第37話 蔑みの代償と礼儀への報酬
クロードの放った言葉に目の前の戦鬼の顔がみるみる紅潮し、強く握り居絞めた右拳が怒りでワナワナと震えている。
「この俺を、俺達戦鬼を、ゴブリンの様な下等種族の前に跪かせるだと」
「ああ、その通りだ」
そう言ってクロードは突き付けたタバコを再び自身の口元に戻し、深く息を吸い込む。
眼前の相手をまるで脅威としていないその態度と言葉に戦鬼の怒りの火が燃え上がる。
「ふざけるな!そんな無様な真似が出来るか!」
怒りに任せてリーダー格の戦鬼は自身の足元を思い切り踏みつける。
たったそれだけで足元の床が砕け、破片が散らばる。
割れた床をチラリと見た後、クロードは呆れた様な声を漏らす。
「今言っただろう。これは決定事項だ。お前の意思等関係ない」
「何が決定事項だ!図に乗るのもいい加減にしろ!」
「それだけやられておいて何を言ってるんだか・・・」
「ウルサイッ!」
荒い息を吐きながら憎悪の篭った視線を向けるリーダー格の戦鬼。
だがその内心では焦りと後悔が渦を巻いていた。
傭兵の仕事を終えて戦場から帰る途中、この国に立ち寄った彼等。
仕事の報酬でパーっと打ち上げをしようとこの店に立ち寄ったのだが、酒宴の途中でゴブリンがVIPルームに入っていったのを見たという部下の報告を聞き、下等種族が自分達よりいい思いをしている事が許せず。酔いの勢いに任せて部屋へと乗り込んだ。
ゴブリンに身の程を弁えさせ、あわよくばゴブリンにこの店の支払いまでさせようと考えていたのに何故自分達はこんな窮地に立たされているのか理解できない。
「俺達戦鬼は最強の戦闘種族なんだ。お前等みたいな雑魚種族に負けるはずがない!」
「この国でそう言った選民思想は口にしない方がいい。恥を掻くだけだ」
「黙れ!黙れ!ダマレェエエエッ!」
自分を鼓舞する為に吠えたり、駄々をこねる子供の様に地団太を踏んだりする戦鬼。
最早彼の言う最強の種族とやらの面影など見る影もない。
既に敵と呼ぶに値しない相手だが、とりあえずあまり店を壊されると面倒なので一応忠告だけはしておく事にするクロード。
「あまり床を壊さない方がいいぞ。後で高額な修理代を請求されるからな」
「だったら修理する必要がない様に店ごと潰してやる!」
忠告のつもりだったのだが、どうやら相手は違う答えに至ったらしい。
そしてクロードの目の前で戦鬼の魔力が最高点に達する。
戦鬼族に伝わる必殺の技。これを放てば部屋にいる者全て無事では済まない。
もちろんその中には自身の手下も含まれるが、リーダー格の戦鬼にとって味方の命すら今はどうでもよかった。
彼の頭の中には自分達をコケにした相手を葬り去る事しかない。
「全て灰と消えろぉおおお。
無傷の右腕に収束させた魔力を掌に掴み、真下へと振り下ろす。
自身が持つ一番の技で何もかも吹き飛ばそうとする戦鬼。
だが、それを黙って見過ごしてやる程クロードは甘くはない。
拳を振り下ろした先に滑り込んできたクロードが戦鬼を見上げる。
「そいつを撃たせるわけにはいかないな」
「っぁ!?」
まさか飛び込んでくるとは思わず驚きに目を見開く戦鬼。
その目の前で自身が振り下ろしている右腕と交差するように、クロードの右拳が真上に向かって振り上げられる。
2つの拳が交差した後、戦鬼の掌が真下の地面に触れるよりも早く、クロードの右拳が戦鬼の右肩を真下から突き上げる。
ミシミシと音を立てて右肩の骨が折れ、突き抜ける衝撃が体を真上に持ち上げる。
床に触れようとしていた右の掌も体に引っ張られて真上に跳ね上がり、手の中に集めた魔力が散る。
「あがっ!」
右肩を破壊された痛みに悲鳴を上げ、苦悶の表情を浮かべる戦鬼。
大きな体が僅かに浮き上がり、為す統べをなくした相手を見上げながら、クロードが両拳引く。
「さあ、後悔の時間だ」
「やめっ!」
恐怖で顔を引き攣らせる戦鬼目掛けてクロードは容赦なく拳を叩きこむ。
最初に繰り出した左拳が右脇腹に減り込み肋骨をへし折る。
続く打ち下ろし気味の右フックが戦鬼の横面を斜めから殴りつける。
口の中で歯が数本へし折れて血と共に口外へと吐き出される。
「ぶぷっ!」
屈強で知られる戦鬼が一撃を受ける度に意識を刈り取られそうになる。
