第78話 虚構幻想の檻

クロードが術の発動を宣言した直後、講堂の内部に薄っすらと白いもやの様なものが漂い始める。


「なんだコレ?」

「屋内で霧?」


騒ぎを聞きつけて講堂の入り口に押し寄せた男達が講堂内で起こっている異変に困惑する。

確かにこの第八区画が霧の発生しやすい土地柄ではあるが、あくまでそれは自然現象としての普通の霧でありこの様な奇妙な現象は誰も見た事がない。


「おい、見ろ。中だけじゃなくて外も霧が出てるぞ」

「ほんとだ。さっきまで晴れてたのにどうして急に・・・」

「どうなってんだこりゃ?」


この場にいる多くの者が長年この街で暮らして霧を見慣れているが、この霧はいつも見ている霧とは何かが違う気がする。

だが、一体何が違うのか誰も違和感の理由を説明する事ができない。

いつもと違う違和感に周囲がザワつく中にあって、クロードから視線を外さず武器を構えていたミュハトがクロードに問いかける。


「これは一体何だ?まさかこんな霧が貴様の切り札だと言うつもりか?」

「その問いに答えてやる義理はないな」


それだけ言い返したクロードは右手に持っていた魔銃リンドヴルムを軽く持ち上げる。

何をする気かとその動きに注視するミュハトの前でクロードはまさかの行動に出る。


「星よ、天に還れ」

「何っ!?」


クロードの手の中で魔銃リンドヴルムが光となって手の中から消失する。

まだ周囲に敵が複数人いるこの状況で、持っている武器を手放すという予想外の行動に出たクロードにミュハトは自分の目を疑う。


「酒木蔵人、それは何の真似だ」

「お前達相手に魔銃リンドヴルムはもう必要ないから戻したまでだ」

「っ!星神器もなく我々に勝つつもりか!あまり我等を舐めるなよ」


自分達を侮っているとしか思えないクロードの振る舞いに、流石のミュハトもプライドを傷つけられ思わず剣を握る手に力が篭る。


「貴様が10年前とは比べ物にならない程強くなっている事は認めてやる。だが、それで勝った気になるなよ」

「勝った気になどなっていない。既に勝っている」


クロードはそう言うとポケットの中からシガーケースを取り出し、中から新しいタバコを1本手に取る。

そのタバコの先端をミュハトへと向けたクロードはハッキリと断言する。


「それが事実だ。俺が直接手を下す事なくお前達はじきに死ぬ」

「たわけた事をいうな!」


クロードが何かの術を使ったというのは分かっている。

それがどんな術なのかは分からないが、いかに優れた魔術師であってもこの数を相手に何もせずに勝つ事が出来るとは到底思えない。

もしブラフだとしても大言壮語に過ぎるというものだ。

どこまでも自分達をコケにするクロードの態度に我慢の限界に達したミュハトは激しい怒りにその身を震わせる。


「少しばかり優勢だからと大口を叩きおって、二度とそんなふざけた事が言えない様にしてやる!」


大声で吠えたミュハトは手にした剣を握り締めクロードに向かって斬りかかる。

襲い掛かるミュハトを前に、防御するどころかまるで回避に動く気配すら見せないクロード。

まるで動こうとしないクロードに薄ら寒いものを感じつつも、ミュハトはその体目掛けてミ怒りのままに上段に構えた剣を振り下ろす。

刃がクロードの左肩から体に食い込み、剣の入った辺りから骨の砕ける音が聞こえる。

柄を通して肉を断ち切る確かな手応えを感じたミュハトはそのまま一気に剣を振り抜く。


「ゼェヤァアアアッ!」


気合の咆哮を上げ、ミュハトはクロードの体を袈裟掛けに斬り裂く。

刃が体を駆け抜けた後、僅かに遅れて傷口から血が噴き出す。


「フンッ、下らん余裕など見せるからこの様な目に・・・・」


そう言ってもう一度クロードの方を見たミュハトは我が目を疑う。

何故ならたった今、自分の手によって斬り裂かれたはずのクロードがそこに立っていた。

しかも掠り傷の一つどころか衣服に血の跡すらない全く無傷の状態で。


「なにが・・・どうなっている」


