第50話 父の現状

「あら、まぁ」

 ポルカは目を丸くし、口元に手をあてがいながら驚いたような声を上げた。

 食事を終えてポルカの部屋へ招かれたリリアナは、そんな母の反応にますます顔が赤らんでしまう。

 アシュベルトで起きたことの詳細に、ロゼスからどのようにしてプロポーズをされたのか、またレルムからはどのように告白されたのか。

 根掘り葉掘り、ポルカの興味心によって洗いざらい白状させられてしまった。

 思い返すのでさえ恥ずかしいと言うのに、それらを全て口頭で話さなければならないことの恥ずかしさは、例えようが無かった。

 真っ赤になりながら恥ずかしさのあまり俯くリリアナを見やりながら、ポルカはクスクスと笑っている。

「あなたもなかなか隅に置けないわね」

「そ、そんなんじゃ……」

「あら、いいのよ。それが普通だわ」

 慌てふためくリリアナを、茶化しているわけではなくポルカは真面目にそう答えた。

「王族や貴族などの上流階級では、多くの人間から婚約を迫られる事は珍しい事じゃないわ。その大半は政略的なものも多くを占めるけれど……」

「……そ、そうなんですか?」

 訊ね返してくるリリアナに、ポルカはニコニコと微笑みながら大きく頷き返した。そして頬に手をあてがいながら何かを思い出すように、ふっと遠い目をしながら溜息を一つこぼした。

「懐かしいわね。私にもそんな頃があったわ……」

「え? ほんと?」

 ポルカの言葉に、今度はリリアナが興味を示して身を乗り出した。

 そんな彼女に、ポルカはにっこりと微笑みながら同じように少しだけ身を乗り出してくる。

「あら、興味あるのかしら?」

 そう訊ねて見ると、リリアナは何度も首を縦に振った。

 母親の過去の恋愛を知るのほど、興味深いものはない。さっきは根掘り葉掘り聞かれたのだから、今度はこちらが聞く番だ。

 そんな勢いのリリアナにポルカは小さく咳払いをして過去の話を始めた。

「そうね。私がまだあなたと同じくらいの年齢の時だったかしら。当時、嫁ぎ先を決めなければならなかった時に、隣国のブレディシアやアシュベルトなど6ヶ国の王子から婚約を申し込まれていたわ」

「お母さんは、元々どこの国の人だったの?」

「私は西大陸のヴェリアスと言う小さな国よ。各国の王子が沢山の贈り物と手紙を何通にも送ってきてね。部屋が贈り物でたくさんだったの」

 昔の事を思い出しながら、懐かしい気持ちに包まれながらポルカは話を続けた。

 多くの王子は幾たびにも重なる贈り物と手紙を、毎日のように送って来た事。手紙の内容はどれもまるで型にはまったかのような文面ばかりで、どれもつまらなかった事など……。

 しかし、当時のポルカは全く持ってそんな彼らに興味がもてなかった。

「そんなにお嫁に来て欲しいなら、会いに来るぐらいの気持ちがあってもいいと当時は思っていたのよね。だけど誰も手紙のやりとりだけで会いに来る人はいなかったわ。でも……」

 そこで言葉を切ると、ポルカは少しだけ寂しそうな目をして、僅かに視線を下げた。

 ポルカがなぜそんな表情をするのか、リリアナには分からず小首を傾げる。

「デルフォスの王子だけは違ったの。その王子は、誰よりも後に婚姻を申し込んできた人だったのだけど、彼だけはひと月に一回は必ず逢いに来てくれたの」

「それって……」

「そう。あなたのお父様」

 にっこりと微笑み、リリアナを見つめる。そしてすっと息を吸い込み、遠くを見るように視線を窓の外へ向けながらポルカは話を続けた。

「前にあなたに話した事があるけれど、当時の私は、自分の従者だった一人の騎士に夢中だったわ。それを知ったあなたのお父様はカッとなって怒ったの。お前の心を奪った従者よりも、俺を見ろ。俺はお前を悲しませる事はしないし、必ず幸せにする。ってね」

「……凄い……」

「確かに、従者と結ばれると言うこと事はできないし、何より直接言われたあの人の言葉に心動かされてね。私はお父様を選んでここへ嫁いできたのよ」

 そんな言葉を直接言われたら、誰でも心動かされてしまいそうだ。

 手紙よりも、直接会って伝える言葉の方がよほど重く、そして心に響きやすいのかもしれない。

 リリアナはそう思いながら、ふと遠くに視線をやったままのポルカを見た。

 寂しそうにしているのは、今この場に父親がいないから……?

