第46話 夕飯時の来客
ブルーノの工房を出た後、寄り道せずに真っ直ぐに家に帰ったクロードはリビングに入るなりその場で立ち止まっていた。
呆然と立ち尽すクロードの目の前、いつも食事を摂るテーブルの上には山と盛られた料理の数々が並んでいた。
「これは一体どういう事だ?今日ウチに来客の予定があるとは聞いてないぞ」
この言葉が的外れである事などクロードは十分に分かっている。
そうと知っていて尚、その言葉を言わずにはいられなかった。
クロードの隣には申し訳なさそうに体の前で手を組んで顔を伏せるメイド服のエルフ。
「申し訳ありません旦那様。今日は久しぶりに旦那様が家でお夕飯を食べると聞いて私つい嬉しくなってしまい、その・・作りすぎ・・・でぇ・・じヴぁ・・・しまいまじだぁ」
そう言って涙を流し嗚咽を漏らすアイラがその場に膝から崩れ落ちる。
最後の方はほとんど涙声になっていて良く聞き取れなかったが、彼女の申し訳ないという思いだけは非常によく伝わってきた。それはもう痛々しい程に。
(家で夕飯を食うってだけでどれだけ張り切ってるんだ。というかこれだけの量、作ってるときに気が付きそうなものだと思うが)
いつもなら説教の一つでもしているところだが、今回ばかりはいつも家で夕飯を摂らない自分にも非があるので、あまり強くアイラを叱りつけようという気にもならない。
(こんな事なら夕飯ぐらいもう少し家で一緒に摂ってやるべきだったか)
自分にとってはただの食事の時間でもアイラ達にとっては家にほとんどいる事のないクロードと一緒にいられる数少ない時間。
短い時間とはいえ彼女らにとっては貴重な時間。
少しでもクロードといる時間を良い物にしたいというアイラの気持ちが理解できない程、クロードは鈍感な男ではない。
とはいえ、テーブルの上に並んだ料理はとても1日や2日で消費しきれる量じゃない。
ざっと見ただけでもこの家に住む6人全員が1週間は生活できそうな量だ。
「それにしてもこれだけの量をどうしたものか・・・」
「私が責任をもって食べます」
そう言って座り込んだまま顔を上げるアイラの目は真っ赤だった。
何も泣く程の事でもないとは思ったがその言葉は胸の奥にしまうクロード。
「いや、アイラのその細い体じゃどう考えても無理だろう」
クロードの知る限りエルフというのは小食であり、アイラもその例に漏れず小食だ。
ただでさえ食の細いアイラにこの量を食べきるのは不可能であると断言できる。
「いいえ、旦那様が日々働いて稼いだお金で買った物を無駄には出来ません」
「そんな事は気にしなくていい」
「これだけの量を食べたらいくら細いアイラ姐でも相当太るんじゃない?」
2人のやり取りを隣で見ていたシャティが見兼ねて口を挟んでくる。
実際、シャティの太るという言葉にアイラの表情が固まっている。
多くの女性にとって太るというのは人生最大の敵であり、特に愛する男の前で太った姿を見せる等アイラには耐えられないだろう。
「そっ、それでもです」
「あまり意固地になるな」
「意固地になんてなってません」
俯いたまま意地を張るアイラにクロードはやれやれと頭を掻く。
基本的にはクロードに口答えなどしない彼女だか、たまにこうして頑固な時がある。
もっとも、こうなった時の彼女の扱いについてはクロードの方も心得ている。
「アイラ」
「なんですか?」
「こんなつまらん理由で太ったお前の姿を俺が見たいと思うのか?」
「ですが旦那様」
「少し失敗しただけだろう。それで美しいお前が変わってしまう事の方が俺は悲しい」
自分で言っておいてなんだが歯の浮く様なキザッたらしいセリフだと心から思う。
それでもこれはこの家の安泰の為に必要な言葉であり、半分ぐらいはクロードの本心だ。