今まで何人者人間を斬ってきたから断言できる。

先程クロードを斬ったあの手応えはまやかしなどではなく間違いなく本物だった。

振り抜いた剣の先にも血がこびりついている。

なのにどうして目の前の男が無事なのかまるで理解できない。

そんな時、講堂の入り口の方から誰かの悲鳴の様な声が上がる。


「うわぁあああああああああああっ!」

「どうしたっ!」

「何があった!」


俄かに騒がしくなる講堂の入り口、こんな時に一体何事かと視線を向けるミュハト。

集まった兵士が騒ぐ中、誰かが血を流し床に倒れているのが見える。

その左肩の辺りには何か刃物で斬りつけられた様な大きな傷痕が見て取れる。

まるでたった今、自分が繰り出した斬撃をまともに喰らった様な傷痕。あれでは助かるまい。


「しっ、死んでる」

「斬り殺されているぞ!」


ミュハトの見立て通り、斬られた者の死が確認され男達の間に動揺が走る。

一体何があったのかと考えた兵士達は誰かが自分達の中に紛れ込んでいるという答えに至り、味方同士で距離を取り始める。


「気を付けろ!近くにもう1人敵がいるぞ!」


途端に疑心暗鬼に陥った兵士達、キョロキョロとお互いの顔を見て確認する。

だが一体誰が紛れ込んだのか分からず、恐怖と焦りだけが伝播していく。

状況が分からず次第に混乱していく男達にミュハトは舌打ちする。


「所詮は悪党の小間使いか。まるで使い物にならん」


やはり自分の直属の部下である照霊騎士団以外は役に立たない。

だが、あんな者達でも使いこなせないと目の前にいる脅威を消し去る事が出来ない。


「落ち着け!そんな事よりもこの男を仕留めるのが先だ!紛れ込んだ者については後でゆっくり見つけ出せばいい」

「しかし!」


突然味方が死んだのを見過ごせないと言いたげな兵士達をミュハトは鋭い眼光で睨み付ける。


「いいから黙って従え!従わぬ者は第八区画憲兵局の局長の権限で一生牢屋から出られない様にしてやるぞ!」


拒否する事を許さないミュハトの恫喝に、男達は何も反論できず無言で従う。

自分の持つ権力を傘に従わせた男達にミュハトが指示を飛ばす。


「その男に一斉に斬りかかれ!その男が死にさえすれば勝ちだ」


ミュハトの指示に従って数人が斧や槍を手にクロードに向かって一斉に走り出す。

その様子をまるで他人事の様に傍観していたクロードは足下に落ちていた短剣を2本拾い上げる。

遂に反撃に出るのかと身構えるミュハトの前で突如2本の短剣をぶつけあって火花を起こすと、その火花を使ってタバコに火を点け短剣を後ろに投げ捨てる。

どうやら先に言った通り本気で傍観を決め込むつもりらしい。


「なるほど、アンタが区の憲兵局局長か。道理でガルネーザファミリーの連中が起こした犯罪行為を揉み消せるわけだな」


押し寄せる敵など歯牙にもかけず1人ごちるクロード。

そんなクロードに数人が一斉に斬りかかる。


「テメエの事は俺達が抹消してやるぜ!」

「安心して死ねや鳥野郎!」


そして振り下ろされる凶器が今度こそクロードの体を捉える。

確実に入った。そう思った瞬間に自身の背後から突如悲鳴が上がる。


「ギャァアアアアアッ!」

「腕がぁああああああ」


咄嗟にミュハトが声がした方に振り返ると、クロードにやられ負傷し動けなくなっていた自分の部下達が血を流し悲鳴を上げていた。

しかもありえない事にその部下は別々の場所におり近くには他に誰もいない。


「何が・・・起こっている」


まるで何が起こっているのか分からず、動揺するミュハト。

そこへ蒼い顔をしたリットンが慌てた様子で駆け寄る。


「ミュハト様!あの男に手を出してはなりません!」

「どうしたリットン。何か分かったのか」


今はこの状況を打破するために少しでも情報が欲しい。

問い詰めるミュハトの言葉にリットンは俯きがちに言葉を紡ぐ。


「このままあの男を攻撃しつづければ我々は・・・全滅します」

「なんだと!どういう事だリットン!」


