第66話 三年越しの帰省.2

 レルムはそのままにしてあるという自分の部屋に荷物を置くと、すぐに二階の一番奥の部屋にある父の元へとやってきた。

 扉の前に立ち、しばしノックするのを躊躇っていると思いがけず中から声がかかって来る。

「入りなさい」

 ドアの前に人が立った。その気配を感じ取るバッファの研ぎ澄まされた感覚は昔から変わっていない。

「……失礼します」

 レルムが一声声をかけてドアを開くと、起こされたベッドの上にいる父バッファと目が合う。

 すっかり伸びてしまった青い髪を後ろで束ね、少し痩せたように見えるバッファはレルムの姿を見て僅かに驚いたように目を見開いた。

「レルムか……。久し振りだな」

「はい。父さんもお元気そうで何よりです」

「こちらへ来なさい」

 バッファはベッドの傍に置いてあった椅子を引き、そこに座るように促した。レルムは言われるままに部屋へ入るとその椅子に腰を下ろす。

「休暇が貰えたのか」

「はい」

「そうか……。総司令官の仕事はどうだ? 順調なのか?」

「はい。問題ありません」

「ガーランド様のご容態は?」

 威厳に満ちた父は、険しい表情を崩さないまま次々とレルムに質問をしてくる。そして何よりバッファが一番気にかけている事を訊ねると、レルムは静かに現状報告をしはじめた。

「ガーランド様のご容態は、日に日に衰弱していく一方です。専属医師の報告によれば、もう持たないところまで来ているとのことです……」

「……そうか」

 その報告を受けたバッファは酷く落胆し、片手で顔を覆い隠す。深い嘆息を吐きながら滑らせるように手を降ろすと自分の手をじっと見つめる。

「皮肉なものだ……。戦から遠く離れていたはずのガーランド様の容態が重く、誰よりも前線で闘ってきた私の方が軽いとはな……」

 落胆したようにそう呟いたバッファの顔には、酷い後悔の念が滲んでいた。

 悔しげに呟くその言葉と共に、バッファは見つめていた手をきつく握り締めながら悔しそうに目を閉じる。

 そんな父を見ていたレルムは、臨床実験の事に関する報告を続けた。

「実は先日、クロッカ病に対する新薬が出来上がりました。しかし、まだ安全性が確認されていない出来たばかりの新薬です。臨床実験が必要とされている段階のものですが、ポルカ様のご意向により、ガーランド様にその新薬を試す事になりました」

「何……? 安全かどうかもわからない物を、ガーランド様に試すだと?」

 思いがけない言葉に、バッファは眉根を寄せて睨むようにレルムを見つめてくる。しかしレルムはそんな父の眼差しに怯むことなく静かに言葉を続けた。

「これは、ポルカ様と王女殿下のご意向です。例えどうなろうとも、覚悟は出来ていると仰られていました」

「……」

 バッファは真っ直ぐに見つめるレルムから視線を逸らし、視界をさ迷わせた。

 いくら離れているとは言えバッファの心は常にデルフォスと共にある。だからこそ、この状況が歯痒くて仕方がない。

 終生、彼の心の中の忠義はガーランドとポルカの元に捧げられている。そのガーランドが危機的状況にあり、またその新薬を試す事によって細い灯し火となっている命の火が消えてしまうかもしれない。そう思うと居た堪れなかった。

