だめさきゅ!

竜堂 嵐

さきゅ、あらわる!

 サキュバス succubus

 キリスト教圏における女の悪魔。

 人間の男と交わり、精気を吸い取って殺してしまう。


 追伸:死ぬときは、けっこう気持ちいいらしいぞ!








 魔界。

 言わずと知れた悪魔たちの棲家。

 よく考えれば、堕天した天使たちが地獄に堕ちて悪魔になったはず。

 で、地獄は神さまに背いた者たちが堕ちるはず。


 つまり、地獄のオーナー神さま!

 門番ならぬ管理人は、天使たち! ……のはず。


 ということは、悪魔がここから這い出てきて人間に悪さなんかできるはずがない。

 けど、天使たちの中にも多分一人くらいサボリか、賄賂受け取るやつか、それともすごく寛容なやつがいるのか、とにかく、悪魔は地獄にちゃっかり自分の国まで作ったあげく人間を誘惑すべく勤勉に働くらしい。(天網恢恢粗にして洩らさずは、きっと嘘)

 もっとも勤勉が有能に繋がるとは限らない。

 現に。


「さ、するべ!」


 サキュバスと名乗った、たぶん悪魔の彼女は全裸仁王立ちでさっきから同じセリフしか、しゃべってない。


「……あのさ」


「何だべ!」

「どいて。テレビ見えない」

 そう言って俺は彼女を押しのけようとした。が、柔らかなふとももはビクともしない。

 片手じゃ動かないのか。足って意外と重いなあ。

 でも今日の『昼デヤンス!』は、「家事がとっても楽になる! お掃除便利グッズ特集!」なんだよな。失業中の身の上としては、養ってくれる恋人のために、できるだけ部屋を快適に保ってやりたいんだよ。見たい。つか、太ももと足、邪魔。そもそも何が悲しうて、真昼間から全裸仁王立ちの痴女なんか相手にしなきゃならないんだ?

 そもそもあれか。

 ちょっとでも光熱費を浮かそうと開けっ放しだったあの窓。あれがいけなかったのか。

 なにせこの痴女はあの窓から入ってきて(ここ2階なのに)、いきなりぬぎぬぎし始め、

 最後に腰に両手を当て、どーん!! と言い放ったのだ。


「おらはサキュバスだべ! さ、イイコトしてお前の精気を寄越すべ!!」


 というわけで、俺は全ての元凶となった窓を閉めに行った。

 がらがらがらがら。あとエアコン、ぴっ。おお、涼しい。

 よし、問題解決っと。


「おい、おまえ!」

 

 ――してなかった。

 仕方ない、相手をするより仕方なさそうだ。

「……あのね」

 俺は基本事項から確認を始めることにした。

「そもそも、君はだれ?」

「聞いて驚け! おらはサキュバス! かの悪名高きサキュバスだべ!」

 二回言った。いや、さっきも聞いたからもう三回目か。

「で、年齢はいくつ?」

「聞いて驚け! さんびゃく、とんで、にさいだべ!」

 302。

 気のせいか、全部ひらがなだったような。ま、いいや。次、次。

「で、ここには何しに?」

 彼女はいよいよ胸を反りかえって言った。

「男の精気を吸い取りにだべ!」

「はいはい」

 俺はちゃぶ台に置いてあるスマホに手を伸ばす。

 体は一人前、おつむは幼児でも立派な家宅侵入罪だ。このまま追い出してもいいけど、猥褻物陳列罪の共犯はいやだし、腕とか背中とか触って傷害罪とか痴漢で訴えられるのは、もっといやだ。お巡りさんに電話して、あとは何とかしてもらおう。

「やーん!! だめだめ!!」

「あ」

 スマホ、取り上げられた。

「ちょっと。返してくれよ」

 気分を害した俺は、不機嫌を隠さず言う。

 あろうことか、彼女は俺にとってさして魅力的でもない脂肪の塊、つまり、おっぱいにスマホを押しつけた。

「やだべ! これで『ケーサツ』とかいうの呼ぶべ? 今朝だって、やっと逃げてきたんだべ!」

 前科持ちとはよかった。これで俺の身の潔白は証明されるに違いない。さて、あとは善良な一般市民として通報するのみ。えっと、小銭入れ、小銭入れ……。

「あ」

 そうだ。110番って、10円なくてもかけられるじゃん。向かいのタバコ屋に公衆電話あったよな。

 俺はテレビを消して立ち上がる。お掃除グッズは惜しいけど、あきらめるしかない。DVDの録画も今さら面倒くさいしな。

「ちょっと出てくる。ここで待ってて」

 できるだけさり気なくを装ったというのに。

「どこ行くんだべ!」

 ちっ。おつむが足りなさそうなのに限って、こういうときは鋭い。

「いや、まあ、ちょっと」

 もっとも、こういうときの男が嘘下手すぎるだけかもしれないけど。

 とにかく、靴を履いて玄関から出れば俺の勝ちだ!(何に勝ってるのかは、わからないけど!)

