第87話 観劇の合間に
リットン・ボロウ暗殺事件から4日が経過。
第八区画で最大の勢力を誇るマフィア、ガルネーザファミリーは未だ混乱の渦中にあった。
幹部3人を一度に失う事という異例の事態が起こるなど誰も想定していなかったのだから当然だ。
特に資金面で大きな役割を担っていたリットンが抜けた穴は大きく、同じ幹部や自分の部下にすら秘密にしていた独自の資金集めルートやノウハウの大半が失われた。
しかも後ろ盾だった憲兵局長のミュハトまで失ってしまた上に、その殺害容疑で憲兵局から目を付けられて下手に動く事が出来なくなっただけじゃなく、今までの様な強引なシノギが出来なくなってしまった。
これに激怒した首領ナレッキオは所構わず当たり散らす始末。
その怒りは凄まじくあれ程豪奢だった屋敷が一夜で半壊し、屋敷の中にいた構成員が巻き込まれて十数名程が死亡した。
とてもじゃないがそんな状況で余所者であるクロード達の面倒まで見ている余裕はない。
むしろ完璧に疑いが晴れた訳ではないクロードをこのまま屋敷に置いておくと何か起こるか分からないという危惧もあり、クロードとヒサメはその日の内にナレッキオ屋敷から追い出される事となった。
この時点で既に当初の目的は達成していたのでそのまま第七区画へ戻っても良かったが、一応視察という建前でこの地に赴いているのでスケジュール通り滞在を続ける事にした。
その際、ドルバック派を代表してモウストから滞在期間中の拠点と街の案内役の手配の申し出を受けた。
ドルバック達との間に結んだ協力関係は表沙汰にしていないのであくまで監視の為という名目ではある。
とはいえ今までの様なガチガチの監視体勢ではなくなったので、ある程度自由に行動が出来る様になった。
なのでここ数日の間は案内役を伴ってあちこち好き勝手に出歩いて街を見て回っている。
昨日などは目的の1つだった工業地帯も見学する事が出来て、クロードにとっては大変有意義な時間を過ごす事が出来た。
しかしそれはあくまでクロードにとっての話であり、その際に同行したヒサメは終始退屈そうな顔をしていた。
(当初の計画も達成したし目ぼしい物は大体見た。ヒサメには手間を掛けさせた事だし、最後の1日ぐらいは行きたい所に連れて行ってやるか)
どうやらヒサメにはこの第八区画内に行きたい場所もある様だし、それがいいだろうとクロードは工業地帯から宿へと帰る馬車の中でそう決めた。
そして宿での夕食の時間、クロードはヒサメにどこか行きたい場所はないかと尋ねた。
クロードからの問いにしばし考え込む様子を見せた後、ヒサメは着物の袖から一枚の紙をクロードの前へと差し出す。
「それが・・・・見たい?」
「いや、聞いてるのは俺の方なんだが・・・」
何故かまた疑問形で返すヒサメに呆れつつ、クロードは差し出された紙に視線を落とす。
差し出された紙は新聞の記事の切り抜きで、そこには第八区画内にあるイベント会場で行われているある催し物の特集がされていた。
「サーカスか。意外だなヒサメがこういったものに興味を示すなんて」
「駄目・・・だった?」
「いいや、そんな事はない」
むしろクロードもこちら側のサーカスがどの様な演目を行うのか興味がある。
もっともヒサメの様に純粋な好奇心ばかりではない。
今後の何かしら商売に利用できないかといった打算的な考えも含まれている。
「上演は今週いっぱいか。なら明日はこれを観に行くとするか」
「・・・分かっ・・・た」
タバコ片手にそう答えたクロードにヒサメはどこか照れたように俯く。
その様な経緯を経て今、クロードとヒサメの2人は第八区画最大の公園に特設されたサーカス用のテントの中にいた。
場内は珍しいショーを一目見ようと集まった客で埋め尽くされており、大いに賑わっている。
「想像以上の客数だな」
「満員・・・御礼」
「お前が御礼してどうする」
ヒサメの発言にツッコミを入れつつ、クロードはもう一度場内を見渡す。
クロードのいたあちら側と違ってこちら側はまだ大衆向けの娯楽といったものは少ない。
