第16話 脱走した隊士を追って

 慶応元年(=1865年)2月――――――――京の冬を新撰組の屯所で過ごした私は、この時代に来てから半年以上が経ったのである。これまで、1つの時代につき1~2か月くらいの滞在期間だったが、今回は今までで最長ともいえる。囮作戦から数十日は平穏な日々が続いたが、そんな穏やかな日々を脅かす出来事が起こったのである。


「えっ…山南さんが…!?」

ある日の朝、井上さんに呼ばれて行った幹部会議で、私は目を見開いて驚いていた。

『あの山南敬助インテリが…脱走…』

深刻な表情で考え込む幹部がいる一方、頭の中ではサティアの声が響く。

話によると、昨晩に山南さんが無断で外出をしたらしく、彼の荷物がなくなっている事からして脱走したのは間違いないと見える。

「…法度が裏目に出る時が、来ちまったか…」

「土方さん…?」

少しうつむいた状態で、土方副長は何かを呟いていた。

しかし、低くて小さな声だったので、私は最後まで聞き取れなかったのである。

『あんたも、幹部らから聞いたでしょ?“局中法度きょくちゅうはっと”の事を…』

「!!」

土方さんの言葉の意味を理解していたサティアの声が、私の脳裏に響く。

そこでようやく、皆が深刻な表情かおをしている理由を察した。

「貴方を呼んだのは、一つ頼まれてほしいことがあるのです」

「頼まれごと…。伊東さん、それって一体…?」

皆の表情が険しい中、一人平然としていた睫の長い女性みたいな顔立ちの幹部――――――――伊東甲子太朗いとうかしたろうが、私に話しかけてきたのである。

彼は、同じ北辰一刀流である平助君の仲介と、近藤さんによるスカウトで昨年の10月に入隊した人だ。文武両道な点や、他にも何人もの門下生を連れて入ってくれたので、参謀兼文学師範に任命されたのである。

「彼の行き先はともかく、向かう方向はわかっています。故に、君には脱走した彼を探し、連れ戻してきてほしいのです」

「私が…ですか?」

伊東さんの台詞ことばに驚きつつも、私は疑問を感じていた。

…何故、私なんだろう…?

そう思いながら視線を上げると、偶然、近藤さんと目が合った。

「幸い、まだこの事は我ら幹部しか知らぬことだ。しかし、隊をまとめる隊長がその日だけいないとなると…隊士らに不審がられてしまう」

「…それで、私を…?」

隣にいた土方さんの説明に、何となくだが理由を理解したのである。

「緑山君…。頼まれてくれるか…?」

「あ…はい…」

近藤さんからの頼みで了承したものの、役目としてはとても重たいものだった。

そのせいか、心臓の鼓動が速く強く感じる。

「今日の隊務が終わり次第、総司を向かわせるらしいぜ!沙智ちゃん!!」

「永倉さん…」

永倉さんが、緊張する私を元気づけるかのような明るい笑顔を見せてくれた。

しかし、私の緊張感は消えるはずもない。追手に気がついた山南さんが抵抗する事よりも、自分が連れ帰る事で山南さんの切腹が決まるのだから、尚更だ。

「あー…。ちなみに、探しに行くのは大津まででいい」

「土方さん…?」

「…大津以降は、道も険しいと聞く。そこまで行って見当たらなければ、戻って来いという事だ」

「斉藤さ…」

罰が悪そうな口調で言う土方さんに対し、斉藤さんが補足をする。

その名を呼ぼうとした時、彼らが何を遠まわしに言いたかったのかに気がつく。

「…我々とて、試衛館時代から共に過ごした仲間を死なせたくはない。だが、幹部であろうと平隊士であろうとも、法度を守らねばならないのも事実。…故に、“探しても見かけなかった”ら“もう追いつく場所にはいない”という事だ。…改めて、宜しく頼む」

