第142話 赦し

 長い旅は、もう時期終わる。もう一度めぐり逢う為に歩き出した道は長く夢見た場所へただひたすらに向かっていた。

 ガラガラと地面の慣らされていない道を走る馬車の車輪は忙しなく音を上げ、砂利や石を踏むたびに車体は前後左右に揺れ動く。

 その馬車に乗って行ったレルムが、閉じていた瞳を開きふと流れる景色に目を向けた。

 見慣れた風景……。懐かしい。

 遠くに望む山々の連なりも、森の木々も、頬を撫で付ける風の匂いも、草原も……。

 レルムはデルフォス領へ帰ってきたのは、最果ての国ジパニアを出て実に4ヶ月後のことである。

 遠くに望む山は、これから訪れようとしている夕焼けに赤く染め上がっていた。

「旦那。もうすぐデルフォスですよ」

 御者が中に居るレルムに声をかけると、レルムはにこりと微笑み返した。

 馬車の中から見上げる懐かしい城の姿が近づくたびに、それまで感じていなかった感情が膨れ上がりソワソワと落ち着かなくなってくる。

 やがて相変わらず賑やかな城下町を通り過ぎ、城の前で馬車が止まった。

 ギッと小さな軋みを上げて車体を揺らしながら馬車を降りると、そこには懐かしいデルフォス城が変わらぬ荘厳さをそのままにそびえ立っている。

 あぁ……。やっと戻ってきた。

 レルムはデルフォスを眺め上げ、気持ちで胸が一杯になる。

 ふっと目を閉じ、はやりそうになる気持ちを落ち着けるように深呼吸をするとゆっくりと目を開き、一歩足を踏み出した。

「待たれよ。この城に何用か?」

 城門の傍まで歩いてくると門番が二人、手にした槍をレルムの前でクロスさせその進行を妨げた。

「私はレルムと申す者だ。王への謁見を願いたい」

「王への謁見だと? 約束はしているのか?」

 怪訝そうに兵士の一人がそう聞き返すと同時に、もう一人の兵士が止めた。

「待て。その名……もしやあなたは、レルム・ラゾーナ様ですか?」

 レルムの記憶にはないこの兵士だが、どうやら自分の事を知っているらしい。

「あぁ。そうだ」

 そう答えると、レルムを知る兵士は背筋を正し敬礼をしてみせた。

「は! 失礼を致しました! どうぞ、こちらです!」

「お、おい……!」

 レルムを知らない兵士は、すんなり通そうとする兵士に対しうろたえたように見てくる。だが、レルムを知る兵士は彼を振り返り怪訝そうに顔を顰めた。

「馬鹿! クルー様の話をお前聞いてなかったのかよ! クルー様の上官でもあるレルム様だぞ!」

「え!? あ、あぁ!」

 以前話を聞いていたのか、やっと思い出したかのよう目を見開いた兵士は慌てて姿勢を正して敬礼してみせた。

「も、申し訳ございません! ど、どうぞ!」

 二人のやりとりを目の前で見ていたレルムは、目を丸くしていたが、やがてクスクスと笑い出す。

「かしこまらなくていい。私はもう、普通の一般市民と変わらないのだから」

「し、しかし! クルー様からレルム様が戻られたら丁重にご案内するようにと……」

 何ともクルーらしい……。

 レルムはふっと笑うと、二人の兵士の肩をポンッと叩いた。

「私の事は、普通の市民と同じように対応してもらって構わない。案内を頼んでも構わないだろうか?」

「は、はぁ……」

 やや気後れしながらも、兵士の一人はレルムを連れて城の中へと入っていく。

 一歩足を踏み入れて、何一つ変わっていないこの風景を見て胸が震えた。何一つ変わっていない……。

 思わず入り口に立ち止まって懐かしさに浸っていると、丁度大きな荷物を抱えて通りかかったドリーと出くわした。

 荷物があまりに多く、すぐにはレルムの姿に気付かなかったドリーだったが、彼の姿を一度その目に捉えると手にしていた荷物を思わずその場に取り落としてしまう。

「レ、レ、レルム様!?」

「あぁ、ドリー……」

「お帰りなさいませ! あぁ、やっと、やっとお戻りになられたんですのね! この日をどんなに待ち望んでいたか……。あ、そうだわ、リリアナ様にご報告しなければ!」

 取り落とした荷物を取ろうか、先にリリアナにこの事を報告するのを先にするべきか、一人でうろたえているドリーの姿を見てレルムは思わず笑ってしまった。

 ここへ帰ってきてから、気持ちの緩みも生まれてか何故か笑ってしまうことが多い。そう思いながらドリーを見ていた。

「ドリー。悪いが、リリアナ様へはまだ言わないでくれ」

「え? えぇ、あ、そ、そうですね。かしこまりました」

 報告をレルムにとめられて、ドリーは大慌てで取り落とした荷物を拾い上げにかかる。レルムはそんなドリーの脇を通り階段を上り始めた。

 このまま、リリアナの部屋へ向かいたいところだが、先にガーランドたちに会っておかなければならない。戻って来たとしても、滞在する事を認められなければ何の意味も無い。

 階段を上る途中で、ふと対向から向かってくる人物に気が付いた。その人物もこちらに気が付くと足を止め、驚いたように目を見開いてこちらを見つめてくる。

「レルム様!」

「クルー……」

 クルーは長かった銀髪を短く切り、雰囲気はすっかり総司令官としての威厳がついて見違えるほどたくましくなっていた。だが、レルムを見つけて駆け寄ってくる姿を見るとあまり昔と変わりないようにも思える。

