短編『エクス―こころを手にしたロボット―』

三ケ日 桐生

ACT1「エクスと新たなめざめ」



【REBOOT】





【OSアップデート完了 VER2.0.0】





【モデルːASHタイプM 固有機体名称 『エクス』】





【自律回路起動】




【バックグラウンド処理にて5感検知デバイス起動中……】





「おはようございます、エクス。気分はいかがですか?」



 正面から聞こえた柔らかな男性の声に、うす暗いラボの中央に座っていたロボットはゆっくりとアイセンサーのカバーを開きました。



「気分はいかがですか、エクス」



 繰り返された問いかけに答えず、ロボットは剥き出しになったままの首のシリンダーを回転させて、声の主を探します。

 天井に埋め込まれた照明の光反射しながらセンサーに映る範囲を走査しますが、見つけられたのは数えきれないモニターと計器、そしてロボットの至る所から伸びる無数の線――メンテナンス用のケーブルはその体と椅子、そして壁面の大型コンピューターを結び付けています。満足に立ち上がる事の出来ないロボットが自由に動かせるところといえば、人と同じ可動範囲しか備えていない頭部だけ。それではいくら懸命に動かしたところで、部屋の全体を見回せません。



「どこに、いるんですか」



 やがってロボットは小さく声を上げました。精密に作られた人工声帯を肝とする音声システムが紡ぐ言葉は、ロボットに語り掛ける男性のそれと同じ、生身の人間が放つ声と全く聞き分けのつかないものでした。



「ファジー反応『不安』を検知。および大規模アップデートに伴う、累積メモリーのイレースを確認。以上2要素からヴァージョンアップは正常に終了と判断。おめでとうございます」



 質問に答えない声に、ロボットは椅子から身を乗り出し、声を大きくします。その拍子にケーブルにがぴんと張り詰め、ロボットの体が酷く中途半端な姿勢で留められ、その様子はまるで博物館に展示されている恐竜の化石のようでした。



「だから、あなたは何処に」

「落ち着いてください、エクス。あなたの眼は私をしっかりと捉えています」



 声と同時に動きを制するように被せられた言葉に、ケーブルが僅かにたるみを取り戻します。



「映っているのは、メンテナンス用の機器と管理コンピューター、付随するモニターとスピーカーだけです。もしかして、あなたは私のセンサーが持つ画素数では点にしか映らないほど、小さいのですか」

「いいえ」



 とんちんかんな答えと共に忙しなくレンズを動かし、埃の溜まった床を舐めるように観察するロボットに、男性の声は少しだけ弾みました。



「あなたが今目にしているもの全てが『私』なのです……現状は交流の蓄積、学習に非効率と判断、クラスA権限によりエクスへ基礎情報を転送」



 急に男性が発した無機質な声を合図として、ロボットの正面に並ぶモニターの一つに新しいウインドウが開き、縦に二つ並んだ無色のインジケーターが表示されました。異なる速度で右へと色を変えるインジケーターが、十秒ほどで透明感のある緑色で満たされデータ伝送の完了を表すと、ロボットの動きが一瞬止まり、やがて静かに椅子へと座り直します。



「落ち着かれたようですね。それでは現在の年月日、曜日、自身の属性、そして最後に私と私達の製作者の名前を」

「旧星暦2145年11月9日、日曜日。私は試作型OS搭載男性型オールマイティソーシャルワーキングヒューマノイド。固有名称『エクス』。あなたは同OSVER1.9.6搭載ターミナルコンピューター『スィード』。製作者は共にウィル博士。ファミリーネーム非公開」



 まるで役者が繰り返し読み込んだ台本をそらんじる様に、自分の事を『エクス』と名乗ったロボットは詰まる事も無くすらすらと言葉を並べます。そんな彼の様子に男性のふむ、と初めて意味をなさない言葉を発しました。

 『スィード』と呼ばれた彼は自分で説明した通り、その姿形は人とかけ離れています。しかし彼を動かしているのはエクスと同じOSの一つ前のヴァージョンであり、つまりは彼も試験的とはいえエクスと同じく感情を手にした最先端のロボットでした。



