第98話 悲劇の将校

フィーベルトの放った言葉にかつての彼を知るルティアは言葉を失う。


「私と妻をって、アルカイン卿どうしてそんな事を・・・」


かろうじて声を絞り出したルティアは口元を抑え悲痛な表情を浮かべる。

そんな彼女の声が男の耳に届き、フィーベルトの虚ろな目が少女の姿を捉える。


「ああ、誰かと思えば君はルティア・ディ・フィンモールじゃないか。まさかこんな形で再会するとは思わなかったよ」


今頃になってようやくルティアに気付いたフィーベルトは何年か振りに見た少女に向けて力のない笑みを返す。


「随分と久しぶりの再会だというのに格好悪い所を見られてしまったね」

「私の事はいいんです。それより何故自分を殺してほしいなんて言うんですかアルカイン卿!精霊術師として新米だった私を指導してくれた貴方はそんな事を言う人ではありませんでした!」


ルティアの叫びにフィーベルトはどこか遠くを見る様に目を細める。


「何故・・・か。私の身に何があったのかはあの国で精霊術師をしていた君なら多少は事情を知っているんじゃないのか?」

「っ!?それは・・・」


フィーベルトに水を向けられたルティアは何も答えられずに下を向く。

どうやらルティアはこの男が抱える事情について何かを知っているらしい。

2人の様子から察するに余程の出来事があったのだろう。

だが例えどれ程の事情があろうと、それはクロードにとってどうでもいい事だ。

そもそもこの国の暗黒街に流れてくる様な者は大抵何かしらな事情を抱えている。

クロード自身も人に言えない事情を抱えている身の上だ。

だからだろうか、目の前の男を特別に不幸だとも哀れだとも思わない。


「よく分からんが昔話がしたいのなら他を当たってくれ。こちらも自殺志願者の長話に付き合ってやる程暇じゃない」

「それはすまなかった。確かにこちらから頼み事をしようというのに貴殿への誠意が足りていなかった。その点については心から謝罪しよう」

「別にアンタに謝って欲しい訳でも、誠意とやらを求めた覚えもないのだがな」


簡単に頭を下げるフィーベルトにクロードは冷めた視線を向ける。


「そもそも何故俺の様な一介のマフィアに自殺の手伝いなど頼む。そんなものは他人になど頼らず人目に付かない所で自分で勝手にやるものだ」

「・・・・そうですね。全くもってその通りだ」


クロードの返答に自嘲する様な笑みを浮かべたフィーベルトは何も言わずに腰に携えていた剣を抜いて、その剣先を自分の胸元へと向ける。

突然フィーベルトの取った行動にルティアの表情が青褪める。


「早まってはいけませんアルカイン卿!」

「ヌンッ!」


ルティアが止めるのも聞かずフィーベルトは自分に向かって剣を突き立てる。

だが、その手の剣が彼の体を貫く事はなかった。

ギィンッという金属音の後、真ん中で二つに折られた剣の先が宙を舞いフィーベルトの背後に乾いた音を立てて落ちる。


「グルルルルッ」

「やはり死なせてはくれないのだね。ディベル」


折れた剣を見下ろしながらそう呟くフィーベルトの前、彼の持った剣を砕いたのは他でもない彼のみに宿した女人狼の姿の邪精霊だった。


「なんとっ!」

「はっ、速い!」


それはまさに一瞬の事だった。

直前までグレイギンと格闘戦を演じていたはずの邪精霊は、主の危機に目前の強敵に簡単に背を向けたかと思うと電光石火のスピードでもって主人の元へ駆けつけその手の剣を叩き折ったのだ。

