第61話 ガルネーザ邸への道行

ガルネーザファミリーからの使いに促され喫茶店の外へと出たクロード。

店の外に出てみるといつしか周囲を覆っていた白い霧は晴れ、通りの端から端までが見通せる程になっていた。

そして店の前の道にはいつの間にか黒塗りの二頭立て馬車が1台停車していた。


「こちらの馬車にお乗りください。首領ドンの所まで案内します」


そう言った黒服が馬車の前に立ち、ゆっくりと馬車の扉を開く。

黒服に促され馬車に乗り込もうとするクロードだったが、ふと感じた違和感に馬車の前で足を止める。


(この感じ、これは・・・)


違和感の出所を探る様に視線を動かした上げたクロードの視線が、乗る様に促された馬車の中へと向かう。

近付いて初めて気づいた馬車の中から微かに漂う何者かの気配。

別にそれだけならばさして気に留める必要もないのだが、問題なのは馬車の中の何者かが放っている悪意とも殺気ともつかぬ曖昧な感覚。

こういった場合、真っ先に頭に思い浮かぶのは罠の可能性。

乗り込んだ瞬間に刃物で襲い掛かってくるというのは割と聞く手口ではある。

このタイミングで罠を仕掛けてくる事は考えにくいが油断は出来ない。

ビルモントファミリーとガルネーザファミリーと敵対関係にある。

しかもここはガルネーザファミリーの縄張り、対外的な措置として表出って仕掛けてくる事はないにしろその気になれば人間の1人や2人行方不明にするのは簡単だ。

組織の上層部の考え方次第では多少のリスクを冒してでも自分を排除してビルモントファミリーの力を削ぎに来る可能性もゼロではない。


(さて、どうしたものか)


このまま乗り込むべきかどうか僅かに逡巡するクロード。

動きを止めた彼を見た黒服の1人が訝しげな声で尋ねてくる。


「どうかしました?」

「少し気になる事がありましてね・・・」

「気になる事ですか・・・。本当は今頃になって怖気づいたんじゃないですか?そういう事でしたらお帰りの駅はあちらですよ」


言って黒服は駅がある方角に向かって指を差す。

先程までの丁寧口調から打って変わって随分とトゲのある物言いをしてくる黒服。

最初から歓迎されていない事は分かっていたが態度が露骨に変わり過ぎだ。


(随分な豹変ぶりだな。もっとも、こちらが本音の様だが)


こちらが下手に出ているのを良い事に嘲笑する様な憎たらしい笑みを浮かべる黒服にクロードは内心の感情を隠して苦笑いで返す。

どうやらビルモントファミリーとガルネーザファミリーの両首領の確執はしっかりと組織の根元にまで行き届いているらしい。

気持ちは分からないでもないがそういう顔は見えない所でしてほしい。

少なくとも彼等の言う"客"の前でとっていい態度ではないと思う。

と同時にこの黒服が馬車の中に乗っている者について言及しない事を不思議に思う。

流石に中に誰か乗っているという事を知らないという事はないだろう。


(馬車に乗る前に帰ってもいい等と言うぐらいだから暗殺者の類ではなさそうだな)


乗っているのが暗殺者なら帰れ等とは冗談でも口にはしないだろう。

だったら馬車に乗っているのは何者なのだろう。

少し考えてみたがまるで答えは出ない。だからクロードはそこで考えるのをやめた。

どの道この馬車に乗る以外に選択肢はないのだ。

だったら直接乗って確かめた方が早い。

それに万が一にもこちらを害そうというの者ならば迎撃すれば済む話だ。

そう結論を出したクロードば前へと進み馬車へと乗り込む。

想像していたよりも広い馬車の車内、左右にそれぞれ設けられた2人掛けの座席の片方。御者側に位置する座席に目を向けると、そこに両腕を組んで椅子に腰掛けている人物と目が合う。


