Scene.3 Boy meets ...... on June 26

 運命の日である6月26日、いつものように不細工な顔を鏡越しに見て、いつものようにエサ・・をかき込み、いつものように家を追い出され、いつものように学校しょけいじょうへと向かう。

 乃亜にとっては毎日毎日飽きることなく繰り返される日常……の、はずだった。


 きっかけはその通学途中、ふと路地に目をやった事だった。特に理由は無い。ただ何となく首を横に振って視線を移しただけだ。

 そこで彼は見た。彼の頭と同じ高さにある紅いもやのような霧を。


 最初は見間違いか幻覚かと思った。だが目をいくらこすってもほほをどれだけ強くつねっても霧は両目にハッキリと映っていた。

 乃亜は興味半分、恐怖半分で路地に踏み込み紅い霧を間近で見つめていると、中から同じように紅い目玉が2つ出てきた。当然、彼とばっちり目があった。


 そして、少年とも少女ともとれる声が聞こえてきた。聞こえた……というが声が耳から入ってくるわけではなく、頭の中に直接響く感じだ。どう考えても普通の声ではない。


「あれ!? もしかしてお前、俺の事が見えるのか!? ひょっとして俺の声も聞こえちゃったりするわけ!?」

「な、何だ!?」

「おお! やっぱりか! やった! やっと会えた!」


 紅い霧ははしゃぎながら乃亜の周りをクルクルと回る。その声は出会いを心の底から喜んでいるようだった。

 一方乃亜は恐怖で腰を抜かした。明らかに地球上に存在するありとあらゆる生物のどれでもない存在に身体は言う事を全然聞かず、震えるばかりでまともに動けない。


「な、何なんだ!? 何なんだよお前!?」

「ああ、俺? そうだなぁ……お前達人間で言う『』ってとこかな」

「あ、あ、あ、悪魔ぁ!?」

「おいおい。ビビんなって。別に取って食うわけじゃねーからさー。というか、俺と友達になってくれないか?俺の事が見える人間ってホントに少ないからなー」




 それは自ら悪魔と名乗った。あまりにも突拍子ない言い方だがそうでもなければコイツがどういう存在かは説明がつかない。

 自己紹介の後紅い霧が乃亜の頭にまとわりつく。

 コイツはヤバイ。直感や本能と呼べる部分が逃げろと警告を発していたがあまりにも恐怖が強すぎて脚どころか身体や腕すら何の役にも立たない。


「や、やめろ! 何をするんだ!?」

「俺の自己紹介が終わったから今度はお前の番だ。自力でしゃべれる状態じゃなさそうだからちょっと記憶を読ませてもらうよ……

 ふーん。お前、天使あまつか 乃亜のあって言うのか……うっひゃーお前悲惨だなー。学校だっけ? そこで暴力振るわれて家でも妹にボコボコにされてんだね?」

「な、何で分かるんだ!?」

「だーかーらー記憶を読んだんだって。言っただろ?」


 紅い霧は乃亜しか知らないはずの事、名乗ってもいないのに自分の名前を言い当て、答えてもいないのにどんな境遇にいるのかをすらすらと言ってのけた。


「なぁ乃亜。こんなクソッタレの人生にサヨナラして一発逆転したいかい?」

「一発……逆転?」

「そうだ。俺の力をお前にやる。その力さえあれば人間なんて簡単にひねり潰せるはずさ。ま、代価はもらうけどね」


「代価? 俺の魂とかか?」

「おしいね。代わりに死んだり殺したりした人間の魂を集めてほしい。俺には人間の魂が必要なんだ。

お前は俺のおかげでいじめられるだけの人生から抜け出せる。俺はお前のおかげで魔界でのし上がることができる。どっちにもメリットはある。どうだい? 悪い話じゃないだろ? っていうかこれ逃したらもう逆転するチャンスなんて無いぜ?」


 悪魔の誘いに乃亜はしばし黙る。

 もしも、もしもコイツの言っていることが本当だとしたら、最底辺にいる自分にとっては願ってもない一発逆転のチャンスだ。でもなぜだ? なぜ俺なんだ?


