ロール・プレイング・アースクェイク

解場繭砥

ロール・プレイング・アースクェイク

使用お題

【おもちゃ箱】

【アンインストール】

【六年前のあの日】

<太陽>



 六年前のあの日、僕は全てを脳内から消した。その日から僕は誰でもなくなり、僕はこの世から消えた。

 今ここに残っているものは、意識のような、人間のような何か。用事を言いつけられれば果たすし、勉強を与えられればやる。だからこうやって大学受験も現役で合格した。日本社会は学歴レールだし、これからも生命を維持していくことはできるだろう。たぶん結婚もするに違いない。子供も作るかな。作って税金を納め続けて適当なあたりで死ぬだろう。模範的な国民。とてもとてもいい子。


 あの日、この国の半分が揺れた。半分が物理的に揺れて、もう半分は精神的とか経済的に揺れて、この国はもうずっと六年間揺れが収まらない。国難というやつなんだろう。

 昨日までいた大切な人はいなくなり、僕は泣いて、泣いたら前に進めないから涙を止める方法は全ての機能を止めることだった。今まで頭の中に入れたソフトは何もかもアンインストール。僕だけじゃない、誰もがみんなそうやって生きたはずだ。


 僕を扶養する人は、僕の学ランを買ってくれた人はいなくなり、東京の叔父さんの家に来た。

 東京ということで、叔父さんもちゃんと物理的に揺れた部類だったから、本当に我がことのように思っていた。自分こそはこの災厄の当事者であり、責任を果たそうと意気込んでいた。でも失った大切な人は、せいぜい長く会っていない自分の兄くらいのものだった。長く会っていないというから、本当に大切だったのか、そこのところはよくわからない。叔母さんも叔父さんの考え方と全く同じだった。

 僕にはその意気込みは辛かった。辛いのだけれど、僕にはそれを訴える資格はなかった。僕に、我が子と同じように愛情を注ごうと考え、実際にそうした。単に僕に、愛情受け取る能力がないということ。僕は壊れて機能不全だった。どう考えても、僕のほうが悪い。


 その、我が子、のほう、叔父さん叔母さんの本当の子供は僕の従姉に当たることになる。従妹なのかもしれないが、同じ学年ということなのでどちらでも良かった。

 正直、彼女という存在は、叔父さんたちの惜しみない愛情よりはるかに楽だった。別に嫌がらせなどされたわけではないが、特に愛情を受けたわけではない。年頃というのが幸いしたのだろう。同じ学校で、女の子が男の子に優しくするなど、いくらいとこ同士とはいえ、変な噂を立てられるのがオチだ。

 従姉はだいたいにおいて僕に無関心で、でもうっかり同居前みたいに風呂上りにあられもない姿で歩き回り、僕に見られて僕は殴られたりした。とんだとばっちりだが、そういうとばっちりを食らうような存在であることは僕を安心させた。

 叔父や叔母は僕が悪いことをしても叱れなかった。僕は腫れ物でしかなかったから。


 僕が暮らしていた街は時々テレビに映ることがある。もしかしたらそのものズバリではないのかもしれないが、結局テレビに映る被災した街というのは悲惨という点で、どれも似たようなものだった。

 僕がテレビから目を背けるようなことをしたのはほんの初めのほうのことだけで、しばらくするとその映像は僕にはとても乾いて見えるようになった。たとえ、それがどんなに水に浸かった映像だったとしても。

 ああ。おもちゃ箱をひっくり返したみたいだな。ひっくり返っている車や建物を見てそう思うようになった。実際そうなのだ。地球は、この世は、神様のおもちゃ箱なのだ。神様が無邪気に遊んだせいで、いろんな人が帰ってこないようになり、いろんな人が涙を流し、放射線は流れて、生きていても、帰りたくても帰れない人がいる。


 かわいそうに。


 僕はかわいそうな人だった。特に叔父叔母や学校の先生にとって。彼らは懸命に自分に課せられた努めを果たした。僕はそんなもの課していないし、国も神様も課してはいない。神様はただおもちゃで遊んだだけだ。

 神様が試練を与える、みたいな言い方があるけど、そんなはずあるか。おもちゃで遊んでるだけの子供が、誰かに何かを課そうなんて、考えるわけがないだろう。


 勉強をしていると気が紛れた。遊びに目もくれず、刻苦勉励を尽くしたといえば聞こえはいいが、僕は遊ぶことができなかった。

 逆に、僕に課せられたロールがあったのだ。〝かわいそうな人〟というロールだった。僕は、僕に優しくしてくれる人のためにかわいそうな人であり続けなくてはいけなかった。それこそ、神様が課したわけではないが、優しい、とても心優しい人たちが僕に課した役割。真綿で首を締められるような、決して逃げられない、役割。


 全校生徒の前で作文を読ませられるような機会はたくさんあったと思う。僕はそのための作文も必死でこなした。あるいは、他の場所に散らばっていった生き残った仲間たちは、教師たちに書いてもらったりした奴もいるのかもしれないが、僕はちゃんと自力でやり遂げた。

 首を締められている自覚はあっても、結局情けを受けて食べさせて貰っているのは事実で、その負い目に勝つことはどうしたって出来はしなかったのだ。

 作文の出来が平凡であっても、教師たちは神妙な面持ちになっていちいち感動してきた。最初から感動するように、あらかじめ台本が定められているのかもしれなかった。作文を読み上げると、僕の内申点は上がるのかもしれない。せめて、そんな風にひねて考えることが僕の取ったわずかな反抗だったのだろう。