「お前さんがクロード・ビルモントか?」


そう尋ねてきたのは白髪の混じり初めた短めの茶髪に岩の様にゴツゴツとした肌の厳つい顔の外見から40代から50代程に見える中年男性。

馬車の外にい黒服達とは纏っている空気がまるで別物、ただそこに座っているだけなのに圧迫感が段違いだ。

クロードはすぐに自身の記憶の中からその容姿に合致する人物の情報を引っ張り出す。


「ええ、そちらはガルネーザファミリーの幹部。モウスト・ドゥルツオテさんですね」


名前を呼ばれた相手の表情が僅かに動いたが、それでもそれ以上表情を崩す事無く小さく頷く。


「その通りだ。まさか"第七区画の烏"がこの俺の事を知っているとはな」

「買い被り過ぎですよ。私等はまだまだ弱卒に過ぎません。単純にモウスト殿が有名なだけですよ」


互いに牽制するように世事の言葉を並べる2人。

言葉の内容とは裏腹に互いに視線を交わしたまま警戒を解く事無く向かい合う。

この時点で既に両者の間で駆け引きは始まっている。

互いに情報を少しでも得るべく相手の視線の動きを追い、微かな呼吸にまで注意を払う。


(なるほど。これがガルネーザファミリー幹部。モウスト・ドゥルツオテか。確かに大した男の様だ)


まだ顔を突き合わせたばかりだが、その佇まいだけでもこのモウストという男が相当なやり手である事が窺い知れる。

流石はガルネーザファミリーの中でも最古参の古株であり、幹部の中で首領ドンナレッキオ・ガルネーザに意見できる数少ない人物とも言われている。

悪質かつ強引なやり方ばかりが目に付くガルネーザファミリーにおいて話の通じる数少ない理性的な思考の持ち主であるとも聞く。

今回の第八区画への訪問においてクロードが当初の目的とは別にして、個人的に会っておきたいと思っていた人物でもある。


(まさかこんなに早く会う事になるとはな)


本来の予定としてはリットンを始末した後、第八区画に滞在している残りの日程のどこかで接触できればぐらいに考えていたのだが、思わぬ形で対面が叶った。


(これを幸運と喜ぶべきか、それとも向こうにとって何かしらの思惑があっての事か)


もし、何かしらの策略であったとするなら、この出会いに一体どのような思惑が隠されているというのだろうか。

クロードがそんな事に考えていると、モウストがおもむろに口を開く。


「そんな所にいつまでも突っ立ってないで席に着いたらどうだ?」

「・・・これは失礼しました」


モウストの言葉で思わず自分が考えに没頭していた事に気付かされる。

少し慌てた様にクロードはモウストの向かい側の座席に腰を下ろす。

自身の向かいに座ったクロードを見て小さく頷いたモウストは腕組みを解くと、空いた右手をこちらに向かって差し出してくる。


「第八区画へようこそ。第七区画の烏」

「こちらこそ第八区画の重鎮自らの出迎えに感謝します」


両者は互いの手を取ってと固い握手を交わす。

握った手の力強さからこの男の力量の一端が窺い知れる。


(なるほど、力の方も組織で幹部を張るだけあってかなり出来るみたいだな)


正確な実力までは分からないが、その辺にいるチンピラ程度では束になった所でこの男の相手にもならないだろう事は分かる。

ただしそれはモンテスとクロードの間においても言える事。

彼程の力量があってもクロードにとってそれは何の脅威にもなりはしない。

別に相手を軽視したり実力を低く見ている訳ではない。

むしろ戦闘という分野においてクロードに慢心や驕りによる油断は一切ない。

だから冷静に分析した上で確信している。

目の前の男と自身の間における戦闘能力の力量差というものを。

そもそもクロードがその気になれば単独でガルネーザファミリーを壊滅させる事だって不可能な話ではないのだ。

敢えてそれをしないのには幾つか理由がある。

1つはここでクロードがガルネーザファミリーを潰してしまえば他の区画を仕切る7つの勢力が黙っていないからだ。

最悪の場合、全ての勢力がビルモントファミリーの敵に回る事だって十分考えられ、そうなれば自身の周りに大きな被害が出る事は避けられない。

2つ目は、自身の保有する力が外に漏れるリスクを避けるため。

クロードは元々お尋ね者、正直あまり表立って目立つような真似はしたくない。

自身の正体がバレればこの国のマフィアよりも恐ろしい特定の国家群から標的にされる。こちらの方がクロードにとってはマフィアに狙われるよりも厄介だ。

だから第七区画の烏という異名さえ、本心では迷惑だと思っている。


(今までなるべく目立たない様に力を行使する機会はセーブしてきたつもりなんだがな)


