その影に映る姿を見た

誰でもない自分のためには、世界は広すぎる。


自分に向けられた言葉なのか。

それとも他者を遠ざけた言葉だったのか。


冷たい足元の床から歩む音が反響する。

少し早い朝の廊下は、数分ごとに大きく姿を変える。


まだ数人の姿も見ない。


始業の直前に登校してくる生徒が多いのは、

どこの学校もそうだろうと思いたい。


小さな空間に湧いたように、

同じ服で、大体同じ道具を持った人間が集まる。


考えれば不思議な光景ではないだろうか。


電車でも同じようなスーツの人間が集まるが、

決して同じような荷物ということはない。


鞄が同じように見えても、中身は大きく異なるだろう。


それこそ普通のサラリーマンが、

別会社の資料を鞄に入れていたら、大問題だ。


企業スパイといえば格好はいいが、

電車の1両分だけでもいてしまえば、

カオスと呼ぶに他ならない。


しかし

この学校という中では。

そして教室という空間では常識だ。


前日に配られた、

同じプリントを持っていなければ、


忘れ物したなどという不名誉な扱いを受けてしまう。


同じものを持っていることが、ここでは常識なのだ。


前日に出た宿題のプリントを必死に睨みつけながら、

シャーペンを滑らせている者が見られる。


この時間は、本当に暇な人間が多い。


人が少ないということは、

誰もが同じ空間にいる話し友達が少ない。


数分の時が過ぎるまで、

彼らの友達は専ら人間ではなく。


文庫本、マンガ、スマホ、宿題プリント。

たまに虚空を友達にしてるいる変な者もいる。


人それぞれが人間ではない何かを見ている。


言葉にしてみれば異様な光景でしかない。


人間関係を構築する人間が居なければ、誰もが孤独に中にいる。


孤独という人ではないものを

誰もが見ているという意味では、

あながち間違いではないのかも知れない。


人と人のコミュニティの間がある場所には、

見えるだけの孤独はないのだから。


このコミュニティという関係を広げるのには、一抹の恐怖と不安が伴う。


ちっぽけなものだ。

普通に考えれば、気にする必要さえない。


しかし安定した現実に手に入れた人間は、

一切のリスクを負うことをしない。


どんなに小さかろうと、

何の理由もなしに恐怖と不安を受け入れられないのだ。


俺にとって、

本当に興味ないクラスメイトは顔さえ分からない。


それは

大抵のクラスメイトが該当するのだが、

関係性がないのだから問題ない。


知らない人間。

自分とは別の空間、世界。


俺という空間からみれば

関係性のない人間は、

移ろう影に等しい。


人は決まって、

自分の知らない人間の顔を見ない。


俺にとっては、

タグ付けのようなものだ。


試しに教室に入ってきた女子に目を向ける。


クラスメイト、女子、長髪、身長は低い方。

いわゆるクラスメイトの女子AとかBのようなイメージだ。


もし顔を確認する機会が訪れたなら、

知った顔ではないと言うだろう。


「あの、いいかな?」


ほら、知った顔じゃない。


名前すらわからない。

ぱっちした目、主張しない唇、化粧っ気のない印象。


誰だろうこの人。


「どうしたの」


困惑の表情を浮かべる彼。


普段、喋らない女子から

話しかけられでもしたのだろう。


「これ、あげる」


ほぼ真顔で手に上に何かを置いて、

自分の席に向かっていく。


彼が手を開くと、そこには飴が一つ。


口の中で

ぱちぱちするタイプのライムソーダ味。


とりあえず貰った飴を口に放り込む。


彼がその飴に込められた。


特に深くもない当たり前の

意味を知ることはないだろう。



ただ本当に小さな日常に瞬いただけ。

風が吹いて過ぎるように揺らいだ。

彼と彼女が出会うとき。


世界が混じり、交じり合う。


それは

俺が彼女と出会っていたことに、気づくべき瞬間だったのだろう。


ただ席に座って

スマホを眺める少女を見て、少年は何を思うのか。


彼のその視線の先に映るものが、

本当に少女の姿だったのかは彼だけが知る。


それは、彼の世界なのだから。

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