「何で……何で俺なんかにそんなチャンスをくれるんだ?」

「言っただろ? 俺はお前と友達になりたいだけさ。フ・レ・ン・ド、分かるかい? 俺が見えるってことはお前は素質があるって事だしそんな人間に出会えたってのは俺にとっても滅多に無いチャンスなんだ。だからお願いするからこの話に乗ってくれ。悪い話じゃないからさ」

「……」


 乃亜は悪魔の言葉を頭の中でかみしめる。


 学校ではスクールカースト最底辺、いや最底辺ですら無い。家でも「自殺しろ」と親から言われている。「言われているようなもの」ではなく実際に言われている。

 このままじゃあ自分が死ぬか相手を殺すかのどちらか。どちらを取っても自分にとっては恐ろしく不利だ。


 ならば……悪魔の力とやらを使ってクソッタレのクラスメート共、クソッタレの先公、クソッタレの両親、そして飛び切りのクソである美歌。あいつらに復讐出来るというのならしてやろう……。


 悪魔の誘いは16年の間溜まりに溜まったどす黒い衝動に火をつける甘美な誘いであった。いつの間にか恐怖は消え、代わりに怒りと憎悪の炎が乃亜の胸の中に宿った。


「分かった。俺に力をくれ。代わりに魂でも何でも集めてやる」

「オッケー交渉成立だな。じゃあ力を授けるぜ。ちょっと頭がキッツイ事になるみたいだけど我慢しろよ!」


 そういうと霧の悪魔は乃亜の体の中に入っていった。

 途端に全身が、特に頭が溶けた鉄を注入されたかのように熱くなる。


「ぐああああああああああああ!」


 身体が千切れてしまいそうなくらいに全身が突っ張り、背中も弓なりにしなった。このままでは体が壊れてしまうのではと不安になったが次第に熱はおさまり、後には4つの能力が残った。


「この力は……」


 与えられた4つの能力……それは立って歩くのと同じように、自転車に乗るのと同じように、ごく自然な動作として出来る様に脳に植え付けられていた。乃亜は辺りを見回すが、あの霧はいない。


「お前、どこ行った?」

「これからはお前の身体に居候させてもらうよ。幽霊みたいに『憑りついた』って感じかな?」


 頭の中に声が響く。感覚は無いがどうやら体内にいるようだ。


「ところで、お前名前は?」

「名前? そうだなぁ。ミストとでも呼んでくれ」

「分かった。よろしくな、ミスト」


 そう言うと乃亜はさっそく能力を試す。



超常者の怪力パラノマル・フォース



 乃亜が念じると身体から黒い霧が吹き出し全身を覆う。やがて霧が晴れると目だけが紅蓮に光る全身が漆黒色の異形の怪物へと変身していた。


 変身したというが学生服や靴を身に着けている感覚はある。例えて言うなら服の上から重さが無くて視界良好な着ぐるみを着ている感じだ。

 右腕を見ると太さは倍ほどに太くなり手もそれにつり合う程巨大化、それでいて普段と同じような繊細な動きもこなせるし握れば素手の時と同じような握った感覚も伝わる。しかも背が高くなったのか視線も大きく上へと上がり、声も低く不気味な声になっていた。


「……まるで変身ヒーローだな」

「オイ何だあれ?」

「すげぇ。着ぐるみじゃねえの? こんなクソ暑いのに」

「撮影中だ。近寄るな。あと写真を撮るのも禁止だ」



 通学途中の学生が物珍しそうに乃亜を見るが、乃亜はとっさの嘘でごまかした。

 学生を追い払ったところで2つ目の能力、≪光迂回ライト・ディトゥーアル≫も試してみる。

 念じると腕の色がどんどん薄くなり、ものの2~3秒で透明になってしまった。腕だけではなく、体も足も透明になっていた。


「すげえな。透明人間だな」

「気をつけろよ。それは衝撃には弱いんだ。激しい動きをしたら剥がれるぞ」

「じゃあ次は……」


 ≪超常者の怪力パラノマル・フォース≫の能力の真骨頂、身体強化能力の力を試すことにした。乃亜は思い切ってジャンプすると3階建て住宅の屋根の高さまで跳び上がった。


「うお! すげぇ!」


 更に畳んでいた翼を広げて風を拾うと空を鳥のように飛ぶことが出来た。


「飛んでるのか? 俺?」

「うんそうだよ。飛んでるよ。……ところでどこ行くんだ? 学校とは正反対だぜ?」

「駅に向かう。数学の授業まで時間つぶしとアリバイ作りだ」


 今日の5時限目は担任が受け持つ数学。始まれば授業の45分間は人の出入りは無い。それまで時間がある。後々面倒な事にならないようにアリバイでも作っておこうというわけで乃亜は家や学校とは反対方向にある駅に向かって飛んで行った。

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