目立ちたくはないがマフィアとしては家族や仲間の役には立ちたい。

そのジレンマの中で10年マフィアとして活動し続けた結果、実績が積み重なって今の様な状況になった。


(幸いこの国の中だけの話だからまだいいが、今後は少し気を付けた方がいいな)


弱肉強食こそが世の常だというが力だけで生きていける程世の中は甘くない。

だから自らの頭で考え、知恵を巡らせ、策を練り、不測の事態が起こらぬ様に立ち回る。

そうやって手間を掛けてでも確実に利を取りに行く。


(俺自身の為にもこの場でモンテスの心証は少しでも良くしておいた方がいいな)


目的地に着くまでどれ程時間があるかは知らないが少しでもそう出来ればと考えていた時、馬車の入り口からひょっこりとヒサメが顔を見せる。

どうやら2人の話が一段落するまで外で待っていたらしい。


「クロ・・・お話・・・終わった?」

「ああ」

「なら・・・良かった」


クロードの答えに小さく頷いたヒサメは馬車に乗り込むとクロードの隣に移動して座席に腰を下ろす。

そんな当然の様にクロードの隣に座るヒサメを見てモウストの表情が曇る。


「クロード・ビルモント。その少女は何者だ?」

「彼女は私の家の同居人の1人で今回は仕事の助手として連れてきました」

「よろ・・・しく」


ゆっくりとした口調とは裏腹に素早い動きでシュタッと手を上げるヒサメ。

そんなヒサメとクロードを交互に見てモウストが呆れた様に溜息を吐く。


「そうか。同行者がいたのか・・・。しかも女とは」


どうやらモウストはクロードがヒサメを連れている事に何か思う所があるらしく何とも言えない複雑な表情をしている。

彼がそんな表情をする気持ちも分からないではない。

一部の例外はあるにしても基本的にマフィアというのは男社会。

人によっては女を関わらせる事を良く思わない人間もいる。

そうでなかったとしてもここは敵地のど真ん中、そんな危険な場所に女連れでくるのは中々理解されるものではないだろう。

実際、クロードが相手の立場だったとしてもきっと同じ様に考える。


(早速心証を悪くしてしまったか?)


相手からの評価を良くしたいと思った矢先にこれとはなんとも幸先が悪い。

事前にこの展開が分かっていたなら何か打つ手もあっただろうが、こればかりはどうしようも無い。

神ならざる人の身に未来の事等分かりはしないのだから。

そもそもヒサメの同行を許した時点でこの程度のデメリットは覚悟していた。

心証が悪くなったというならその分は何か別の方法で挽回するしかない。

そんなクロードの内心など知る由もないヒサメが不思議そうに小首を傾げる。


「何か・・・問題?」


ヒサメからの問いにモウストは何かを考え込むような顔を見せるが、少し考えた後首を左右に振って否定する。


「いや、こちらの話だ。気にしなくていい」

「そう?・・・なら・・・いい」


モウストの返答にヒサメは小さく頷くとクロードの左腕にもたれ掛かる。

敵対組織の幹部の前で甘えてくるヒサメに、クロードは引き攣った笑みを浮かべてモウストへと視線を向ける。

モウストはというと少し眉間に皺を寄せはしたが、特にそれについて口は出しする事はせずに、彼の本来の目的について話を始める。


「これからこの馬車で我らが長であら首領ドンナレッキオの屋敷へと案内する」

「はい」

「屋敷に着くまで少し時間があるが、その間に俺から屋敷内での振る舞いやこの街に滞在する間の注意点を伝えるから覚えてくれ」

「分かりました」


大組織の幹部自らがそんな雑用まがいの真似をする事に正直違和感を感じ、その事を言葉にしようとモウストへと視線を向ける。


「何か?」

「・・・いえ」


目があった瞬間、モウストの目が質問される事を拒む様な威圧的な色を見せた。

その態度だけでここにモウストが来た理由に何かあると直感するクロード。

だが今その事について尋ねてもモウストから答えを聞き出す事は出来そうにない。

その事を察してこの場は彼の指示に従う事にする。


「では屋敷へと移動するとしよう」


モウストはそう言うと自身の背中側、御者席の方に設けられた小窓をノックする。

すると窓の外で鞭の音が響き、馬の嘶きと共に馬車がゆっくりと動き出す。

走り出した馬車の向かう先に何が待つのかクロードはまだ知らない。

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