第100話 マフィアの選択肢

人喰い餓狼ことフィーベルト・アルカインとの遭遇から一夜明けた朝。

クロードはボルネーズ商会の事務所内に置いてあるソファの上で目を覚ます。


「くぁ・・・」


自然と込み上げてきた欠伸を噛み殺しながらクロードは上半身を起こし、薄目で辺りを見渡す。

事務所内はシンと静まり返っており、自分以外に人の気配を感じない。

窓枠に掛かったブラインドの隙間からは微かに陽光が差し込んでいるのが見える。


「もう朝か?」


虚空に向かって1人呟いてみるが返事はない。

どうやら相棒の方はまだ夢の国から帰ってきていないらしい。

仕方なく時間を確かめようと壁に掛かった時計を見ると時計の針は6時を少し回った所だった。


(横になって3時間。少し寝すぎたな)


昨夜の戦闘の後、アイラとルティアを送り届ける為に家へと戻ったクロードだったが、自身が不在にしている間に溜まった書類がまだ大量に残っている事もあり、2人を送ってからそのまますぐに事務所へとんぼ返り。

それから3時間前まで1人で溜まった書類を片付け、仕事が一区切りついた所でソファで横になった。


(まだ約束の時間までかなりある。もう少し仕事を片付けておくか)


まだ気怠さの残る体を強引に動かしてソファから立ち上がったクロードは、洗面所で顔を洗ってから見積りやら会計やらの書類が積まれた自分のデスクへと戻って仕事を再開する。

