第十一章 動き出す破綻の刻
第114話 迫る時
昨晩の事。リリアナが部屋を訪ねていた頃、レルムは父に呼び出されて次に向かう遠征先の詳細を聞いていた。
海を隔てた西大陸。以前、リリアナと共に行ったアシュベルト王国から更に西にある、ヴェリアス王国で起きている内乱鎮圧についての話だった。
ヴェリアス王国はポルカの故郷でもある国だ。いつも穏やかで争いごとなど起きた事がない国として有名だったが、最近では市民たちが手に負えないほどの暴動を起こしていると言う。
現在の王はポルカの甥にあたるのだが、大なり小なり起きる争い事を責任を放棄して回避しようとする逃げ腰体勢が反感を買っているようだった。彼の普段の穏やかな性格としては良いとしても、厄介な事や面倒な事があると、途端に王としての威厳が崩壊してしまうのだと言う。更には、近隣国からの重圧や無謀とも取れる条件すらよく考えず呑んでしまう事が多々あり、そのせいで市民達がしなくても良い苦労を課せられてしまう為、国としての指導者失格と暴動が起きているとの事だ。
ヴェリアスとデルフォスの繋がりは決して浅いものじゃない。むしろとても深いものだ。デルフォスの現王妃の血族の起こした不祥事による内乱。それを鎮圧しにレルム達が駆り出されるのはおかしな事ではなかった。
予測では帰国できるのは渡航の往復、内乱鎮圧の時間を含めおよそ二ヶ月から三ヶ月はかかるだろうとの話だった。
「ポルカ様もこの件に関してとても気にしておられる。大事にならん内に、出来るだけ速やかに鎮圧を図る事がお前の今回の任務だ」
バッファは数々の分厚い書類をレルムに差し出す。それはすべて、ヴェリアスに関する情報だった。
「了解しました」
レルムはそれを受け取り、短く答えるとバッファは満足そうに目を細めて微笑んだ。そして部屋を出て行こうとすると、再びバッファが声をかけてくる。
「あぁ、レルム。一つ聞きたい事があるんだが……」
「はい」
不思議そうに振り返ると、バッファは職務机に片腕を着き探るような眼差しで見つめてきた。
「お前……どうにも最近、妙な所があるな」
「……妙、と言いますと?」
父の言葉にレルムはヒヤリとしたものを感じる。だが彼はそれをおくびにも出さず、涼しげな表情で聞き返した。
バッファはそんな彼をじっと言葉もなく見つめ、ややあってから「いや」と短く呟く。
「もしかすると誰か……良い人が出来たのかと思ってな」
バッファの意味深に笑いと言葉に、レルムは一瞬、きゅっと口を引き結ぶ。
このやりとり……もしかするとリリアナとの関係に気付かれてしまっただろうか?
勘の良いレルムはすぐにそう思った。そうでなければ父がこんな探りの入れ方をしてくるはずがない。
「……いませんよ。そんな人」
レルムは表情一つ崩すことなくサラリとそう言ってのけると、バッファは怪訝な表情を浮かべて目を細める。
「そうか? 職務にまじめなお前が、大事な会議の途中でぼんやりしてしまうのは非常にに珍しい事だったからな」
「父さんの気のせいですよ。今はマーヴェラや仕事の事で手一杯です。自己管理不足で少し疲れが出ただけで、他に意味はありません」
「……」
そう答えたレルムにバッファはしばし口を閉ざし、疑っているかのような眼差しで見つめてきた。
その父の様子を見て、レルムは確証を得る。彼は自分とリリアナとの仲を完全に疑っているのだと。だが、迂闊だったとはいえあの会議室での様子だけで疑われるほどの理由があるだろうか?
