第126話 采配

『悪い話じゃないと思う。これまでのようにちゃんと道が用意されているんだ。まだ、君にも彼を選ぶチャンスは残ってる。そして僕にも、ね』

 自信たっぷりに微笑んだあの時のロゼスの顔が、脳裏にこびりついて離れない。

 また日を改めて出直してくると言い、サロンを後にしたロゼス。その背中には言いようのない自信に満ち溢れていた。

 リリアナはあの後、離宮を出て修道院へ戻ってから、ずっと自室に篭っていた。

 ベッドの上に腰を下ろし、ゴロンと大の字になって半身を倒す。古い木が組まれて出来た修道院の天井を見つめながら、ぼんやりと思い返した。

 彼は絶対的な自信を持っている。レルムの騎士としての建前や周りからの絶大なる信頼。それら全てを裏切り、人間としての信用をも失墜させてまで行動に起こす事が出来るのか。

 恐らくロゼスは、レルムにその選択を選ぶことは出来ないと踏んでいる。

 レルムのこれまでの活躍は、広く知れ渡っているのだ。主に対する絶対服従。それに固執していた彼の性格を分析した上で、「できない」と思っているのだ。だからこそ、勝利を確信した駆け引きを持ち出してきたと言える。

「……っ」

 この駆け引きに乗る事は、正直怖かった。

 レルムの事は信じている。信じているが、ロゼスが自信を持って言っている事も、ないとは言えない。

 どんな采配を振るのかは、他の誰でもないレルム自身。そして自分はその采配が振られるまで待っている事しか出来ない立場だ。

 もし、彼が自分を選ばなかったら……。

 そう考えるだけで胸がぎゅっと痛み、目頭が熱くなってくる。

 リリアナは長いため息を吐きながら、片腕で目元を覆い隠した。

「……レルムさん」

 大好きで仕方がない。名前を口にするだけで、胸が甘く切なく締め付けられるほど、彼の事を想っている。

 信じている。きっと彼は自分を浚いに来てくれると……。 

 だがそこには絶対的な「自信」ではなく「期待」でしかないのが歯痒かった。

 リリアナはごろりと寝返りを打ち、柔らかく良い香りのするシーツをぎゅっと握り締めながら、眉間に深く皺を刻んで目を閉じて布団に顔を埋めた。

 この決断は自分にとって一大決心だ。

 期待だとしても、この想いを信じ、彼を信じてその時を待ってみる価値はゼロじゃない。

「あたし、信じてます。信じてますから……」

 まるで自分に言い聞かせるようにそう呟き、彼の想いに賭けてみようと決心した。

 リリアナはキュッと口を引き結び、ベッドから起き上がると部屋の隅にある机に向かい、おもむろに白い紙を取り出すとペンを走らせた。



                            ****



 それから二ヶ月余りが経った頃、レルムはヴェリアス王国の街にひとまずの落ち着きを取り戻せた事から、一時的に自国へと戻ってきた。

 あの日以来、このままではいけないと立ち上がったヴェリアス城の重鎮達が幾度となく国王と掛け合い、せめてこの混乱を落ち着かせようと全力で動いてた事でここまでこぎつける事が出来た。

 ようやく本腰を入れた、と言ってもいいかもしれないが、取り掛かりが遅すぎた。それゆえに国王の信頼は回復の見込みは薄いものとされている。だが現国王に代わる血族の者が見つからないために、まだまだこの先の波乱は否めない。

