第23話 新月の子
「おや…お嬢ちゃん、旅人かい?」
「あー……はい」
初めて出逢った中年男性に声をかけられた時は何を言われるか気になったが、あまりに普通の質問だったので拍子抜けだった。
今回降り立った場所は、どこかの山の中。山道を何となしに歩いていると、木が生えていない、ちょっとした道になっていた場所にたどり着いたのだ。
「もうすぐ日が沈むので、わしはこれから村に戻るが…良ければ、一緒に来るかな?」
「あ…そうですね。宜しくお願いします」
人の良さそうな中年男性は、私の返答に快く快諾してくれた。
『ヴァイキングの服で全く怪しまれないという事は…ここも、古代ヨーロッパにあるいずれかの国かもね』
…そうだね。今までは服装や時代が違いすぎて、変な眼で見られる事が多かったし…
私とサティアは心の中でそんな会話をしながら、男性について歩く。空は茜色に染まり、夕日が道を照らしているといっても過言ではない。
ここって街灯もないから、夜になったら真っ暗で怖いんだろうなぁ…
私は周囲を見渡しながら、足を動かしていた。
「!」
『沙智…どうしたの?』
突然、風を切るような音が耳に入ってきた私は、その場で一旦立ち止まる。
それを、サティアは不思議そうにしていた。
「お嬢ちゃん、どうかしたかね?」
突然の行為に男性も首を傾げていたが、時が経つにつれて何かを察知したかのような深刻な
「…嫌な予感がする。少し、早く歩こう」
「あ…はい!」
男性が何を恐れているかはわからないが、歩く速度を変えた男性に私はついていこうとしたその時だった。
「グルルルルルルル…」
「なっ・・・!?」
うめき声と共に現れた
山の木や叢の中から出てきたのは、茶色い毛並みを持った狼だった。しかしその姿は、動物園などで見かけるモノよりも倍近い大きさである。その視線が私達に向いた時、私は全身に鳥肌が立つ。
「ヴォ…
「…
私と同じように怯えている男性は、狼をさしてそう呼んでいた。
ただの狼ではない…って事…?
私は右腕の震えを止めようと反対の腕で掴みながら、無意識のうちにそう考えていた。
「ぎゃぁぁぁぁぁっ…!!!」
その後、目の前で起きた展開はあっという間だった。
狼が走りだしたと思いきや、私と一緒にいた中年男性に襲いかかって地面に組み敷いた後、その鋭い牙で喉笛を噛み切ってしまう。
「…!!!」
“人が獣に殺される”という生々しい瞬間を見てしまった私は、恐怖の余り声を失っていた。腕を地につけ息絶えた男性の首元は、血で真っ赤だった。しかし、狼はそこから血肉を食べる訳でもなく、何か戸惑っているようにも見えた。最も、あまりに悲惨な光景で生気を失った私が見た
『!!こっち来る…!!?』
狼の視線が私の方へ向いたのに気がついたサティアは、警戒した口調をしていた。
口元に血を含ませた狼は、ゆっくりと私の方へと歩いてくる。
『沙智…立って逃げるのよ…ほら!!』
彼女はおそらく、臓器補助機を調節して動けるようにしてくれているのだろうが、恐怖に飲み込まれて腰を抜かした私は、身体が震えて言うことを聞いてくれない状態だった。当然、ハードディスクにログインしていないので、忍の技は使えない。
見上げれば目の前というくらいに近づいてきた狼の瞳は、明らかに暴走しているような瞳だった。荒い息切れをする狼は、静かに私を見下ろしていた。そして、その大きな口が開き、中年男性をかみ砕いた牙が姿を現す。このままでは食べられてしまうと直感したその時…
『…やめなさいっ!!!!』
サティアの叫び声が、頭の中に響く。
私の死は、
「!?」
恐る恐る閉じた瞳を開いてみると、そこに狼の姿がない。
『…苦しんで…いる…?』
気がつくと、狼は少し離れた場所で地面に這いつくばり、痛みをこらえているような状態になっていた。
何が起きているのかわからず、私もサティアも戸惑いを隠せない。
「え…?」
