第69話 陰謀が渦巻く地 3

テーブルの前に立ったクロードはその上に並べられたボトルを見て改めて溜息を漏らす。


(まったく、なんだこれは。三流大学の飲み会サークルじゃないんだぞ)


しかもよく見ればこのボトル、サイズが一升瓶程もあるではないか。

本当にこんなものを早飲みするのかと左右を見て確認してみるが、両隣には対戦相手として名乗りを上げたガルネーザファミリーの酒豪達がギラついた目で開戦の時はまだかと待待ち侘びている。

一体そのモチベーションはどこから来るのか不思議でならない。


「浮かない顔をしているな」


隣から掛けられた声に目線を上げると、ガルネーザファミリー幹部の1人であるモウストが不敵な笑みを浮かべてクロードを見下ろしていた。


「そう見えますか?」

「少なくとも楽しそうには見えないな」

「そうですか」

「なんだ。酒は嫌いか?」

「いいえ、そういう訳ではありません。むしろ酒は好きな方ですよ。ただ・・・」

「ただ?」

「今の様に状況に強いられて呑む酒は好かんのです。気兼ねなく飲んでこその酒。こういう制約を課せられた状況では折角の酒も楽しめません」

「制約?あの少女の事か?」

「それ以外にないと思いますが?」


どこか不貞腐れたような物言いをするクロード。

ここまでお行儀よく振る舞っていたが、この様な茶番に付き合わされる事になって少々取り繕うのが面倒になってきた。

そんなクロードの雑な態度にもモウストは怒る事無く、可笑しそうに笑いだす。


「クフフッ、意外だな。それがお前の本性か」

「意外?本性?何の事ですか?」

「"第七区画の烏"が女の為に体を張る様な男だったことがだ」


それは褒め言葉なのかと目で訴えかけるクロードに、モウストは続ける。


「少なくともウチのクソ猿は絶対にそんな真似はしない」

「クソ猿・・・ですか」


クソ猿とは恐らくバファディ・ガルネーザの事を言っているのだろうが、まさか身内の口からその様な蔑称で呼ばれているとは知らなかった。

こうして余所の状況を見ると実は自分も知らない所で仲間からそんな蔑称で呼ばれてるんじゃないかと考え少しだけ暗い気持ちになる。

そんなクロードの内心など知らぬモウストはさらに続ける。


「実力は間違いなく本物だが人格は最悪。本物のクズだな」

「そこまで言いますか」

「ああ、むしろ奴を形容するには今のでは足りない程だ」


何かを思い出したのか苦々しい顔で語るモウスト。

身内にここまで言わせるとはバファディとは噂以上に問題のある人物の様だ。

ともあれバファディがどれ程のクズかは知らないが、彼をクズと呼ぶモウストも世間一般的に見れば同じマフィアであり大概クズだと思う。

もちろんそのクズの中にはクロード自身も含まれている事は理解している。


(それにしても身内の事をどう言おうが彼らの自由だが、近くにそのクズの父親がいるという事を忘れてはいないだろうか)


出来の悪い息子とはいえ自分の息子を悪く言われて良い気はしないのではないか。

そう思ってナレッキオの方をチラリと見るが、当の本人はまるで気にする様子はなく酒傾戦で誰が勝つかと賭けに興じている。


(子が子なら親も親という事か)


こういう所もアルバートとはまるで対照的だと思う。

我が父ならば少なくとも家族を悪く言われたら黙ってはいないだろう。


「ともかくだ。あの猿程ではないにしろ区画番号保持者セクションナンバーホルダーはどいつも癖のあるヤツばかりだという話だからな。お前の事ももっと冷徹だったり残忍だったりするのかと思っていたが存外人間らしいじゃないか」

「はぁ、どうも」


言葉に熱が込もるモウストからの評価に気のない返事を返すクロード。

別に悪く言われている訳ではないが別に良い事を言われている訳でもない。

そもそも、時と場合によっては人の道に外れた行いに手を染める事も少なくないこの稼業において人間らしいというのも如何なものか。


(それにしても区画番号保持者セクションナンバーホルダーってそんな色物みたいな扱いだったんだな)


