第19話 始まる王女教育
結局、昨晩は眠る事ができず、今朝は完全に睡眠不足だった。
あの後ベッドに潜り込んだは良いものの、目が冴えながらも何とか眠ろうと目を閉じた。しかし、目を閉じればすぐにレルムの姿が現れてキスをされた事を思い出し目を開けてしまう……そんなどうしようもない状態だった。
ようやく眠れたのは、明け方近かったような気がする。
「王女様。おはようございます。今朝も良いお天気でございますよ」
やっと眠れると思った矢先、そう言いながら部屋に入ってきたのはセバスチャンだった。
朝からキリキリと動くセバスチャンはこちらの事などあまり気にした様子はないように思える。
ベッドの上でうとうととしているリリアナを前に、セバスチャンは常備している小さめのノートを広げて予定を読み上げ始めた。
「本日から徐々にではありますが、王女様には王族としての教育を受けていただく事になります。まず、着替えの後朝食を召し上がっていただき、少し休憩を挟みましてマナーと基本動作を覚えていただきます」
「……」
眠さのあまりセバスチャンが何を言っているのか、半分くらい頭に入ってこない。だが、それでも今日やるべき事を読み上げられると眠い目を擦りながら彼を見上げた。
「まだしばらくは、自由にしてていいんじゃなかったんですか?」
「えぇ。そのように伺っておりましたが、急遽一週間後に王女様の帰還祝いのパーティを行う事になりましたので、基本動作とマナーを覚えて頂かなくてはいけなくなりました」
パタンとノートを畳んで胸ポケットに仕舞いこみながら、サラリと言ってのけた言葉にリリアナは動きが止まった。
「え? 何……パーティ?」
怪訝そうな顔でセバスチャンを見上げれば、彼は涼しげな顔で片眼鏡の位置を整えながら答える。
「はい。王女様が無事この国にご帰還された事を、各国の王族の方々に知ってもらう必要がございますので」
各国……。
その言葉を聞くと、眠気が一気に覚めた。
「それってもしかして、そのパーティには王族の人たちが来たりするとか……?」
「えぇそうですよ。招待状を既にお送りしております。ですから、一週間後までに基本動作とマナーをマスターして頂きます」
思いがけないその一言に、リリアナはポカンと口を開き呆然としてしまった。
今日からたった一週間の間で基本動作とマナーを覚える……? 全く何も知らない状態で飛び込んできて、今のままで良いとは当然思ってなかったが、たった一週間でマスターまでしなければならないと言うのも無理があるような気がする。
「えぇっと……。それは、冗談……じゃないですよね?」
「私は冗談は苦手でございます。では王女様、早速ですがお召し替えをして下さい」
ピシャリと言い退けられ、セバスチャンは顔色一つ変える事もなく頭を下げて部屋を出て行った。そのすぐ後に入ってきたのは今日着る為のドレスを抱えたドリーだった。
「おはようございます。リリアナ様」
「……」
「リリアナ様?」
心配そうに顔を覗き込んできたドリーに、リリアナは不安な表情のまま彼女を振り返った。
「一週間で覚えられる自信なんかないんですけど」
泣き言を言うつもりなどなかったが、無意識にも口を吐いて出たのはその言葉だった。
いつもとは違ういかにもお姫様らしいドレスに着替えさせられ、朝食を済ませたリリアナは本当に少しの休憩を挟んだ後大広間に呼び出された。
慣れないヒールを履かされて、よろめきながらやっとの事で大広間へとやってくると部屋の中には始めの頃に紹介された、少しいかついイメージのある教育係のモーデルが立っていた。
「おはようございます王女。早速ですが王族として当然身に着けておいて頂かなくてはならないマナーと動作をお勉強していきます」
キリリとした鋭い眼差しで見つめられ、リリアナは思わず引きつったような笑みを浮かべてしまった。
「ではまず、歩き方から参りましょう。良いですか? 体の中心に一本針金が入っていると思って、背筋を伸ばしたまま真っ直ぐに歩いてみて下さい」
リリアナは言われるがままに背筋を正してゆっくりと部屋の中を歩いてみる。しかし、やはり履き慣れないものを履き、着慣れない物を着ているせいかどうしてもヨロヨロとよろめいてしまう。
「体の軸が整っておりません。先ほども言いましたように、体の中に芯が一本入っていると思って歩くのですよ」
「は、はい……」
容赦ないダメ出しに、リリアナは焦りを覚える。しかし何度やってもやはりどこかでヨロヨロとよろめいてしまい、上手く歩けなかった。
「体の軸がズレていれば綺麗に歩く事は不可能です」
そう言いながら手渡されたのは分厚い本が二冊。まさか今からこれを読み込めと言うのではと思いモーデルを見ると、彼女は頭の上に置くよう指示を出してきた。
「それは体の軸を正す為の一つの方法です。今度はそれを落とさないように歩いてみて下さい」
言われるままに頭の上に本を置き、大広間を歩かされる。落とさないようにゆっくり慎重に歩くと、それはそれで叱責が飛んできた。
「王女様。もう少し早く歩いて下さい。そんな歩みでは日が暮れてしまいます」
「ひえぇぇ……」
たった歩くと言うだけの動作なのに、こんなにも苦労するのかと、思わず根を上げてしまいそうになる。
困ったようにドリーに目を向けると、彼女は両手に拳を作り「頑張ってくださいませ!」と無言のエールを送ってくれた。
やはり、もう絶対、一週間なんかじゃ覚えられる気がしない。
リリアナは心の中でそうぼやき、今はひたすらこの時間が終わる事を願いながら歩き続ける事しかできなかった。
何度も何度も同じ場所を行ったり来たり……。さすがに心が折れそうになった頃になって、モーデルはようやく休憩の時間を与えてくれたのだった。
「少し休憩致しましょう。その後は別の動作についてご説明致します」
セバスチャン同様、モーデルも表情一つ変えることなく涼しげにそう言って退ける。
リリアナはドリーが用意した椅子に腰をかけ、香茶とクッキーを前に深いため息を吐き出した。
「き、厳しすぎる……」
「大丈夫ですか?」
「ただ歩くだけなのに凄く難しい。しかも着慣れないドレスと履き慣れないヒールで、もう疲れちゃった。今すぐ脱ぎたい」
肩を落として元気なく呟くリリアナは、弱音を吐く。
窮屈なドレスも、何も知らない身からすればとても豪華で煌びやかで、誰もが一度は着てみたいと思うものだろう。しかし、実際着てみて思ったのはとんでもなく重たく、締め付けるコルセットが非常に苦しい。
ドレスの中で、リリアナはヒールを脱ぎ捨て足を解放する。踵もつま先もジンジンと痛んで、またヒールを履くのさえ躊躇われる。
「いつもブーツだったから、こんな踵の高いヒールなんて履きこなせられないよ」
「しばらくは、この姿に慣れる事が必要かもしれませんわね。明日からこのスタイルのドレスに致しましょう」
「……ドリーが鬼に見えてきた……」
むっとふてくされたような顔をしてドリーを見ると、彼女は困ったような笑みを浮かべていた。
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