しかし、その直後に起きた出来事で、私の中に生気が宿る。
地面に這いつくばっていた狼は皮が剥がれたような変化を見せ、その姿を次第に人へと変えていく。
『誰か来る…!!』
サティアの声と同時に、私も誰かが走ってくる音を耳にする。
聞こえる足音は複数。まるで、この瞬間を待っていたようなタイミングに、私は緊張感を覚えた。
すると、10代~20代くらいの青年が3人、私達の前に姿を現す。
日本人である私よりは白いが、白人にしては黒めな肌を持つ彼らは、地面に倒れている狼だった“少年”を見下ろす。
「…とりあえず、止まったか。人間を一人殺してしまったが…」
「…すまない。俺の管理がしっかりしていなかったばかりに…」
現れた青年達は、何か深刻な
「過ぎてしまった事は、仕方ない。…だが、おかげで…」
3人の中で一番背の高い青年が、そう呟きながら地面に座り込んでいる私を見下ろす。
一瞬目が合った後、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「…怖い思いをさせて、すまない。俺は、スタイリン。君は?」
「私は…緑山沙智…です」
顔は強面だったが、その青年の口調は優しかった。
自分の名を名乗った青年は、そう言いながら私に手を差し伸べてくれる。それに安堵したのか、手を取って立ち上がった後に私も名乗った。
「では、沙智。この辺りは、夜になると何かと危険だ。なので、俺達が住む村に来てほしい」
そう言ってくれるスタイリンの後ろでは、もう一人の青年が、狼になっていた少年を軽々と担ぎあげていた。
『こいつら…まさか、狼族?』
サティアの何気ない一言に、スタイリンが数回の瞬きをする。
すると、フッと嗤った青年は、私を見つめながら口を開く。
「…その通りだ。では、沙智の中にいる“君”も共に来てくれ」
「!!?」
『なっ…!!?』
まるで、サティアの問いに答えたような口ぶりに、私達は更に驚く。
「着いたぞ」
「あ…ありがとう」
その後、彼らが住むという村にたどりつく。
私を担ぎあげて運んでくれたスタイリンは、ゆっくりと体を地面におろしてくれた。
「…お前らは、オルカンを家に連れて帰ってくれ 」
スタイリンがそう言った後、一緒にいた2人の青年は、その場を後にする。
「着いてきてくれ」
そう促された私は、その場で首を縦に頷く。
周囲を見渡しながら村の中を歩いていると、不審者を見るような眼差しで村人が私を見つめてくる。
ここの人たちから、すごい警戒心を感じる…。これで忍の技が使えていたら、余計に重苦しく感じてしまうかも…
私は向けられる視線に耐えながら、スタイリンの後を歩く。
「…中に入ってきてくれ」
「は…はい…」
その後、村の中で一番大きそうな家にたどり着いた私達は、スタイリンに招かれて中へと入っていく。
「…長老!」
通された先には、あぐらをかくような体勢で座っている70代くらいの老人がいた。
雰囲気からして、村を束ねる長老といった所だ。
「…スタイリンか。話は聞いたぞ」
「ああ…。ついに…ついに、俺達は見つけたんだ」
長老とスタイリンは、小声で話す。
彼らが何を話しているかはわからないが、青年の視線が一瞬だけ、こちらを向いたような気がした。
せ…正座は知らないだろうし…
真面目な話をしそうな雰囲気だったので日本だったら正座すべきだが、明らかにここは西洋諸国。正座でなくても大丈夫だろうし、長時間正座をしていると足が痺れるので、私は体育座りを少しくずしたかんじで地面に座り込む。
「…ふぉっふぉっふぉっ!!いやいやしかし、話は聞いたが…若い者がいろいろとすまなかったのぉー」
「…はぁ」
見た目と反した元気そうな声を聞いた途端、私は「このテンションについていけるか」という一抹の不安を覚えた。
しかし、最初の一言は、わざとふざけていたに過ぎなかったのである。
