第51話 謎の奇病・クロッカ病
暖炉の焚かれた暖かなサロン。この日は偶然にも貴族達の出入りがなく、ガランとして静まり返っている。
ドリーに暖かい香茶を淹れるよう申し付けて、二つ用意されている席の内、リリアナは暖炉に程近いソファに腰を下ろしていた。
レルムはそんなリリアナの傍らに立ち、締め切った大き目の窓から外を見ていた。
「……」
「……」
互いに言葉を発する事もない、ほんの僅かな間が何とも言えず落ち着かない。
よく考えてみれば、改まってこうして二人きりで話すのは初めてかもしれない……。
一人でそわそわとしていると、その様子に気が付いたレルムはクスリと微笑んで、再び窓の外へと視線を巡らせながら口を開いた。
「……積もりましたね」
「え? あ、そ、そうですね。あたし、雪を見たの実は初めてで……」
自分から呼び出しておいて上手く話を繋げず、落ち着かない様子に助け舟を出すかのようなレルムの言葉に、リリアナは彼の方を振り返り少しだけホッとしたように笑ってみせた。
「ルク村では、雪は降らなかったのですか?」
窓からリリアナに視線を戻しつつそう訊ね返すと、彼女は大きく首を縦に振る。
「はい。このくらいの時期になると寒くはなるんですけど、雪が降るほど冷え込む事はなかったです」
「確かに、あの村は気候に恵まれた良い村のようでしたね」
ふわりと微笑むレルムに、リリアナもつられて恥ずかしそうに微笑み返した。
「秋は小麦を刈り入れて、冬に備えるんです。収穫した小麦はそれぞれの家で挽いてパンにしたり、余った草は穂のついたままの小麦と一緒にリースにして干したり。あ、あと、家畜も冬支度を始めるんですけどそれがなかなか大変で。あたしも良くお手伝いしたりしてました」
村の話をし始めると、とても心が穏やかになりリラックスした状態になる。
まだ半年も経っていないのに何だかとても懐かしいような気持ちで、過去の事を思い出しながら話すリリアナを見ていたレルムはふっと目を細めた。
「……村が懐かしいですか?」
「あ……そう、ですね。懐かしくないって言ったら嘘になります」
「そうですか。あれからまだ、連絡はしていないのではないですか?」
「……はい」
一度は連絡をしようと思っていたが、実際それどころではないほどめまぐるしい毎日を送っていたリリアナは、レルムの言葉にぎこちなく頷いた。
そんな彼女を見たレルムは、ふっと優しげに微笑む。
「差し出がましいかと思いますが、おそらくゲーリ殿も王女の事をご心配されていらっしゃると思いますので、手紙を出されてはいかがですか?」
「そう……ですね」
「私は、その連絡を怠った事で結果的に後悔する事になりましたから……」
少しばかり寂しげに微笑みながら呟いたその言葉に、リリアナはドキリとする。
結果的に後悔した。それはリズリーとの事を指しているのだとすぐに察する事が出来る。
レルムはリズリーが亡くなってまだ日も浅いのに、いつもと変わらない時間を過ごしているような気がしていた。だが、やはり見えない傷を負っていることは確かだ。
そう思うと、ふとレルムが無理をしているのではないかと感じて、リリアナは彼の顔を覗き込むように小首を傾げて見つめる。
「レルムさん……?」
「?」
「……大丈夫、です?」
ふいにそう訊ねられたレルムは、一瞬面食らったような表情を見せたがすぐに微笑み返してきた。
その笑みは、いたずらっ子が何か悪さをする前に浮かべるような、そんな笑みに見える。
そんなレルムがリリアナの傍に静かに歩み寄り、顔を覗き込むように屈んでくるとリリアナは思わず背筋を正して硬直してしまう。
「……気にして下さるのですか?」
「え……?」
次の瞬間、膝の上に置いてあった手が手袋を嵌めたレルムの手にすっぽりと包まれてリリアナは目を瞬いた。
レルムはリリアナの前に跪き、包み込むようにして被せた手でやんわりと握り締める。そしてリリアナの手をそっと持ち上げると、目を伏せてその指先にそっと唇を寄せた。
「~~~~っ!」
その瞬間、リリアナは顔から火が出るほど真っ赤になり、突如として早まる鼓動に眩暈さえ覚えて頭の中はパニック状態になった。
「あ、あ、あああああの!」
手を引きたくとも引けない状況に、リリアナは一人でうろたえていた。
伏せていた目を開き、慌てふためく彼女を見たレルムは、ふっと笑うと握っていた手を降ろし、今一度柔らかく握り返す。
「……あなたにそうやって気にかけて貰える私は、幸せ者だと思います。でも、私なら大丈夫ですよ」
