第15話 魔術書

 魔術を放つためには、体内にある魔力の操作と魔術文字を書くという、二種類の訓練が必要なんだ。昨日は魔力操作の練習だったので、今日は魔術文字のお勉強にした。


 魔術文字の基本は、文字の理解と暗記。それさえできれば、魔術師としてなんとかやっていける。


 だけど、人の記憶ほどあてにならないものはない。覚えきれないほど長い文字や魔術陣は、紙に書いて本――魔術書にする。あまり使わない魔術は、外部の記録に頼るというわけだ。


 魔術を使う者であれば必ず持っていて、僕も用途別に何冊も持っている。この前に解析した特殊個体の魔術もすでに追加している。魔術書は、付与師や魔術師の財産とも言える大事なものだ。


「先生の文字は綺麗ですね」


 魔術を覚えたばかりのアミーユお嬢様は、僕が初めて作った魔術書を書き写していた。今は手が疲れたのか、手から羽ペンを離して僕と話している。


「文字が崩れると、魔術が発動しませんからね。綺麗に書けるよう、頑張りました」

「最初に魔術を教えてくれた先生も、同じことを言っていました。やっぱり重要なんですね」


 当たり前だけど、僕の前に魔術を教えた先生がいる。僕はどんな人だったのか知らないけど、なんとなく、ほんと、なんとなくなんだけど、意識してしまう。アミーユお嬢様の中で、どっちが上だと思われているのだろうか?


「文字だけじゃありません。付与をするのであれば、円といった記号なども、正確に描く必要があります。一部の付与師は、風景の模写とかにハマる人も多いみたいですよ」


 図形を正確に描けば、効果も増幅する。早く正確に。これは魔術や付与にとって、重要な要素だ。とはいえ、延々と記号を書いていても飽きてしまう。その対処法として、絵を描くことが多いのだ。


「クリス先生も絵を描くのですか?」

「ええ。これでも結構うまいんですよ?」


 もちろん、僕も付与師の端くれとして絵は嗜んでいる。


「付与師になることも考えているのであれば、今のうちから絵を描く練習をするといいですよ。とにかく、常にペンを持って文字を書き続けるんです」


 指先に魔力を集めて魔術文字を書く方法もあるけど、それはペンで書けるようになってからだ。


「私、頑張ります!」


 ぐっと手を握って、上目遣いをする。この仕草は反則だ。無意識にやるんだから、この先、何人の男が泣かされるのか想像できない。


「期待していますね」


 動揺を悟られないように、やや硬い声を出してしまったけど、アミーユお嬢様は気づかなかったようだ。羽ペンをインクにつけると、再び魔術文字の写しを始めた。


 サラサラと文字を書く音だけがしている。メイドさんは二人とも部屋の隅で、ずっと立ちっぱなし。やることがないので、彼女たちを見ることにした。


 左側に立っているメイドさんは、褐色肌にロングヘアの銀髪。右側は色白でショートヘアの黒髪。二人とも目の色は青い。アミーユお嬢様の専属メイドだからか、容姿も優れている。街で出会ったら、絶対に振り返るレベルの美人だ。


 この場に兄さんがいたら、絶対に声をかけているはずだよな……あの容姿とトーク術なら、デートまでこぎつけるだろう。それで後になって、恋人のエミリーさんやナナリーさんに文句を言われるんだ。でも最後には許して、熱い夜を過ごす……あー。羨ましい。


 この世界では、戦う力があって積極的な男がモテるからね。僕と正反対だ。


 一度死んで生まれ変わったぐらいじゃ、僕の引っ込み思案な性格は直らなかったみたい。……いいんだ。僕には魔術という恋人がいるから。この前も寝かせてくれなくて大変だったんだから!


「ふふふ……」


 思わず、僕の暗い心の声が漏れてしまった。


 メイドさんたちが不審な目で見ている。ゼロに近い好感度が、さらに下がってしまったかな? ん? 褐色のメイドさんがこっち来た? 見てたことがバレた!? それとも僕の声は叩き出されるほどヤバかったの!?