「…お主は人の子でありながら、わしらにとって見てはならぬモノを見た。もう我々が何者かは、察しがついているのじゃろう?」
細い目つきだが、灰色の瞳は確実に私の
サティアの言い回しと、人へと変貌した狼。それに、彼らの人並み外れた身体能力から判断するに…
私は、長老の側で座っているスタイリンを横目で見てから、すぐに長老の方へ向き直る。
「
私の言葉に長老は黙ったままだった。
しかし、それは肯定を意味しているのだろうと悟る。
「我らウェイヴ族は、人は殺めぬが共に在る事はない。…しかし、此度に限り、そなたを村落に招いたのには、
「…ああ。君は俺達一族が探し求めていた、“新月の子”なのだから」
「!?」
スタイリンが口にした聞き慣れない言葉に、私は首を傾げる。
「正確に言うと…」
厳格そうな姿勢は崩さないが、少し言いづらそうな表情をしながら、彼は話を続ける。
「正確に言うと、沙智の中にいる“君”こそ、俺達が探し求めていた“新月の子”という事になる」
『…あたし…!?』
「サティアが…!!?」
彼の台詞に、私とサティアは、ほぼ同時に声を張り上げていた。
「…ああ」
一方でスタイリンは、満足そうな笑みを浮かべながら首を縦に頷く。
『…もしかしたら、また声を聴かせるはめになるのかしら?』
…そうかもね
この時、私と彼女はこの先の展開を、うっすらと感じ取っていたのであった。
そこから、長老を交えての話は続く。狼と人間の血を引く彼ら・ウェイヴ族には一つの言い伝えがあった。狼族にとって満月の夜は力がみなぎる刻であるのに対し、新月の夜は弱まるという。そこから取った名前らしく、“新月の子”とは良い方向に行けば、狼としての力で暴走した際それを食い止める事ができる。一方で、悪い方向に働けば、一族が持ちうる力を奪われ、戦えなくなってしまうという。
「伝承によると、“新月の子”は人の姿を取っているという事。そして、”人の中に宿る”という手がかりだけらしい。故に俺達は、長きに渡って人間の害にならぬよう努め、裏で外敵から彼らを守り続け、現在に至るんだ」
「“人の中に宿る”…」
私は、その言い伝えに感心を覚えた。
物理的にいうと少し違う点はあるが、ヴィンクラや人工知能を知らない彼らからしてみれば、私とサティアは伝承通りの人物という事になる。
「一つの肉体に2つの精神が宿る等、断じてありえない!と言い張る者もいたが…こうやって実際に見ると、不思議なものだのぉー…」
長老は、細い瞳でゆっくりと私を見つめていた。
『…でも、私があんたたちの言う“新月の子”だって確証を得たのは、それだけではないでしょ?』
「!!」
サティアの少し高飛車な声が、部屋中に響く。
つい今しがたヴィンクラのミュートを外したので、彼女の声を初めて耳にした彼らは、目を丸くして驚いていた。
「…なんと…!!」
「これは…!!」
声を実際に聞けた事で、嬉しいのか驚いているのかわからないような
「…俺は先ほど、遠くから君らが暴走した仲間に襲われそうな所を見た。その際、制止するような言葉が頭に流れてきた。だからこそ、あいつは人の姿に戻った。…それが理由だ」
『よくわからないけど…狼を制御できる…って事?』
「サティア、その言い方は…」
「…いや。気にしないでくれ」
サティアの言い回しに私が意見をしようとすると、スタイリンが制止する。
「言い伝えに従い、俺らは君を歓迎する。もちろん、
『…そうね。沙智の死は、私の死と同じようなもの。あんたたちが私をどう崇めようと勝手だけれど、この子に危害を加えるような事になったら、容赦しないから』
「新月の子・サティア。今の言葉…よく肝に命じておこう」
やっとその場の雰囲気に慣れた長老が、穏やかな口調でそう述べる。
『正式名称・サペンティアム…。でも、仕方ないからサティアで許してあげる』
少しふてくされたような口調のサティア。
