第105話 その身に宿した悪の性 2

頭上に振り下ろされる鉄骨を前に、邪精霊は障壁を張ろうと真上に手をかざす。

だが、その手の先に術が展開されるよりも早く彼女の腕に抱えられていたフィーベルトが動いた。

自分を抱えていた人狼の腕からすり抜けると何を思ったのか両腕で邪精霊の体を真横から突き飛ばした。


「ガッ!!」


完全に虚を突かれた邪精霊は簡単に体勢を崩して鉄骨の軌道の外へと押し出される。

直後に両者の間を鉄骨が唸りを上げて通り過ぎ、地面を穿つ。

瓦礫と共に砂塵が巻き挙げられる中、地面を穿った鉄骨は衝撃に耐えられず鈍い音を立てて真ん中から破断し、折れた先端部分が回転しながら宙を舞う。


(なんだ仲間割れか?)


折れた鉄骨を挟んで左右に分かれた両者を見て一瞬そんな考えが脳裏を過ぎるが、視界に映ったフィーベルトの表情を見てすぐにその考えを捨てる。

必死なその表情からは仲間割れなんて考えは微塵も見られない。

むしろその逆、フィーベルトの邪精霊に対する想いの強さが色濃く見える。


(まったく、殺し合いの最中にそんな顔をする奴があるか)


恐らく今のはワザと術の発動を妨害したのだと思われる。

先程の術の魔力消費がどの程度のものかは分からないが、魔力補充の出来ないという性質から考えればそう無駄打ち出来るとも思えない。

クロードが来る前に獣人4人を喰らって魔力を補給したとはいえ、魔力内包量の少ない獣人を喰った程度で補給できる魔力などたかが知れている。

本来の魔力許容量の20%程度も回復してはいないだろう。

当然、そんな状態で術の乱発などしようものならすぐに魔力切れを起こし戦う為の肉体さえ維持する事が出来なくなる。

それどころか最悪の場合は命さえ危うくなるかもしれない。

フィーベルトはそれを危惧して魔力を節約させようとしているのだろう。

全てを失った筈の彼にとってあの邪精霊は手元にたった一つ残った大切な存在。

それに執着する気持ちも分からないではない。

だが、それは生き死にの掛かった今の様な局面で考えるべき事ではない。


(そんな甘い考えが通じる訳がないだろう)


地面に着地したクロードは素早くフィーベルトの方へと体を向けると、手に持っていた折れた鉄骨を思い切り投げつける。


「こんなもの!」


自身に向かって飛んでくる鉄骨に向かってフィーベルトは剣を振り上げる。

手にした剣の刀身よりも遥かに分厚い鉄骨が空中でバラバラに裂ける。

だが、そうなる事はクロードとて理解している。

クロードの狙いは最初からフィーベルトではない。


(あの男を狙えばお前は黙っていられない。そうだろう?)


クロードが振り返ると人狼がフィーベルトを救援しようと動き出していた。

両の掌を後ろに向けたと同時に人狼が上体を僅かに後ろへと逸らす。

瞬間、人狼の体が何かにぶつかったかのように大きく弾み前へと出る。


(そいつが急加速の正体か)


自身の後方へと空気の障壁を張り、その弾力を利用して反動をつけて体を押し出す。

一見すると簡単そうに見えるが、目視不能な不安定な空気の壁を利用するのは簡単な話ではあるまい。

しかも強引な加速を行うが故にこの技には大きな欠点がある。


「それでは自由に急停止は出来まい」


クロードは宙を舞っていた鉄骨のもう半分を掴むと、その剛腕を振るってフィーベルトの元へと走る邪精霊の足下目掛けて投げつける。

フィーベルトの姿しか目に入っていなかった邪精霊は真横からの攻撃に気付かず、簡単に攻撃を受けて派手に転倒する。


「すぐにその核を抉りだしてやろう」


悠然とした足取りで地面に転がった邪精霊へと向かうクロード。

そんな彼を阻止しようとフィーベルトが背後から斬りかかる。


「やらせはしない!」


クロードは振り下ろされる刃を後ろを振り返る事無く左腕で受け止める。


「なんだ王国騎士というのはこんなものか?」

「くぅっ!まだだ!」


フィーベルトはクロードの腕に阻まれた剣を支点として体を捻り、右足をクロードの後頭部を目掛けて振り抜く。

だがそれもクロードに首を傾けただけで容易く躱される。


「駄目だな。まるでなっちゃいない」


言葉の終わりに放たれた右拳がフィーベルトの脇腹に深く突き刺さる。


「ウグァッ」


衝撃で喉の奥から空気が漏れ、痛みに目を見開いたフィーベルトの体がくの字に折れ曲がる。

両膝から力が抜けてその場に崩れ落ちるフィーベルト。


「アァ・・・・ガッ・・・・」


声にならない声を発しながら、フィーベルトは涎を垂らし地に伏す。

戦う前からクロードとの間に実力差がある事は分かっていたつもりだ。

それでもまさかこうも一方的にやられるとは思っていなかった。


「まさか・・・ここまで・・・・・力の差が・・・」

「アンタは本気でそんな事を思っているのか?」

「どういう・・・意味だ」

「仮にも一国の主力だったアンタが本来の力が出せていれば俺に一撃も入れられないはずはない。そう言っている」


クロードはやれやれと肩を竦めてるとフィーベルトを見下ろす。


「では何故未だに一撃も当てられないのか?そんな事は決まっている。それはアンタがあの邪精霊も自分自身の力も使いこなせていないからだ」


クロードは自身の後ろで起き上がろうと上体を起こす邪精霊を親指で差し示す。


「そもそもあの邪精霊に対する認識自体、アンタは大きく間違っている」

「なん・・・だと?」


怪訝な顔で見上げるフィーベルトにクロードは自分の考えを伝える。


「考えてもみろ。あの邪精霊が誰の為に体を張り、命である魔力を削って無茶な戦いを続けているのかを。アレは最初から暴走なんてしていない。現に今日までずっとアンタの事を守り続けてきたはずだ」