「も、戻られたんですね! 良かった……良かったです! いつまで経っても戻られないので心配していました」

「見違えたよ。すっかり司令官らしくなったじゃないか」

「いえ、そんな、俺なんてまだまだです……。あ、あの、レルム様。もし、宜しければ後でお時間を下さいませんか? 色々とお話したい事があるんです」

「あぁ、分かった。じゃあ後で……」 

 レルムはそう言うとくるりと向きを変え、先を行く兵士に続いて再び歩き出した。



「こちらです」

 兵士にポルカ達の部屋を案内されたレルムは、一瞬その前で立ち止まった。

 追放されておきながら、こうして戻ってきた事を咎められるだろうか……。

 その不安がどうしても拭えない。だが、いつまでもここでしり込みしていても仕方が無いと腹をくくる。

「陛下。お客人をお連れ致しました」

 兵士がドアをノックしてそう言うと、ほどなくしてゆっくりと押し開かれた。

 開かれた扉から先に兵士は入る事は無く、体をよけてレルムだけが中に入るよう促してくる。

「……失礼致します」

 そう言って足を踏み入れると、職務中のポルカとバッファの姿があり、二人同時にこちらを振り返った。

 勘当された父の姿を見た瞬間レルムは一気に居心地の悪さを覚えた。だが、二人は驚きを露にし、ポルカは席を立ち上がった。

「レルム……」

「レルム!」

 久し振りに再会したレルムの姿に、ポルカは表情を崩して涙を流しながら微笑みかけてきた。

「お帰りなさい……。レルム」

 思いがけず暖かい言葉をかけられ、レルムはゆっくりとポルカの前に歩み寄り、床の上に跪いて頭を下げた。

 その姿を見たバッファは目を細めて、マジマジとレルムを見下ろしている。

「よく戻ってきたものだ……」

 窓から差し込む日の光のの向こうで、バッファは渋い顔を浮かべて見つめている。その視線は以前と何ら変わりない厳しい眼差しだった。

 レルムは床に膝を付き、深く頭を垂れたまま微動だにしない。

「……お久し振りでございます。ポルカ様、バッファ様」

「……お前がこの国を出てから今日までの活躍、聞き及んでいる」

 ゆっくりとした口調でバッファがそう言うと、レルムは垂れていた頭を更に下げた。その姿を見やりながら、バッファは自らの顎鬚を撫で、深い溜息と共に言葉を吐く。

「最果ての、崩れかけた王政を立て直したそうではないか」

「……恐れ多くも、その手助けをさせて頂いた次第です」

「しばらく見ぬ内に、また一層逞しくなったものだな」

 レルムは顔を上げられず、薄く瞳を閉じたままバッファの言葉に答える。そんなレルムの傍にポルカは歩み寄り、そっとその肩に手を置いた。

「一度この国を離れなければならなかったあなたが、ここへ戻ってくる事は相当の勇気がいった事でしょうね」

「……ここへ戻る事は許されない事だとは存じ上げております」

「レルム。そんな事言わないで。さぁ、顔を上げなさい」

 促されるようにレルムが顔を上げると、ポルカはただ優しい微笑で見つめ返してくる。

 そんなポルカを見つめ、レルムは口を開いた。

「ポルカ様……ガーランド様はどちらにいらっしゃるのですか?」

「……」

 レルムの問いかけに、ポルカは僅かに表情を曇らせて視線を下げた。代わりにその質問に答えたのはバッファだ。

「……ガーランド様は、一年前に亡くなられた。もともとお体が弱っていたところに、クロッカ病とは別の病気を発症されてな……」

