第68話 思いがけない再会

 リリアナは自分の部屋で勉強の手を止めてぼんやりと外を眺めていた。

 勉強机に両肘を着き、窓の外を流れていく雲を視線だけで追いかけながら無心に見入っている。

「リリアナ様。そろそろダンスレッスンのお時間ですわ」

 ドリーが背後から声をかけても、聞こえていないのか身動き一つしない。

 ここのところずっと気を張って勉学に励んでいただけに、もしやそのままの体制で寝てしまったのじゃないだろうか?

 そんな事を考えたドリーはリリアナの前に回りこんでみた。

「リリアナ様!」

 眠っている様子はないが、一点を見つめたまま微動だにしないリリアナにもう一度声をかけてみると、彼女はビクッと肩を震わせ我に返った。

「うわっ! え、何? どうしたの?」

 何が起こったのかややパニックを起こしているかのようにうろたえているリリアナを見て、ドリーは眉根を寄せながら腰に両手を当てた。

「どうしたのではありませんわ。昨日からぼんやりされて……。もうすぐダンスレッスンのお時間ですわよ」

「あ、もうそんな時間なんだ。ごめんごめ……っ!」

 リリアナが慌てて立ち上がると、派手な音を立てて机の角に思い切り膝をぶつけた。

「~~~~~ったぁー」

 その場にしゃがみ込み、涙ながらに膝を摩っていると心底心配した様子でドリーが声をかけてきた。

「本当に大丈夫ですの? いつもと何だか様子が違うようですけれど……」

「う、うん……ごめん。何でもない。平気だよ」

 取り繕うように涙の滲む顔で笑って見せると、ドリーはその言葉を信用していないような顔で見つめてくる。

 実際、リリアナは何でもないことはなかった。レルムがこの城に一時でもいない事も原因の一つだが、いよいよ臨床実験の準備が整いゲーリがマルリース離宮に呼び寄せられているのもあっての事だった。

 臨床実験にはリリアナとポルカも立ち会う事になっており、明日の明朝にはマルリース離宮へ赴く事が決まっている。そこでゲーリと再会すると思うと、なぜだか妙に緊張してしまって仕方がない。

「……今更緊張するような相手じゃないのに、何でこんなに緊張するんだろ」

「え? 何ですか?」

 じんじんと痛む膝を摩りながら、思っていた事が無意識に口を着いて出た事にドリーが反応を示した。ハッとなったリリアナはブンブンと首を横に振りながら笑ってみせる。

「な、何でもない。ちょっと心の声が漏れちゃっただけ」

「……?」

 訳が分からないと小首を傾げるドリーに、リリアナはうっかり呟いてしまった自分の心の声にカァッと赤くなる。

 つい先日もレルムに言われたばかりだ。思っている事が全部聞こえている、と。もっと気をつけなくては……と、改めて自分の心に誓う。

 もしもこのまま無意識に呟いていたら、危うくレルムとの関係までバレてしまいかねない。用心しなくては。

「あ、ねぇ。ところでレルムさん帰ってきた?」

「レルム様ですか? いえ、まだ戻られたと言う話は聞いておりませんが……」

「そ、そうなんだ。帰って来るの遅いね」

 まだ帰ってきていない。そう聞くと寂しく感じて仕方がない。

 リリアナはドリーと共にダンスホールに向けて歩き出しながらそう声をかけると、ドリーは思わず小さく笑ってしまった。

「え? 何? どうしたの?」

「いえ。ただリリアナ様は、本当にレルム様の事がお好きなんだなぁと思いまして」

「!」

 再確認されてしまった事で、カァッと顔が熱くなる。

 ドリーもまた二人の間柄を知っている人物だからこそ言えるその言葉。リリアナは何も返せず黙り込んでしまった。

 そんな中、長い廊下を歩いてダンスホールへ向かう途中にリリアナは思わず足を止める。

 兵士塔の入り口で兵士達に指示を出している人物が目に留まったのだ。

「……」

 どこかで見た事がある。そう思ったリリアナは食い入るようにその人物に見ていると、ドリーが声をかけてきた。

「どうなさったんですの?」

「うん。何か、あの人見たことあるなぁと思って……」

 そう言いながらリリアナの視線の先を追ってドリーが見つめると、兵士に指示を出し終えてホッと溜息をついている人物で目が留まる。

「あぁ。クルー様ですね」

「クルー……?」

「えぇ。少し前にお話しましたが、レルム様の後継者となる方ですわ」

「……」

 リリアナはその名前に眉根を寄せる。クルーと言う名もどこかで聞いた事があるような……。

 その時ふと、脳裏に浮かんだ人物がいた。それは村にまだいた頃、当時7歳だったリリアナが、少しの間だけ村に滞在していた旅人の男性に遊んでもらった事があった。確かその人も銀髪の髪をしていて、名前をクルーと言ったような……。