とてもこの後で裏社会で恐れられる人殺しとの戦いが待っているとは思えない程、普段通りに落ち着いている。

別にこれから戦う相手の力を軽視しているつもりはない。

ただクロードもこの暗黒街で10年を生き抜いてきた男。

今更殺人鬼の1人や2人を相手にするのにいちいち慌てたりする様な青臭い若造ではない。


「むぅ、まだ少し眠いな。コーヒーでも淹れるか」


しばらく経ってから少し眠気を感じてコーヒーでも淹れようとクロードが席を立った丁度その時、誰かが事務所のドアを開けて入ってくる。


「おはようございます。フリンジの叔父貴」

「ん?おお、クロードか」


誰もいないと思っていた事務所の中から聞こえた声にフリンジは少しだけ驚いた様な顔をする。


「今日は随分早いな。何かあったか?」

「いえ、溜まっていた書類が中々片付かなくて泊まりになっただけです」

「な~にぃ~」


クロードの返答にフリンジの顔がみるみる不快気に歪んでいく。

が、それもほんの一瞬の事。すぐに呆れた様な表情に変わって大きく溜息を吐く。


「はぁ~、お前というヤツは休むという事を知らんのか?」

「いえ、仮眠ならさっき3時間ほど取りました」

「3時間って馬鹿野郎。そんなもん休んだ内に入るか!」

「はぁ、すみません」

「まったく、仕事熱心なのは結構だが少しは限度ってもんを考えやがれ」


以前から何度言っても治らないクロードの仕事中毒にフリンジは頭を悩ませている。

フリンジの下で働き始めた最初の頃はそうでもなかったのだが、専務の仕事を任せるようになる少し前から段々と休みを取らなくなっていった。

ある年などは年間通して取得した休みが10日に満たなかった事さえある。

放っておくといつまでもクロードが働き続けそうなので今では月に最低でも3回は必ず休みを入れる事を社長命令とし厳命している。

それでもたまにこうしてオーバーワークをしている所を見かける事がある。

フリンジはなんとかこの仕事中毒者ワーカーホリックを休ませる方法はないかと考えをを巡らせる。


「お前の仕事。誰か他の奴には任せられんのか?」


フリンジの提案にクロードが思わず苦笑いを浮かべる。


「叔父貴だってご存知でしょう。ウチの連中は喧嘩と肉体労働は得意でも頭脳労働が得意な奴はほとんどいない事は」

「そうだった。ウチには馬鹿しかいなかった」


フリンジはしまったと言わんばかりに額に手をやるとガックリと項垂れる。

いくら日頃真面目に仕事をしていると言っても所詮は暗黒街の荒くれ者達。

頭よりも体を動かす事の方が得意な者の方が圧倒的に多い。

まともに頭脳労働が出来るのはフリンジとクロードを除けばオックスとドレルとバーニィ。あとはかろうじてロックが含まれる程度だ。


「そうだ。社内にロクな野郎がいねえなら新しく内勤でも雇うか」


これは名案だと言わんばかりにフリンジは1人で何度も頷く。

幸いにもクロードのこれまでの活躍によって事務所の稼ぎは良好であり、内勤を団体規模で雇っても問題ないぐらいの稼ぎは十分にある。


「折角だから雇うなら女子にしよう。若くて可愛いの2人、3人雇えば馬鹿共もちったあやる気出して働くだろうし」

「こんな強面の野郎が一日中出入りしてる様な事務所に来てくれる物好きな娘がそうそういるとは思えないんですが」


こんな悪党しかいない事務所に好んで近づく様な女などせいぜいラビぐらいのものだ。


「グッ!だったら男でも構わねえが・・・」

「男だとしても喧嘩も出来ない様なもやし野郎はやめた方がいいですよ」

「どうしてだ?」

「ただでさえウチで働くのはリスク高いですからね。流石にもう昔みたいに事務所にカチ込んでくる馬鹿はいなくなりましたが、それでもウチが荒事に関わる事が多い事には違いありません。ある程度腕っぷしの立つ人間でないと揉め事に巻き込まれた時に命が危ないです」

「だったらウチの若いのを送り迎えにつけてやればいい」


フリンジの口にした案にクロードは首を左右に振って否定する。


「四六時中強面の野郎に周りを付きまとわれたら一般人じゃ精神がもちません」

「そうか?トムソンならギリギリなんとか・・・」


トムソンはファミリー内でも1、2を争う馬鹿者だが何故か人には好かれる。

確かに彼ならば余程の人見知りでもなければトムソンでも大丈夫だろうが、問題はそこではない。


「人件費のコストが余計にかかるので推奨できません。それに一般人のメンタルでウチの連中を相手にするのは難しいと思いますよ」


ただでさえ悪党揃いの暗黒街でも選りすぐられた生え抜き揃いが集まる事務所だ。

並のメンタルでは1日に居るだけで精神がすり減って胃に穴でも開きかねない。

クロードの言っている事はもっともだが、どこか釈然としないフリンジは憮然とした表情をする。


「クロード。お前さっきからやけに否定的だな」

「そんな事ありませんよ。それより叔父貴もコーヒー要りませんか?」


いつの間にかコーヒーを淹れる準備を終えたクロードがフリンジに尋ねる。

あからさまに話題を逸らしに来たクロードにフリンジは再び呆れた顔をする。


「・・・分かった。熱いのをブラックで頼む」

「はい」


このまま話を続けても自分に分がないと判断したフリンジはこの話は一旦見送る事にする。もちろん諦めた訳ではない。

クロードが2つのコーヒーを淹れ終わるのを待ってから、2人はソファの位置へと移動してテーブルを挟んで向かい合って座る。


「にしてもチクショー。いいアイデアだと思ったんだがな~」

「叔父貴。その話はもういいでしょう」

「うるせえ。愚痴ぐらい好きに言わせろ」

「すいません」


苦笑するクロードを見て不機嫌そうにフリンジが愚痴を零す。


「どっかにいねえかなあ。頭が良くて腕っぷしのいい命知らず」

「・・・・・・そうですね」


フリンジのその一言にクロードは1人の男の姿を頭の中に思い浮かべる。

それは昨夜自分達の前に現れた人喰い餓狼と呼ばれる殺人者。

フィーベルト・アルカインなる人物の事だ。


(あの男ならあるいは叔父貴が求める人材に当てはまるかもな)


