第80話 聞きたいこと、沢山
夕食を終えて自室へと戻ってきたリリアナはいそいそと夜着に着替えた。
そろそろ春も終わりを迎えて、少しばかり気温が高くなり始めジットリとした空気に包まれ始める頃ではあるが、朝晩はまだ冷え込みが激しい。
半袖の夜着の上にショールを一枚掛けて、ドリーが寝所を整える間ソファに腰を下ろしていた。お尻はまだ少し痛むものの、座れないわけじゃない。
そわそわと落ち着きないリリアナを、片づけをしていたドリーが声を掛ける。
「どうなさったんです? 先ほどから何だか落ち着かないようですけれど」
「あ、うん……」
リリアナは恥ずかしそうにしながら、夕方頃レルムが戻ってきた折にここに訪ねてきた事を話した。するとドリーも納得したように微笑みかけてくる。
夜にバルコニーの下の中庭で逢う事になっている事に関しては何となく言い出しにくくて話さなかったが、ドリーの解釈としては久々に逢えた事が嬉しくて落ち着かないのだと言う事で納得できたらしい。
「戻られてすぐにリリアナ様のところへ訪ねて来てくださるだなんて……愛されている証拠ですわ」
僅かに頬を染めながら頬に手を当て、当人ではないのにうっとりと語るドリーにリリアナもまた真っ赤になりながら両手をブンブンと横に振る。
「や、やだなぁドリー。からかわないでよ」
「からかってなどおりませんわ。でも、少し羨ましいです」
「大丈夫、ドリーならすぐに見つかるって」
嘘でも冗談でもなく、ドリーならすぐに見つかると自信を持って応えた。しかもドリーなら、どんな相手であろうと問題なく付き合えるはずだ。自分達とは違って……。
そう思うと少しばかり気持ちが重くなるが、そんなことなど億尾にも出さず満面の笑顔を向けると、ドリーも嬉しそうに微笑み返してきた。
「嬉しいですわ。ありがとうございます」
彼女なら気も利くし、何でも出来る良いお嫁さんにだってなるだろう。それは、専属召使として自分に付き従えてきた彼女を見てきたからこそ言える。
ドリーは寝所の手入れを済ませるとそのまま部屋を後にした。
誰もいなくなった部屋で、リリアナは僅かに小走りになりながらバルコニーに続く窓に近づき、そっと押し開けてみる。
肌寒さを覚える風がすっと部屋の中に吹き込み、リリアナは肩のショールをさっと引き寄せながらバルコニーへ出てみた。
まだレルムは来ていないだろうか。期待に胸を膨らませながらそっと下を覗き込んでみると、視線がかち合った。
「あ……っ」
「……お待ちしておりました」
期待はしていたがまさかもう既に来ていたとは思わず、意表を突かれてしまった。
パァーっと顔が熱くなり、リリアナはうろたえながらレルムに声を掛ける。
「ご、ごめんなさい。えっと、すぐ、降ります!」
パタパタと慌しくバルコニーの端へ走り階段を降りようとすると、レルムがすでに階段半ばまで上がって来ておりこちらに手を差し伸べてくる。
「どうぞ」
「あ、ありがとう、ございます……」
差し出された手をおずおずと取ると、そろそろと並んで階段を降りる。
騎士や上流階級の間では当然とされる女性に対するエスコートの一つなのだが、やはりこんなにも大切に扱われてしまうと緊張してしまう。
中庭の草を踏みしめ、レルムの前に立つと握られていた手に僅かに力が篭ったのを感じた。
リリアナは真っ直ぐに見つめ返す勇気が持てずにチラリと目線だけをレルムに向けると、彼はそんなリリアナを見下ろして不思議そうな顔をしていたが、すぐにクスッと微笑んだ。
「あぁ、やはり……。全然違いますね」
「?」
「あなたの方が、よほど魅力的だ」
目を細め、とびきり優しげに微笑みながらリリアナの頬にそっと触れてくる。
愛おしそうに撫でられると息苦しさを覚えるほど胸が高鳴り、思わず目を閉じた。
久し振りに触れられると緊張しないわけがない。しかも公爵邸で何があったのか、いつにも増してレルムの触れ方が優しい事も手伝って落ち着かない。
「あ、あああの、と、とりあえず座りませんか?」