「…はい!わかりました…!!」

堂々とした口調で述べた近藤さんの表情は、僅かに微笑みを浮かべていた。

彼らの想いのたけを感じ取った私は、強い眼差しを向けながら大きく頷いたのである。しかし、そんな中で一人、冷めたで私達を見つめる者の姿も――――――



それにしても、馬に乗るのは初めてだな…

『…これも良い“知識”になるのだから、いいんじゃないの?』

その後、移動用に馬を借りた私は、京の町を出て街道を進む。

久々の単独行動だったので、サティアといろんな事を話していた。また、護身用に小太刀も手渡されているので、戦いによる不安は皆無だ。

最も、こんな見通しの良い場所では、背後を取られる事もないだろうしね…

馬の足音を耳にしながら、私はそんな事を考える。

周囲は木々に覆われているが、山ではなく林のため、足元も割と歩きやすい。岩などの障害物がないので、敵がひそめる場所はないと思われる。こんな考えを持つのは、一度忍びを経験した者の性かもしれない。

『…このままログアウトできれば、すぐにでも次の時代へ行けそうだけど…』

…うーん…ここしばらく接触してこなかったしなぁー…

私達は、ログアウトしてこの時代を去るにはどうすべきかを悩んでいた。局中法度にあるように“脱走は切腹”のため、逃げれば追っ手がかかるのは確実だ。最も、私は正式な隊士ではないのでこれが適用されるかはわからないが、絶対にないとは言い切れない。

また、ログアウト相手は新撰組の“敵”のため、なかなか接触しづらいのだ。


「あ…」

土方さんに言われていた大津辺りに差し掛かった頃、考え事をしていた私達の視線の先に、“見たくはなかった”ものが映る。

それを見た途端、心臓の鼓動が強く跳ねた。

「山南さ…ん…」

そこにいたのは、近くの茶屋に座っていたと思われる山南さんだった。

しかも、まるでわざと見つかるようないでたちでその場に立って私を見上げていたのである。

「…まさか、君が来るとは…少し予想外でしたね」

「山南さん…!!」

彼の台詞ことばで我に返った私は、すぐに馬から降り、近くに繋いだ。

しかしその行為すら、山南さんは涼しそうな表情で待っていたのである。

「何故…何故こんな事を…!!?」

私は掴みかかるような勢いで、彼に詰め寄る。

頭も良く、幹部らに慕われた彼を何が追い詰めたのか、私にはよくわからない。左腕を負傷しているのは知っていたが、別に生きていけないという訳でもない。しかし、その理由が理解できないのは、私が本当の“武士”ではないからかもしれない。

「緑山君…」

今にも泣きそうな表情かおをして詰め寄る私に対し、山南さんは少しだけ困ったような笑みを見せる。

「…貴女には、解せぬかもしれませんが…」

そう呟きながら、私が腰にさしている小太刀を見下ろす。

「刀を振るう事のできなくなったわたしは、“生ける屍”そのものです。それに…」

「…それに…?」

その先を言いかけた彼に、首をかしげながら尋ねる。

しかし、山南さんがそれに続く言葉を口にする事はなかった。

「…脱走を決行する前に決めたのです。もし追っ手がかかり、わたしにとって“信ずるに値する者”が追っ手であり追いつかれた暁には…潔く捕まり、刑に服すと」

「…!!」

“刑に服す”という言葉に、私の心臓が跳ねる。

『そんな強い覚悟を持つ人間…初めて見たわ』

ずっと黙っていたサティアも、驚きを隠せていないようだ。

この時私は、「見つけられなかったら戻ってこい」という土方さんの台詞ことばを思い出す。

私がこのまま屯所に戻って、「見つけられなかった」と幹部に報告すれば…山南さんを助けられる…

そんな考えが頭の中を巡る。同時に、幹部達かれらも本当は、山南さんを死なせたくないという強い想いがある事も思い出す。それは、まだ1年足らずの付き合いである私にでもわかるくらい、熱き想い―――――――――