多少の疑問を抱きつつも、疑われていると感づかれた以上シラを通すしかない。
自分の意に反する事と分かっていながらも、レルムはリリアナとの関係はないと言い切った。
「……そうか。それは残念だ。お前の心の傷もようやく癒えて、また次に進めたのだと嬉しく思ったんだがな」
「ご期待に沿えることが出来ず、申し訳ありません」
いつもと変わらない淡々とした口調で答えるレルムに、バッファはふっと笑った。
まさか、あれだけ職務と主従関係に固いレルムがそんな軽はずみな事をするはずがない。と、そう思ったのだろう。バッファの疑いは僅かだが晴れた。
「だがな……お前もそろそろ良い人を見つけて、身を固めてはどうだ? 母さんも心配していただろう? お前が跡取りを作らなければラゾーナ家はもとより、デルフォスに仕える者がいなくなってしまう」
「……申し訳ないのですが、今はまだ考えられません」
父の言い分も分からないわけではないが、レルムはふっと視線を外して力なくそう答えると、バッファは短く笑いながら小さく頷いた。
「そうか、まだ考えられないか。あぁ、そうだ。話は変わるが、王女殿下が明日より花嫁修業に入られるそうだ」
「花嫁修業……ですか?」
花嫁修業。その言葉に激しく心が動揺したがレルムはやはりそれを悟られぬようポーカーフェイスを保ちながら聞き返す。
「あぁ。もう殿下も18歳だ。この国の跡取りは殿下お一人だからな。他国から婿養子を迎えるとガーランド様が仰っていたぞ」
「そうですか……。確かに、そう言うお年頃ではありますね」
「修行場所として選ばれたのは、ここから一番近いレビウス修道院らしい。そこへしばらく篭られる事になるそうだ」
東海岸にある小さなレビウス修道院。そこにはレルムの妹であるパティがシスターとして神に仕えている教会だ。そこに偶然にもリリアナが花嫁修業に入ると言うのだからそれは流石に驚いた。
「レビウス修道院と言えは、パティがいる場所ですね」
「あぁ。パティにはよくよく殿下にお仕えするよう先細連絡を入れておいた。修行が終われば、殿下も今以上の立派なレディになられることだろう」
「……はい」
リリアナの突然すぎる花嫁修業。それは明日から半年ほどかけて行われる事になるという。そしてその修行中も求婚者との面会は行われ、その面会はこの城で行うのではなく、かつてガーランドが療養していたあの離宮で行われるとの話だった。
レルムは酷い焦燥感に駆られた。だからと言って自分に何が出来るのかはわからない。ただ、いよいよその時が来たのだと思い知らされる。
預かった遠征先の資料を手に、バッファの部屋を出て自室へ向かっていたレルムは、兵士塔へ続く通路で歩みを止めて眉根を寄せた。
「……もう時間はない、という事だな」
月明かりに照らされてそう呟いた言葉に、レルムはふっと自嘲する。
最初からこうなると分かっていた事だ。自分はそれを理解していたではないか。理解した上で彼女との関係を続けてきた。理解していると言う事はつまり、その時の覚悟は出来ていなければおかしいはず。それなのに……この胸に渦巻く複雑な思いはとても一言では言い表せない。
明日から彼女はレビウス修道院へ。そして自分はヴェリアス王国へと旅立たなければならない。
以前のように会えなくなって、更にこれから先も会うことは出来なくなる。下手をすればもうこのまま手の届かないところへ行ってしまう可能性もあるだろう。
レルムはぎゅっと拳を握り締める。
今、会いたい。もうこれ以上プライベートで会えなくなってしまうのだと思うと、会いたくて仕方がなかった。だが、それが叶うはずもない。
他に選ぶ道がないのだとしたら、やはりこの運命を真っ向から受け入れる他ないのだろう。
「覚悟なんて、少しも出来ていなかったよ……」
月を見上げながら、何の覚悟も出来ていなかった自分を責め、この場にいないリリアナに向かってそう呟いた。
資料を手に部屋へ戻ってくると、部屋の中の様子にレルムは目を瞬いた。いつもは部屋を散らかし放題にしているマーヴェラが、大人しく部屋の隅に膝を抱えて座っている。
「……マーヴェラ?」
資料を職務机に置き、カーテンの影でじっと座り込んでいるマーヴェラの前に膝を着いてしゃがみこむ。すると彼女はゆっくりと視線をもたげてこちらを見つめてきた。
何かを言いたそうにしているが、まだ覚えている言葉が少ないマーヴェラにはそれを訴える事はできない。ただ、無言で膝を抱える手を伸ばし、レルムの服の端をぎゅっと掴んでくる。
「う~……」
いつものように低く唸るわけではなく、真っ直ぐに見上げる緋色の瞳が僅かに揺れている。
何を訴えたいのか、レルムはそんな彼女をじっと見つめて言わんとする事を汲み取ろうとした。だがどうしても考えを読み取れない。それはまだ、マーヴェラと過ごす時が短すぎるせいもあるのだろう。
レルムはふっとため息を吐き、服を掴んだまま離さない彼女の頭をそっと撫でてやると、マーヴェラはぶんぶんと首を横に振った。
いつも見せないマーヴェラの対応。レルムはそれに眉をひそめる。
「どうしたんだ? いつもの君らしくないな」
「……」
するとマーヴェラはレルムの服を掴んだまま、グイグイと引っ張り始める。
「……外へ行きたいのか?」
彼女に促されるままにレルムが部屋を出ると、丁度そこにクルーと鉢合わせた。いつもは朗らかな雰囲気をまとっているクルーだが、今日は何か様子が違う。
「レルム様……」
険しい表情を浮かべて何かに葛藤しているような彼の様子に、レルムもまた険しい表情になった。
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