第22話 戦乙女・ヴァルキュリアの登場

その女性の現れ方は突然だった。空から舞い降りたかのように淡い紫色の髪をなびかせ、一瞬だが背中から放たれている光が翼の形をしていた。目の錯覚だろうか。

「…ふん。下級神のお出ましか」

すると、少し離れた場所に立つロキが、そう呟きながら舌打ちをしていた。

一見した所、この女性が間に割り込んできたため、避けるように間合いをあけたと思われる。

「貴女は…何…者?」

ようやく動いた口を開き、私は掠れた声でゆっくりと問いかける。

それに気がついた女性は、横目で私の方を見下ろす。

「私は敵にあらず。…そなたは、魂を抜かれる寸前だったのだ。今はおとなしくしていろ」

「は…い…」

女性の持つ碧眼が、私を捉える。

初めて見たその顔は、自分そっくりの顔立ちだった。違うのは肌や髪。瞳の色だけだったが、この時は外見に驚く余裕が全くなかったのである。

「…オーディンの使いっぱしりであるお前が、こんな小娘一人に何の用だい?」

「その台詞ことば…そのまま返すぞ、ロキ。貴様こそ、この下界・ミッドガルドで何をコソコソとやっている…?」

飄々とした態度で話を切り出すロキに対し、女性は真剣な口調で問い返す。

『オーディンとかミッドガルドとか言っているけど…もしかしてこいつら、北欧神話の神々なのかしら…?』

北欧神話…?

ようやく息が落ち着いてきた私は、サティアの呟きに答える。

『百科事典でも、中身はあまり載っていないけどね。ただ、あんたが小さい頃に私が研究所で読んだデータベースに、彼らを題材にした作品・“ニーベルゲンの指輪”の事が載っていたわ。それに…』

それに…?

『あんたも、あのヴェルディーって子から聞いたでしょ?ヴァイキングの死生観を…』

「…!!」

その言葉を聞いた時、私はヴェルディーの台詞ことばを思い出す。

『様々な原因で人は死に至るけど、私達にとっては“戦死”が最も名誉としているの』

ヴェルディーがヴァイキングの死生観に関する話の中で、戦死した者のその後についてが語られていたのである。

じゃあ、もしかしてあの女性ひとは…!!?

私は今の会話で、あの紫髪の女性が何者なのかを、おおよそ悟ったのである。


「待てっ…!!」

その後、女性の叫び声で、私は我に返る。

気がつくと、そこにいたのは女性のみだった。どうやらロキは、この場を去ったのだろう。

「…まぁ、いい。奴を捕縛せよという命令は、出ていないからな…」

女性がため息交じりに呟きながら、取りだしていた剣を鞘にしまう。

「…大丈夫か?」

「あ…」

こちらへゆっくりと歩いてきた女性は、私に手を差し伸べてくれた。

その手を取り、私はその場から立ち上がる。

「名乗るのが遅れてしまい、すまない。…私はヴァルキュリア。運命を司る女神で、今は主神・オーディンの命で、勇敢なる人間の魂・エインヘリャルを求めて飛び回っている」

「緑山沙智…です」

相手が名乗ってくれたので、私もすぐに名乗った。

「…私は死する運命さだめにある者や、その者の身近に存在する人間の声を聴く能力ちからを持つ。そこで偶然、そなたの声を聴いたのだ」

「身近な者の…声…」

そう呟いた時、私は何かを忘れているような気がした。

「ヴェルディー…!!」

先程、意識が飛びそうになっていたので、今になってようやく思い出す。

 早く、彼女を連れ去った奴を追わなくては…!!

そう思った私はヴァルキュリアに一礼した後、すぐにその場を去ろうとした。

「…成程。そなたは、この者の友だったのだな」

「!!?」

ヴァルキュリアの呟きに反応して振り向くと、その光景に目を見張った。

彼女の掌には、白い光の玉みたいな物が浮かんでいる。その光から僅かに形作られたモノ――――――――その見覚えのある顔は、他でもないヴェルディーだった。

透けて見える彼女の瞳は閉じられ、眠りについているように見える。

「それ…は…?」

目の前で見えている物の正体がわからず、私は恐る恐る今の言葉を口にする。

心境を察した戦乙女ヴァルキュリアは、閉じていた口を少し気まずそうな表情をしながら開く。

「エインヘリャルとして、私がヴァルハラへ連れて行く魂だ。しかし…この娘の魂はまだ回収して間もないため、こうして魂が眠りについておるのだ」

「回収した…ばかり…」

それを聞いて初めて、彼女が気まずそうな表情かおを見せるかを悟った。

戦乙女たる彼女の仕事は、勇敢な死者の魂を、神々の世界・アスガルドのヴァルハラ宮殿に導く事だ。そんな彼女の側にいる人間というのは、死した人間を意味する。ヴェルディーから多少の話は聞いていたものの、いまいち理解できなかったが…こうして事実を目の当たりにした事で、ようやく確証が持てたのだった。

「……ヴェルディー……」

私は生気の抜けたような眼差しで、眠りにつく金髪の女性を見下ろす。

本来なら、地面に足をつけて泣き叫んでいるだろう。しかし、私はそんな体力がないくらい、頭の中が真っ白になっていた。吐き気もすれば、全身が痛い。おそらく、あまりに想定外の事ばかり起こっているので、人工知能サティアも臓器補助機の調整ができていないのだろう。