 レルムは久し振りに戻った部屋に入ると、それまで留守番をしていたマーヴェラが勢い良く駆け寄りしがみついてきた。

「ただいま、マーヴェラ」

「うー……」

 一人で置いていかれた事を怒っているのか、マーヴェラの機嫌が何やら悪い。部屋の中は思った以上に綺麗だったが、やはりあちらこちらには暴れた跡が見て取れた。

 足にしがみついたまま低くうなり声を上げるマーヴェラに、レルムはその場に荷物を置いてしゃがみこんで彼女の顔を覗き込んだ。

「どうしたんだ? 一人で置いていった事を怒っているのか?」

 しかしマーヴェラはその事に反応を示さない。その代わりぐいぐいと体を押したり叩いてきた。

 訳も分からず、レルムはただ困惑した。

 一人置いていった事を怒っているようではなく、マーヴェラは別の何かに怒っているような様子だった。

 まともに会話を出来ないマーヴェラ相手にそれが分からず、レルムはただ困惑するばかりだった。

「とりあえず、後で話をしよう」

 何とかしがみついてきたマーヴェラを引き離すと、レルムは荷物からあらかじめ用意しておいた報告書を手に取った。

 いささか気が重い報告ではあったが、それでもやはりガーランドたちに報告しないわけにはいかず、レルムは両陛下の待つ謁見の間へと向かうために部屋を後にした。

 自室を出て城内を歩いていると、何やら皆の様子がどこかおかしい事に気付く。行き交う召使や重役達が何やらそわそわした様子を見せていた。

「……?」

 レルムはすれ違う時に小さく頭を下げた召使を視線で追いかけた。

 召使の表情はとても朗らかで、足取りも軽い。そんな彼女を見送っていたレルムの元に、ドリーが小走り気味に駆け寄ってきた。

「レルム様! お戻りになられたのですね」

 息を切らしながらレルムの前に立ったドリーは、眉根を寄せてこちらを見上げてくる。

 彼女の表情は他の召使とはまるで違う。何やら逼迫したように青ざめた表情をしていた。

「……何かあったのか? 城内の様子がいつもと違うようだが……」

「それは……」

 ドリーはそういい掛けてぐっと言葉を呑み、きょろきょろと辺りを見回した。そしてぺこりと頭を下げる。

「お話させて頂きたい事がございます。どうか、僅かでもお時間を頂けないでしょうか?」

「……あぁ、構わない」

 不思議そうな目を向けながら、やや気後れしつつ頷き返すとドリーは悲壮感漂う雰囲気をそのままに顔を上げ、キュッと口を引き結んだ。

 その唇が僅かに震えているのが見て取れる。

「では、こちらへ……」

 ドリーは僅かに視線を下げてレルムを中庭へと呼び寄せた。

 レルムは先を行くドリーについて中庭の中央まで来ると、噴水の前で立ち止まった彼女がくるりと向き直った。

 俯き加減に立ったままのドリーは、体の前で組んでいる手をぎゅっと握り締め動揺の色を露にしたまま口を開いた。

「実は……リリアナ様の事なんです」

「リリアナ様の?」

 ただならない様子のドリーは組んでいた手を胸の前に持ち上げ、こくりと頷く。

 リリアナの事についての話と聞いたレルムにしてみれば、何やら心が落ち着かない。

「リリアナ様が、どうしたと言うんだ?」

「……実は、その……。とても申し上げ難い事なのですが……。リリアナ様が、ロゼス王子との結婚を決められたそうです」

「……!」

 その言葉を聴いた瞬間、レルムは僅かに目を見開いた。

 にわかには信じがたい気持ちだが、目の前にいるドリーの様子を見ればそれが真実だと言う事がわかる。

 ドリーは険しい表情を崩す事無く、きつく下唇を噛み締めて彼女自身も困惑しているようだった。

「……それは、いつ決まった事なんだ?」

 自分でも思っていた以上に動揺したレルムは声のトーンを僅かに落として訊ね返すと、ドリーは握り締めていた手が白むほど更に硬く握り締める。

「一ヶ月ほど前の事です」

「……」

「挙式は花嫁修業の明ける四ヶ月後だと決まりました。レビウス修道院からお戻りになられたその日の内に、婚儀が執り行われることになっております」

「……そうか」

 だから城の人間達が皆一様にそわそわと落ち着きない様子を見せていたのかと、レルムはこの時になって納得できた。

 レルムは言葉もなく、僅かに視線をそらして大きく肩で息を吐いた。

「……報告、感謝する」

「レルム様……」

 短い礼を言ってくるりと踵を返したレルムを気にかけ、ドリーが声をかけたが、彼は振り返る事もなく中庭を後にした。

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