王女なんてガラじゃない!

陰東 愛香音

第一章 真実を知る

第1話 始まり

「そんなこと、あたし知らない!」


 リリアナはティーカップの置かれたテーブルを、怒り任せにバンッと両手のひらで叩きつけた。

 その衝撃でカップが飛び跳ね、中身が零れ落ちる。


「静かにして下さい。今外にはあなたを連れに来た人たちがいるんですよ」


 リリアナの前に静かに座っていたゲーリは、声を張り上げた彼女を制した。

 ぐっと言葉を飲み込み、口を噤んだリリアナは閉めてある窓のカーテンから、そっと外の様子を窺ってみる。


 村の人々に何か話を聞いて回る王国騎士の姿が三人。うち、一人は他の二人よりも地位が高いのか立派な軍服を着込んだ女性だった。

 少しだけ持ち上げていたカーテンを下ろし、深いため息を吐く。



 それは、突然の事だった。


 あまりにも突然すぎるその出来事に、リリアナの今後の人生が今とそっくり変わってしまうなど、ごく一部の人間を除いては誰も知らなかった。


 突きつけられた真実に、これまで築き上げてきた物が一瞬で砕け散る音を耳にした。そして、もう二度と今までのような生活には戻れないという事も……。


「リリアナ……。落ち着いて話を聞いて下さい」

「こんな話を、普通落ち着いて聞いていられる!?」


 怒りに顔を紅潮させているリリアナだったが、しかしその表情はどこか泣き出しそうだった。


「ゲーリは良く平気でいられたよね! あたしがお父さんやお母さんやゲーリと血の繋がった、本当の家族じゃないって分かってたのに……っ!」


 血の繋がった……。


 そこで思わず溢れ出そうになった涙を飲み込むように言葉を詰まらせる。

 もう駄目だ。次に何かを喋れば、ギリギリまで出掛かっている涙が零れ落ちてしまいそうだ。


 堪える為にぎゅっと唇を噛んで、涙の溜まり始めた眼差しでゲーリを睨みつける。

 締め切った窓の外に、リリアナを連れ戻しに来た人物がいると思うと、ゲーリの心は酷く掻き乱され動揺してしまいそうになる。


 ゲーリはリリアナを真剣な表情で見つめ、やがてどうしようもないとばかりに深いため息を吐きながら顔を俯かせた。


「……平気なわけ、ないじゃないですか」


 喉の奥から搾り出すようにそう呟きながら、それまで膝の上に置かれていた手が硬い拳を作る。


「あなたとはもう17年も同じ屋根の下で暮らしてきました。いずれは離れ離れになる事が分かっていても、あなたは私の……」


 ゲーリはそこまで言うとゆっくりと顔をもたげた。そして自分のすぐ傍らには、今にも泣き出しそうなリリアナの姿がある。その姿を見ていると衝動的に手が伸びて彼女の腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。


 突然、ゲーリの胸に収まったリリアナは驚いたように目を瞬く。


「……っ」

「ゲーリ……?」


 リリアナが声を掛けると、抱きしめる腕に力が篭る。

 ゲーリはリリアナの肩口に額を押し付けたまま、じっと何かに耐えていた。


「……いつかこうなる事は分かっていました。だからこそあなたと過ごした17年の歳月が尊く、そして大切です。同時に、とても……怖かった」

「ゲーリ……」


 これまで溜め込んでいた胸の内をボソボソと吐露し始めたゲーリの肩に、リリアナはそっと手を置いて静かに聞いていた。


「怖かったんです。あなたが、私の元から去っていく事が……」


 そこでゲーリはようやく頭をもたげると、まっすぐにリリアナを見つめた。

 時が瞬間的に止まったかのように二人はじっと見詰め合う。


 長い間溜めていた想いを吐き出してしまうべきか、止めるべきか……。


 ゲーリは、リリアナがいなくなる事にただ焦りだけを感じて、前者を選んでしまう。


「……私は、あなたを愛しています。家族としてじゃなく、一人の……」

「!?」


 リリアナは胸の奥がぎゅっと掴まれるような感覚と同時にヒヤリとしたものを覚えた。


 家族としてじゃない? じゃあ何だというのだろう? 一人の……?


 そう思った瞬間ゲーリの手が頬に伸び、ゆっくりと顔が近づいてくる。

 一体何が起きているのか瞬間的に理解できず、体が硬直して動けない。


 徐々に近づいてくるゲーリの顔が自分の顔に覆いかぶさろうと影を落とし、自分の唇に彼の吐息がかかった瞬間、まるで呪縛から解かれた様にリリアナは思い切り彼を突き飛ばしてしまった。


 ゲーリはその反動で椅子から落ちて尻餅を着き、そんな彼を蒼ざめた顔で見下ろしたリリアナはぎゅっと自分の体を抱きしめ肩で息を吐く。


「な、何……しようとしたの……?」


 声が自然と震えてしまう。


「リ、リリアナ……」


 ゲーリは自分が起こした行動に酷く動揺し、そして後悔しているかのように顔を歪めた。


「ち、違うんです、今のは……」


 慌てて言い訳を口にしようとしたゲーリに、リリアナは堪えていた涙が溢れ出る。


「最低っ!!」


 リリアナは涙を拭う事もせず、くるりと背を向けて家を飛び出した。

 玄関を開くと、外はいつの間にやら雨が降っていて、雨の降る音だけが辺りに響いている。

 こみ上げる涙を堪えきれず、後ろから追いかけてくるゲーリから逃れるように、リリアナは全身ずぶ濡れになることも気にせず走り出す。


 これまでもこれからも、ずっと同じ日々が続いていくものだと当たり前に思っていた。

 何も知らず、疑わず、いつもと変わらない毎日がやってくると思っていた。

 そう、ほんの数日前までは……。

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