ちなみに史実では本来、脱走した山南敬介は連れ戻され、沖田総司の介錯で切腹するらしい。しかしこの時はまだ、私も人工知能サティアも、その史実を知らないのであった。


「山南さん!私は…!!」

「!!」

私が必死で何かを伝えようとした時、山南さんの表情が一変する。

その表情は普段の穏やかな笑みとは全く違う、少し殺気を放ったような深刻な表情かおだった。

「…気がついたか。刀は振れずとも、鋭さは変わらぬ…か」

「貴方達は…!!?」

私も近づいてくる気配に気付き、声の聴こえた方に視線を向ける。

私達の前に現れたのは、茶髪で腰に脇差を差した男性と、背丈が190くらいありそうな屈強な男性ひと。そして―――――――

「よぉ!」

「後藤田 故…!!?」

忍のような身軽な服装と聞き覚えのある声はあの日、京の町中で私を連れ去ろうとしていた男だった。

『って事は、あっちのデカブツが、沖田総司あまのじゃくを倒したっていう…?』

私が思っていた事を、サティアが口にしていた。

それに、あの脇差をさした男性ひとが…

私は視線の先にいる茶髪の男性が、ヴィンクラの存在を知っている人だと確信する。

「何用でしょう?わたしは、貴方がたと面識などないはずですが…」

何かを感じ取った山南さんは、右手で腰にさしている脇差の柄を握る。

その行動を見た茶髪の男性は、フッと笑う。

「無駄な事をするな。…それに、貴様はついでであって、本来の目的は違う」

そう言い放ったかと思うと、彼は後藤田に視線を向ける。

こいつら…この言い回しから察するに、山南さんの怪我の事を知っているの…?

私は彼らのやり取りを観察しながら、一つの疑問が生まれる。

山南さんは左腕を負傷してはいるが、日常生活においてはある程度動かせるので包帯等は外し、着物も普通に身につけている。また、彼は器用なので、普段は左腕があたかも怪我していないように振る舞っているため、そう簡単には怪我をしている事は気づかれないはずだ。

「!!山南さ…!!」

考えこんでいた私は、山南さんに襲いかかる後藤田に一瞬の差で気づきそびれてしまう。

彼は居合のように刀を取り出そうとするが、利き腕ではないため、素早くは動かせない。

「ぐっ…!!」

「あ・・・!!」

すると、敵の脚が山南さんの腹部に当たり、彼はうめき声と共に膝を曲げる。

「山南さ…!!」

「…さて、本題に入るとしよう」

私は彼を助け出すために地を蹴って走りだそうとするが、茶髪の男の声によって、反射的に動きを止めてしまう。

否、私が動きを止めてしまった理由はその声ではなく、台詞ことばと一緒にした動作にあったのだ。

「未来の日本から来た娘よ。…俺と共に来い」

「っ…!!!」

男の台詞を聞いた途端、背筋が凍った。

彼の右手には鞘から抜かれた脇差が握られており、その切っ先はうつ伏せに倒れている山南さんの首近くにある。また、うつ伏せになっている彼の上には後藤田がのしかかっているので、ほとんど拘束されているような状況だった。

いや…何かで注意を逸らし、その一瞬で勝負を決めれば、あるいは…

私は敵を観察しながら、どうすれば山南さんを助けられるかを考える。後藤田はわからないが、あの茶髪の男性は見た所忍びではない。速さだけならば、こちらに分がある―――――――そう私は睨んでいた。

