第10話 最高の夜

「…気がついたか」

「ん…」

目を覚ました私が最初に目にしたのは、エレクだった。

『…大丈夫?』

目覚めたばかりの私は意識が朦朧としていたが、サティアの声はしっかりと響いている。

「ここ…は…?」

「俺様の部屋だ。お前ら家女中メイドは、個別の部屋がねぇだろ?」

「そっか…」

段々意識がはっきりしてきた私は、ここがベッドの上である事を悟る。

視線を上にあげると、少し深刻そうな表情かおをしているエレクの姿がある。

 あの頭痛…何だったんだろう…?

心の中でふとそう考えるが、人工知能サティアは何も答えずに黙っていた。

「…お前は…」

「えっ…?」

いきなりポツリとつぶやいたので、私は彼が何て言ったのかを聞きとる事ができなかった。

すると、吸血鬼は私の身体の上に覆いかぶさるように乗り、顔を近づけてくる。

「ん…」

その直後、エレクの唇が私の唇と重なった。

突然の行為に驚きつつも、嫌ではなかった。先程、好きでもない男性ひとにされたからか。それとも、エレクだからか――――――――――あつく濃厚な口づけにも関わらず、抵抗一つとしてしなかったのは、後者が理由なのだろう。

一時、私はサティアの存在を忘れるほど胸がいっぱいであった。これが普通の恋人同士ならば、どんなに嬉しかっただろうか。しかし、私たちはそういった普通の恋愛関係ではない。

「お前は、俺のモノだ。例え、離れ離れになろうとも…な」

「エレク…?」

唇を離したエレクが呟いた台詞。私は後者の方が気になり始める。

自分のすぐ目の前に、彼の顔がある。言動とは違い、長いまつ毛や整った顔立ちはとても綺麗だともいえる。

 初めて会った時は、暴言ばっかり口にしていたのに…

そんな事を不意に考えていると、彼はよく見せるいたずらっ子みたいな笑みをフッと浮かべた。

「…お前が気絶していた間に、そこのキーキー女から聞いた。家女中メイドはこの国にいるための方便に過ぎず、お前はお前にしかできない使命があると…」

「サティアが…?」

『……』

彼女がどこまで話したのかはわからないが、自分の事情をエレクに話した事に対し、私は純粋に驚いていた。

しかし、やはりサティアは黙ったままだ。

「お前が何も価値のない人間クズならば、血吸ってそのままポイだったな。だが、お前が持つ血と血の匂いは…俺達、吸血鬼ヴァンパイアを狂わせる…」

「!」

艶のある表情かおで囁かれながら、私の首筋にヴィンクラの振動が走る。

それを確認したエレクは、フッと嗤った。

「…キーキー女の言う通りだったわけだ。これで…お前は俺様に抵抗できない…」

「エレク…?」

彼の意味深な台詞ことばに、私は首を傾げる。

そこで私が何考えているのか察したエレクは、頬に優しく口づけをする。

「ばーか。この状況で、男と女がする事なんざ、決まってるだろーが」

「…!!」

これから彼に何されるかを悟った瞬間、私の頬が真赤に染まった。

「…えっと……」

心臓の鼓動が早く、顔も火照っていた私は、これ以上の言葉を口に出せなかった。

「お前の身体に…俺様の跡を残してやるよ。きつい牙の跡とキスの跡を、あちこちに…な」

彼の発言に心乱されていた私は、頭の中が真っ白になっていた。

「…嫌か?」

意地悪そうな笑みは変わらないが、吸血鬼は私に優しく囁いてくる。

心臓の鼓動を気にしながら、考える。あまり細かい事は考えられなかったが、ただ“ずっと一緒にはいられない”という事実だけは理解していた。よく考えれば、立場的にも貴族と使用人が結ばれる事はないだろう。私の故郷がある現代の日本みたいに男女平等ではないし、種族も違うから尚更だ。

 もう二度と会えなくなるのだったら…

頭の中にそんな考えが生まれ、私の想いは決まった。

「嫌じゃない…嫌じゃないよ…!」

私は震えた声でそう告げながら、彼にしがみ付くように首の後ろへと両腕を回す。

その行為を見たエレクは一瞬驚いていたが、すぐに笑みを浮かべて口を開く。

「…今までで最高の夜にしてやるよ」


その台詞を皮切りに、私と彼は肌を重ねる。ヴィンクラや臓器補助機のある部位は避けてくれたが、身体中のあちこちが彼による咬み跡が残され、厚い口づけの跡が残る。

溶けていくような快楽の中で私は、この感覚もこの時代を出れば忘れてしまう。しかし、そうでもしないと使命を果たせない己の運命に、ただ悲しいとしか感じる事ができなかった。時間が経過し彼の腕の中で眠りだした時、私は一筋の涙を流して眠りについていたのである。



