御臨終から始まる新世界
それは、突然であった。
まるで全身麻酔を施されたかのように、三上龍之介は深い眠りに陥った。
意識は一瞬にして暗闇に沈み、身体はまるで浮いているかのように軽くなった。
目を閉じたまま、彼は自分の周囲で何が起こっているのかを感じ取ることができた。
不思議なことに、耳だけは外界の音を鮮明に拾っていた。病室に響く機械音、家族のすすり泣き、医師の冷静な声――それらが断片的ではあるが、龍之介の意識に流れ込んできた。
声に出して反応することはできなかった。しかし、その断片的な情報から、彼は自分がどのような状況にあるのかを瞬時に理解した。100年という長い人生を生き抜いた者特有の勘が働いたのだろう。
死がすぐそこに迫っていることを、龍之介は静かに悟った。
彼の心は驚くほど穏やかだった。
長い旅路の終わりが近づいていることを、自然に受け入れていたのかもしれない。
「ピッピッピッピーーーーーーーー」
病室に設置された心電図が、甲高い電子音を響かせた。
それは、龍之介の心臓が停止したことを冷徹に告げる信号だった。
白衣を着た医師がベッドに近づき、慣れた手つきで龍之介の首に指を当て、脈を確認した。
さらに、懐中電灯を取り出し、彼の瞳孔に光を当てて反応を確かめた。
医師の表情は淡々としていたが、その背後には長年の経験に裏打ちされた厳粛さが感じられた。
やがて、医師は静かに口を開いた。
「御臨終です」
その言葉が病室に落ちた瞬間、空気が凍りついたかのような静寂が広がった。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。
「おじいちゃん~!」
「じいじい~起きてよ~!」
孫や玄孫たちがベッドの周りに駆け寄り、泣きじゃくった。幼い孫の太郎は龍之介の手を握り、小さな拳で布団を叩いた。
玄孫の花子は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら「おじいちゃん、約束したよね、アニメ一緒に見るって!」と叫んだ。彼らの声が病室にこだまし、涙が龍之介の冷たくなった手を濡らした。
家族たちはそれぞれの形で悲しみを表現し、病室は一時、感情の渦に包まれた。
「あなた、ご苦労さまでした」
妻の美和子は、ベッドの脇に立ち、静かに涙を流しながら夫の死を悼んだ。
彼女の声は震えていたが、そこには深い愛情と感謝が込められていた。
美和子は龍之介より10歳若く、長い年月を共に歩んできた伴侶だった。
彼女の手は龍之介の額にそっと置かれ、その冷たさに触れながら、最後の別れを告げた。
龍之介の死因は老衰だった。
享年100歳。
細胞分裂の限界が訪れ、肉体がその役目を終えたのだ。
医師が家族に説明する声が遠くに聞こえた。
「自然な形で旅立たれました。苦しむことなく、安らかな最期でした」と。
龍之介の最後の言葉は、家族に囲まれたベッドの上でかすかに漏れたものだった。
「今期のアニメの最終回を見たかった・・・・・・」
その一言に、家族は一瞬呆気にとられた。
孫の太郎が
「え、おじいちゃん・・・・・・」
と呟き、次の瞬間、くすりと笑った。
美和子もまた、涙を拭いながら微笑んだ。
「本当に、最後まであなたらしいわね」
と呟いた。
龍之介は孫たちの影響でオタク文化に目覚めていた。
アニメやライトノベルに夢中になる孫たちを見て、彼自身もその世界に引き込まれたのだ。
理解ある祖父として、孫たちに愛されていた。
彼は決して派手にお小遣いをばらまくような祖父ではなかった。
だが、孫たちが欲しがる本――特にライトノベル――を差別なく買い与えた。
書店で孫たちと一緒に本を選ぶ姿は、近所でも微笑ましい光景として知られていた。
その多くは、異世界転生や魔法少女が活躍するライトノベルだった。
龍之介は、
「最近の若者は面白い物語を作るな」
と感心しながら、自分でも読んで楽しんでいた。