「クリス先生。少しよろしいですか?」

「は、はい」


 なんとか冷静に返せたぞ。


「昨日の動きは、付与師とは思えないほど見事でした」

「ありがとうございます」


 付与師は、お店でモノに付与するのがお仕事だからね。


「あれほどの腕あがあれば、ハンターになって成り上がることも、貴族に仕えて優雅な生活をすることもできると思います」


 兄さんがハンターになったとき、そんなことを考えたときはあったな。


「そうせず、なぜ、街の片隅でお店を経営しているのでしょうか? 聞いた限りですと、繁盛していないようですが……」


 ああ。そんなこと気にしていたのか。そういえば、昔は、いろんな人に同じことを聞かれたな。最近は、そんな質問をする人もいなくなったので、なんだか懐かしいや。


「両親の思い出が詰まっている場所ですから。そこを守りたいだけです」


 僕は育ててくれた両親が好きだった。だから、お店も残したいし、魔術だってもっと覚えたい。あそこで魔術を研究していると、つながっているように感じられるんだ。


 二度目の人生は、お金や名誉なんていらない。家族や友だちと仲良く暮らしていたかっただけなんだ。


「もったいないと、思いませんか?」

「普通はそう思うかもしれません。ですが、私は普通ではなかった。ただ、それだけです」

「……そうでしたか。差し出がましいことを言ってしまい、申し訳ありません」


 褐色のメイドさんが、頭をさげて定位置に戻った。


 いったい、何を知りたかったんだろう? 褐色メイドさんが、男として僕に興味を持ってくれた? いや、それこそないだろ。


「出来たー!」


 僕がアホなことで悩んでいるときも、アミーユお嬢様はしっかり模写を進めていたみたいだ。課題がすべて終わったようで、ペンを置いて両手を上げている。


 メイドさんが濡れた布で、インクで汚れてしまった手を拭いていた。


「クリス先生。見てください! どうでしょうか!」


 アミーユお嬢様が、書き写した羊皮紙を持ってきた。


 受け取ると、一文字、一文字確認する。写し間違えはない。文字も綺麗だ。いくつか質問をしてみたけど、理解できているようで、しっかりと答えてくれている。記憶力も良い。本当に魔術師に向いている。


「さすがアミーユお嬢様です! 完璧です。今日の座学は、これで十分でしょう」


 僕が褒めると、飛び跳ねて喜ぶ。スカートがめくれそうになるから、その喜び方はだめじゃないかな?


 あ、今日もメイドさんに注意された。


「すべての模写が終われば、羊皮紙をまとめて、魔術書にする予定です。それが完成したら、自ら魔術を研究して、覚えなければいけません」

「はい!」

「本来は魔術書を作って、私のお仕事も終了となるはずですが……付与術に興味があるのでしたら、家庭教師を延長して基礎を教えることもできます」

「いいのですか!?」


 仕事が終わるといったところで暗い表情をしていたけど、すぐに明るくなった。本当に、貴族とは思えないほど素直でいい子だ。


 だからこそお店の再開を延長して、付与術まで教えてあげたいと思ってしまった。


「私、付与術にも興味あります! ありますっ!」


 また飛び跳ねようとして、今度は色白のメイドさんに肩を押さえられた。


「わかりました。それでは、リア公爵夫人にお伝えしてみます」


◆◆◆


 授業が終わり教室を出る。

 その足でリア公爵夫人に、今日の出来事を報告した。


「あの子が望むのであれば、付与術も教えてあげて」


 予想通りの言葉が返ってきた。お店の再開は遠のいてしまうけど、アミーユお嬢様との日々も悪くない。いや、むしろ僕は楽しんでいた。


 リア公爵夫人が許してくれて、心のどこかでホッとしていたのだ。

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