しかし、彼女が自分の正式名称を名乗るのも本当に稀な事である。もともと喜怒哀楽がある人工知能なのは知っていたが、ここまで来ると普通の人間とほとんど変わらないのではという考えが、私の頭をよぎったのである。
「失礼します、長老様」
「…うむ。入りなさい」
すると、玄関と思われる扉の方から、男性の声が響く。
それを耳にした長老は、中に入ってくるよう促した。
「あ…!!」
すると、中には先ほどスタイリンと一緒にいた青年の一人と、その人物より少し背の低い少年――――――――――――狼の姿で私の前に現れ、気絶した少年だった。
「…思いのほか、早く目を覚ましたか。なかなかタフな戦士に育ちそうだな」
軽い笑みをこぼしながら、スタイリンは安堵したような口調でそう告げる。
「…ほら!そいつに謝れよ、オルカン!」
一緒にいた青年は、オルカンという少年に向かって頭を下げさせようとする。
「こ…」
「こ…?」
何かを言いかけた少年を見た私は、首を傾げる。
「怖い思いをさせて…悪かった。…本当に…」
少し俯きながら謝罪する少年は、まるで泣く寸前のような表情をしていた。
確かに、このオルカンって子のおかげで怖い思いをしたけれど…
そう思いながら、少年を見下ろす。
オルカンは見た所、12か13歳くらいのようだ。そんな少年がこれだけ必死に謝っているのに、これ以上責めるのは、人としておかしいだろうと私は考えていた。
「確かに怖い思いはしたけれど、君に謝罪の気持ちがあるのならば…それだけで私は十分だよ」
「…そっか…」
ポツリと呟いた少年は、緊張感が抜けたのか大きな溜息を吐いた。
「ふぉっふぉっふぉっ!サティア殿は気が強い娘じゃが、もう一人は心優しき娘だのー…」
「…長老。“彼女”は緑山沙智です。だが、しかし…確かに、対照的な二人だな」
フッと笑みを浮かべながら、長老やスタイリンは語っていた。
「あ…そだ!俺、オルカン!!まだ“戦士”になって間もないけれど、現在成長中でぴっちぴちの13歳だ!!宜しくな…!」
「よ…宜しく…」
突然態度が変わったオルカンに気後れをしながらも、ヴィンクラがログインする振動を感じていた。
『オルカン…だっけ』
「えっ!?うわ、違う声!!?」
サティアがオルカンに声をかけると、彼は目を丸くして驚いていた。
最も、彼は彼女が“新月の子”と知らされていないため、私以外の声に驚いたのかもしれない。
『…あんたの名前って、どういう意味があるの?』
「名前…?」
彼女の
そうか…きっと、今回のログインパスワードが“オルカン”って言葉だったんだ。だからかな…?
「…確か、“速き風”…だったかな?」
『…疾風…って事ね』
オルカンの返答を聞いたサティアは、納得したような口調をしていたのである。
『あんたに一つお願いしたいんだけど…私や沙智がここにいる間、あんたは私らの前で絶対に己の名を口にしないこと。…できるわよね?』
「へ…!?」
何故そう言われたのかがわからないオルカンは、助けを求めるように周囲の人物に視線を移す。
彼と視線が合った長老は、そのまま首を縦に頷いた。
「何か訳ありのようじゃな…。だが、わしらがこやつの名を口にするのは問題ないのかな?」
『…ええ。それは問題ないわ』
サティアの深刻そうな口調に、その場にいる全員が納得したようだった。
最も、彼らは“新月の子”であるサティアの“お願い”ならば、何がなんでも従うだろうが…
こうして、私達は、ウェイヴ族の集落に身を置く事となる。後に判明したのが、この時代が16世紀頃で、場所がトランシルヴァニア公国という国の外れだという事だった。私はこの時代でどんな知恵と出会うのか、少し楽しみではあった。
ただし、運命の悪戯ともいえる出来事がこれから起こるとも知らずに―――――――――
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