別に自分が真っ当だ等というつもりはないが正直複雑な気分だ。

これ以上この話を続けても気分が悪くなりそうなので、何か適当な話題に切り替える。


「それにしてもまさか貴方までこんな遊びに参加するとは思いませんでしたよ」

「酒傾戦はファミリーの伝統だからな。出ない訳にはいくまい」

「・・・伝統ですか」


モウストは伝統などと言っているが、ガルネーザファミリーのマフィアとしての活動期間はビルモントファミリーと同じで30年程で特に代替わりもしていない一代限りのもの。

その程度で伝統などとは笑わせてくれる。


「第八区画では酒を呑む口実に女を奪うような伝統がおありで?」

「まさか、あれは首領ドンの悪い癖だ」


皮肉の篭ったクロードの言葉に、モウストは呆れた様に溜息を吐く。

どうやら話を聞くと首領ドンナレッキオは気に入ったを見つけると女がいると今回の様にワザと勝ち目の薄い勝負を吹っかけて強引な手段で奪い取るらしい。


「もっとも今回はお前に対する嫌がらせというのが動機としては大きいとは思うがな」

「ああ~、そういう事ですか」

「おかげでこちらはタダでいい酒が呑めるんだがな」


こちらの気も知らないで随分と勝手な事を言ってくれる。

まあ実際、彼にとっては他人事なので文句を言っても仕方ない。

こうして普通に言葉を交わしていても、やはりこの男もガルネーザファミリーの一員。

クロードにとっては周りを囲む有象無象と同じ敵の1人でしかない。

改めて自分の置かれた状況を再確認した所で、ナレッキオの声が響く。


「待たせたなお前達。それでは始めるとしようか」


ナレッキオの言葉にその場が静寂に包まれ、5本のボトルの前に5人の男が立つ。

ここまで来た以上、クロードも腹を決める。

だが、それはこの茶番にまともに付き合うという意味ではない。


「ガルネーザ式酒傾戦開始だっ!」


開始の合図が宣言されると同時に対戦相手達がボトルを掴む。

そんな中、クロードは合図と同時に右手に隠し持っていた硬貨を人差し指と中指の間に挟み込み、上に向かって伸びるボトルの先端部分に向かって垂直に振り抜く。

ヂュインッという甲高い音を立てて細長いボトルの口が天に向かって飛ぶ。

その誰も予想しなかったクロードの行動に周囲に驚きが広がる。

隣り合う対戦相手達もその行動に手が止まり宙に舞ったボトルの口に視線が向かう中、クロードは素早くボトルを掴んで中の酒を一気に煽る。

ボトルの口を短くする事によって呑むまでの時間短縮をすると同時に派手なパフォーマンスと音で周りの注意を引く事によって相手のスタートを遅らせる。

相手がクロードの動きに気付いて慌てて動き出した時にはもう遅い。

僅かな時間であっても開いた差は大きく。

例えクロードと同じ様にボトルの口を短くしたとしても中の酒が流れ出るスピードが同じである以上クロードには追い付く事は不可能。

クロードが酒を飲む手が止まったりすればまだ勝ちの目も出てくるが、クロードも酒には滅法強い。つまり勝敗はスタートの時点で決していた。

数秒後に一番最初に空になったボトルがテーブルの上に置かれる。


「ふぅ、ごちそうさまでした」


ガッツポーズも歓喜の雄たけびもない静かな勝利宣言。

当然だ。本来は呑んでいる者達の競り合いを見て盛り上がるもの。

それがこんな何の盛り上がりもないまま結末を迎えるのは初めての事だ。

あまりに呆気ない幕切れにガルネーザファミリーの誰も言葉を発しない。


「クロ・・・終わり?」

「ああ、終わりだ」

「おつ・・・かれ」


ヒサメからの労いの言葉にクロードは僅かに肩を竦めて見せる。

そんなクロードの背後からギリリと歯ぎしりの音が聞こえる。

首だけ振り返ってみると、ナレッキオが忌々し気に歯噛みしているのが見えた。


「やってくれたな小坊主」

「はて、何の事ですか?」


恍けた顔でのたまうクロードに、ナレッキオの酔いとは違う赤みが増していく。

逆に周囲にいるガルネーザファミリーの面々の顔は蒼くなっていく。


「伝統ある酒傾戦であのような小細工をしおって」

「酒の早飲み勝負という事でしたが、呑み方について取り決めがあるとは聞いておりませんでしたので勝つ為に工夫したのですが何か間違ってましたか?」


クロードの言い分を聞いてナレッキオは心底悔しそうに唸る。

屁理屈ではあるが、その屁理屈を捻じ伏せるに足る言葉が出てこない。

そもそも4対1という自分達が圧倒的有利な条件を突き付けて負けたのだ、この上さらに言いがかりつければ恥の上塗りにしかならず見苦しいだけだ。

身内だけしかいないならそれでも構わないが、この場にはクロードの他にキャトルも同席している。

他区画の組織の人間が見ている前で、先に出した条件を覆すのは流石にマズイ。

そこでふとある考えがナレッキオの脳裏を過ぎる。

まさかここまで読んだ上でこの勝負を受けたのではないかと。


「この勝負、私の勝ちでよろしいですよね?」

「チッ、もういい。・・・お前の勝ちだ」

「ありがとうございます」

「フンッ、不愉快だ俺は部屋に戻る」


怒りの収まらぬナレッキオはウェイターの胸に持っていたグラスを押し付けるとドシドシの大股開きで屋敷の中へと入っていった。

ナレッキオが居なくなった中庭は急に熱が冷めた様に静まり返る。

今の騒動で完全に白けた場は自然と解散の流れになり、少しずつ人がいなくなっていく。


「やれやれこれでようやくお開きか」

「部屋・・・戻る?」

「そうだな。だが、その前に一服」


そう言ってクロードはタバコを取り出そうとポケットに手を突っ込んだ時、1人のウェイターがトレイを片手にクロードの傍へと歩いてくる。


「どうぞ食後酒になります」

「いや、俺は・・・」


流石にあれだけの量を一度に呑んだ後なので遠慮しようとしたクロードだったが、トレイの上に乗ったカクテルグラスの隣に小さく折り畳まれた紙が乗っている事に気付く。

即座に周囲に他の者の目が無い事を確認すると、トレイの上に手を伸ばす。


「そのカクテルを貰えるか?」

「どうぞ」


クロードはカクテルと一緒にトレイの上に置かれたメモ紙を受け取る。

受け取ったカクテルを一気に飲み干してカクテルグラスだけをトレイの上に戻す。


「ありがとう。美味かった」


ウェイターは黙って小さく一礼すると、他のテーブルへと移動する。

クロードは受け取ったメモ紙をその場で開かず、シガーケースを取り出すフリをしてポケットの中に忍ばせる。


(さて、一体何が書かれているのやら)


第八区画を訪れて最初の一日、陰謀渦巻く悪党達の夜はまだ終わらない。

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