「……そうか」

 長い沈黙を守った後、バッファは溜息と共に小さくそう呟いた。

 ポルカと王女の意向であるならば、誰も口出しなど出来るはずはない。

 バッファはもう一度レルムを見やり、その肩をがっしりと掴んだ。

「報告ありがとう。これからも私に代わり、デルフォスを支えてくれ」

「……はい」

 力強い父の手が、ポンポンと肩を叩く。その手の強さが、レルムの心を痛めさせた。

 誰よりも王家に対する忠誠心が強く、国の為に全てを捧げる事を厭わないバッファ。肩にかかったその手の強さは自分を心から信頼していると感じさせる。

 そんな父を自分は裏切るような真似をしているのかもしれない。そう思うと心が痛まずにはいられなかった。

 従者は王家の人間に想いを寄せてはいけない。

 これは小さい頃から叩き込まれていた事だ。しかし、今はその教えに背くような立場にある。

 父の信頼を前に、レルムはぎゅっと膝の上に置いていた手に無意識にも拳を作った。

 心は痛む。だが、リリアナを想う事が間違いだったとは思わない。そもそも、全て覚悟の上だ。

 そう心の中で呟くと、バッファはそれまで硬い表情を浮かべていたがようやくニッと白い歯を見せて笑いかけてくる。

「今日はパティも帰ってくると言うし、親子水入らず、久し振りに皆で食卓を囲むか」

「はい。そうですね」

「よし、じゃあレルム。悪いがちょっと肩を貸してくれ」

 ベッドからそろそろと降りたバッファを支えるようにレルムが寄り添い、ゆっくりとした足取りで階段を降りていった。

「お兄様! お帰りなさい」

「あぁ、パティ。ただいま」

 バッファと話し込んでいる間に帰ってきていたパティが、階段の軋む音を聞きつけて顔を覗かせた。そして急いで登ってくると彼女もまた父を支えてくる。

 ようやく階段を降りてキッチンに向かうと、クリスが腕によりをかけて作ったご馳走が沢山並べられていた。

 バッファを椅子に座らせてその向かいにレルムが腰を下ろすと、パティはレルムの横に座った。

「こうして皆でご飯を食べられるなんて久し振りですね。これもきっと神の思し召しですわ」

 パティはにこやかにそう答えると、体の前で十字を切りそっと手を組んだ。そんな彼女に習い、レルムたちも体の前で十字を切り手を組んで瞳を閉じる。

「さ、じゃあ食べようか。あんた達の好物を作ったんだ。沢山食べなさいね」

 短い祈りの後、クリスの言葉で食事が始まる。

 他愛ない会話に、絶え間ない談笑。レルムもまた久し振りの家族との時間を噛み締めながら食事を進めていた。

 賑やかな食事が終わると、レルムは再びバッファを支えて部屋へ送ると、彼はベッドに横になりながら満足そうに深いため息を吐き出す。

「少し前まで固形物は食べられなかったが、今日はいつもより食べられたよ。やっぱり母さんの食事は美味いな」

「そうですね。私も久し振りに母さんの食事を食べられて良かったです」

 レルムはふっと笑みを浮かべながらそう言うと、バッファは「ハハハ」と笑いながら頷いて見せた。そしてその直後ふっと顔が真顔になり、レルムを見上げてくる。

「そう言えば、レルム……。リズリーの事、残念だったな」

「……」

 食事を終えて部屋へ引き上げる際、バッファとクリスが話していたのを思い出す。あの時、二人はその話をしていたのだとこの時初めて気がつく。

 返事に戸惑っていると、普段褒める事のないバッファが珍しくレルムを褒めた。

「だが、お前はよくやった。護るべき物を護った。決して恥じる事もなければ後悔などする必要もない。こうなることは必然だったんだ」

「はい……」

 バッファはふっと微笑むと、そっと目を閉じる。

「まだ傷は深いかもしれないが……お前ももう良い年だ。早く嫁を娶り、次なる後継者を作りなさい。時間は待ってはくれないのだからな」

「……そうですね」

 時間は待ってくれない。その言葉がやたらとレルムに重たく圧し掛かった。

 僅かに表情を曇らせると、バッファは目を閉じたまますっと息を吸い込み、溜息のようにゆっくりと息を吐き出す。

「……動いたせいか、少し疲れた。お前には悪いが、少し休ませてもらうよ」

「はい。では、失礼致します」

 そう言うが早いか、バッファは静かな寝息を立てて早々に眠ってしまった。

 レルムはベッドをゆっくりと倒し、バッファに布団をかけなおすと静かに部屋を後にする。そして自分の部屋へ戻ってくると、明かりもつけずに開け放たれていた窓辺に腰を下ろした。

 外には半月が浮かび、静かに地上を降り注いでいる。窓からは月明かりが入り込み、薄ぼんやりと部屋の中を照らしていた。

 暖かな風に揺れる木の葉の音を聞きながら、レルムは壁に背を預けて月を見上げた。

 リリアナを恋い慕う気持ちは、いつまで周りに伏せて置けるだろう。次なる跡目を待っている父や母の事を思うと、心が重くなる。

「……時間は待ってはくれない、か」

 バッファの言っていた言葉が、無意識に口を突いて出た。

 何の解決策も見出せないリリアナとの恋路。これから先どうして行けば良いのか、レルムは一人思い悩んでいた。

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