むしろ意識が切れてくれた方がどれ程楽な事だろう。
いや、もしかしたらワザと意識が残るギリギリの加減をしているのかもしれない。
混濁する意識の中、ふとそんな考えが脳裏を過ぎるが次の一撃でそんな思考もすぐに掻き消える。
完全に戦意も潰えて目から光がなくなったのを見届けたクロードは、最後に左拳を軽く握り直す。
「これで終わりだ」
終わりと聞いてどこか安堵する戦鬼の無防備な顔面を、真下から左アッパーカットが打ち上げる。
戦鬼の体が空中で縦に3回転程した後、後頭部から固い床の上に叩きつけられる。
顎が砕け、口からダラダラと血を流し白目を剥いている戦鬼を見下ろしながら口に咥えたままだったタバコを一息吸い込む。
「お前程度がデカい顔して歩ける程、この街は甘くないんだよ」
そう言ってクロードは残りの2人がどうなったか確認しようと後ろを振り返る。
「どうりゃあっ」
視線の先では2人の戦鬼の角を掴んだラドルが、2人の顔面をシンバルの様に打ち付けて遊んでいた。
2人の戦鬼の顔面は既に完全に意識を失っており、血濡れになった顔は原形を留めていない。
「おい、ラドル。そのくらいにしておかないと死ぬぞ」
「おっと、いかんいかん」
クロードに言われてハッとなったラドルは2人の戦鬼の角から手を離して足元に転がす。
ラドルも鬼の血を引く種族。一度戦闘になると熱くなりすぎるところがある。
昂った血を落ち着かせながらラドルはクロードに尋ねる。
「そっちは終わったのか?」
「見た通りだ」
「まっ、お前が手こずる理由もないか」
そう言ってラドルは足元に転がっている4人の戦鬼を見下ろす。
「外の傭兵っぽいからもう少しやると思ったんだがな」
「傭兵の質も千差万別って事だろ」
「そういうもんか」
雑談を交わす2人の隣で、ロックは最後に残った戦鬼との戦いに決着を付けようとしていた。
「うあぁあああああっ!」
1人残され、破れかぶれになった戦鬼の腑抜けた拳がロックの目の前を通過していく。
ロックはその腕に横から飛びつくと、逆上がりする様に足を蹴り上げて相手の顎を真下から蹴り上げる。
「ごぱっ!」
血を吐きながら真上を向いた戦鬼の頭上に、先ほど振り上げた足をそのまま打ち下ろす。
戦鬼の顔面に踵が見事に減り込み、相手の鼻の骨をへし折る。
凄まじい衝撃を顔に受けた戦鬼はヨロヨロと数歩よろめいた後、意識が途絶えて糸の切れた人形の様にその場に倒れる。
「ハァハァ・・・・。どんなもんだ」
息切れしながらも相手を撃破したロックが倒れた相手を指さし勝ちを宣言する。
それを見届けたクロードは壁に掛けられた時計の方に目をやる。
「残り7秒といった所か。少し喋り過ぎたな」
「いいんじゃないか。時間内にゃ納まったんだし」
少しだけ不満の残る様子のクロードと相変わらずお気楽な様子のラドル。
そこに息を整えたロックが加わる。
「兄貴達。余裕があるなら手伝ってくださいよ~」
「それじゃお前の為にならないだろ」
「そうだぜ。カワイ子ちゃんにいい所みせるチャンスだろ」
「なっ!べっべべべべ別にそんなんじゃないっすよ・・・まだ」
顔を真っ赤にして反論するロックに兄貴分2人は微笑を浮かべる。
ともあれ、これで乱入してきた戦鬼達は全員黙らせた。
後は、この戦の結果を見てモンテスがどういう反応を示すかである。
「モンテス社長。私共の実力の程はお眼鏡に敵いましたでしょうか?」
「ええ、流石はこの街の裏を取り仕切るビルモントファミリーの方々だと思いましたよ」
モンテスの言葉にクロードが少し困ったような表情を浮かべる。
この街の人間なら誰しも知っているビルモントファミリーだが、その名をあまり公の場で口に出して欲しくはない。
この場にいる人間の多くが関係者であるとはいえ、キャストや客の中にはマフィアに対していい感情をもっていない人間もいる。
そういった人物からモンテス達との繋がりが漏れたりすれば、それはそれで厄介だ。
クロードの表情から彼の考えを読み取ったモンテスが表情を緩める。
「少し意地悪が過ぎましたな。ビルモント専務」
「いえ、モンテス社長ならご存知だと思ってました」
今回の取引の中でビルモントファミリーの名は一度も出していないが、クロードの名や、ボルネーズ商会の背景を洗えばその事はモンテスの情報網を使えばすぐわかる事だ。