「……っ」
レルムはそっとリリアナから手を離すとにっこりと微笑んで見せた。
まるでからかわれたかのような気持ちになったリリアナは、真っ赤に染まった顔を俯ける。
指先に触れた柔らかな感触がやたらと鮮明に残り、指先はジンジンと痺れているかのように熱くなって鼓動が鳴り止まない。
「だ、大丈夫なら、良かったです」
何とかそうとだけ伝えると、リリアナは視線を逸らしたままいつの間にやら甘くなった空気を変えるべく話しをすり替えた。
「ええっと、そ、それで、あの、お父さんの事なんですけど……」
「はい。ガーランド様の事ですね」
国王の話しになるとレルムはその場に立ち上がり、柔らかな表情を真剣なものに変える。
今はポルカがこの国の一番の統一者として君臨しているものの、真の君主はガーランドである。レルムの表情からそう感じる事が出来た。
リリアナは自分が先ほどポルカから得た情報を思い出しながら口を開く。
「その……、クロッカ病に侵されて今はマルリース離宮にいるって聞きましたけど、病状がどうなってるのか知っていますか?」
リリアナの問いかけに、レルムは小さく頷き返した。そしてどこまで話すべきかを頭の中で整理しているかのように、僅かな沈黙を守り口を開く。
「……あまり公にはされておりませんが、病状は深刻だと聞いています」
深刻……。
その言葉に、リリアナの胸がドキリと鳴った。
クロッカ病の症状の出方は人それぞれで、軽い者もいればそうでない者も多いと聞く。父親の病状が深刻だと言うのなら、相当重いのだろう。
「私も何度かマルリース離宮へ行きましたが、ここ一年ほどは陛下の意識は戻らないまま昏睡状態が続いています」
「そんなに重いんだ……」
リリアナは眉根を寄せて、事の重大さに愕然とした。
そんなに深刻な状態なら、尚の事会いに行かなければならない。父の顔を知らないまま、万が一の時に立ち会う事も出来ない状況になってしまったらと思うといたたまれない。
膝の上に置いていた手をぎゅっと握り締め、リリアナは今更だがもっとクロッカ病の勉強をしておけば良かったと思った。
「そんなに大変な状況だったなんて、あたし、全然知らなかったです……」
顔を俯けて肩を落としながらそう呟いたリリアナに、レルムは僅かに表情を固くしながら話を続ける。
「ガーランド様ほど重く症状が出ることは珍しいのかもしれません。クロッカ病とは、17年前にマージと世界を巻き込んだ大戦の最中に出てきた謎の奇病とも言われています。当時その前線で戦っていた私の父も、ガーランド様と同時期にクロッカ病を発症しましたが、ガーランド様ほど症状が重く出てはいません」
レルムのその言葉に、リリアナは驚いたように目を見開いて顔を上げた。
「レルムさんのお父さんも、クロッカ病なんですか?」
「はい。6年前に発症し、今は医療の先進国であるルシハルンブルクで療養中です」
思いがけず、レルムの父親までも同じ病で療養中なのだと知ったリリアナは、驚きを隠しきれなかった。
17年前と言えば、自分が生まれた年だ。その大戦から離されて、何も知らずに安穏と生活を送っていた事に妙な罪悪感さえ覚えてしまう。
戦争の最中に突如として出てきたクロッカ病。それはマージによる生物兵器ではないかと影で囁かれているが、実際のところは闇の中だ。
レルムは浅くため息を吐き、僅かに視線を下げて話を続けた。
「誰よりも前線で戦っていた父の症状が比較的軽く、戦いの場から一番遠いところにいたはずのガーランド様が深刻な病状である事に、父は悔しくて仕方がないと未だにぼやいているようです」
やりきれない面持ちでそう語るレルムに、リリアナも心を痛めた。
深刻だと言う父の事も心配だが、レルムの父親の事も心配だ。何とかできないものかと思った時、リリアナはふとある事を思い出した。
「……ゲーリが……」
「?」
「ゲーリが、前にクロッカ病に対する薬の研究を熱心にしていて、医学界でも何度か研究の成果を発表していた事があるんです」
リリアナはぎゅっと拳を握り締めたまま、真っ直ぐにレルムを見つめる。
「もしまだその研究をしていたら、何か特効薬になるような手掛かりか何かを見つけている可能性もあるかもしれません。その点についても、手紙を送るついでに聞いてみたいと思います」
「……そうですね」
レルムは小さく微笑み頷き返した。
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