思いつく娯楽と言えば楽団によるコンサートやオペラ、ミュージカルの様な演劇、あと他区画では格闘大会といったものもあるが、どれも富裕層向けのコンテンツであり値段が高く大衆向けとは言えない。
そういう点で見ればこのサーカスというのは観劇の値段も庶民の手の届く範囲であり数少ない大衆娯楽と言えるだろう。
ここにいる者達は皆そんな数少ない娯楽を求めこの場に足を運んだのだろう。
(大衆向け娯楽の提供か・・・、まだ競合相手が少ない今ならうまく立ち回ればデカい儲けを生む事も出来そうだな)
目の前で繰り広げられるショーを観劇しながらそんな事を考える自分はつくづく汚れた人間だと思いつつ頭の中で金勘定を止めないクロード。
ちなみに2人が今座っているのはショーが良く見える最前列の席。
さすがに最前列の席ともなると多少値段が張りはしたが、ヒサメへの報酬と考えればそれも大した出費ではない。
「おお・・・すご・・・い」
ショーが始まってしばらく経った頃、脳内でビジネスの算段をするクロードの横でヒサメが思わず感嘆の声を上げる。
子供の様に目をキラキラと輝かせてショーに見入るヒサメ。
気になってステージの上に視線を戻すと、煌びやかな衣装をまとった女性アクターと王子の恰好をした男性アクターが天井から吊るされた2本のブランコの上をアクロバティックな動きで移動していた。
「空中ブランコか」
クロードは入場の際に渡されたパンフレットを開くと、演目一覧を確認する。
ここまでの演目、獣による火の輪潜り、目隠しナイフ投げ、一輪車3人乗りでの綱渡りといったあちら側でも割とメジャーなラインナップ。
(世界は変われど人のやる事にそう違いはないらしいな)
とはいえ、こちら側は亜人やら魔人やらがいるので向こうでは到底不可能であろう演目も勿論存在している。
サイの亜人による鉄球お手玉、人魚族による水中ダンスショーなど。
ちなみに空中ブランコはショーの中盤、小休憩前の最後の演目となっている。
「面白いのこれ?」
不意にコートの内側で頭だけ覗かせたアジールがそう尋ねる。
どうやらアジールにはこのショーの面白さが理解できないらしい。
「ヒサメ本人の方が彼等より動きも素早いでしょ」
「そういう問題じゃないないんじゃないか?」
「どゆこと?」
「ヒサメと彼らの動きでは目的が違うという事だ」
確かにヒサメならばステージの上にいる者達よりも俊敏に動く事は出来る。
だが、それは誰かを殺傷する為の"戦闘に特化した技能"であり、ステージの上で舞う彼らの様な"誰かを魅せる為の技能"とは異なる。
無機質なだけの人斬り刃では絵画の様に人を魅せる事は出来ない。
「ん~よく分からないな~」
「世界の見方が違うお前達精霊には分からない感覚かもしれないな」
ステージの上の彼等の演技はあくまでも目から見る視覚感覚に訴えかけるもの。
目から世界を見ていないアジール達精霊にその良さを解くのは難しい。
そんな話をしている間にもショーは大詰めに向かう。
2本の空中ブランコが大きく揺れ、女性アクターの体が宙を舞う。
それを男性アクターが空中で抱き留める。
その瞬間、場内からは割れんばかりの拍手が場内を埋め尽くす。
目の前で繰り広げられるショーに目をキラキラさせて感嘆の声を上げるヒサメ。
「あんな・・・風に・・・抱かれ・・・たい」
「・・・見所はそこじゃない」
万雷の拍手の中、ヒサメの発言にツッコミを入れるとクロードは席を立つ。
「どこか・・・行くの?」
「少し手洗いにな。すぐに戻る」
そう言い残すとクロードはその場を離れる。
だが、その足はテント内に用意された仮説トイレではなく別の場所へと向いていた。
「それにしてもまさかこんな偶然があろうとはね」
「ああ、まさか奴等がこんな所を隠れ蓑にしていたとはな」
コートの影から顔を出したアジールの言葉にクロードはフッと口元を緩める。
関係者以外立ち入り禁止と書かれた立て看板の横を抜け、黒の革手袋を両手に装着しながらテントに併設された小屋へと入る。
あの日から今日までの間ずっと"彼等"の居所はアジールが観測し続けていた。
