第67話 贈り物
翌日。レルムは陽が登り家族との食事を終えてからデルフォスへ戻る支度をしていた。そこへ、あともう一日滞在する事になっていたパティが部屋を訪ねてくる。
「お兄様? 今大丈夫ですか?」
「あぁ、いいよ」
そう答えるとドアが開き、出かける格好をしたパティが立っていた。
「お兄様。デルフォスへ戻られる前に、街へ買い物に行きませんか?」
「買い物?」
「えぇ。お母様と行く予定でしたけど、どうしても今手が離せないみたいで……」
残念そうに呟くパティに、レルムはふっと笑みを浮かべると用意していた荷物から手を離して立ち上がった。
母親と買い物に行けない事がよほど残念なのだろう。父は動く事は出来ないし、一人で出かけるのもつまらない。なら、まだ少し時間に余裕のある自分を誘いに来るのも分からなくもない。
「……分かった。付き合うよ。アレッサさんの所へも寄るように言われているしね」
「本当!? ありがとう、お兄様!」
嬉しそうに微笑むパティの頭を軽くポンポンと叩き、レルムは彼女と街へ出る事にした。
街に出たパティは、普段好きに出来ない事の憂さを晴らすかのように、沢山の買い物をして十分に休みを満喫しているようだった。
両手に抱えるほどの荷物を手に持ち、しかしそれでも飽き足らずあちらこちらの店に立ち寄る。
あまりに荷物の多さに、見かねたレルムが荷物を持ってやるとパティは嬉しそうに笑っていた。
「お兄様、次はあの店に行ってきますね」
「あぁ、行っておいで」
街のシンボルでもある憩いの木の下で、パティが次の買い物へ走る後姿を見送りながら浅く溜息を吐く。
沢山の紙袋がベンチの上に並べられているのを見て、レルムは目を細める。
こんなに荷物を買い込んで、どうやって持って帰るつもりなのだろう……?
一見、自分の好きな物を好きなだけ買い込んでいるように見えるが、レルムはこの荷物のほとんどが修道院で預かっている孤児たちの物ばかりである事を知っていた。
紙袋の中には、子供の洋服や普段あまり食べられないようなお菓子、年代に合わせた本と玩具……。
パティは自分の働いた賃金のほとんどを、親のいない子供の為に使っている。今、買い物に走っているのも、全て子供達の為だ。
それを見ていたレルムは、彼女が好きでやっていることではあるが少し不憫に思えて仕方がなかった。
自分の欲しい物もあることだろう。それを我慢してでも、子供達の笑顔の為に走り回る事をまるで厭わない彼女は素晴らしいと思う。
シスターと言う職業は、まるで彼女の為にあるかのようにさえ思えて仕方がない。パティにとって、天職だと言っても良いのかもしれなかった。
自分の喜びは子供達の喜び。子供達の笑顔が自分にとって最高のプレゼントだと、以前会った時に話していたのを思い出す。
しばらくレルムはベンチに腰を下ろしてパティの戻りを待っていると、彼女はまたも大きく膨れ上がった紙袋を抱えて戻ってきた。
「ごめんなさいお兄様。お待たせしました」
「大丈夫だよ。それよりパティ、今度は私の買い物に付き合ってくれるかい?」
「お兄様の? えぇ、分かりましたわ」
不思議そうな顔を浮かべながらドサッと荷物を置くと、すぐ目の前にあるアレッサの装飾店に二人は向かった。
店番をしていたアレッサがレルムたちの姿を見つけると嬉しそうに表に出てくる。
「おはようございます。アレッサさん」
「あら。おはよう、レルムくんにパティちゃん。待ってたよ。兄妹でお出かけなんて、ほんと仲良いわね」
どこか羨ましそうに笑うアレッサに、パティは照れたように微笑み返した。
アレッサの装飾店にはネックレスやブローチ、イヤリングや指輪など、細かな装飾品が数多く取り揃えられている。どれもこれも、アレッサが時間を費やして作ったハンドメイド物だ。
「パティ。どれでも好きな物を選んでごらん」
「え?」
こちらを見下ろしてくるレルムのその言葉に、目を丸くしたパティが見上げてくる。
「いつも君は子供達の事ばかりで、自分に何かを買ったことなんかないだろう? 私も滅多に帰って来れないのだし、こういう時ぐらい何か贈るよ」
そう言って微笑むレルムに、パティはしばし目を瞬いていたが次第に嬉しそうに目を輝かせ始めた。
「本当に……いいんですか?」
「あぁ、いいよ。パティの好きなものを選ぶと良い」
パァッと顔を紅潮させ、胸の前で手を組みながらパティはニッコリと微笑む。
「嬉しいです! ありがとう、お兄様!」
素直に喜びを露にするパティは、レルムの言葉に甘えて沢山ある装飾品から自分の好きな物を物色し始めた。
そんな彼女の姿を見ていたレルムは、ふと視界の端に映った装飾品に目が移る。それは、透明度の高い涙型のペンダントだった。
すべらかで不純物が何一つ混ざっていない透明な石。その石にはまるで星のように煌く金が埋め込まれていた。