「…着なれない服は、変な心地するなぁ…」

「まぁ、俺様からして見ても、何故女ってのはそんな動きづれー服もの着るんだろうなとは思うぜ」

肌を重ねた翌晩、私とエレクは彼が所有する馬車に乗って移動していた。

この時代を去るには当然、家女中メイドの仕事は続けられない。かといって突然姿を消したら怪しまれるので、その対策として“私”という一使用人を死亡扱いにすれば、誰にも怪しまれないという。吸血鬼貴族の家にて、使用人の一人や二人が死ぬ事は特に珍しくもないらしい。その理由は、大抵が主である吸血鬼に餌として食われ、死亡する場合ケースが多いからだ。

エレクの計らいで死者扱いにしてもらった私は、メイド服ではなくこの国での貴婦人が身に着けるようなバッスル・スタイルのドレスを身に着けていた。バッスル・スタイルとは、1870年代くらいからイギリスで増えてきた服装で、前代に流行ったクリノリンの不便さ(座った際に足にくい込むなど)の関係でできたという臀部のふくらみを強調したものだ。

ログアウトしてしまったのでハードディスクには記録できないが、実物を持ち帰れるのならば資料として十分だろうと思う一方、色が深紅というのは、いかにもエレクとかが好きそうな色だなとも考えていた。

「…それにしても、ニコラさんが元・吸血鬼ヴァンパイアだったとは…」

腕を組みながら、私は頷いていた。

「ニコラは昔、先代が正妻以上に執着していたらしい。だが、寿命を迎えそうになった時に、己の血肉と魔力を持ってあの婆さんを人間に変えた…という訳だ」

『それで人となったオバサンは老け始め、今みたくなったと…』

「…まぁ、そういう事だな」

エレクが語る中、サティアも加わってニコラさんの話をしていた。

また、私の着替えを用意してくれたのもニコラさんで、エレクにとっては「昔から自分の事をよくわかってくれる親みたいな存在」らしい。


 そんな私たちを乗せた馬車は、郊外にあるラビクリト家の別荘まで運んで行った。

「…着いたぜ」

「あ…ありがとう…」

到着後、馬車を降りる時にエレクが手を差し伸べてくれた。

その様子は、英国紳士そのものだ。

 もっと品のないやつかと思っていた…

「…見え見えだっつーの」

エレクが他人の心を読めるというのを一時忘れていたため、彼に後ろから羽交い絞めにされて初めて我に返る。

その後、エレクによって絞められたが、冗談感覚なノリでやられていたので、決して苦しくはなかった。


「わぁ…!」

馬車から降りて歩いて行った先には、広い野原と大きな湖が広がっていた。

「ここなら人気もないし…いいんじゃねぇか?」

「う…うん…」

月光に照らされた湖はとても綺麗だったが、エレクの台詞が私を現実へと引き戻す。

「じゃあ…サティア、起動するね…」

私は彼が見ている前で、腕につけている時空超越探索機を起動する。

彼が私をこの郊外に連れてきてくれたのは、時空移動をするために人気のない場所へ行きたかった事。もう一つは、「目で見たものしか信じない主義」と威張る彼が、私がいなくなる最後の瞬間を垣間見たいためであった。

『…準備OKよ。最も、今回は座標の設定が簡単だから、すぐ終わるしね』

「うん…」

サティアの呟きに対し、私は少し複雑そうな表情かおをしながら頷く。

というのも、これから行くのは違う時代ではなく、私の故郷がある現代―――――2608年の日本だからだ。メンテナンス等の用事を済ましたらまたすぐに出発するため、短期間の里帰りといった所だ。

その後、私の周りに防御フィールドが張られる。白いフィールド越しに、蒼髪の青年が映る。

 あぁ…この時代で出逢った人たちの記憶が…

自分の中から記憶が抜け落ちていくような感覚がする。瞳が段々虚ろとなっていく中、これまでとは違う感覚が私を襲う。いつもならば心穏やかにその時代を去れたはずだが、この時に限って、何故か心臓の鼓動の音がとても大きく感じたのだ。

「エレク…元気で…!!」

私は無意識の内に、そんな事を叫んでいた。

もしかしたら、これが初恋だったのかもしれない。「忘れたくない」という想いが、私の口を動かしたのか。

「…お前もな」

「…!!」

最後の一言と共に見せた、エレクの笑顔。

今まで見た事のなかったとても心強く安心できるような笑顔に、私は涙が止まらなかった。


こうして、私とサティアは“19世紀のイギリス”を去ったのである。その時代で出逢った人々の事は忘れてしまう。しかし、彼に噛まれた跡は完治するまで残る。故郷に戻ればこの跡が何故つけられたのかすら忘れてしまうが、つけられた跡は他でもない捕食者と餌が逆転したような―――――――――“愛”にも似たかけがいのない物として残るであろう。

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