戦略としてあの場では逃走させるのが効果的だと判断し、逃げるのを助けたがこのまま放置しておくつもりなど最初からない。
猛獣注意と書かれた檻が無数に並ぶ中、清掃員の恰好をした3人が不意の来訪者に視線を向ける。
「逃亡生活は楽しめたか?キャトル・マキウィ」
相手の姿を確認し青褪めた顔をする3人を前に余裕の表情でそう告げる。
「モウストが言っていたよ。お前達がどうやって暗殺者達を手引きしたのか、その方法が分からないってな。まさかサーカス団を隠れ蓑に利用していたとはな」
サーカス団はレミエステス共和国内の各地を巡業している。
巡業する区画に申請さえ通せば国内のどこでも自由に興行を開ける事から隠れ蓑にするには打ってつけといえる。
「この野郎!」
「一体誰のせいだと」
清掃員に扮していたキャトルの取り巻きが隠し持っていた武器を手にクロードに向かって飛び掛かる。
突進のスピード、タイミングの計り辛い不規則な動き、どちらも相当な腕前だと分かる。
それでもクロードの敵ではない。
「遅いな」
相手が手を出すよりも早く懐まで距離を詰めたクロードの拳が2人の頭部を打ち砕く。
まるで水の詰まった風船の様に取り巻き達の頭部が弾け飛ぶ。
戦闘力のない自分の守り手として与えられた組織内でも屈指の強さを誇る2人を容易く倒され、キャトルは悲鳴を上げる。
「クソッ!切り裂け水の矛、射抜け焔なる矢」
右手と左手に着けた指輪に仕込んだ術を展開し魔法を放つキャトル。
だが、放たれた氷の刃と炎の矢はクロードの眼前で弾けて消える。
「その程度の術では俺の守りは抜けないな」
「ヒィッ、来るな!来るなぁあああああ」
悲鳴を上げて術を乱射するキャトル。だがクロードには通じない。
なんとかしようにも彼が最も得意としている術を使う為の道具は全てナレッキオ屋敷に残してきた、故に彼にこの局面を打開する術は最早ない。
檻を背に追い詰められたキャトルの目の前にクロードが立つ。
「アアッ・・・アアア・・アアア」
「そう怯えるな。別に取って喰おうという訳じゃない」
取り巻きを貫いた拳を開いたクロードは血の付いた手でキャトルの頭を鷲掴みにする。
手が触れた顔や髪の毛に血がベッタリと付着したキャトルが恐る恐るクロードの顔を見る。
「まあ、俺以外のヤツがどうするかは知らないがな」
クロードはそう言ってキャトルの胸板をトンッと軽く押す。
後ろによろめいたキャトルの背後で檻のドアが開き、体が檻の中へと滑り込む。
床に転がったキャトルは上半身を起こすと顔に就いた血を拭う。
「クッ、なにを!」
「お前の後ろのヤツが出番を終えて腹を空かしている様に見えたものでな」
「グルルルルルルッ」
背後から聞こえた低い唸り声にキャトルはハッとなって振り返る。
そこには熊の様な大型の四足獣の姿。
涎を垂らしながら近付いた獣はその強靭な前足をキャトルの頭上へと振り下ろす。
獣の爪はキャトルの左の肩の皮膚を容易く切り裂き、肉を抉り、骨を砕く。
「ヒギャァアアアアアアアアアアアアッ!」
左腕が皮一枚つながった状態で血を撒き散らし絶叫するキャトル。
そんな彼を黙らせるかのように獣がその大きな口を開けて頭に喰らいつく。
ボキッ ゴキッ ブシャッ
獣の口の中で鈍い音を立ててキャトルの頭が潰れる。
息絶えたキャトルの体を貪り喰う獣を冷めた目で見つつクロードは檻を閉めて鍵を掛ける。
「良かったな。これでもう誰にも追われなくて済む」
これでこの場には顔の潰れた清掃員の死体だけが残る。
もう誰もキャトル達の消息を追う事は出来ない。
「事件は迷宮入りだね」
「ドルバック達が喋らなければ・・・だがな」
もっともそれについては心配ないだろう。
今回の一件で自分達を敵に回す危険性についても理解できたはずだ。
それに彼等は共犯者であり、喋れば自分達とてただでは済まないのだから。
「さて、これで片も付いた事だし戻るとするか。ヒサメが待っている」
体を覆う結界の魔力を入れ替え、こびりついた血を洗い落したクロードは血に染まった小屋を後にする。
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