天使と悪魔

scene.6 1夜空けて……

 クラスメート、教師、両親と妹を殺害した後で都内のラーメン屋で夕食をとり、その辺のビジネスホテルで1夜を過ごした乃亜。目覚めた直後の事だった。


「ん……お早う」


 自分一人しかいなかったはずのベッドからもう一人、もぞもぞと這い出た。女だった。

 黒いショートヘアによく見ると小さいが2本の角があり、少し膨らんだ胸には太くて黒いゴムのような素材で出来た何かを巻きつけている。

 下は黒いスパッツのようなものを穿いており、肌は赤黒く、尻からは細いしっぽが見えた。


「だ、誰だよお前!?」

「ひっどい事言うなー。俺とお前との仲だってのに」


 俺とお前の仲……? 友達なんて今まで1人しか出来なかった、ましてや女とは無縁の人生を歩んできた乃亜は必死になって記憶をたどる。

 ……そう言えば、つい最近であった奴に「いるとすれば」一人だけ該当する人物がいた。


「お前……まさかミストか?」

「ピンポーン! 大正解。お前勘良いなぁ。いやー昨晩は凄かったなぁ」

「ふ、ふざけんな! 俺は何もしてねえぞ!」

「ははは。冗談だってば。結構人の話を真に受けるタイプだなお前」


 ミストはそうやって軽いノリで冗談を言う。そう言えばこいつはそんなやつだった。


「昨日34人分の魂を喰って実体化できるだけの力がついたんだ」

「お前……女だったんだな。自分の事俺とか言ってるからてっきり男かと思ってたわ」

「ひっどいなー。人間で言えば俺は13歳かそこらのか弱い女の子だぜ?」


 性別を間違えられたことに悪態をつく。ただすねてはいないようだ。




「ところでホテル出るときどうするんだ?」

「ああ、大丈夫。また霧の姿になってお前の身体にとりつけば抜けられるさ」


 清算時に2人いるとまずいことになるからどうしようかと思ったが大丈夫そうだ。一安心したところでTVをつける。

 どのチャンネルも昨日の高校で起こした事件ばかりだった。何故防げなかったと学校に憤る自称コメンテーターのボヤキや犯人の心理をドヤ顔で語る自称犯罪心理学者のウンチクの後に気になるニュースが目に入った。


「昨日未明、北区赤羽の住宅街で区内に住む天使あまつか こうさんとその妻、麗伊菜れいなさんが遺体で発見されました。

 深夜になっても明かりがついていたのを不審に思った近所の住民が胱さんの自宅を訪ねたところ、2人を発見したとの事です。

 警察が駆けつけた時には全身を強く打っており既に死亡しているのが確認されました。

 室内には荒らされた形跡があり、財布から現金が無くなっていることから警察は強盗殺人事件とみて犯人の行方を追っています。

 また、一緒に住んでいる16歳の長男と14歳の長女の行方が分からなくなっており、2人が事件に巻き込まれた可能性もあるとして捜査しています」


「長女の行方が分からない……?」


 おかしい。何故美歌の死体が無い? 確かに殺したはずなのに。うっかり明かりを消し忘れた事がどうでもよくなるくらい奇妙な事だった。


「……まぁいいか」


 とりあえずほとぼりが冷めるまで大人しくしていよう。それと、しばらくは遊んで暮らそう。そう思いながら彼は今日はスカイツリーにでも行くかとホテルを後にしたその直後、ホテル入り口に停まっていた車の近くにいたスーツ姿の男2人組に呼び止められた。


「キミ、天使あまつか 乃亜のあ君だね?」

「何なんですかアンタたち?」


 乃亜が尋ねると男たちは懐から警察手帳を取出し、見せた。


「ちょっと話を聞きたいんだが、いいかな?」

「え、ええ。いいですよ」

「じゃあ俺達と一緒に警察署に寄ろうか。大丈夫。悪いことはしてないんだろ? おい山根。連絡しろ」

「あ、はい。……こちら山根。行方不明だった天使 乃亜を発見、保護いたしました。これから署に向かいます」


乃亜は2人の刑事と一緒に車に乗り、警察署へと向かうことにした。




「オイオイ乃亜。お前ホントに弱気だなぁ。コイツらの事なんて気にしなくてもいいんだぜ?」

「コイツらに従わないと余計面倒な事になるんだ。分かってくれよ。そりゃ警察なんて怖くないけどさぁ」


 車の中でミストがささやくが乃亜は譲らない。今では警察ごときに止められるようなヤワな身ではないが穏便に済ませることができるのなら、それに越したことは無いのだ。


「どうした? 天使君、何か言ったか?」

「へ? 何の事です? 空耳なんじゃ?」

「そうか……」


 会話がバレそうになったが何とかごまかした。多分大丈夫だろう。




 警察署に着くと取調室に連れて行かれ、2人の刑事から事情聴取をされることになった。


「昨日、家を出てから何をしてたのか詳しく聞かせてほしいけどいいかな?」

「はい。あの日は駅の方に行ってブラブラしてました。コンビニに寄ったり公園に寄ったりよその町へ行ったりして1日中時間をつぶしてビジネスホテルに泊まりました」


 乃亜は半分だけ嘘をついた。学校や家に行ったことは隠したが駅近くでブラブラしたり、よその町へ行ったことは確かだ。


「何で学校さぼっちゃたのかな?」

「いじめです」


乃亜の言葉を聞いて刑事達の顔が固まる。


「いじめだと?」

「ええ。俺、家でも学校でもいじめられててどっちにも行きたくなかったんです。だから昨日は学校サボりましたし家にも帰らなかったんです。前にそういう話は警察署ここでしたから分かってるでしょ?」