唯一右目から流れた一筋の涙は、まるで血の涙のようだった。そんな放心している私を、ヴァルキュリアはジッと見つめていた。しかし何かを悟ったのか、私に背を向けてその場を去ろうとしたその時だった。

『…沙智。ヴィンクラのミュート、外してくれない?』

頭の中で響いた声に、私は瞬きで反応する。

この時目に入っていなかったが、この場を去ろうとしていた戦乙女も、何故か反応を示していた。

 う…ん…

少し放心ぎみだった私は垂れ下がっていた右腕を持ち上げ、ヴィンクラのミュートを外す設定を施した。

『…聴こえるかしら?戦乙女・ヴァルキュリア』

「そなた…!?」

ヴィンクラからサティアの声を聴いたヴァルキュリアは、目を見開いて驚く。

彼女が振り向いたのを確認したサティアは、更に話を続ける。

『私は、この魔具に宿る精。戦乙女たる貴女に、お願いがあるの』

ヴィンクラから発する声に最初は驚いていたが、“お願い”という言葉に戦乙女は反応する。

「…申してみよ」

「サティア…?」

私は彼女が何を言いだすのかがわからず、ポツリとその名を口にしていた。

『沙智が持ちうる能力ちからは、ある言葉が呪文となって目覚めるの。しかし、諸国を旅する私達は人と関わる度に、その能力ちからを封印しなくてはならない。…そして、その封印の“言葉”を発せられるのが…』

「…この、先程私が回収したエインフェリャル…という事か」

『ええ』

ヴィンクラの事とか本当の事は言わず、怪しまれない程度に脚色しながら、サティアがハードディスクによる事情を語る。

ヴァルキュリアも察しがいいようで、すぐに事態を飲み込んでくれたようだ。

 それにしても…サティアもまた、よく神様相手に嘘つけるなー…

彼女らの話を聞いていて、私はふとそんな事を考えていた。

考え事をしている間に、話は思わぬ展開を見せる。

「…では、私がこの娘の声で、その“言葉”を発せよと…?」

『そう!神様ならば、それくらいの事はできるでしょう?』

「サティア…?」

私が首を傾げていると、首の動きで察したのか、サティアが私に対して話し出す。

『…相手が死んでしまった以上、何とかしてログアウトしなくてはならないでしょう?魂を扱う戦乙女ならば、そういった芸当ができるかなと思って!』

「成程…」

あまりに突拍子もない話だが、何となく理解はできた。

ヴァルキュリアは腕を組みながら考えていたが、数秒黙り込んだ後、下に向けていた視線を目の前にいる私に向ける。

「…まぁいい。何故かは解らぬが、ロキに魂を狙われた人間だからな。旅を続けるならば、早急にこの国を出た方が良いだろうしな。…此度だけ、その要望に応えよう」

『…ありがと』

こちらの頼みに応じてくれたせいか、サティアが礼を述べていた。

人間嫌いであるサティアの口から、感謝の言葉が出るとは思いもしなかった。相手が神様だからなのか。それとも――――――――――――



「…ルーン文字」

「!!」

その後、ヴァルキュリアの力により、ヴィンクラにあるハードディスクがログアウトされ、今まで活用してきた技や力は一旦眠りにつくこととなった。

パスワードを述べた時の戦乙女の胸元は白く光っていたようで、おそらくは取り込んだ魂と共鳴しているのであろう。

「…ではな」

私に一言だけ述べたヴァルキュリアは、背中に純白の翼が現れていた。

飛び去る音と共に、私の周囲に抜け落ちた白い羽根が舞っていたのである。地面に落ちた羽根を拾い上げた私は、ふとある事を思いつく。

「そうだ…。ウルドやスクルダは、無事かな…?」

『沙智…?』

私の呟きに、人工知能サティアは困惑しているような声を出す。

「この時代を出る前に…」

『……』

その後も続く私の呟きに、今度は何も返すことなく彼女は黙って聞いていた。

「この時代を出る前に一目…彼らの無事だけでも、確かめては駄目かな…?」

『…やめなさい』

思いついた提案を口にすると、予想以上に答えが早く返ってきた。

「…サティア…?」

『駄目なものは駄目。…さっさと、次の時代へ行くわよ』

「でも…」

『これ以上駄々をこねると、臓器補助機操って、四肢の動きを封じるわよ』

「・・・っ・・・!!」

いつもは言わないような強気な発言に対し、私は、ただ従うしかなかったのである。


「…時空超越探索機、起動したわ」

『…了解』

ちょうど人気のない場所だったので、あれからすぐに時空超越探索機を取り出したのである。

私が黙っている内に、サティアは次の時代の座標を確認していた。

『…よし!これで座標設定もOK!!…転送開始するわ』

座標設定が終わったらしく、彼女の声に私は首を縦に頷いた。

 何故だろう…こんな無性に哀しい気分になるのは…

白い防御シールドが私を包み込む中、私は言われようのない絶望感を感じていた。また、理由はわからなくても、自分の状態が今までよりも違うような感覚を覚えていたのである。

 エレク…元気かな…?

心の中で、ポロッと出た本音。この時私は何も考えていなかったが、今の名前は本来なら二度と口にする事はないものだ。こうして、無自覚のまま私の中で起きている異変が次第に大きくなるのであった――――――――――――――


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