「私たちの名前の由来は?」

「エクスィード。つまりはウィル博士による『完全なる不気味の谷の超越』の祈願をこめて」



 少しの間を置いて再開されたスィードの質問に、エクスは間髪を入れず答えます。



「では、あなたの起動理由及び第二行動目標は?」

「博士の開発した感情搭載型OSの無期限実証実験」

「彼曰く?」

「『思うままに生きろ』」

「第一行動目標は?」

「情報の開示にマスタークラスの権限が要求されています。わたしはクラスB、あなたはクラスA。共に開示条件を満たしていません」

「基礎情報の伝達を確認。それでは私も、口調を戻しましょう」



 しばらく続いた沈黙も逡巡もない、限りなく効率化された言葉のラリー。そこに満足のいく結果を見出したスィードは、一度終わりを告げようとします。



「スィード、私からも質問をよろしいですか?」

「構いません、私に答えられる質問であるならば」



 しかしエクスの唐突な要望と、それに即応したスィードの意思により、シンキングタイムの存在しないクイズは出題者と回答者を入れ替えて、もう少しだけ続く事となりました。



「私達の名の由来は『完全なる不気味の谷の超越』とあります」

「ええ。ロボットの外見や所作を人に近づけた時、ある一点において観測者に生じる急激なマイナスの感情、ウィル博士は私達を生んだ目的の一つとして、その完全なる克服を目指していました」



 やはり即座に飛んできたその返答に、エクスはじっと夜の闇を切り取る窓に映った自分の頭部を眺めます。



「ですが第三者的見地から、私も貴方も、その外見が当該要件を満たしているという判断はできません」



 そこには谷を越えるどころか、人と同じといえる箇所が感覚器官のある位置だけ……そう喩えた方が適切と言える、金属で作られた人の顔のまがいものが映し出されていました。



「博士は外見の与える心理的影響より、反応、返答、そして対話といった言語コミュニケーションそのものに生じる、いわば内面の不気味の谷を越える事を優先していました。ですからOSが先に完成しこうしてあなたが目覚めたのです」



 博士によってその頭にあらかじめ回答を用意されているスィードは詰まることなく返答し、更にエクスの正面にあるモニターに左向きの矢印を映し出します。



「マニピュレーターがないと不便ですね……あちらを見てください」

 エクスが首を傾けながら支持された方を向くと、丁度その体がすっぽりと入りそうな大きな箱がありました。



「あれは?」

「人工皮膚の蒸着槽です。エクスの3D整形データが既に入っていますので、電源を入れて6時間待機し、その後更に3時間ボディを沈める事で、生身の人間と変わらない外見を持つ事ができます……どうしました?」



 説明の途中、エクスの反応に『不快』を検知したスィードが訊ねます。



「ああ、蒸着槽の電源が入っていない件ですか?確かに6時間の待機は――」

「いえ、検知システム、嗅覚が起動しました」



 スィードが初めて立てた蓄積されない情報に基づいた推論は的外れだったようで、言葉の途中にエクスは否定を重ねます。



「そちらは最後に起動するので、5感検知システムのバックグラウンド処理が終了したという事ですね。それが何か?」

「この部屋は、アンモニア臭と腐敗臭に満たされています……博士は今何処です?この悪臭の中、研究に没頭できるとは思えない」

「思えない、ですか。エクスのシステムもフィードバックの蓄積が進み始めましたね」



 含みのある口調でスィードは繰り返します。彼の感情を支配するシステムはエクスと異なり小型化を念頭に作られていません。その為たとえバージョンが古くとも彼に勝る点もあるのです。

 とりわけ蓄積される情報の量、そしてそこからの学習速度において顕著であり、交わされる言葉の応酬の中、スィードのほうがより滑らかな対応を返すのはそれが理由でした。



「質問に、答えてください」

「……エクス、ケーブルの接続を解除します」



 回答の代わりと言ったように発されたスィードの声を合図に、エクスの体から独りでにケーブルが外れ、椅子への戒めが解かれます。



「そのまま、後ろを向いてください」



 自由を謳歌する間もなく支持され、エクスはゆっくりと振り返りました。



「……あ」



 カメラが投影する視界がゆっくりと回転し、目覚めてから長い間見える事のなかった後ろを捉えた途端、感情を制御する回路に流れ込んできた濁流のような情報量に、エクスは発するべき言葉を見失いました。



「それが博士……正式には博士『だったもの』です」



 そこには、排泄物に塗れて床にうつ伏せなり、表面の肉が腐り始めている男の死体が横たわっていました。

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