連れてきてしまいました」

「イリヤ・チャイカデス。ハジメマシテ」


 その名を耳にした鵜沢は「ああ」と納得し、穏やかな口ぶりでイリヤへ声をかけた。

「神奈川県警の鵜沢です。はじめまして、ミスタ・チャイカ」


 ヨロシクー、と間の抜けた挨拶をしつつイリヤは笑顔で握手する。続いて、彼は相良へそっと耳打ちする。


「あの子、朝起きたらもう臨戦態勢あんな状態になっていたんだ。たぶん寝てないと思う。それから、ちょっと……」


 浩のことである。イリヤが相良にこそこそと小声で何かを囁いたかと思えば、相良は「ああ」と訳知り顔で、


「確かに変な時間にメールが入っていたし、顔色も……分かった。気を付けて見ておく」

 と頷いた。


「イリヤ、君、なにかしたんじゃないのかい」

「なにもしてないよ、失礼な」


 いつも自分に原因があると思ったら大間違いである。


 ――そんなやりとりがまったく聞こえていない訳ではないが、正直それに構っている場合ではない。付き合いきれないと思った浩はとりあえず放っておくことにした。


 さて、まずは情報共有である。浩は昨日イリヤから聞いたことを要約して鵜沢へ説明する。鵜沢は『白梅』の所在が明確になったことに対し安堵し、ほっと肩をなで下ろした。


「とりあえず『白梅』はある意味だということだけは言えます。ゆくゆくは回収したいところですが……」


 そこまで言うと、浩は横目でイリヤの様子を伺った。今『白梅』を持っている美術館の館長はイリヤの顧客である。何かしら思うところがあるかもしれない。気を遣ったつもりでいたのだが、イリヤは逆に淡々とした調子で、


「回収はなるべく早いほうがいいと思う。そのあたりは気を遣う必要はないよ。むしろ今回の場合は後回しにすればするほど厄介になる」

 と伝えた。「キョウ、スグニ、デキマスカ?」


 その言葉を耳にした鵜沢は――イリヤは英語と片言の日本語を混ぜて話していたが、鵜沢はちゃんと聞き取れていた――すぐに大きく頷き、はっきりとした口調で答える。


「分かりました。すぐに回収させます」


 浩は短く「お願いします」と頭を下げた。


「それと、松籟さん。遠坂の件ですが」

 鵜沢は続ける。「できることならこちらに任せていただけますか」


 その言い分は実に正しかった。

 浩が彼から依頼されていたのはあくまで『白梅』の件のみだ。行方不明となった『白梅』の所在も判明し回収の手筈が整えられた今、エレホンが出る幕はない。彼はそういう線引きをしたのだ。


 それはその通りなのだが。

 浩は逡巡し、慎重に言葉を選ぼうとする。やはり少し眠いのだろう、頭の回転がいつにも増して鈍っている気がする。どう言えば主導権を握ることができるだろう、適切な日本語が出てこない。

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