説明を迫るミュハトにリットンは唇を震わせながら驚くべき言葉を口走る。


「我々は・・・恐らく同士討ちを・・・させられているのです」

「なっ!」


リットンの出した答えにミュハトは思わず言葉を失う。

別に考えられないという話ではない。幻術を用いれば味方同士を同士討ちさせる事も可能だ。

だが、幻術はかける対象に植え付けるイメージの練り上げが必要な上に術の行使に準備と時間を要するかなりの高度な魔術。

これだけの人数を一瞬の間に幻術に落とすのは不可能だ。


「馬鹿な。そんな事出来るはずが・・・」


そう言い掛けた時、何も知らない誰かが繰り出したハンマーがクロードの体に直撃する。

直後、今度は祭壇の前に膝をついていた魔術師の1人の体がまるで何かに激突されたように真横に大きく吹っ飛び壁に激突する。


「がっ・・・」


白目を剥いた魔術師が血を吐きながら崩れ落ちるのを目の当たりにしたミュハトに最早リットンの言葉を否定する言葉は残っていなかった。


「そんな馬鹿な。何故ヤツにこんな真似ができる」


茫然とするミュハト・リーガ。

彼がそうなるのも無理はない。何せ彼が自分が知っている酒木蔵人という男にこんな魔術は使えなかったどころか魔道についての知識などない少年だった。

自分の知らない10年の間にこの男の身に一体何が起こったというのか。

そんな事を考えていると背後から不意に声が掛かる。


「驚くのは勝手だけど攻撃をやめさせなくていいのかい?」


聞き覚えのある声にギョッとなって振り返るミュハトとリットン。

2人が振り返った先には右肩に一羽の鴉を乗せたクロードがタバコの煙を漂わせながら立っていた。


「いつの間に!」


慌ててさっきまでクロードが居た場所を振り返って再びミュハトとリットンは驚愕する。


「何故・・・2人いる」


今この講堂の中には敵に囲まれたながら余裕の顔でタバコをふかすクロードと、目の前で肩に乗せた鴉に喋らせてタバコをふかすクロードというあり得ない状況になっていた。


「知らなかったのかい?実はクロードは双子だったんだよ」

「それは嘘だ!俺は知っているぞ。ソイツはこの世に1人しかいない!」


彼の国で上の命令で自分が剣を仕込んだ酒木蔵人という男はこの世に1人であり、この男に身寄りとなる者がいない事もその理由も知っている。


「アハハハハッ、やっぱりバレた?お察しの通り幻だよ。もちろんどっちがかは教えないけどね」


胸を反らして可笑しそうにケタケタと笑い声を上げたアジールは、ひとしきり笑った後に2人に向かって語りだす。


「虚を実へ、実を虚へってね。ここは嘘と真が入り混じりあう虚構幻想が支配する領域。大精霊アジールさんとクロードの扱う上位精霊術"月女神の支配領域アルテミステイトリー"の力だよ」

「上位精霊術・・・だと」


上位精霊術。それは精霊術師にとっての切り札。

術によっては1軍さえも一度に葬り去る事が出来るとされるもの。

そのレベルの術が扱えるものは各国にいる精霊術師の中にもほとんどいない。


「これ程の術が使えるなんて噂でさえ聞いた事がない」

「そうだね~。身内でも知ってる人は少ないよ。じゃあなんで誰も知らなんだと思う?」

「それは・・・」


アジールからの問い掛けに2人は言葉を詰まらせる。

答えが分からないからではない。むしろ答えが分かってしまい声が出せない。

それを口に出してしまえば、全てが終わってしまう。

そんな彼らを尻目にアジールは無情に終わりの言葉を告げる。


「ブブーッ!残念。時間切れです」

「まっ、待て!」


その先の言葉を言わせてはならない。

ミュハトとリットンがアジールを止めようと手を伸ばす。

だが、2人の手は空を切り目の前のクロードの姿をした幻影を通り抜ける。


「正解はこの術を使う時は皆殺しだからでした。そういう訳で不正解の君達とは悲しいけどここでお別れかな?」

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