第109話 狼とタバコと不良医師

目を覚ましたフィーベルトは視界を覆う灰色の天井をジッと見つめていた。


「・・・ここは?」


フィーベルトはベッドの上で上半身を起こし周囲の様子を窺う。

しかし左右には白いカーテンが敷かれて視界が遮られており、正面には無人のベッドがあるだけ。

これっぽっちの情報では自分がいる場所がどこなのか皆目見当もつかない。

先程から微かに漂う薬品の臭いから恐らく医療機関であろう事は推察できる。

ただ、何故自分がその様な場所にいるのか、その理由が思い出せない。


「私は・・・確か、街はずれの廃工場で・・・」


額に手を当てて最後の記憶を遡ろうとした時、カーテンの向こうに人の気配を感じてフィーベルトは顔を上げる。

すると丁度カーテンの向こうから顔を出した短い黒髪に黒目の女性と目が合う。


「あっ、目を覚まされたんですね」

「えっと・・・」


心の準備も出来ない内に声を掛けられたフィーベルトはどう返事をしたものか答えに詰まる。

そうして彼が答えに窮している間にも女性は一方的に話を進めていく。


「ちょっと待っててくださいね。今、先生ドクターを呼んできますから」


フィーベルトの答えを待たずにそう告げた看護婦ナースと思しき女性は、身に纏ったスカート丈の長い純白の看護衣を翻し、足早に部屋を出ていく。

声を掛ける暇さえ与えてもらえなかったフィーベルトは1人部屋の中に取り残される。


「これは一体、何がどうなってるんだ?」


どう考えても自分1人だけがら置いてけぼりを喰らっている状況に思わずフィーベルトの口から本音が零れる。

しかしながら生憎とそんな彼のボヤキを聞いてくれる相手はこの場には居ない。

当事者であるはずのフィーベルトを置き去りにして状況だけが進行していく。

少しして看護婦ナースが立ち去った廊下の方から足音が近づいてくる。

部屋を訪れた相手はそのままフィーベルトのいるベットの近くまで近づくと、カーテンの向こうから姿を現す。

顔を出したのは白髪交じりのボサボサの長髪、濃い髭を生やし、ヨレヨレの白衣を羽織った細身で猫背気味の男。

歳の頃は40代後半から50代前半といったところか。

男はフィーベルトの顔を見るなりニィッと口の端を吊り上げる。


「よぅ、色男。3日間独占したウチのベッドの寝心地はどうだったよ?」


口を開くなりそんな皮肉めいた言葉を口にする男にフィーベルトは苦笑いを浮かべる。

内心では男が口にした"3日"という数字が少しばかり気に掛かったが、今はそれよりもこの状況について確認するのが先だろう。


「失礼だが、こちらの医師で相違ないか?」

「ん?そうだな。俺はこの街で医者やってるマードック・ボナパルトってもんだ。これでも街じゃそこそこ名の知られた名医様よ」


マードックと名乗った男は得意げに鼻を鳴らすと、背もたれのないパイプ椅子を足のつま先で引き寄せてから腰を下ろす。


「そうでしたか。どうやら世話になった様で申し訳ない」

「まったくだぜ。と言いたいところだが金はそれなりに貰ってるからあまり文句は言えねえんだがな」


そう言うとマードックと名乗った男はケタケタと笑う。

一方で彼の言葉を聞いたフィーベルトの方はどこかは腑に落ちない様子。

何故なら彼に金銭の持ち合わせはほとんどなく、とても病院に掛かれる様な状況になかった。


「今、金の事を仰っていたが私は大した金額を持ち合わせてはいないのだが?」

「そんな事はもう知ってるっての。お前さんが寝てる間に財布の中身を検めさせてもらったが、なんだありゃあ?最近のガキの小遣いの方がまだ多いぜ」


どうやらフィーベルトが眠っている間に持ち物は粗方調べ終わったらしい。

持ち主の許可なく所持品を漁る辺り、医師と言えど暗黒街の住人と言うべきか。

しかも子供の小遣いよりも少ないとは言いすぎだ。

浮浪者同然の身の上とはいえ、これでもそれなりにいい歳の大人なので少しばかり傷ついた。

フィーベルトの落ち込む姿に同情するでもなくマードックは話を続ける。


「心配しなくても料金ならお前さんを運んできた男からしっかり頂戴したから、ウチの看護婦のケツでも触らない限りはいきなり追い出したりはしねえよ」

「そんな事はしません」


心外な事を言われて流石のフィーベルトも思わず強い口調で反論する。

一体この男の目に自分はどのように映っているのだろうか。

少なくとも目の前の医者を名乗る男よりは真っ当に見えるはずだ。

そんな事を少しばかり気にしつつ、今の話の中で気になったキーワードについて話を戻す。


「ところで私を運んできた男というのは?」

「ああ、ビルモントのとこの坊主だよ。あのガキ、生意気にも金だけは持ってるからな」

「ビルモント・・・・。クロード・ビルモントの事か!」


その名を口にした瞬間、フィーベルトの頭の中で最後の記憶が蘇る。

廃工場にて自分はあの男と対峙し完膚なきまでに打ち負かされ、そしてこれまでの自分の生き方を変える決断を下した事を。


「彼は今何処に?」

「残念だがヤツならここにはいないぜ。あのガキもあれで中々忙しい野郎だからな」

「・・・そうですか」

「そういや~あの野郎からお前さんが目を覚ましたら連絡を寄越せと言われてたな」