このままでは心臓が持ちそうにない。
湯気が出るほど赤面しながらそう言うと、レルムは驚いたように目を瞬いていたが、すぐに頷き返した。
「そうですね、ではあちらに」
リリアナはレルムにリードされ、すぐ近くに置かれていたベンチに腰を下ろす。
並んで座るのも久し振りで、毎度の事ながら最初の会話までの取っ掛かりに時間がかかってしまう。
一人でガチガチに緊張していたリリアナだったが、自分から聞きたい事があると誘っておいて何も喋らないと言うのも問題だと思い、レルムを横目で見る。すると、そこでもやはりバッチリと視線がかち合った。
「!」
リリアナは思わずパッと視線を逸らしてしまう。
いつも以上に緊張してしまうのは、逢えなかった時間があったからと言うのも確かにある。しかしそれ以前に今回は彼が自分を見つめる時が多い事だ。こうして自分が視線を逸らしていても、彼からの視線を感じて仕方がない。
「え、えーっと……」
とにかく何か話さなければと、リリアナは目を逸らしたまま会話を切り出す。
「き、聞きたいことなんですけど……」
「はい」
「えっと……その、公爵家に呼ばれた時、あたし何も聞いてなくて凄く驚いたんですけど……」
モジモジしながら、一生懸命自分の中で聞きたい事の整理をしながら何とかそう言うと、レルムは短く「あぁ」と言いながら口元に手を当て、リリアナから視線を僅かに逸らした。
「申し訳ありません。すぐに戻るつもりでいたのであなたには何も言わずにいたんですが、まさかこんなに長引くとは思わなくて……」
思い出すだけでも疲れる、と言わんばかりにレルムは短い溜息を漏らす。その姿を見る限り、とても大変な思いをして来たのは分かった。
「ピ、ピリムさんて……どんな人ですか? その……綺麗な人なんですか?」
その質問にレルムは悩むような素振りを見せ、よく言葉を選んだ上で口を開く。
「そうですね……。見劣りはしない容姿であるとは思います。ただ、性格が少々難しい方ですから……」
「あたしより年上ですか?」
「はい、リリアナ様より3つほど上になるでしょうか」
「今回ピリムさんの護衛官として、お父さんのお見舞いに行ったって聞きましたけど……」
一度切り出すと、堰を切ったように次々と聞きたかった質問が口を付いて出る。いつの間にか逸らしていた視線は彼を捉えていた。
レルムは矢継ぎ早に色々と聞いてくるリリアナに対して、包み隠す事も無く正直に答えていた。
「それは、ピリム様の嘘でした」
「嘘?」
「はい。あの方はもっともな理由をつけて私を呼び出すのですが、その大半は嘘ですよ」
「……そ、それってつまり……、公爵邸で2人っきりで過ごす為に……?」
レルムを呼び出した理由が嘘だったと聞いた瞬間、リリアナは俯いて急にモゴモゴと口篭りだす。
もっともらしい理由をつけてレルムを呼び出しておきながら、本当は公爵邸でほぼ2人っきりで過ごしたいが為に呼び出した。そう思うとモヤモヤとした嫌な気持ちと熱く火照る顔に言葉が続かない。
疑うわけではないが、2人っきりで一体何をしていたのだろう。しかも半月もの間……。
急に黙り込んだリリアナを見つめてレルムは不思議そうに目を瞬いた。だがすぐに何かを思いついたように目を細めて微笑んだ。
「……知りたいですか?」
「!」
それまでコンスタントに答えていたのに、突然意地悪な口ぶりで訊ね返されたリリアナはギョッと目を見開いてレルムを振り返った。
微笑んでいるレルムの笑みは、先ほどまでの優しい笑みのようで実は意地悪そうな光を帯びているのが分かる。
リリアナは慌てふためきながら再び視線を逸らし、首を捻った。
「いや、その、知りたいって言うか、気になるって言うか……。べ、別に言いたくなければ言わなくてもいいんですけど、変な事だったら聞きたくないですし……」
なぜここで自分がうろたえるのだろう。
そう思いながらも落ち着かないリリアナに、それまでこちらの様子を見ていたレルムはクスクスと笑い始めた。