気恥ずかしい思いをしてまで口にした言葉はその甲斐あってかアイラに大して十分に効果があったらしく頬を染めて潤んだ目をこちらに向けている。
「そこまで私の事を・・・」
「あっ、ああ、そうだな」
笑ってしまいそうなぐらい簡単にクロードの言葉を真に受けるアイラに思わずクロードの方が動揺してしまい視線が泳ぐ。
別に嘘を言ったつもりはないが、それでもこう疑いもせず簡単に信じ込まれてしまうと嬉しいような不安な様な複雑な気持ちになる。
とりあえずこの酷い茶番をサッサと終わらせようと話を締めくくる事にする。
「とりあえず作ってしまった物は仕方がない。ロック達でも呼んで皆で食べるとするか」
壁に掛かった時計を見ればまだ20時を少し回ったぐらい。
この時間なら急げばまだなんとかロック達が夕食を食べる前に間に合うはずだ。
問題はどこにいるかであるが、恐らくまだ会社の事務所にいるはずだ。
(こういう時電話が引いてあると便利なんだがな)
流石に街から距離があるクロードの家まではまだ電話線は引かれていない。
もっとも引いてあったとしてもまだ設置費用や1回の使用料金が高額なので一般家庭に引くにはまだ少し厳しい。
ここで頼りになるのは翼の生えた我が相棒のはずなのだが・・・。
「アジール」
「こんなつまらない事で使い走りなんて僕は絶対やらないよ」
まだ何も言っていないというのに、にべもなく断られた。
「まだ何も言ってないんだが?」
「君の考えそうなことぐらいお見通しだよ」
そう言ってアジールは首を左右に振って呆れた様な仕草をして見せる。
「クロード、僕は悲しいよ。まさか君がこんなつまらない用事で相棒である僕を使い走りにしようとするなんて」
「そう言うな。これも我が家の安泰の為だ」
「言っても君の不始末だろう。自分で何とかしなよ」
「むぅ」
いつになく冷たい相棒の態度にクロードは困った様に眉根を寄せる。
アジールの言っている事に間違いはないので言い返す言葉がないのは間違いない。
とはいえいつもよりトゲのある言い方をする相棒に少し違和感を覚える。
(そう言えば背中の魔術刻印の調整をした後のアジールはいつも機嫌が悪かったな)
なんでも魔術刻印をいじるとアジール本来の魔力の形に歪みが生じ、元に戻るまでの間はアジールにとって少し気持ち悪い様な感覚が続くそうだ。
クロードとしては相棒に負担を掛けているのでそれで機嫌が悪くなっても何も言えない。
(ハァ、せめてこの世界の冷蔵庫がもっと性能が良ければ作った料理もしばらく保存出来て面倒もなかったんだがな)
文明レベルが産業革命期のイギリスに近いレミエステス共和国ではまだ家電の市場に冷蔵庫は登場していない。
正確にはまだ一般の市場に出回っていないだけで国内の有力企業には試作機や実験機は既に存在しており、どこの企業も現在市販に向けての最終調整を行っている最中だ。
もちろんクロードはこの情報をいち早く掴んでおり、既にいくつかの企業に対して流通に向けての話を進めており、個人的に出資もしている。
冷蔵庫は日本の高度経済成長期に"三種の神器"等と呼ばれた白物家電の一つ。抑えておかない手はない。
これでまた1つファミリーに大きな儲けを出す事が出来るとクロードは確信している。
しかしクロードにとってそれはあくまで儲けを出す為の道具であって別に欲しくはない。
何せ自分が知っている冷蔵庫と比べれば性能は決していいとは言えない代物。
更に言えば我が家には雪女のヒサメがいるので性能の低い冷蔵庫を必要としていない。
実際、家の地下にある食料等を長期保存する保管庫を冷却する氷はヒサメが作っている。
しかしヒサメが出来るのはあくまで凍結、冷却、氷の生成であり、ただ冷やすだけでは調理した料理などを長期保存するのは難しい。