 乃亜はかつて、家庭と学校でのいじめを警察に相談したことが1度だけあった。「いじめは黙殺されるからとにかく火に油を注ぎまくって大火事にしないと駄目だ」というタレこみ情報に従っての事だったがうまくいかなかった。

 「神聖なる家庭や学校に国家権力は介入すべきではない」という不文律は強く、乃亜の訴えはかき消されてしまった。その後学校と家庭の両方からこっぴどく「お灸をすえられた」のは言うまでもない。


「そうか……ところで、嘘はないよな?」

「えっ?」

「もし嘘をついていたら虚偽申告罪きょぎしんこくざいとなって後々面倒なことになるぞ」

「刑事さん、アンタ俺が嘘をついてるって言いたいんですか?」

「そういうわけじゃない。ただ万が一そういうことになったら後で厄介なことになるかもしれない。って思っただけさ」

「……嘘はついてません」


 乃亜はやはり半分だけ嘘をついた。


「そうか。分かった。ところで妹の美歌ちゃんの連絡先は分かるか?」

「いや、分かりません。携帯持ってないんで。何かありましたか?」

「事件の夜から彼女と一切連絡がつかないんだ。我々も探しているんだが全く足取りがつかめない。もし何かの手がかりが見つかったら連絡してほしい」


 やはりニュースで見た通り美歌は『行方不明』になっていた。おかしい。確かに殺したはずなのに。なぜだ?


「はい。分かりました。何かあったら連絡します」


 もっとも、考えたって仕方ない事だ。答えが出たところで何かが起こるわけでもなさそうだし。乃亜は話題を変えることにした。


「ところで遺産はどうなります?」

「オイ! お前親が死んだんだぞ! いきなりカネの話をし出す奴がいるか!」

「俺にとって親というのは実の息子に虐待を繰り返す人間の屑です。

 毎日事あるごとに、というか事が無くても殴る蹴るの暴行を繰り返してきました。殴られなかった日なんてあったかどうか覚えてない位です。

 今回の事件でどっちもくたばって本当に清々しましたよ」


中年の刑事が怒鳴り散らすが乃亜はそれが当然と言わんばかりにさらりと言ってのけた。刑事は2人とも頭を抱えてしまった。


「妹の美歌ちゃんが見つからない限り相続の話を始めることすら出来ん。見つかるまで待っててくれ」


 親には両方とも家族や親戚がいなかったので本当だったら遺産は全部自分のものになるはずだった。だが確かに殺したはずの美歌が「死んだ」のではなくなぜか「行方不明」になっており、そこだけが引っかかる。


 彼女の生死がはっきりしないと遺産相続の話し合いを始める事すら出来ないので手に入るのはもう少し時間がかかりそうだ。……残念な話だが。


「分かりました。他に何かあります?」

「いや……今は特にないな。タカさん? どうします?」

「まぁいいだろう。今日はこの辺にしとこうか。天使君、協力してくれて感謝するよ。もう帰っていいぞ」


 これ以上聞きたい話は無かったようで乃亜は帰してもらうことになった。




 スカイツリーに遊びに行った帰り、乃亜は自宅へと戻ってきた。リビングには両親の血や脳汁の跡がべっとりとついていた。死体は警察が司法解剖するために持って行ったらしく、無かった。


「どうなってんだ?」


 血の跡を見た瞬間、乃亜は異変に気付いた。不思議な事に美歌の血の跡だけがきれいさっぱり消えてなくなっていた。確かに失血死寸前まで血をぶちまけたはずなのに。


「もしかして、天使てんしの仕業かな?」

「天使?」

「ああ。死体はおろか血すらきれいさっぱり消して、今どきの警察すらごまかせる奴なんて、いたとしたら俺みたいな悪魔か天使ぐらいしかいないだろうぜ」

「じゃあその天使とやらは何で美歌にちょっかいを出したんだ? 死んじまった美歌の死体を持ち帰ったところで天使たちには何のメリットがあるんだ?」


 天使の仕業だという相棒に向かって乃亜は頭に浮かんだ疑問をぶつける。死体を持ち出したところで何になるんだ? と。


「さぁ……それは分かんないな」

「まぁいいか。寝よう。明日特殊清掃員とやらを呼んで血を拭きとってもらうか」


 乃亜は2階にある寝室へと上って行った。

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