「…そういえば、後藤田」

「あん…?」

私の様子を観察する茶髪の男は突然、後藤田に声をかける。

「貴様と三枝さえぐさは、池田屋で新撰組の者と相まみえていたな。…その際に、何か連中に申したか?」

「んー…あの幕府の犬共に…か?」

「!!!」

ヴィンクラに感じた振動と共に、私は目を見開いて驚く。

『なっ…!?』

この誘導尋問みたいな展開に、流石のサティアも驚いていたようだ。

「…やはりな」

私の反応を見て何か確信したのか、男は満足そうな笑みを浮かべる。

「…俺の名は、九譲呂くじょうろ 野辞のじ。さて、名を名乗ったところで…」

「きゃっ!!?」

男が名乗りを上げた直後、私は、背後にいた人物から羽交い絞めにされてしまう。

「っ…ぁ…!」

『沙智っ…!!!』

太い腕が首筋に食い込み、苦しさの余りにうめき声を上げた。

「…三枝。そんなに締めつけずとも、その娘はもう逃げられん」

「む…左様ですか」

九譲呂がそう言い放つと、私を拘束した三枝という男性は、腕にこめた力を緩める。

「なぁ…今のは一体、どういう事だ…?」

目の前で起こった出来事を理解できていない後藤田は、九譲呂を見上げる。

「…これが先日、貴様がこの娘を捕えられなかった所以だ」

「はぁ?…意味わかんねーよ」

九譲呂の返答に納得がいかず、後藤田は不満そうな表情をする。

「はぁ…はぁ…」

締め付けられた力が弱まったとはいえ、私はひどい息切れを起こしていた。

サティアが臓器補助機の調節をしてくれなければ、その場ですぐに気絶していたのかもしれない。

「…では、九譲呂。これで目的を果たしたので、戻りますか?」

「…そうだな。おい、後藤田」

「へいへい」

彼らの会話が耳に響きつつも、ふとのしかかっていた所から立ち上がる後藤田が目に入る。

すると、立ち上がった後藤田は持っていた拳銃の銃口を、山南さんに向ける。山南さんは、意識は一応あったが当て身を食らわされているので、まだ朦朧としているようだった。

「やめてっ!!!!」

“このままでは山南さんが殺される”と直感した私は、決死の思いで彼らに怒鳴りつける。

ログアウトした事で殺気や覇気を醸し出す事ができなくなったが、逆に言えば抑えられない殺気が周囲に広がる。それには、流石の彼らも驚いたようだ。

「あんたたちの…あんたたちの目的は、私でしょう!?ならば、彼を殺す所以はないわ…だから…お願い…!!」

「緑山…く…」

私は唇を噛みしめながら、彼らに懇願する。

耳には入ってこなかったが、意識がはっきりしてきた山南さんが、か細い声で私の名を呼んでいた。

「どーするよ?」

「…わたしは別に、どちらでも良いと思います。彼を生かそうが殺そうが、“彼の者”の立場は変わらぬでしょうし…」

後藤田は他二人に意見を求めると、三枝が始めに意見を述べる。

山南さんを助ける事に必死だった私はこの時、三枝が述べた意味深な台詞の意味を理解できなかった。少し沈黙が続いた後、九譲呂は、軽いため息をついてから口を開く。

「…まぁいい。例え今殺さずとも、こやつの運命は変らん」

遠くを見つめるような瞳で呟いた茶髪の男は、拘束されている私の方に視線を向ける。

「では、お前がおとなしく我らと共に来るというのならば…この男を無傷で帰そう。…よいな?」

「…わかったわ」

男の提案に、私は即答だった。

迷いはない…。これで彼らを守れるのならば…!

私の心の中には、迷いなど一片もなかった。また、偶然の賜物だが、この離脱によって、この時代を去る準備が始まったのである。

「…わたしは、三枝さえぐさ 瀬戸せとと申す者。京までの道中、よろしく頼みます。また、無駄な抵抗は止めて戴くようお願い申す」

「…はい…」

強面で怒っているような表情に見えるが、三枝という男性は、丁寧な口調で名乗り上げた。

口調は丁寧ではあるが、後半の言い回しは“お願い”というより“脅迫”に近いといっても過言ではない。

「緑山君…何故…?」

肩を掴まれた状態で歩きだそうとすると、地面に座り込んでいた山南さんの声が聞こえる。

それを見た私は、震える拳を強く握り締めながら、口を開く。


「山南さん…。新撰組の人たちに相まみえる事があれば…お伝え下さい。“お世話になりました。このご恩は忘れません”と…」

その言葉一つ一つを口にしながら、私は新撰組かれらと共に過ごした日々を思い出す。

“監視”を兼ねていたとはいえ、危うい立場である私を屯所で保護してくれた事。剣術の稽古や、京の町へ繰り出した時の事――――――-今までで一番長く滞在していたため、知らぬ内に、彼らとの“絆”が生まれていた。それを実感すると、今にも泣きそうだった。しかし、敵が側にいる事もあり、声を出して泣く事はできなかったのである。

「…さようなら。そして…ごめんなさい」

私は、何とか絞り出した声で、山南さんにそう告げる。

「…きましょう」

その直後、三枝に腕を引っ張られ、私も歩き出す。

そうして彼らは霧のように姿を消し、私の視界は真っ暗になってしまう。また、私達が去ったのと入れ違いで、馬に乗った沖田さんがその場に現れるのであった。

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