子供の頃からこちらに来るまでの間、何気なく使っていた冷蔵庫と言う家電はクロードの想像していた以上に技術の粋を集めたデリケートな代物だった。
食品用ラップフィルムでもあれば多少なんとか出来るかもしれないが、生憎とラップが開発されるのは推定200年は先になる予定の話。
ラップの作り方でも知っていれば冷蔵庫の販売と同時に売り出して一財産築く事も出来たかもしれないが、残念ながらクロードがこちら側に来たのは高校生の時。
多少腕っぷしが強いだけで他は至って普通の学生だった酒木蔵人という少年がそんな知識を持ち合わせていようはずもない。
「あの旦那様、やっぱり私が・・・」
「少し静かにしていてくれ。今、何か方法はないか考えているところだ」
電話もアジールも使えない以上、直接事務所まで出向くしか術はない。
事務所まで結構な距離があるので行って戻るのに時間が掛かるのは仕方がない。
それでもシュバルツに乗って行けば随分と時間も短縮できるはずだ。
最悪もしロック達がいなかったとしても誰かしらは事務所にいるだろうから、トムソンでも居たなら連れてきて無理矢理にでも飯を食わせればいい。
兄貴分であり上司であるクロードの誘いを断る様な奴はボルネーズ商会にはいない。
そんなあくどい事を考えていた時、クロードの肩に乗っていたアジールが不意に顔を上げる。
「クロード。客が来たよ」
「客だと、こんな時間にか?」
「うん」
それ程遅い時間という訳でもないが、わざわざこんな辺鄙な場所に建つ家まで用事もなしに出向いてくる様な人間はそうはいない。
引っ越して来た頃などは宗教の勧誘等で近づいてくる人間もいたが、クロードに恐れをなして数日と経たぬ内に誰も近づかなくなった。
今ではこの家に近付くのは新聞配達の青年を除けばビルモントファミリーの人間か敵対するマフィアや犯罪者の放った刺客ぐらいのものだ。
「俺の知っている相手か?」
「そうだね。ロックとバーニィ、ドレルの3人」
聞き慣れた3人の名前を聞いたクロードは安堵の息を漏らす。
まさかこちらから出向く前に、向こうから出向いてくれるとは思わなかった。
これでアイラを悲しませずに済むし、作った料理も無駄にならずに済む。
思わず安堵の息を吐くクロードにアジールはさらに言葉を続ける。
「後は珍しい客が1人いるね」
「珍しい客?」
料理ならロック達3人を加えても余る程大量にあるので1人2人増えるてもまったく問題はない。むしろ歓迎したいぐらいだ。
とはいえアジールの結界の力でクロードの家に入れる者は限られている。
相手がアジールから印を与えられているものかどうか一応確認すべくクロードは尋ねる。
「相手は誰だ?ラドルか?トムソンか?まさかフリンジの叔父貴って事はないと思うが・・・」
「ダリオだけど」
アジールから相手の名を聞いた瞬間にクロードの表情が凍り付く。
あまりに予想外の名前が出た事に思考まで一瞬フリーズしてしまう。
だが、それもほんの一瞬の出来事。クロードはすぐさま身を翻してリビングを飛び出していく。
そんな珍しくクロードの慌てた様子にアイラとシャティがクロードの方へと振り返る。
「旦那様!」
「ダーリン!どうしたの!」
2人の呼びかけに応えながらクロードは振り返らずに玄関へと向かう。
「アイラ!シャティ!今すぐ大急ぎで部屋を片付けろ!」
「えっ?」
「どうされたんですか急に?」
2人の声に玄関ドアに手を掛けたクロードが叫び声に近い声で返事を返す。
「ファミリーのNo.2。ダリオの叔父貴が家の前に来てる!」
『ええ~~~~っ!!』
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