第104話 その身に宿した悪の性 1

クロードが前へと踏み出した一歩がジャリッという音を立てて瓦礫を踏みしめる。

息が詰まりそうな威圧感を放ち、前へと進み出たクロードを見てフィーベルトの体は思わず後ずさる。

今日まで幾多の戦場を駆けてきたフィーベルト・アルカインは戦場で数多の魔将、猛将と渡り合い、時には大型の魔獣とさえ対峙してきた。

そんな彼でさえ目の前の男に対し、畏怖の念を感じずにはいられなかった。

これ程の力強い気配を発する相手を前にするのは一体いつ以来だろう。

いずれにせよ自分が今まで出会った者の中ではトップクラスの実力者であろう事は最早疑うべくもない。

それ程の強者を前にしてフィーベルトは鋭い視線を向ける。


「確かに貴殿程の男であれば確かに彼女を倒す事も出来るだろう。ならば何故我が願いを聞きいれてもらえない!」


怒気を孕んだ声を上げるフィーベルトの問いに、クロードはゆっくりと歩を進めながら答える。


「何故も何もないだろう。アンタの願いを叶えたところで俺には何も得るものがない」

「それなら私には私の首には教会から多額の懸賞金が掛けられている。私を殺して骸をアーデナス教に引き渡せば大金が手に入るはずだからそれを報酬とすればいい」


以前自分の手配書を見た時の金額が確かならば一生を穏かに暮らせるだけの金が手に入るはずだ。


「額面の問題じゃないんだよ。第一にこの国はアーデナス教本部に嫌われていてな。その懸賞金とやらを受け取るには随分な手間と労力が掛かって非情に面倒だ」

「ならばどうして彼女だけ殺す。それだって手間には違いないだろう」

「そんな事は決まっている。アンタの邪精霊はこの悪党達にとって非常に迷惑この上ない存在だからだ」


精霊とは魔力と呼ばれる万能物質の集合体だ。

魔力があるからこそ存在する事が出来、なくなれば消滅するしかない。

人を喰らわなくては魔力を補給出来ないフィーベルトの邪精霊はフィーベルトが生き続ける限り彼を守る為に人を喰らい続けるしかない。

それはつまりここでこの邪精霊を見逃せば自分の仲間達に危害が及ぶ可能性は非常に高いという事でもあり、その危険性を排除するには邪精霊を倒す他ないという事だ。


「だったらそのついでで構わない。私も一緒に殺せばいい!今まで何人も殺しているであろう貴殿なら1人殺すも2人殺すも大した差ではないだろう」

「勘違いも甚だしいな。俺達は確かに悪党で人殺しもするが、殺しはあくまでビジネスの一環でやっているのであって別に殺人が趣味の変態という訳ではない。人を殺すのにだってそれなりの理由というものがいる。その点でいえばそっちの邪精霊には殺すに足る理由があるがお前にはない。ついでに言うとお前には生かしておけば利用価値がある」

「利用価値・・・だと」

「ああ、そっちの邪精霊は生かしていても邪魔なだけだが、術者のアンタは生かしたまま憲兵隊に引き渡せば小遣い程度にはなるだろうし彼等に恩も売れる。そっちの方がわざわざ危険な橋を渡って国外のイカレ教団相手に取引するよりはずっと楽でいい。他にも使いようによってはお前の身柄を第九区画の連中との取引材料にする事も出来る。向こうはアンタを血眼になって探している様だしな。こうなるとかえって使い道に迷うぐらいだ」


悪びれる様子もなくそう語るクロードにフィーベルトの体の中で血が湧きたつ。


「本気で・・・そう言っているのか?」

「当たり前だろう。そうでなければこんな所まで来て見ず知らずの男の相手などする理由が何処にある?」


クロードの答えを聞いてフィーベルトは悔しそうに歯噛みする。

目の前の男が最初から自分達を道具として利用する為にここまで来たのだという事を理解した彼は自分の甘さに落胆し、悪党などに少しでも人としての情けを期待した自分の愚かさを呪った。