 僕はこうして、ひどく人工的な感じで優等生になってゆき、それは家の中で従姉の立場を悪くした。

「彼を見習いなさい」

 それが叔父さんの口癖になった。従姉はひねていった。僕と違って、外側の方向にわかりやすくひねていった。

 従姉は学力低めの高校に入り、そうすると悪い友達もいたりする。もちろん学力の高い、たとえば僕の高校にも悪い奴らはいるわけだし、そう大差はないのかもしれないけど、結果論として従姉の素行は悪くなった。

 僕は夕方には家に帰っていたけれど、従姉はそうしなくなった。叔父叔母が学校に呼び出されたりすることもあった。


 妊娠して堕胎した説、というのが回り回って僕の耳に入った。説、というのは当人も叔父叔母も何も言わないからだ。本当のところはよくわからない。隠し事をするのは本当は家族ではないからだろう。ただ、僕には従姉が僕と全く同類に見えた。何かのロールを演じているような。僕はかわいそうな優等生の役。彼女は不良少女の役。何かを演じないことには、もう僕も従姉も身動きがとれないのだ。


 従姉はかわいそうなのかもしれない。しかし、どうしてもこの〝かわいそう〟という言葉をつけて、彼女に限らずあらゆる人を見たくなかった。それは僕を縛る縄と同じように人を縛ることに違いなかった。

 そしてある時、従姉は帰ってこなかった。六年前のあの日から帰ってこない人とは全く違って、いつかふらっと帰ってくる可能性のある〝帰ってこない〟だ。だから従姉は、かわいそうだからいなくなったのでもなければ、いなくなったからかわいそうなわけでもない。全然違う。


 つまり、彼女は自分の意思でいなくなった。本当に自由な行動だった。彼女は神様の側だった。神様みたいに、おもちゃ箱をひっくり返して出ていったのだ。


 僕は高校の卒業式で、首席として壇上で卒業の言葉とやらを述べなくてはいけなかった。あれから六年間、という言葉はこういう場にうってつけだった。六年も経つというのに、目頭にハンカチを当てる人が壇上から見えた。その人は感動しているのかもしれないが、僕には感動はできなかった。僕の、人を喜ばせるために書いた陳腐な作文に涙を流して喜ぶ人々。僕には〝いいひと〟たちがそういう風にしか映らなかったのだ。


 その日家に帰っても、相変わらず従姉はいなくて、自由を手に入れた彼女と、がんじがらめになった僕を対比した時、僕の目から初めて、揺れた直後を除けば本当に六年ぶりに涙が流れてきた。そして初めて、僕は従姉を好きだったことに気がついた。

 少々血が近いのは後ろめたいが、日本の法律ならぎりぎり問題はない。こういう少しぐらいの後ろめたさが、僕にはきっと必要なのだ。

 この六年間、僕は恋愛を知らなかった。クラスメイトは、やれ誰が好きだの、誰がやっただの、誰とやっただの、そんな話題ばかりしていた。そんなものは僕にはおもちゃにしか思えなかった。神様の遊びに巻き込まれたばかりで、遊ぶことも楽しむこともできなかった僕。六年前にアンインストールされたきり、僕の頭はからっぽのままだ。こうやってからっぽのまま生きていくんだろうか。



 大学の入学式で、学長という身分の人が、自分の夢を叶えるように、という、今までの「こうちょうせんせいのおはなし」とレベルの変わらない話をしてきた。僕はこれを有難がる役割を演じるがらんどうの優等生だ。だった。


 誰のために? 何のために? いつまで演じればいい?


 大学が自分の夢を叶える場所だとすれば、もしかしたら六年も経った今、自分のためだけに生きていいのかもしれない。今、これから接することになる周りの人々は、僕の身の上など知らない人ばかりだ。

 叔父叔母に学費を出してもらっている負い目も、奨学金を得ることができた今なくなっている。


 いまこそ自由に――!


 どうやって?


 自由に生きる方法など忘れてしまった。夢を見つける方法など忘れてしまった。ああ、これからそういう、もっと小さい時に学ぶべきものをインストールしなきゃいけないんだな。そう思った。


 そして、校門から出て帰ろうというその時――。


 彼女がいた。従姉がいた。


「入学おめでとう」

「どうして――」

 目の前にいるのは、この間ようやく初恋の人だと気がついた人。どぎまぎしてしまうしかない。まるでそれこそ、中学生みたいに。六年前の年齢みたいに。

「従弟の入学をお祝いに来てはいけない?」

「いや、いけなくは――ないけど」

「あたし、あなたのこと結構気に入ってたんだよねぇ。それでこんな凄い学校に入っちゃうんだから、晴れがましい気持ちにもなるじゃない」


 気に入っていた? 僕のことが邪魔でしかなかったはずなのに?

 それは、唯一僕に優しくしない相手が、僕にとって安らぎであったと同じように――?


「じゃあ、あたし帰るわ。お祝いできたから、それでおしまい。頑張ってね。バイバイ」

「待って!」僕は思わず従姉の腕を掴んでいた。やわらかい。「その――僕と付き合ってくれない!?」

「そんなことされても家には帰らないわよ」

「その、そうじゃなくて――男女の、というか」

「はぁ? あなた、何言ってんの!? 気は確かなの?」

「その――君は――、とてもあたたかかったから」(了)

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