思い出したように呟いたマードックは廊下の方に向かって大声を上げる。


「お~い。テセリアちゃ~ん」

「なんですか~せんせ~い?」

「ボルネーズ商会に電話1本入れといてくれや~。預かってた野郎が起きたってよ~」

「わかりました~」


廊下の向こうから威勢のいい返事を聞いたマードックはフィーベルトへと視線を戻す。


「これで直にクロードの野郎も顔を出すだろう。それまではここで大人しく待ってな」

「何から何まで申し訳ない」

「気にすんな。これも商売の内だ」


そう言うとマードックはおもむろに白衣のポケットに手を突っ込む。

ガザコゾと音を立ててポケットをまさぐった後、1本のタバコを取り出したマードックは目の前に患者がいるのをまるで気にする様子もなく、流れる様な動作でタバコを口元に運び、火を点ける。


「オメエも吸うか色男?」

「いえ、私は・・・」

「そうかい。だが、お前さんはちっとばかし力の抜き方ってのを覚えた方がいいな。肩に力が入りすぎてるから今回みたいな事になる」

先生ドクターの目からはその様に見えますか?」

「ああ、見えるね。これでも人生の半分以上この街で医者やってんだ。お前さんみたいな野郎はこれまでだって散々診てきてんだ。今更間違えるかよ」


マードックはその手に持ったタバコをフィーベルトの方へ向ける。


「真面目で実直なのは結構だが、お前さんみたいのは自分で自分を追い込むタイプだから息抜きの仕方ってのを覚えた方がいい」

「はぁ」

「個人的にはタバコなんかはオススメだ。コイツは余計な肩の力を抜くのに丁度いい」


マードックはそこまで話すと肺の中に溜まった煙をゆっくりと吐き出す。

患者にタバコを勧めるというのは医師として如何なものかと思わないでもないが、医師としての含蓄のある言葉はどこか説得力があり、自然と受け入れる事が出来た。


「では、タバコを1本頂けますか先生ドクター?」

「患者の求めとあっちゃ仕方ねえ。今回だけは特別にタバコ1本処方してやるよ」


フィーベルトの求めに医者とは思えぬ悪い顔で応じたマードックは、ポケットの中からタバコを1本取り出すとフィーベルトに差し出す。

左手でその一本を受け取ったフィーベルトはその1本を指先で持ったままマジマジと眺める。

フィーベルトの父も、母も、妻も、同僚や家の使用人の中にさえでタバコを吸う人間は今までは1人もいなかった。

そもそもがこういった嗜好品自体が祖国ではあまり出回っていなかった。

過去に一度だけ連合国軍の兵士から勧められて試した事はあるが、喉に入り込んだ煙に咽て盛大に咳き込んだ記憶からもう二度と吸う事はないと思っていた。

マードックから受け取ったタバコを見様見真似でタバコを口に咥えると、差し出されたライターでタバコの先に火を灯し、深く息を吸い込む。


「っ!?ゲホッ、ゴホッ」

「ハハハッ、何やってんだ」


涙目になって咳き込むフィーベルトの姿を見てマードックが可笑しそうに笑う。


「初心者が一気に吸い込みすぎなんだ。もっとゆっくりでいい」

「ケホッ、ゆっくりですか?」

「そうだ。タバコの吸い方も人生も自分に合ったやり方ってのがあんだよ」

「自分の・・・やり方」


マードックの言葉を噛みしめる様に口の中で反芻した後、フィーベルトはもう一度タバコを口に咥えてみる。

今度はゆっくり少しずつ、口内へと煙を取り込んでいく。

まだ喉や鼻に痛みはあるが、今度はさっきよりも全然耐えられるレベルだ。

結果として少しだけ煙を味わう余裕が生まれる。


「苦いですね」

「そりゃ~ただの煙だから旨かねえよ。だが、そいつが苦み走った人生の味ってヤツだ」


そう言って不敵な笑みを浮かべたマードックはもう一度煙を吹かして見せる。

そんな彼の背後に先程部屋を訪れた看護婦ナースが姿を見せる。


「もう、なに格好つけてるんですか先生ドクター。外来の患者さんが待ってますよ」

「おっといけねえ。サボリがバレちまった」

「そう思うんならちゃんと仕事してください先生ドクター

「テセリアちゃんに言われちゃ仕方ねえな。今日も年寄りから悪党まで相手に労働に勤しむとするか」


重たい腰を浮かせてマードックは立ち上がると廊下の方へ向かう。

部屋を出る直前、何かを思い出したように足を止めたマードックはフィーベルトの方を振り返る。


「そうだ貧乏色男。喫煙者デビューの祝いにコイツをやるよ」


そう言うとポケットの中に入っていたタバコの入った紙包みとライターを投げて寄越す。


「今後、この街で肩で風切ってくつもりならタバコの吸い方ぐらいは覚えておきな」

「それは教訓ですか?」

「違えよ。男の嗜みだ」


言いたい事だけ言うとマードックは今度こそ部屋を出ていく。

再び1人部屋の中に残されたフィーベルトは手に持っていたタバコを口元に運び、ゆっくりと苦しくならないペースで煙を吸い込む。


「やはりまだまだ苦いな」


この味に慣れるには今しばし時間が必要になりそうだ。

そんな事を考えながらフィーベルトは誰も居ない部屋の中で小さく息を吐きだした。

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