 後ろを振り返ることなく玄関にまっすぐ向かおうとした俺の足が、急に重たくなった。


 なぜだ? なぜなんだ? この敗北はすでに約束されたことなのか?!


 ……現在26の俺に一回り下の中二病的展開は、ここいらが限度なので早々に現実に戻ることにしよう。

 26才、大人の俺は後ろを振り向いて足を見下ろす。うわっ、怖っ。女の子が足に縋りついてるよ。こんなん、尾崎紅葉の『金色夜叉』でしか見たことない。

「待つべ!」

「いやです(きっぱり)」

「せめて、話だけでも聞くべ!」

「聞いたら帰ってくれますか?(思いっきり下手に出て)」

「いいから、聞くだけ聞くべ!」

「もう、わかったよ(あきらめた)」

 しぶしぶ、ちゃぶ台の前に座り直す。しかも、正座。これでつまんない話だったら、怒るからな。

「よーく聞くべ」

「はい」

「おらは……」

 はい、胸を張ってー。息を吸ってー。

 カウント開始。いーち、にーい、さ……。

「サキュバスだべっっっ!」


 殴っていいかな?


 いや、ひとまずこの怒りは取っておこう。

 人間、いつか怒んなきゃいけないときが来るから、つまんないことで怒るなっていうのが、ばあちゃんの教えだ。(ありがとう、天国のおばあちゃん)

 はい、俺も息を吸ってー。れーせーにー。

「それ、さっきも聞いた」

「……」

 あ、けっこう堪えてる。でも弱った敵には、止めを刺す。(by ゲームの鉄則)

「で?」

「でって……、何だべ!」

 あ、逆切れされた。コンボ決められたらやだなあ。よし、ここは防御を固めよう。(きっぱり)

「いや、俺が聞きたいのは、なんでサキュバスさんとやらが突然俺の恋人の部屋に現れて、いまは真っ裸になってるのか。その理由を聞かせてもらえると思ってたんだけど」

 ……あれ? いきなりしょぼんとした。

 あっ、正座した。おっぱい、腕に挟まれた。っていうか、挟める程度にはあったのか。もっと小さいと思ってた。

「……聞いてくれるべか?」

 いきなりしおらしくなられてもな。ま、いっか。

「どうぞ」


 彼女の話をかいつまんで説明すると、こういうことだった。

 彼女はサキュバス界の、いわゆる落ちこぼれらしい。

 悪魔にもいろいろランキングがあって、サキュバスは言わずもがな、何人の男を落としたかで、順位が決定される。年間ランキング1位が10年続くと見事殿堂入り(悪魔の殿堂入りって何だろう?)なのだが、逆に10年連続ワーストワンになってしまうと(それもすごいな)、何やらどえらい罰が待っているらしい。

 で、彼女は9年連続ワーストワン。

 今年はなんと、まだ一人も落とせてないらしい。


「もうすぐ10年になっちゃうんだべ……」

 消え入りそうな声で彼女は言った。

「それって、いつ?」

「今日の13時だべ」

 ……あと4分しかないけど。

 っていうか、どう考えても、もうワーストワンは確定だよな。

 俺の顔から考えを読んだのか、彼女は涙を浮かべて叫んだ。

「せめて一人くらいは……! ゼロは嫌なんだべ!」

 わかるけどさ。でも100点満点のテストで1点もらうより、0点のほうが潔いと思うのは俺だけか? まあ、そんなことはとにかく。

「だからってさ、人の家に押しかけていきなり裸で迫るのはよくないと思う」

 まあ、無職の男がこんこんと説教ってのもおかしいけど。

 モラルは大事だし、ここはちゃんと言っておかないと。

「まして『さ、やるべ!』なんて、男の人のこと何だと思ってるんだよ」

 彼女はみるみる小さくなっていく。

「物事には順序ってのがあるんだし、相手にも好みってものがあるんだから、そういう関係になりたかったら、まずは好きになってもらう努力をしないと」

 ま、好きになってもらうことより、関係を続けていくことのほうが大事だけど。

「わかったら、服を着てもう帰りなさい」

 そうそう。早く帰ってくれ。でないと恋人が帰ってきて修羅場になっちゃうだろう?

 俺、ここ追い出されたら、行くとこないんだよ。

「あ、そうだ」

 思い出したように俺は言う。

「帰るんなら、玄関からね。窓はダメだよ」

 俺の誠実極まりない素晴らしい説教に改心したのか、彼女はしぶしぶ服を着て――

 え? それ服? なんかドラクエのセクシー防具でこんなん見たことある。たしか、天使のビスチェだったけ?ドラクエのセクシー防具のイラストは、恋人に会うまでの長い間、俺のバイブルだった。(笑)

「お邪魔しました……」

「はい」

 うん。去り際にぺこりとお辞儀とは。

 説教した甲斐があったというもの。


 一人感慨にふけったそのとき。


 ぴんぽんぱんぽーん。


 どっかで聞いたことがあるような、軽快な音、いや、これ声だ声。これ、口で言ってる。


 帰りかけた彼女が振り返り、

「はう!」

 とムンクの叫びした。


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