「……あーっ!」

 思わず声を上げてしまうと、静かな城内にリリアナの声が響き渡る。隣に立っていたドリーも驚いていたが、遠くにいたクルーも驚いたようにこちらを振り返ってきた。

「クルーって、あの、クルー・メリオネス!」

 リリアナが相手を指差しながら、フルネームで名前を呼ぶと本人は慌てたようにこちらに駆けてきた。そしてリリアナの前に立つとうろたえた様子で声をかけてくる。

「お、お呼びでしょうか? 王女様……」

 まるでこちらの事を知らないと言わんばかりのその言葉に、リリアナはしばし目を瞬いて眉根を寄せると、ズイッと彼に詰め寄った。

「あなた、クルー・メリオネスでしょ?」

「え……あ、はい。そうですが……」

 詰め寄られ、たどたどしく返事を返しながら半歩後ろへ退いたクルーに、リリアナはさらに詰め寄る。

「あたしの事覚えてない?」

「え……。あ、いや、王女様とは初めてお会いしたと……」

「初めてじゃないよ! よく見てよ。ほんとに覚えてないの?」

 睨むように見つめるリリアナを、クルーはたじろぎながら見下ろした。

 互いを見つめる時間は僅かな時間だったようにも思えたが、クルーにしてみれば長い時間のように感じていた。だがしかし、しばらくしてクルーもまた眉根寄せて首を傾げる。

「……リーナ……?」

 探るように呼ばれ、リリアナはやっぱりと言わんばかりに表情を明るくし、にっこりと微笑んで見せた。

「そう、正解! ルク村にいた時良く遊んでくれたよね!」

 嬉しそうに答えるリリアナに対し、信じられないと言わんばかりにクルーは困惑していた。

 彼の知るリリアナは、かなりのおてんば娘で乱暴者で、男の子と一緒になって探検ごっこや格闘ごっこをするような少女だった記憶が強い。だが今目の前にいるのは、綺麗なドレスを着こなした女性だ。昔の彼女とは似ても似つかない。

「嘘だろ……だって、そんな、全然違う……」

 戸惑った様子のクルーに、リリアナはまたもしかめっ面を浮かべた。

「全然違うってどういう意味?」

「あ、いや、名前とか……」

 リーナと言う名は小さい時からご近所の人に呼ばれていた愛称だったが、彼にしてみればリリアナの事をしっかりと知っていた訳じゃない。だからこそ愛称で呼ばれていた名前が本当の名前だと勘違いしてもおかしくはなかった。

「確かに、名前はずっと愛称で呼ばれてたから勘違いしちゃうのも分からないわけじゃないけど……。でも、顔見てすぐ分からなかった?」

 ふてくされたようにしかめっ面を浮かべて見上げるリリアナに、クルーは僅かに視線を逸らし、どこか照れたようにボソリと呟いた。

「……そりゃ……昔とは全然違うし……。もっとお転婆だった記憶の方が強かったから……」

 そう答えたクルーの言葉に、二人が知り合いだったと言う事に驚きを隠せなかったドリーはニヤリと微笑んだ。

「良かったですわ、リリアナ様! クルー様のお言葉が本当でしたら、王女としての気品が身に付いてきたと言う事ですわね!」

 がっしりと両手を掴んで喜ぶドリーに、リリアナはきょとんとして目を瞬くもすぐに嬉しそうに微笑み返した。

「毎日レッスンに励んでるおかげだね!」

「あっ! そうですわ! ダンスレッスンのお時間がとっくに過ぎていますわ! モーデル様にお叱りを受けてしまいます!」

 思い出したようにそう声を上げるドリーに、現実に引き戻されたリリアナもサッと顔を蒼ざめてさせてうろたえ始める。

 急いでダンスホールへ向かおうと数歩歩み出し、リリアナはクルーを振り返った。

「じゃあね、クルー。また今度! 会えて嬉しかったよ!」

 リリアナはそう言いながらニッコリと微笑むと、慌しくドリーと共に早足でダンスホールへと駆けて行った。

 残されたクルーは、そんなリリアナの後姿を見送りながらポリポリと頭を掻く。

「まさかあの時のあの子が王女様だったなんて、誰も気付くはずないよな……」

 その呟きは、誰の耳にも届くことなく消えていった。

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