「あの……その、お父さんは……今どこに?」

 少し聞き辛く思いながらも訊ねると、ポルカはリリアナを振り返りながら弱弱しく微笑んだ。

「今はこことは別の場所……マルリース離宮で療養中よ」

「療養中……?」

「えぇ。あの人は今、不治の病に侵されているの。もう6年になるかしら……」

 その言葉に、ドクリと不安に鼓動が鳴った。

 不治の病。それは、クロッカ病の事だ。

 クロッカ病は内臓同士が癒着を繰り返し、激しい痛みを伴いながら吐血や下血を繰り返すという話を診療所に居た時に聞いた記憶がある。

 今まで何となく父親の話しに触れてこなかったが、今ここで初めて父の事を知ったかもしれない。なぜ今まであまり気にもしなかったのだろうと、リリアナは一人心の中でごちた。

「ごめんなさい、あたし、お父さんの事今ちゃんと知ったかも……」

 目先の事にばかり捉われていて、肝心な事に気付けなかった自分に軽いショックを受ける。

 そんなリリアナに、ポルカはふっと微笑んだ。

「いいのよ。お父様の事をあなたに話さなかったのは私ですもの。あなたにはやらなければならない事が沢山あるでしょう? だから、余計な負担をあなたに掛けたくは無かったの。だから言わなかっただけのこと」

 ポルカはリリアナの頭をそっと撫でると、小さく息を吐いた。

「でも、そうね……。一度お父様に会っておく必要があるわね」

「え……」

「近い内に予定を組むわ。その時は、あなたも一緒に行きましょう。お父様のお見舞いに」

「あ、はい……」

 リリアナはぎこちなく頷くと、ポルカは息を吸い込んで雰囲気を変えるように明るく微笑んだ。

「それじゃあ、この話はこれでおしまいにしましょう。私はこの後の仕事がありますから、あなたはゆっくり長旅の疲れを癒してね」

 いつものように微笑んだポルカに、何となく後ろめたい気持ちを感じながらリリアナは部屋を後にした。

 広い廊下を歩きながら、リリアナは父の事を考えていた。

 父は今、たった一人でここではない場所で療養していて、しかも不治の病に侵されている。しかも6年もだ。体力的にも相当憔悴しているに違いない。

 そう考えると、胸をぎゅっと掴まれたような切ない気持ちがこみ上げてきた。

 ポルカの言う通り、父には一度会っておく必要がある。もしも何か急変して、会う事もないまま帰らぬ人になってしまったら、自分はきっと後悔するに違いない。

 ぼんやりとそんな事を考えながら歩いていると、ドンっと何かにぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさ……」

「大丈夫ですか?」

 咄嗟に謝ろうとして、聞きなれた声が上から降ってくる。

 リリアナは驚いて見上げると、そこには優しげな眼差しで見下ろしてくるレルムの姿があった。

「う、あ……」

 ぼんやりと歩いてぶつかってしまった事に対する恥ずかしさと、昨日の事が急に頭を掠めた事に対する恥ずかしさに真っ赤になってしまう。

 上手く言葉が出てこず、ぱくぱくと口を動かしていると、レルムは心配そうに顔を覗き込んでくる。

「王女?」

「だ、だいじょぶです! ご、ごめんなさい!」

 噴出しそうな汗を感じながら、リリアナは慌てて顔を下げた。

 父親の事を考えていたのに、目の前にレルムが現れてからはもう彼のことで頭がいっぱいになってしまっている自分がいる。

「何か考えておられたようですが……?」

 心配そうに声をかけてくるレルムに、リリアナははっとなった。

 父の事を彼も知っているはずだ。

 そう思うと、恥ずかしい気持ちを抑えてリリアナはレルムを振り返った。

「あ、あの、実はお父さんの事で知りたい事があるんですけど……」

 思い切ってそう切り出すと、レルムは少し驚いたような顔を浮かべるもすぐにニッコリと微笑んで頷き返した。

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