家族に見守られながら臨終を迎えた三上龍之介は、そんな優しい祖父だった。
三上龍之介は、平成の剣豪、剣聖、武士として知られた男だった。
戦国時代の剣豪・塚原卜伝の生まれ変わりとも噂された彼は、第二次世界大戦に出兵し、無事に帰国した後、ごく普通の家庭人として生きてきた。
定年退職後は趣味の武道に没頭し、全国の道場を巡りながら技を磨き、「平成の剣豪」と呼ばれるまでになった。
また、妻の美和子と共に温泉や寺社仏閣を巡る旅を楽しみ、穏やかで充実した晩年を過ごした。
そんな彼が、前日まで元気だったにもかかわらず、朝、昏睡状態に陥った。
美和子が異変に気づいたのは、朝食の支度を終えた頃だった。
いつもなら「おはよう」と笑顔で台所に顔を出す龍之介が、その日は布団の中で静かに眠っていた。
声をかけても反応がなく、触れるとその身体が異様に冷たいことに気づいた美和子は、慌てて119番に連絡した。
救急車が到着し、病院に運ばれたものの、龍之介はベッドの上で静かに息を引き取った。まるで潮が引くように、穏やかで自然な最期だった。
病室の窓からは朝日が差し込み、彼の顔を優しく照らしていた。
家族はその光景を目に焼き付けながら、最後の別れを惜しんだ。
・・・・・・。
三上龍之介は、確かに死んだ。
一瞬、深い闇を通り抜けたような感覚があった。
意識が途切れ、全てが消えたかと思った次の瞬間、彼は眩しい光に包まれていた。
目を開けると、そこは現世とはまったく異なる世界だった。気がつくと、彼は広々とした部屋の中央にポツンと立っていた。
部屋はまるで日本の古式ゆかしい城の一室のようだった。二条城で大政奉還が発表された上段の間を思わせる畳敷きの空間。柱には漆が塗られ、天井には優美な装飾が施されている。
畳の香りがほのかに漂い、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。
龍之介はその異様な光景に目を丸くしながらも、不思議と落ち着いていた。
死という現実を、彼はすでに自然に受け入れていたのだ。
周囲を見回すと、部屋は無駄に広く、家具らしいものは何もなかった。
ただ、奥に一段高くなった上段の間があり、そこに何か重要な存在が待っているような気配がした。
しかし、今のところは誰も現れず、龍之介はただ一人、静寂の中に立っていた。
それまでの記憶があやふやだった。
この部屋にどのようにして来たのか、死の瞬間からここに至るまでの過程が曖昧だった。
だが、そんな混乱もすぐに薄れ、彼は目の前の状況に意識を集中させた。
「あ~ここがあの世か! しかし、三途の川もお花畑も見ていないけど・・・・・・もうすぐ閻魔様に会えるのだな」
彼は独り言をつぶやきながら、長い人生を振り返った。
「世界大戦に出兵し、無事帰国。それからは家族とごく普通に生きてきた。定年退職後は武道に熱中し、平成の剣豪と呼ばれるまでになった。全国の温泉や寺社仏閣巡りも楽しめたし、思うことはもうない。泣くな孫たちよ、これも運命だ。だが…今季のアニメの最終回は見たかったな。これも運命、仕方ないか。さて、地獄に落ちるか天国に行けるか…閻魔大王様に会いに行くか、それとも阿弥陀如来様か?」
龍之介は苦笑しながら考えを巡らせた。
死後の世界とは不思議なものだ。
違和感を覚えることなく、現状を極めて自然に受け入れている自分に、彼自身が驚いていた。
畳の上に腰を下ろし、しばらく考え込んでいると、遠くから風が吹き抜けるような音が聞こえた。
顔を上げると、上段の間に何か気配が現れたような気がした。
龍之介は立ち上がり、武士のような姿勢でその方向を見つめた。
「さて、いよいよ審判の時か」
彼は静かに呟き、次の展開を待った。
死後の世界での新たな一歩が、ここから始まろうとしていた。
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