「すみません。少し意地悪をしてしまいましたね」
「へ……?」
「特に何もありませんよ。毎日のように部屋に呼び出され、あちこちに連れ回されはしましたが」
ニッコリと微笑みながら答えたレルムに、リリアナは唖然としたような顔を浮かべるも、すぐにムッと顔を顰めて視線を逸らした。
「ひ、酷いです。レルムさん、時々すごく意地悪になるんですから……」
「申し訳ございません」
笑うレルムに、リリアナはふくれっつらをしつつも、最後に聞きたかった事を口にする。
「それにしては、随分帰ってくるのが遅かったですよね?」
「えぇ……。正直なところ、それにはかなり骨が折れました……」
思い出してもうんざりする、と言いたげにレルムは深いため息を吐きながらふっとリリアナから視線を逸らした。
最初思った通り、相当大変だったのだろう。彼女はレルムの事を相当気に入っていると言う話だ。
探るような眼差しでレルムを見上げ、リリアナは恐る恐る訊ねてみる。
「骨が折れたって……、何かあったんですか?」
「どうしても城に帰るのなら、キスをしろと言われました」
「えっ!?」
思いがけない言葉に、リリアナは目をむいて頓狂な声を上げてしまう。
キスをせがまれた、と聞けば、気になるのはそれをしたのかしてないのかだ。とても従順な彼を思うと、命令に従わない事は考えられない。と、言う事はまさか……?
一瞬の間にぐるぐると色々な事が回りだして、眩暈すら覚える。
「そ、そんな……まさか……し、し、ししししし、しちゃったんじゃ……?」
赤らんでいた顔が一瞬で蒼白し、混乱する頭でそう訊ねると、レルムは困ったような顔を浮かべる。そして片手をベンチの背もたれにかけてリリアナとの距離をぐっと縮めた。
「……知りたい、ですか?」
急に近くまで迫られ、もう一度意地悪にそう訊ねられてリリアナは頭が真っ白になってしまった。
知りたいような、知りたくないような……。いや、それは知ってしまったら自分としてはもうダメかもしれない……。
リリアナはぐっと口を閉ざし、今にも泣き出しそうな表情を浮かべて視線を下げ、目を閉じた。
「それは……」
そう語ったリリアナの唇にチョン……と何かが触れてくる。それに弾かれたように顔を上げると、レルムは笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
「……してませんよ」
「え……?」
リリアナが目を瞬くと、レルムは自分の指の背を見せている。今、自分の唇に触れたのは、レルムの指だった。
「ピリム様には申し訳ないのですが、これで彼女には騙されてもらったんです」
「……」
その事実を知った瞬間、リリアナは先ほどまでの緊張が嘘のように体中から力が抜けて、背もたれに背を預けてしまう。
ホッと安心したのと、早とちりな自分の想像力の逞しさに恥ずかしさがこみ上げてくる。
「そ、そう、ですか……。そうだったんですね……」
心底安心したように溜息を吐くリリアナに、レルムが今度は質問を投げかけてきた。
「私も一つ、あなたに質問しても構いませんか?」
「え?」
「……今日のあなたのそれは、嫉妬ですか?」
「!?」
レルムの言葉にリリアナは慌てふためき、しかし違うとは言い切れず僅かに体を後ろに引きながら視線を逸らした。
「あ、いや……その、嫉妬って言うか……気になって……」
ドキドキと高鳴る鼓動と、苦し紛れと分かる言い訳に汗が流れる。
当然、レルムにはリリアナが嫉妬していると言うことは分かっていたが、あえて聞いたのはまた悪い悪戯だった。
再び口篭ったリリアナにレルムは手を伸ばしてその頬に触れると、彼女は戸惑った表情のまま見上げてくる。
「こんな事、あなたにしかしませんよ……」
そう囁きながらレルムは顔を近づけると、赤面するリリアナの唇をそっと塞いだ。
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