無意識にもじっと食い入るようにそれを見つめていると、その様子に気がついたパティがひょっこりと顔を覗かせた。
「お兄様? どうなさったんです?」
「あ……いや、別に……」
突然問われて慌てたように取り繕うが、パティは目ざとくレルムが見ていたものに気がついた。
「わぁ、綺麗なペンダント」
指先でペンダントに触れ、ふと動きを止めるとパティはレルムを振り返った。
「……もしかして、これをどなたかに贈りたいのじゃありませんか?」
「……っ」
思わず言葉に詰まってしまった。
別段贈りたいと思って見ていたわけではないが、そう言われてしまうとドキリとしてしまう。
パティは戸惑っているレルムを見てクスクスと笑うとペンダントを大切そうに手に取り、手渡してきた。
「お兄様からこれを贈ってもらう方は、とても幸せだと思います」
「……パティ」
手渡したペンダントを見つめながら、クスクスと笑いながらパティは言葉を続けた。
「お兄様にまたそう思える方が出来て、私は嬉しいです。きっと、お母様もお父様も同じですわ」
ニッコリと微笑むパティに、レルムは背中を押されたような気分になる。
そんなパティはペンダントの傍にあった薄いピンク色をしたカメオのブローチを手に取ると、それをレルムに差し出してきた。
「私はこれがいいです」
「あ、あぁ……」
「さ、お兄様。そろそろ出発しないと、デルフォスに帰る頃には日が暮れてしまいますわよ」
半ば強引に背を押されて、ブローチとペンダントを購入したレルムは、大量の荷物を抱えて帰宅への道を歩く。
パティは買ってもらったブローチを早速自分の胸元につけて、嬉しそうに微笑んでいた。
家に帰り着くと、クリスは庭先で洗濯物を干していた。
「おや、お帰り。すまないねレルム。私の手が空かないばっかりにあんたにパティの買い物つき合わせちゃって」
「いえ、大丈夫です。アレッサさんの所へ寄る予定もありましたから」
そう言って微笑むと、クリスは「そうかい、なら良かった」と言いながらニッと笑い、そして次の瞬間には呆れたような顔をした。
彼女の視線は、レルムとパティの両手に抱えられた大量の荷物だ。
「……何だい。またそんなに沢山買い込んで」
荷物をその場に下ろしながら、パティは悪びれた様子もなく答える。
「だって、子供達が楽しみに待っているんですもの。子供達が喜ぶ顔を見るのは、嬉しいじゃないですか」
「そりゃ分からないわけじゃないけど……。だからって幾らなんでも帰ってくるたびに買いすぎじゃないのかい?」
いつも以上に買い込んだのだろう。腰に手を当てて大袈裟に溜息を吐きながらぼやくクリスに、パティは笑いながら答えていた。
そんな二人の横を通りすぎ、レルムは部屋から荷物を持って出るとバッファの部屋の前に立った。そしてノックしようと手を挙げると、少し早くバッファの方から声がかかる。
「いいぞ。入りなさい」
「失礼します」
部屋に入ったレルムを見て、バッファは目を細めて微笑んだ。
「もう行くんだな」
「はい」
「道中気をつけろよ。それから、ポルカ様に宜しく伝えてくれ」
「はい。では、行ってまいります」
レルムはペコリと頭を下げると、満足そうに頷くバッファに背を向けて部屋を出た。
今度はいつ帰ってこられるか分からない。もし、次に帰ってくる事ができるとしたら、ガーランドに試す新薬が成功したと言える時だろう。その時まで、元気でいて欲しいと願わずにはいられなかった。
荷物を持って玄関を出ると、何だかんだ言いながら荷車に買ってきた荷物を積み込んでいるクリスとパティの姿があった。
二人はレルムの姿を見て手を止め、笑顔を向けてくる。
「もう戻るんだね」
「はい」
「元気でやんなさいよ。次に戻ってくる時は、あんたに良い人がいてくれると嬉しいんだけどねぇ」
笑いながらそう言うクリスに、レルムは微笑んで答えることしかできなかった。その時ふとパティの顔を見ると、彼女はニッコリと満面の笑みを浮かべていた。その顔には「まだ二人には内緒にしておきます」と言わんばかりの、無言のメッセージが込められている。
「あぁ、そうだ。これ、持って行きなさい」
クリスは小さな紙包みを手渡してくる。素直にそれを受け取り中を覗くと、手作りのサンドイッチと小さな小箱が入っているのが見えた。
「この小箱は?」
「大切なものだよ。必要になったら使いなさい。じゃ、元気でやんなさいよ」
不思議そうな顔を浮かべるレルムに対し、クリスはニッコリと微笑んで背を叩いた。
レルムは訳も分からずに紙包みを鞄に入れ、庭先に繋いでいたイズムスに跨り今一度二人を見下ろした。
「では、行ってまいります。母さんもパティも、元気で」
そう一言声をかけ、二人の見送る視線を背に感じながら、レルムはデルフォスへの道を戻り始めた。
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