シータと頭痛の種

 ネヴェイユ次期大隊長を下して首席の座に着いたミゾレ・タカハシがあろうことか特別講座だけでなく入寮手続きに際する手伝いをも欠席した……。

 一一隊の皆が戸惑いを覚えると同時に不信感を募らせたのは仕方のないことだったと思う。

 だって、その不信感通りの人となりをしているのだから。

 寮で挨拶を交わした時を思い起こせば自然とため息がこぼれる。

 ミゾレ次期第一班長は想像していた人物像からはかけ離れていて、通達を受けた時はあんなにも喜びと期待で満ちていたシータの胸中は今や不安と緊張感で埋め尽くされている。

 どうして彼女のような人が第一師団に配属を決められたのか甚だ疑問でならなかった。

 最低でも一年は共に過ごさねばならない今後を思うと頭も痛くなる。

 ……せめてあのような態度は部屋だけに限ったもので、皆の前では猫を被り、誰しもが納得するような上手い言い訳を並べて欠席については誤魔化すつもりでいてくれることを願う。

 そうでなければ、とばっちりを食らうのは班員のシータたちだ。

 ただでさえ地方出身だと後ろ盾もなく軽視されがちなのに。

 不用意に反感を買うのはやめて欲しい。

 しかし、シータの願いとは裏腹に、ミゾレ・タカハシという少女は猫を被らない正直者だった。

 傲慢で、自分本位で、身勝手な言動を慎まない少女だった。


 ――始業式前夜。

 欠席のできない点呼の時を迎えて、ようやく姿を現したミゾレ・タカハシに注目が集まる。

 集合場所の中央ラウンジには既に一一隊のメンバーが揃っており、彼らはまるで招致された被告人が登壇するのを待つ断罪人のよう。

 第一師団の寮では小隊ごとに部屋を置く棟とフロアが取り決められている為、ここで下された判決が校内での生活を大きく左右するという意味ではあながち間違いでもない。

 指先の動き、まばたき一つ見逃さないと言わんばかりの視線が突き刺さる。

 それが自分に向けられたものではないと分かっていても、第一班の班員として他の四名と共にミゾレ次期班長の後ろに続いたシータは蛇に睨まれた蛙のように身の竦む思いを覚える他なかった。

 班長が失態を犯せば班員の助力が足りなかったものとされて、責任を問われるのだ。

 他人事と目を逸らしてもいられないのだから仕方ない。

 当の本人は素知らぬ顔でフロア代表のネヴェイユ次期大隊長に第一班到着の旨を報告すると、さっさと所定の位置に着いたのだけれど……。

 報告に必要な最低限の言葉を並べただけ。

 挨拶もなければ謝罪もない。

 指示された刻限より十分は前とはいえ、自分たち以外の者が揃っているとなれば遅刻も同然であるのに。

 シータが肝を冷やしていれば、昨年度まで班長を務めていたゼネッタがミゾレの代わりに頭を下げた。

「遅くなってしまい申し訳ありません」

「大丈夫よ。他の皆が少し早くに揃ったというだけで定刻には早いから」

 ネヴェイユ次期大隊長の許しを得てから列に加わる。

 班長を先頭とした横隊で、第一班から順に各班一列。寮の監督生がチェックに訪れるまでは休めの姿勢リュート・オイヒでの待機となる。

 ミゾレ次期班長に視線を向けた次期大隊長は真っ直ぐ歩み寄ると彼女の正面に立った。

 監督生が来るのは早くても五分前。

 まだ少し余裕がある。

「あなたがミゾレ・タカハシね。初めまして。私はネヴェイユ・コウラン。挨拶が遅くなってしまったけれど、これから同じ隊に所属する者としてよろしくお願いするわ」

 次期大隊長は軽く微笑むと手を差し出して握手を求めた。

 何食わぬ顔でその手を握り返すのか、言い訳を添えて自己弁護を計るのか。

 皆はより一層その動向に注目した。

 しかし、やはりミゾレ次期班長は集まる視線には気付いていないような顔をして握手には応じなかった。

「そう」

 たったそれだけの短過ぎる返答に場の空気が凍り付く。

 いったい何を考えているのか。

 一から十まで懇切丁寧な説明を聞かされても到底理解できるとは思えないが、彼女の態度を一言でまとめるならあり得ない。

 ああ、まったくもってあり得ない!

 相対している人物がどれだけの発言力を持っているか。最悪、将来にも影響を及ぼすことを理解していないのだろうか。まさか飛び級を叶えてクラスのトップに立つ程の実力者がコウラン家を知らないなどということはないだろう。教科書にもその名を刻み、テストにも幾度となく出題される軍門の名家である。例え次期大隊長の血筋に覚えがなかったとしてもコウランの名を聞けば敬わずにはいられないのが普通というものだ。

 だというのに、気位の高さから人の言葉に耳を傾けないとされる竜族もかくやの、その態度。同族の利益にしか目を向けず自由奔放な振る舞いで有名な精霊族だってもう少しまともな対応をしてみせるに違いない。

「明日から同じクラスとはいえ、入学してまだ一年しか経っていないあなたには勝手が分からない部分も多いでしょう。私も全てを把握し切れている訳ではないけれど、困った時は遠慮なく頼ってちょうだい」

 戸惑いを滲ませながらもネヴェイユ次期大隊長は手を差し出し続け、そう言葉を足した。

 最後のチャンスだ。

 頼むから手を取って「お気持ち感謝します」くらいは言ってくれ。それだけでいい。それだけで構わないから。

 願いは虚しくも届かない。

「必要ありませんのでお気遣いなく」

 聞き間違いようもないくらいはっきりと述べられた鰾膠も無い返答にシータは目眩を覚えた。

 ついぞ握られなかった手が緩やかに下ろされ、ネヴェイユ次期大隊長の顔からも微笑みが消える。

「そう」

 相槌を打ったその声はとても冷たい色をしていた。

「ミゾレ次期第一班長、一つお聞きしてもよろしいかしら」

「どうぞ」

「あなたはどうして今ここに立っているの?」

 配属先について最終的な決定を下すのは学校長をはじめとした人事に携わっている教官方々だが、生徒は希望を出し、実力や適性が見合ったものであれば、ある程度は自身の望む師団に所属することが叶う。

 成績だけを取り上げるなら第一師団に配属されるべき者が本人たっての強い希望により第三師団、第四師団へ……という事例も存在するくらいだ。

 トップに立てるだけの成績を収めたミゾレ・タカハシなら、望めばどの師団にだって所属できただろう。

 配属先について希望を出したにしても出さなかったにしても、通達の前に教官からそれとなく話は振られたであろうし、つまり、第一師団に所属するという道は彼女が選んだものであり、その真意をネヴェイユ次期大隊長は問い掛けている……。

 二人の真っ直ぐな視線が絡む。

 愛用しているのか、常に身に付けているネックウォーマーに埋もれ気味の唇を開いてミゾレ次期班長は言った。

「そろそろ監督生の方が来ます。定位置についておくべきかと」

 柱時計を確認すると定刻の八分前。

 確かに時間は進んだが、それでも定位置につくことを促すには早い。

 何せフロア代表の定位置は第一班班長、つまりはミゾレ次期班長の隣。

 数秒、数歩の距離だ。

 だから、その場に居合わせた誰しもが答えをはぐらかしたのだと思った。

「まだ八分前よ」

「五分前にくる監督生を想定しての十分前行動、でしょう?」

 そう言われてしまうと引き下がる他なかったネヴェイユ次期大隊長が渋々定位置に着いた時。

 カチリ、と時計の針が進んで七分前。

 気の早い監督生がその姿を現した。

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