「それは・・・」


突き付けられた事実にフィーベルトの視線が泳ぐ。

動揺からか自分の心臓の音がやたら大きく聞こえる。


「違うと言い切れるか?だがもし本能で暴走して人を襲うなら今頃悪党以外の大勢の人間が犠牲になっていなければおかしい。しかし現状そうはなっていない」

「なら・・・昨晩ルティアくんに襲い掛かったのは・・・どう説明する」

「名前を呼ばれた事で追手と勘違いでもしたんだろう。本当に理性がないなら昨晩の俺との戦いで逃げたりはしなかっただろう」

「・・・・」


クロードの言葉にフィーベルトは何も言い返せずに下を向く。


「あの邪精霊に過去の記憶や知識はないかもしれない。だがアンタが考えるよりも本当はずっと理性的だ。だから今の姿になる前の約束なんかを今でも必死に守り続けている」

「馬鹿な。それなら・・・傍にいる私が気付かないはずは」

「アンタ達は互いを守ろうとする思いが強すぎたんだ。それこそ過保護なまでにな。だから大事な事が見えなくなっていた。お互いの事が見えていないから折角の攻撃の機会を見逃すばかりか互いに足を引っ張りあう事になる。そんな中途半端な攻めでは俺に勝つ事はおろか掠り傷一つ負わせる事も出来はしない」


クロードは言いたい事を言い終えるとフィーベルトの顔面を足で蹴り飛ばす。

フィーベルトは顔面を襲った鋭い痛みに苦悶の表情を浮かべ口から血を撒き散らしながら床の上を転がる。


「グァアアアアッ」

「本気で勝つつもりがあるなら互いにかばい合うのではなく覚悟を決めて2人掛かりで攻めて来い。そうすれば一撃ぐらいは当たるかもしれんぞ」


それだけを言い残すとクロードは顔を抑えて蹲るフィーベルトに背を向ける。


(さて、問題はこの後でまだやる気が残るかどうかだが・・・)


フィーベルトを置き去りにクロードは邪精霊を仕留めるべく歩みを再開する。

そんなクロードの背中に向かって追い縋る様にフィーベルトは手を伸ばす。


「行かせは・・・・しない」

「ほぅ」


頭が眩む様な激痛が顔中に広がり喋る事にさえ苦痛を伴う中にあって尚、それでも瞳の中の光は消えてはいない。

その不屈の闘志を目の当たりにしたクロードの心が昂る。


(そうだ。それぐらいの闘志は見せてもらわなくては困る)


クロードは後ろを振り返って拳を握りしめると、フィーベルトの頭目掛けて拳を振り下ろす。


「ディベル!空撃杭穿エアロバンカーだ!」

「ガァッ!」


フィーベルトの声に反応した人狼が叫び声を上げて右手を前にかざす。

瞬間、見えない何かが手の先から放たれ、クロード目掛けて一直線に飛ぶ。

咄嗟に身の危険を感じたクロードはフィーベルトの手を蹴とばして真横に飛び退く。

直後、自分の体があった場所を風が通り抜けてその先にあった大きな柱に命中して大穴を開ける。


(あの破壊力、まるで見えない大砲だな)


流石にあの威力をアジールの援護なしで受ければクロードとて無事では済まない。

そんな事を考えながら穴が開いた柱が倒壊するのを眺めている間に、剣を支えに立ち上がったフィーベルトがゆっくりとクロードの方を向く。


「まだ半信半疑だが、どうやら貴様の言った事は正しいらしい」

「良かったな。相方が死ぬ前にその事が分かって」


自身の呼びかけに答え、邪精霊が術を放った事で彼の中で何か気付きがあった様だ。

後はこの結果が彼の生きる為の望みになればいいが、そううまく事は運ばない。


「ああ、だから早々に貴様を倒して今度こそ確実に2人で死ねる場所を探そうと思う」

「まだ、そんな事を言っているのか。何故そこまで死にたがる」

「そうでなければならないのだ。このまま2人で生き続ける事を選ぶのは信じた正義に背く事であり、それはあまりに残酷であまりに罪深い」

「この期に及んでまだそんな事を・・・」


自殺という結論を変えられないフィーベルトをクロードは忌々しそうに睨み付ける。


「散々殺してきたアンタがどうしてまだそんな正義なんかに拘るのか理由が分からんな」

「ああ、まったくだ。だからこれを最後にしよう。貴様の命を彼女に喰わせたらこの地を離れどこか人の居ない所で2人の最後の時を迎える事にする」

「そんな事が出来ると思うのか?」

「分からない。だが願いを叶える為にもここからは2人掛かり、全力で手向かわせてもらう」


覚悟を決めたフィーベルトの真っ直ぐな瞳がクロードに向けられる。

背後ではその意思に答える様に人狼がクロードの背中を睨み付ける。

前後から鋭い視線を向けられたクロードは小さく溜息を漏らす。


「いいだろう。だったら俺はこの拳でお前達の死への願いを跡形もなく打ち砕くだけだ」

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