「……っ!」

 ガーランドが亡くなっていた事を知り、レルムは言葉につまった。

 まさか亡くなられているとは……。

「レルム。あの人はね、亡くなる間際に言っていたわ。もしもレルムがここへ戻ってきたら、あなたの事を許すと」

「ガーランド様が……?」

「分かっていたのよ。本当はあの人も。こうして例外を作ることも時にあってもいいって、認めていた。あなたになら、リリアナを託してもいい。だから戻ってきたなら、快く迎え入れよとの遺言を残していったわ」

「……」

 レルムは言葉に詰まり、思わず視線を下げた。

 胸がいっぱいになり、熱いものが目頭にこみ上げて来る。どう言葉を返していいのか分からず、ただ戸惑っていた。

 そんなレルムの傍にバッファが歩み寄ると、ぽんと肩に手を置く。

「……そなたの帰還。今か今かと待っておったぞ」

「……バッファ様」

 思いがけないその言葉に、レルムは下げていた頭を上げ驚いた顔でバッファを見つめた。

 バッファはそんなレルムを真っ直ぐに見つめ返し言葉を続ける。

「必ず戻ってくる、そうリリアナ様と約束をしたそうだな?」

「……はい」

「長きに渡り、約束を守りただの一度も連絡をせずにおって、さぞ苦しかったであろう。それは、リリアナ様も同じだったに違いない」

 まさかそんな言葉をもらえるとは思ってもみなかったレルムは、心底驚いた顔を見せる。

「お帰り、レルム。またお前に会う事が出来て、私は嬉しいよ」

「父さん……」

 優しい笑みを浮かべ、快く迎え入れてくれたバッファにレルムは深く頭を下げた。

「それから、預かっていたこれをお前に返そう。三年が過ぎてから、お前がいつ戻ってきてもいいようにいつも肌身離さず持っていた」

 下げていた頭を上げると、目の前に差し出されていたのは、五年前に父に預けたあの小箱だった。

 レルムはそれを受け取ると、ポルカはにっこりと心底嬉しそうに微笑む。

「レルム。早くあの子に逢ってあげて。きっと喜ぶわ」

「はい」

 レルムはゆっくりとその場に立ち上がり、深く頭を下げると謁見の間を後にした。

 その場に残ったポルカとバッファはしばらく見えなくなったその後姿を見送っていた。そしてポルカがクスリと笑うと、バッファが振り返る。

「随分とたくましくなりましたね」

「……そうですね」

「バッファ。あの子を勘当した時は惜しい気持ちで一杯だったでしょう?」

 ポルカの言葉に、バッファは俄かにうろたえた様子をみせる。が、咳払いを一つして取り澄ましたような顔を浮かべながら口を開いた。

「それは……まぁ、そうですね。たった一人の息子ですから」

「あら、おかしいわね息子だなんて。親子の縁を切ったのじゃなかったかしら?」

「な……っ! ポ、ポルカ様。お人が悪うございますぞ!」

 クスクスと笑うポルカにつられ、バッファは一人うろたえた様子を見せて憤った顔を浮かべていた。

 ひとしきり笑った後、ポルカは口元に笑みを湛えたまま遠くを見やった。

「これからまた忙しくなりますね。あの子がデルフォス王家へ婿入りしてくるのですから」

「そうですね」

 ポルカの言葉に同調したバッファもまた軽く頭を下げる。その顔には朗らかな笑みさえ浮かんでいた。

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