「実は私、マフィアが嫌いなんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、物事をなんでも暴力で解決するという考え方があまり好きでないのでね」
クロードを前にして堂々とそう言い放つモンテスに周囲がざわつく。
嫌いならば何故クロード達を力を見せろなどと言って試す様な真似をしたのか。
皆が疑問に思う中、モンテスは少し残念そうに言葉を続ける。
「とはいえ、このご時世。未だに世界のあちこち戦争やら紛争やらが勃発している中、好き嫌いで事業拡大は出来ないのも事実。私1人の我儘で会社を大きくするチャンスを潰してしまうのは惜しい」
「なるほど。それで今回の面談に応じて頂けたという事でしょうか?」
「そうですね。ただ理由はもう1つあります」
「もう1つ?」
「はい」
小さく頷いたモンテスはクロードの方に向かってその小さな指先を向ける。
「最初断ろうと思っていた私にヨーザが出した交渉相手の名前が貴方の名だった」
「私ですか?」
「ええ、近頃裏で名を売っている"第七区画の鴉"と呼ばれる人物。それがどれ程の人物なのか直接会って話をしてみたかった」
そう言ってモンテスは可笑しそうに笑う。
「実はウチの社員の何人かが、過去に貴方に助けて頂いた事があるのですよ」
「助けた?私がですか?」
「ええ、先程のように力の強い魔族や亜人族に暴行されそうになった時、他の区画で起きた銀行強盗に巻き込まれた時、悪事の片棒を担がされそうになった時、ケースは様々ですが何れも貴方に救われている」
「・・・・・」
モンテスの話を聞きながらその内容について頭の中で思い返してみるが、心当たりが多すぎてどれの事を言っているのかまるで見当がつかない。
「社会的な悪であるはずのマフィアの話を社員達がまるで英雄譚の様に語るものだから、私もつい興味を惹かれてしまいました」
「それではさぞ幻滅させてしまった事でしょう」
そう言ってクロードは苦笑を浮かべる。
モンテスが語った様にクロードは善悪で区分すれば疑う余地もない程の悪だ。
その事実は今し方打ち倒し、床に倒れたままの戦鬼達が物語っている。
しかし、クロードの思いとは逆にモンテスは首を左右に振ってその言葉を否定する。
「いえ、むしろ会えてよかったと思っていますよ」
「何故ですか?」
クロードの問いにモンテスは真剣な表情で答える。
「まず貴方が今日初めて会った私に対して躊躇なく頭を下げたからでしょうか」
「それは・・・」
仕事の契約を結ぶ為に相手に対して当然の礼を尽くしただけの事。特別な事をしたつもりはない。
そう言おうとするクロードの言葉をモンテスは手を前に出して制する。
「もちろん。貴方にも目的があっての事でしょうが、それは中々できる事ではない。実際、私もゴブリンだという理由から今日まで様々な蔑みを受けてきましたし、様々な嘘に騙されてきましたよ。どこにでもいる普通の人達から」
「・・・・・」
「だけど貴方はそんな人達と違い、私に頭も下げたし、先程私やそちらのお嬢さんが侮辱されことに対して本気で腹を立てているように見えた。そこに貴方という人物を見た様な気がしました」
モンテスの真っ直ぐな言葉と目を正面から受け止めるクロード。
その瞳に今日初めてモンテスの本当の心を垣間見た気がする。
「世間に多く居る私達を蔑み、騙す様な人達から比べれば例え相手がマフィアであったとしても、貴方の様な人物の方が余程信用出来る。今日、私はそう思いましたよ」
そう言ってモンテスはクロードに向かってスッと右腕を差し出す。
「だからビルモント専務。次にお会いする時は契約書を持ってきてください。貴方とならきっといい仕事ができる気がします」
モンテスの言葉に分不相応な評価だと思う気落ちもある。
だが、そうまで自分を評価してくれた相手の手を振り払う理由もない。
だからクロードはモンテスの差し出した手に自身の手を重ねて握り返す。
「よろしくお願いします。モンテス社長」
「ええ、一緒に良い仕事をしましょうビルモント専務」
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