第四章 Shot(5)決戦

***


 ――数ヶ月後。


 この日エレホン日本支部では年に一度の謝恩会が催されることになっていた。


 イリヤは毎年強制参加を命じられており、今回に関しても例外ではなかった。年に一度しか着用しないぱりっとしたスーツに身を包むと、何とも言えない微妙な気持ちになりながら会場に向かう。


「大丈夫だよ。ヒロ」


 そしてその傍らには浩がいた。彼はほぼいつも通りのスリーピース姿だが、今日は前髪を下したままにしている。相変わらずの仏頂面でいた彼だが、どことなく不安そうな雰囲気をその身に纏っていた。


 それにイリヤが気づかない訳がなく、思わず、

「平気で人を殴る・蹴る・撃つ君がそこまで縮こまるだなんて、ちょっと面白いんだけど」

 とおちょくってしまった。


「ここが本国だったら確実にマカロフを抜いていたよ。日本でよかったね」


 浩がそんなことを真顔で言うものだから、イリヤはすぐに戯言をほざく己の口を閉じた。


 さて、会場に到着し受付を済ませたイリヤは、受付を担当していた女性に対し浩を指して言う。


「彼も入れてあげてくれるかい。俺の身内ってことにしてほしい」

「はい。こちらにご記帳いただいてもよろしいですか」


 浩は一瞬言葉を詰まらせ、それから自らの手で記帳を済ませる。


 ――松籟浩。


 受付の女性がその名を目にした刹那微かに瞠目したのに気付いたが、ふたりはそれを敢えて見なかったことにした。


 行こう、とイリヤが浩の手を引き、華々しい明かりの灯る場所へ連れて行く。その途中イリヤが浩の耳元で、


「さっきの子、ものすごく驚いていたね」


 と囁くものだから、くすぐったそうに浩も声色を落として言う。


「ほら見ろ。俺の扱いなんてこんなものだ」

「いや、普通の事務職に就いていそうな子でも知っているという事実に俺は驚いたよ」


 とイリヤは苦笑する。


 会場に入った瞬間、周囲の視線が一気にイリヤへ向けられた。たくさんの『人形』がこちらを見ている。さすが『神様』というところだろうか、彼がそこにいるだけでここまでの視線を集めるとは。覚悟していたことではあったが、浩は思わず足を止めてしまった。


 それに気づいたイリヤが己の左手を伸ばし、浩の両眼を覆い隠す。


「大丈夫。出掛けに俺がなんて言ったか覚えているかい?」

「……知らない人間はすべてマトリョーシカか何かだと思え」

「その通り」


 イリヤの手が外される。その頃には少し落ち着いた浩が、のろのろとイリヤの姿を仰いだ。ありがとう、と短く伝えたところで、イリヤが嬉しそうに「ドウイタシマシテ」と笑う。


 さて、ウェイターからウェルカムドリンクを受け取ったところで――例によって浩は未成年と勘違いされ、ジュースを渡された――、彼らは二人の男に声をかけられた。


 ひとりは相良である。相良は予告通りこの場に現れた浩の姿を見て、ほっと胸をなで下ろしている。相良はウェイターに浩が成人している旨を説明すると、シャンパンの入ったグラスと交換させた。


「浩くん、こっちのほうが好きでしょう」

「ああ、ありがとうございます」


 さて、もう一人はイリヤがとてもよく知る人物である。イリヤと同じ贋作師であり、主に北米・日本の二拠点で活動する男。


 その名をイライジャ・スミスといった。


 彼はイリヤの友人でもあり、タイミングさえ合えば共に朝まで飲み明かすくらいの仲である。彼はイリヤに簡単な挨拶をしたのち、その隣で静かにシャンパングラスに口をつけた浩に目を向けた。


「初めて見る顔だね。新人?」


 イライジャがそう尋ねたものだから、「ああ」とイリヤは軽い口調で返す。


「これね、俺のだから。触らないでくれるかい」

「そんな大事なものをこんなところに連れてくるなよ」

 呆れて肩を竦めながら、イライジャが浩に右手を差し出した。「イライジャ・スミスだ。本拠地は北米、時々日本でも活動している。専門は彫金だ。よろしく」


 浩はぴくりと肩を震わせたが、イリヤがそっと「この人は大丈夫。信用していい」と耳打ちしたことでようやく右手を差し出す。


「ヒロ・ショーライです。はじめまして」


 その名を耳にしたイライジャは、「ん」と微かに唸り声を上げる。


「その名前……」

「すごいでしょ。うちの稼ぎ頭がこんなにも可愛い」


 絵に描いたようなドヤ顔をしたイリヤだが、刹那小さく悲鳴を上げた。――浩がイリヤの足をわざと踏んだのだ。


 それはともかく、驚いたと言わんばかりの表情を浮かべるイライジャである。てっきり浩は罵倒もしくは嘲笑されるかと思い相当の覚悟をしたものだが、彼は予想外の反応をして見せた。ぱあっと頭に花が咲いたような顔をしたかと思えば、


「お会いできて光栄です。わあ、本物だ」

「……?」


 思わず怪訝な顔をした浩である。どちらかというと、反応がイリヤのそれと似ている。


「お噂はかねがね。俺、仕事柄貴金属の鑑定もやるんですが、あまり得意でなくて。是非ご教示いただきたい」


 浩は言葉を選びつつ、


「……俺もあまり貴金属の鑑定は得意でないです」

 と返すことにした。「まぶしくて見えづらい」


 分かる分かる、という謎の会話が始まったところで、相良はイリヤの肩を叩く。


「浩君が謝恩会に出るなんて言い出したときは心底驚いたけれど、よかった。大丈夫そうだね」

「彼と会わせる最初の一人がイライジャなら絶対大丈夫だと思ったから。ありがとう、助かったよ」


 厳密に言うと浩は謝恩会には呼ばれてはいなかったのだが、相良に『全ての事情』を説明したうえでこの場に参加できないか事前に相談していたのである。相良はイリヤと浩の言い分に心底驚いていたようだが、ほぼ二つ返事で承諾してくれた。


 ――うちの謝恩会は関係者のご家族の方も参加を許されているから、基本的には大丈夫だと思うよ。大体にして、うちの団体を支える鑑定士を呼ばないだなんておかしな話だと思わないかい。いくら他の技術者を守るためとはいえ。


 しかし事前にエレホン上層部に申告してしまうと拒否される可能性もあったので、当日まで黙っておくことにした。これは相良の案である。


 それだけではない。この話を持ち掛けた当時、ふたりは同居するために部屋探しをしていたのだが、その保証人を相良が引き受けてくれることになった。

 そんな訳で今の彼らは相良に対し頭が上がらない。


「サガラ。ところで、どうしてあなたは反対しなかったんだい」

 イリヤが尋ねた。「よく考えたらあなたの挙動は初めから不思議だった。マネージャー職に就くあなたが、彼のことを俺に紹介するなんて普通は考えられない。彼の目を悪用するかも、とか、そういうことは考えなかったのかい」


「ああ、それは」

 相良はさっぱりした口調で言う。「浩くんが少しでも幸せになってくれればいいなと思って。もちろん少しは悩んだけれど、浩くんが君のことを追ってエレホンに入団したことは知っていたし、何より、君が言ったんじゃないか」


「うん?」


「『友達になりたい』って。それだけで十分だと思わない? だから君に『仲良くしてあげて』ってお願いしたんだよ。まさか友達どころかこうなるとは思わなかったけどね」


「……物わかりのいい人で助かるよ、本当」

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