「よく分かった。貴殿は・・・いや、貴様は骨の髄まで悪党なのだな」

「なんだ今更。その程度の事は最初から理解していると思っていたが?」


まるで当然の事と言わんばかりのその態度にフィーベルトの奥歯がギチッと音を立てる。

フィーベルトは足元に転がっていた長剣に手を伸ばすと、柄を握る誰のものとも知れぬ右手を引き剥がし、その剣先を正面に立つクロードへと向ける。


「もういい。彼女と共に死なせてくれないなら貴様に用はない」


怒りと殺意の篭った言葉と共に突き付けられた。

それを見てクロードは可笑しそうに笑う。


「用はないか。今更そんな事を言っても俺のやる事は変わらんぞ」


クロードの言葉に答える代わりにフィーベルトの目がギラリと怪しい光を放つ。

それと同時に目の前にあったはずの刃が忽然と姿を消し、クロードの喉元目掛けて銀色の刃が真横から迫る。

咄嗟に左手を上げ、右手の甲を盾にしてその一撃を受け止める。


「一応聞くが、こいつは一体何の真似だ?」

「私達の役に立たないならここで死ね。そして彼女の為の糧となれ」

「面白い事を言うな。やれるものならやってみろ」


瞬間、クロードの手の甲から刃が離れると同時に目の前を刃が走る。

一呼吸の間に上下左右から縦横無尽に放たれる斬撃に加え、最後に心臓目掛けての鋭い刺突。

並の者では一太刀見切るのも困難な必殺の連撃をクロードは両拳のみで打ち返す。


「まさか今のが全力なんて事はないよな?」

「・・・・」


自身の剣を簡単にあしらわれた事にもフィーベルトの表情は動かない。

クロードならばこの程度の事はやってみせるだろうと思っていたそういった顔だ。

ただ、その目の宿る殺意だけは確かに鋭さを増す。

初めてフィーベルトの見せた明確な敵意にクロードは余裕の表情で答える。


「アンタの本気を見せてみろ亡国の騎士」

「図に乗るなよ悪党風情が」


フィーベルトは両手で剣を握り締めると剣を腰溜めに軽く引くと、全身のバネを使って体を捻り、鋭い突きをクロードの顔目掛けて放つ。

その一撃を反射的に首を逸らして躱したクロードの耳元で風の切れる音がする。

しかし、フィーベルトの攻め手はそれで終わりではなかった。

突きが外れると同時にフィーベルトの左手が剣から離れ、クロードの顔目掛けて指を突き出す。

その意図を察した瞬間、体が動いて指が目に入る直前で相手の腕を掴む。


「躊躇なく目潰しとは恐れ入るな」

「悪人相手に卑怯も卑劣もない」


吐き捨てるように言ってフィーベルトはクロードの腕を振り払うと後ろへ飛び退く。


「オイオイ、もう逃げるのか」


後ろに逃げるフィーベルトを捕まえようとクロードが手を伸ばす。

それを阻む様にフィーベルトの影から女人狼が飛び出し、クロードに殴り掛かる。


「ガルァァアアッ!」


叫び声を上げ繰り出される邪精霊の右拳。

クロードは冷静に拳の出所を見極めてギリギリのタイミングで半身を反らす。

軌道上の標的を失った拳は空を切り、邪精霊の体がクロードの横を抜けていく。


「丁度いい。俺が用があるのはお前なんだよ」


自分の真横を通り抜けていく邪精霊の耳元でクロードはそう囁くと、すかさず体を反転させて相手の後ろに回り込み相手が振り返った所に合わせてその顔面を左フックで殴りつける。

攻撃を受けてよろめく邪精霊にそう言うともう一撃と拳を引く。

その刹那、クロードの背後に中腰に剣を構えたフィーベルトが立つ。


「獲った!」


隙を突く絶好の好機に剣閃が唸りを上げて走り、クロードの胴体目掛けて放たれる。

咄嗟に左腕でガードする様な動きを見せるが、そんな事で剣を止められはしない。

これ以上ない完璧な不意打ちでクロードの腕を容赦なく斬り落とす。そのはずだった。

だが、その刃はクロードの纏ったコートの生地さえ斬り裂く事無く腕に止められる。


「何っ!」


自分の斬撃がコートにかすり傷一つつけられなかったという事実を前にしてフィーベルトは驚愕する。


「無駄だ。この俺の身に着けた黒は全て俺の"相棒の領域"。腑抜けたアンタ如きの剣では傷一つつけられはしない」


そう告げたクロードは腕で止めた剣を肘で跳ね上げると、お返しとばかりに振り向き様にフィーベルトに向かって右拳を突き出す。

動揺から反応が遅れたフィーベルトはその一撃を避けられない。

そんなフィーベルトをクロードの拳が届くよりも早く横から邪精霊が抱き着いてかっさらっていく。


「ほぅ」


自分の目の前を凄まじいスピードで駆け抜けていった邪精霊にクロードは感嘆の息を漏らす。

どうやったかは不明だが先程の体勢を崩した状態から、一瞬で体勢を戻しただけでなくクロードの前から拳から契約者を守った。


「主を傷つけさせないとは大した忠犬ぶり。だが・・・・」


今の局面、フィーベルトを攻撃から守ったスピードと反応速度は確かに大したものだった。

しかし、その力を敵を倒す為でなく契約者を守る為に使ったのは大きな間違いだ。

おかげでクロードは相手にそういう動きが可能だという事を学習した。

もし今の動きをクロードへ奇襲として使っていれば、致命的な一撃を入れる事も出来たかもしれない。その機会を自ら手放したのは致命的だ。

攻めるべき時に攻められない者にクロードを倒す事は出来ない。


「そんな逃げ腰では俺には勝てないな」


クロードは懐から2枚の術符を抜くと、すぐ傍で地面に突き刺さっていた鉄骨に片方の符を張り付けて地面から引き抜く。

そのまま片腕で鉄骨を持ち上げたクロードは邪精霊の足が止まるタイミングを狙う。


「そこっ!」


邪精霊の動きが止まる瞬間、鉄骨がクロードの手から離れて矢の様に飛ぶ。

一直線に飛んだ鉄骨は寸分違わず目標を捉える。

直撃寸前、偶然後ろを振り返った邪精霊は視界に飛び込んできた鉄骨を見て即座に見えない魔法障壁を張って防御する。

進行を阻まれた鉄骨が空中で音も立てずに跳ね上がり宙を舞う。

しかし、クロードの攻撃はまだ終わってはいない。

跳ね返された鉄骨を眺めながらクロードは手にした符で適当に拾ったボルトに巻くとそれを手の中に硬く握りしめる。


「等しき物よ互いに結び合いて一つに集え。結合点集束コネクトティアフォーカス


詠唱の直後、クロードの手の中の符と鉄骨に張り付けた符が共鳴したかと思うと、鉄骨に張られた術符に手の中のボルトが引き寄せられる。

その力に引っ張られる様にしてクロードの体が空中の鉄骨に向かって飛ぶ。

一瞬にして空中の鉄骨に追いついたクロードは真下にいるフィーベルト達を見下ろす。


「もっと足掻いて見せろ」


呟きと共に再び鉄骨を掴んだクロードは真下に向かって鉄骨を思い切り振り下ろす。

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