クロードがそんな風に思うのは昨晩家に帰る道筋でルティアからあの男についての話を聞いたからだろう。

ルティアの話では彼は元々ノグレアデス公国というアーデナス教の勢力圏内のはずれにあった小国であり、彼はその国で若くして上級大将に任じられた人物なのだそうだ。

その実力は国でも十指に入る武芸の腕を持つだけでなく精霊術師としても一級実力を有しており、さらに軍事においては作戦参謀を兼務するほどのキレ者。

本人が望まなくともいずれは国家の中枢を担う人物として周囲から期待されたエリートの中のエリートだったそうだ。


(それ程の人物が今や暗黒街の悪党を相手に自分を殺してくれる相手を捜し回る程落ちぶれるとはな。本当に人生と言うのは何が起こるか分からないものだな)


かくいう自分も人の事を言えた義理ではないなと自嘲する。

昨夜出会った時はあの男の事情に興味などなかったが、彼が落ちぶれた理由についてルティアから心当たりを聞いてからはどうも他人事とは思えなくなっていた。

あの男の辿った道程はどことなく自分に似ている気がする。


(やはり他人の事情など知るべきではないな)


相手に対する余計な情は時に自身の足枷となる。

それはこれまでの人生で嫌と言うほど味わってきた。

それでも一度気になってしまうとその事を気にせずにはいられないのが自分の中にある人としての甘さなのかもしれない。


「ちなみに叔父貴がもし今言った条件にあう相手に敵として出会ったらどうします?」

「そんなもん決まってるだろ。速攻でウチに寝返る様にスカウトする」

「相手が断ったら?」

「そんなもん。一辺ぶん殴ってみて気が変わらないか確かめるだろ」

「強引ですね」

「当たり前だ。俺達はマフィアだからな」


そう言うとフリンジはニヤリと悪党らしく悪い笑みを浮かべる。


「俺達がどこかのお堅い軍隊とかなら敵は問答無用で殺せとなるだろうが生憎と俺達は軍人じゃない。ファミリーの敵になるヤツはぶっ潰すが、利用できそうなものがあるのにそれを確かめもせずむざむざ潰す様な馬鹿でもない」

「そうでしたね」


クロードは現在拷問部屋で尋問担当をしているゼドの事をふと思い出す。

彼も元々は敵対組織の人間だったが、彼の事情を知り、その能力や人柄までも考慮した上で味方にする価値ありと判断してこちら側に引き入れたという経緯がある。

利用できそうなものは利用する。それもまたマフィアの流儀。

敵を殺すだけが能じゃない。


「何だクロード。心当たりでも居たか?」

「さあ、どうでしょうかね。今はまだなんとも」


意味ありげに呟いたクロードは手元のコーヒーカップを口元に運び中身を啜った。

それからしばらくフリンジと仕事の話やプライベートの話を他の社員が出社するまで続けたクロードは約束の時刻に間に合う様に事務所を後にする。


「この後どうするんだいクロード」

「さて、どうするかな」


肩の上に乗せた相棒の問い掛けにクロードは少し思案顔をする。

考えるべき事は決まっている。何がファミリーにとって利益となるかだ。

その選択肢の中には先程フリンジが口にしていた方法も含まれる。

もっともその選択肢を現段階であの自殺志願者が受け入れるとは到底思えないが。


「まずはヤツが生きたいと思う理由が必要か」

「何の話だい?」

「別に大した事じゃない」


アジールの問いに適当に答えたクロードの鼻先をどこからか漂ってき匂いが掠める。

この通りでは何度か嗅いだ事のある匂いの出所に視線を向けると、この辺りで新しく開店して以来人気急上昇中のベーカリーが見えた。


「パンか」


そういえば朝目覚めてから何も食事を口にしていなかった事を思い出す。

それと同時にグァドが口にしていた人喰い餓狼についてのある情報を思い出す。


「何を選ぶにしてもまず話の取っ掛かりぐらいは必要か」

「?」


訳が分からずに肩の上で首を傾げるアジールを余所に、クロードはベーカリーの方へと足を向ける。

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