Extra.1 都内、某居酒屋にて

「こいつ何言ってんだって思ったけど、それで結局翌年は倍額どころか三倍程度の収益増にさせたというのがまた怖いところだよな」


 イライジャがげんなりとしながら呟き、酒を仰いだ。


 浩は本日一泊二日の大阪出張のために不在である。突然ひとりにされたイリヤがさみしさのあまり、たまたま来日中だったイライジャを飲みに誘ったのが事の発端だった。

 イリヤと浩が共に行動するようになってから六年。昔話に花が咲き、彼らは例の『謝恩会事件』について改めて回想している。


「せっかく俺がかっこいいところを見せようと思ったら、全部自分でなんとかしちゃうし。俺としては相当、いや、かなり不満だったよ……」


 イリヤが遠い目をしながら手元で丸型のグラスをくるくると回している。中にはお気に入りのウォッカが注がれており、揺れに身を任せ水面が波打っていた。橙色の照明がグラスの淵に反射し、きらりと瞬く。


「そもそもあいつは誰かに守られるタマでもないだろ」


 イライジャの言うことはもっともなので、思わずイリヤはぐっと息を呑んだ。

 ふたりで行動するようになってからは、一応、妙な事件に巻き込まれる頻度は減った。減ったけれどゼロになった訳ではなく、むしろイリヤまで巻き込まれることになったため、浩の労力は実質二倍になっている。


 ――逆に守られているだなんて、言いたくない。

 それに関しては、イリヤは頑なに口を閉ざすことに決め込んだ。


「今となっては笑い話になるけど、あの時は本気でやばいと思ったぞ。何がやばいって、ワインぶっかけられたヒロは傍から見てもマジ切れしているし、お前はそれ以上に化け物みたいな顔しているし。しかもその後例の幹部はヒロの言う通り拠無い事情で御縄について、エレホン始まって以来の不祥事だと騒がれるし。あんたら一体なんなんだ」


「んー……後にも先にも本気で怒ったのはあれだけだと思うよ、俺」

 そしてイリヤはグラスの液体を仰いだ。「君だってそうだろ。自分の嫁が公衆の面前で侮辱されたら怒るどころの騒ぎじゃなくない? 本気で殺そうと思うよね?」

「同意はするけどまずは落ち着け。話はそれからだ」


 このとき、イライジャは年々知能指数が下がりゆく我が友に対しなんと声をかけるべきか本気で悩んでしまった。


 こうなった原因は間違いなくあの風変わりな日本人にある。時々顔を合わせて食事に行く程度には仲良くなったが、知れば知るほど彼の存在はミステリアスである。一言で表すならば、掴みどころがない人物。イリヤはイリヤで相当な変わり者なので、彼のそういう不思議なところに興味が湧いたのかもしれない。


 しかしながら、こうも思うのだ。



 ――あの日、一連の出来事が過ぎ去ったあと。

 一度席を外していたイライジャが会場に戻ると、ふたりはホールから姿を消していた。

 どこかに行ったのかと周囲を見回すと、バルコニーの隅でふたり並んで何かを話し込んでいるのが見えた。そちらへ向かおうかと思ったイライジャだったが、そのときの彼らの様子を見て、やっぱりやめたのを覚えている。


 イリヤが穏やかな顔で浩に対し微笑み、心から楽しそうに笑いかけている。あんな表情は付き合いの長いイライジャでも見たことがなかった。



 まあ、こいつが幸せならそれでいいか。

 イライジャが呆れ混じりに笑うと、イリヤはきょとんとして思わず首を傾げて見せた。


「なんだい」

「ああ、いや。なんでも」

 彼はそう言い、からっとした口調で言った。「ところで俺、今年の秋に結婚するんだけど――」

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