その光景を見せられたクロードは不快気に表情を歪ませる。


「今のは一体何の真似だ」

「言葉で語るより実際に見てもらった方が理解が早いと思っただけですよ」


そう語ったフィーベルトは目の前に立つ邪精霊を悲し気に見つめ、その頬にそっと自分の手を沿える。

彼が目の前にいる邪精霊に向ける瞳の中には哀れみや情愛といった相手を慈しむ感情に満ちているような気がした。


「御覧頂いた通り、私の契約精霊は私の意に反して死ぬ事を許してくれません。なので私は誰かの手を借りないと1人では死ぬ事もままならない状況なのですよ」

「で、今の茶番を見せれば俺がお前の頼みを引き受ける気になると?残念だったな。生憎と俺はそんな事で他人の自殺に付き合ってやる程お人好しじゃない」


クロードは目の前のフィーベルトに詰まら無さそうな視線を向ける。


「話を聞いて一体どんな奴かと思って少し期待していたんだが期待外れもいい所だな。悪いが死にたがりの助けなど御免被る」

「それは私の願いを叶えてもらえないという事ですか?」

「当たり前だ」

「そうですか。やはり引き受けてはもらえないですか」


心底残念そうに口にするフィーベルトだが、その表情はさして困窮している様には見えない。

いや、むしろどこか余裕染みたものを感じる。


「確かに貴殿としては迷惑な上に面倒でしかない話。引き受けてもらえないのは致し方ありません。ですが貴殿は私をこのまま放っておく事も出来ないでしょう」

「・・・どういう意味だ?」

「貴殿は組織の上から私の事を始末しろと言われているのでしょう?」


どこか余裕を感じさせるフィーベルトの物言いにクロードは怪訝な顔をする。


「何の事を言っているかさっぱり分からないな」

「そうですか。なら私の勘違いだったという事にしておきましょう」

「・・・・・」


恍けてはいるが明らかにこちらの動きを見越した物言い。

どうやらこちらの事情についてもある程度情報を得ていると見るべきだろう。


「貴殿が引き受けてくれないのなら仕方ありません。とはいえ私もこのまま引き下がる訳にはいかないのです。貴殿が私達を殺してくれないのなら他を当たります」

「他だと?」

「そうですね、試しにこの第七区画中のマフィアを片っ端から当たります」


そう言って意味深な笑みを浮かべるフィーベルトにクロードは舌打ちを返す。

どうやらこの男、ただの自殺志願者という訳ではないらしく頭も回る様だ。

今の言葉を聞いた以上、クロードは絶対にこの男を見過ごす事は出来ない。

このままこの男を放置すれば間違いなく味方に被害が及ぶ事は明らかなのだから。


「まさかとは思うがアンタが第九区画で名のある連中ばかり狙ってたのは単に自分を殺してくれる相手を捜していただけか」

「ええ、その通りです。悪党ばかり狙っていたのも間違って殺してしまっても左程世の中の迷惑にはならないと考えたためです」


まるで悪びれる様子もなくそう言い切るフィーベルト。

こういう自暴自棄の癖に変な所で理性的な輩というのは今まで何度か見てきたが、守るべき物がない分責め気が強く非常に厄介だ。


「身勝手極まりない男だな。お前」

「マフィアからそんな事を言われる日が来るとは私も思いませんでしたよ」


自嘲する様な笑みを浮かべたフィーベルトは炎の中に立つクロードに向かって問いかける。


「さあ、どうします?先程の私の話を聞いてもまだ"私達"を放っておきますか?」


フィーベルトの問いにクロードは大きく溜息を吐いた後、両拳を固く握り締めてから目の前に立つ睨み返す。


「いいだろう相手をしてやる。ただし、舐めた口を叩いた代償は死なんて生温い終わりで償えると思うなよ」


目の前の標的に向かって一歩前に踏み出すクロード。

そんな時、敵に向かうクロードの背後からアイラが声を上げる。


「お取込みの前に少しよろしいでしょうか?」

「どうしたアイラ?」

「いえ、少しそちらの方に死ぬ前に尋ねておきたい事がありまして」


そう言ってアイラはクロードの向こう側、邪精霊の背後に立つフィーベルトを見る。


「何でしょうかエルフのご婦人?」

「いえ、大した事ではありません。貴方が旦那様の手で殺されようがどうしようが一向に構わないのですが、何故この場にいない奥方を道連れにしようとなさるのかそれだけが分からないのです」

「アイラさん?」


いつもの優し気な印象からは掛け離れた冷たい表情を見せるアイラにルティアは思わず身震いする。

まるで氷の仮面の様にその表情からは温度というものを感じない。


「この場にいないですか。ご心配なく妻もこの場に居ますから」

「えっ!」

「まさか!」


予想だにしなかったフィーベルトの答えに全員の視線が自然と彼の庇う様にして立つ邪精霊の方へと集まる。


「そうです。お察しの通り貴方達の目の前にいるその邪精霊こそが私の最愛の妻であるディベルと私が契約を結んだ精霊であり掛けがえのない友ヴェルダが一つとなった姿なのです」

「馬鹿な。そんな事が!」

「嘘・・・ですよね」

「残念ながら事実です」


フィーベルトが語った衝撃的な内容にアルマは驚きを隠せず、ルティアは信じられないと言った様子で言葉を詰まらせる。

一方、同じ答えを聞いていたアイラはフィーベルトに向かって頭を下げる。


「そういう事でしたか。知らぬ事とはいえ失礼を申しました」

「いえ、お気になさらず」


別にアイラが本気で謝っている訳ではないしフィーベルトもその事は理解している。

そもそも形はどうであれ心中をしようというのだから理解されなくて当然だ。


「お詫びと言っては何ですが旦那様に代わって私が貴方を殺します」


そう言って一歩前に踏み出したアイラをクロードが手で制する。


「やめろアイラ」

「しかし旦那様・・・」

「2度は言わない。いいから早くグレイギンを下げろ」

「・・・畏まりました」


クロードに言われてアイラは自身の精霊に向かって右手をかざす。


「戻りなさい」


アイラの言葉に呼応して黒鎧の首無し騎士の姿が煙のように掻き消える。

直後、アイラの体がよろめいたのでルティアは慌てて彼女の体を支える。


「大丈夫ですかアイラさん」

「ええ、少し疲れただけです」


そう答えたアイラの表情には明かな疲れの色が見て取れる。

どうやら邪精霊を実体化し制御し続けるのは相当体力を消耗する様だ。


「すまないがルティア嬢、アイラを連れて少し離れてくれ」

「クロードさんは?」

「俺は今からこの死にたがりに第七区画のマフィアの恐ろしさを教えてやる」


コートのポケットから黒の革手袋を取り出しながら、クロードは炎の中を進む。


「先に言っておくが今までお前が相手にした連中と同じとは思うなよ」

「それこそが私の望む所です。むしろ今までの屠ってきた者達の様に簡単に死んで失望させないでほしい」

「減らず口を」


徐々に大きくなる敵の気配に女人狼がクロードの方を振り返る。

今までに感じた事のない異質な気配に牙を剥き敵意をあらわにする邪精霊。

常人であればそれを受けただけで卒倒しそうな程の殺意を向けられたクロードは圧力を涼しい顔でそれを受け流し、邪精霊の前に立つ。


「邪精霊とはいえ女を殴るのは気が引けるが仕方ないな。まずはお前に大人しくしてもらうとしよう」

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